新潟市西区五十嵐の内科 長野医院 健康に関するお悩みはお気軽にご相談ください。


 お盆の診療体制+α
投稿:長野 央希
お盆時期の診療体制は以下のようになります。
8/10㈪ 9:00〜12:30,15:00〜18:00
8/11㈫ 休診 (山の日)
8/12㈬ 9:00〜12:30,15:00〜18:00
8/13㈭ 9:00〜12:30, 
    14:30〜17:00は発熱外来のみ(完全予約制)
8/14㈮ 休診
8/15㈯ 休診
8/16㈰ 休診
8/17㈪以降は通常診療となります。

尚、8/13ぼ午後の発熱外来は予約制となりますので、御電話にて御予約をお願いします。その日は職員も少ないこと、薬局もお休みとなること、検査会社もお休みになることから、処方は院内処方のみとなり、血液検査やPCR検査はできません。新型コロナ、インフルエンザ、溶連菌 抗原検査のみ行えます。したがって、通常の高血圧や糖尿病などの慢性疾患の方への処方は出来かねますので、御了承ください。宜しくお願いいたします。

熊本の地震が起きて、思った以上に上水道の麻痺が遷延しております。
東北の震災の際に3/13に日赤の救護班として石巻に行った際に、透析などの水の確保が大変で、蒸留水をできうる限り多く持参してくれるように依頼があったことを思い出しました。
医療では非常に多くの「水」を使います。手洗いという衛生の基本からして、多くの水道水を使用するのです。
傷を洗浄するのにも水が不可欠です。
断水からの復旧に時間がかかるようであれば、水はいくらあっても困らないはずです。水の供給というのも現段階では重要な協力になるのだと思います。

 

2026年8月2日(日)

 熊本の震災
投稿:長野 央希
一昨日熊本を襲った震度7の大地震により、政府より、現段階において28名の方が亡くなられたとの発表がありました。
イオンモールの爆発で5名、日本製紙八代工場で5名の方が亡くなられているという報道でしたが、心肺停止の方や安否不明の方の今後の状況で、残念ながら死者が増える可能性があります。また、大きなインフラにおける被害情報は徐々に明らかになってきておりますが、一般家屋の倒壊などの被害状況は、まだ完全には把握しきれていない可能性も高いと思われます。震度3以上の余震も60回を超えているとのことで、大きな余震があれば二次災害のリスクも鑑み、救助活動の遅延にもつながるのではという懸念もあります。
一部地域では断水もあり、上水道の機能低下、麻痺もあるようですが、今のところ、大きな下水道機能不全はないようです。
高速道や新幹線を含めた電車が止まっていたりという、交通手段の機能低下も続いております。
現在、どれほどの規模の避難所の設営がなされ、避難を要する人がどれほどおられるのか、分からないのですが、現状を考えると、避難を必要とする方は増えてくるものと推察されます。
私が東北の震災でいくつかの避難所を訪問診療で回ったのは3月と5月でしたので、季節の差はありますが、その時の経験を踏まえて、今後の懸念事項を考えました。
@上下水道の機能低下、麻痺に伴う衛生環境の悪化。食中毒や胃腸炎の拡大の懸念。
A例年で行くと、今後COVID-19の夏の流行期に入りますので、COVID-19やヒトメタニューモウイルス、パラインフルエンザウイルスなどの上下気道感染の感染流行。それに伴っての、特に高齢者、乳幼児の呼吸状態の悪化。
B高温、多湿環境のための、室内にいながらの熱中症、暑気あたり。
Cかかりつけの医療機関が被災している場合、受診差し控えによる原疾患の増悪。
D活動量の低下と脱水傾向による深部静脈血栓症、エコノミークラス症候群の発症リスクの増大。
E避難生活の長期化に伴う、うつや不眠などの精神的不調
F狭い空間での人間関係によるトラブル。
G根拠のないデマ情報やいわれのない誹謗中傷などの被害

現在、熊本の被災地での医療機関の営業状況まで把握しておりませんが、東北の震災の際は、多くの医療機関が津波の被害を受けて、数か月営業自体出来ておりませんでしたから、避難所での診療で、血液検査もできず、インスリンを使用している糖尿病の方の治療やワーファリン内服の方の投薬をどうすべきか、非常に悩んだ経験がありますので、今回、できうる限り被災周辺の医療機関が早期に通常診療ができるようになることを切に願います。

高温のため冷房をつけている分、換気が不十分にならないように心掛け、脱水にならないように水分補給をしっかりし、可能な範囲での手洗い、感染予防に努めていただきたいと思います。
冷房を何度に設定するかというだけでも、人間関係の軋轢を生む可能性があり、一か所に避難している期間がなるべく短縮されるよう、簡易個室住宅の設置が望まれます。

これから本格的な厳しい夏を迎えるにあたり、被災者の方も救護者の方も、熱中症対策を十分に講じていただきたいと思います。私も、被災地に対して、自分としてできる協力を行っていきたいと思います。

今回も含めて、地震などの天災は、まったくの対岸の火事ではないことを被災者でなくとも肝に銘じる必要があります。
近い将来想定される、南海トラフや東海地震、富士山や阿蘇山の噴火などがいつ来てもおかしくはないですし、日本全国で天災の懸念のない地域など存在しないのですから、天災の種類、季節、地域性などを考慮した、対策をしっかり講じておく必要があることを改めて認識しなくてはならないと強く思います。


今回、亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。



2026年7月30日(木)

 最近の話題から
投稿:長野 央希
評論家でタレントの山田五郎さんが原発不明がんにより永眠されました。
私は昔からTVをあまり見ないのですが、ほぼ定期的に見ていた数少ない番組が『タモリ倶楽部』でした。この番組に、時々山田五郎さんも出演されており、個人的に比較的なじみ深い芸能人の方でした。
原発不明がんは、名前の通り、原発巣が判然としないもので、病理による癌種も様々という、色々な悪性腫瘍の雑多な疾患群と言えます。
自分はかつて一度原発不明がんの診療をしたことがありました。80代の慢性骨髄性白血病(CML)で治療中のかたでしたが、CMLの治療自体は順調で、このまま天寿を全うできるであろうと考えていたところ、突然右頸部から峡部にかけて腫脹を認めるようになりました。当初は熱感もあり、発熱もしていたため、蜂巣炎のような病態を疑い治療しておりましたが、翌週には腫脹が明らかに腫瘤となっていることを受けて入院精査としました。結果的に様々な精査の上で原発巣の分からない癌で、原発不明がんと診断せざるを得ず、その旨、本人とご家族に病状説明をしました。すでに90歳に近い御高齢のため、強力な抗がん剤治療もままならない状況で、急激に病状が悪化していき、亡くなられました。
原発不明がんというのは様々ながんの総合疾患群であるため、まだまだ不明な面も多く、治療法も確立されていないのが実情です。それでも、固形癌の1〜5%が原発不明癌であるともいわれており、決して非常に稀なものというわけでもありません。しかし、雑多な疾患群であることによりなかなか研究も進みにくいという歯がゆさもあります。原発不明がんも、より詳しいことが分かってくれば、恐らく疾患名自体も変更されていくのでしょうが、できるだけ早めの研究の進歩と治療法の確立を願わずにはいられません。

千葉県柏市で看護師が点滴に糞便を混入させて、患者を死に至らしめた疑いで逮捕されるという事件がありました。現状は看護師は否認しているようで、今後、捜査が進んでいくものと思われます。
私がシニアレジデントのころに、自分の患者さんが日曜に急に発熱し、病棟から自分のところに電話がありました。その日は、他の病院に当直に行っていたため、電話を受けても病棟に駆け付けるようなわけにもいかず、血液培養採取の上で、抗生剤の点滴を始めてくれるように指示をして、何かあれば院内の当直医に相談するように伝えて電話を切りました。
翌日、朝早めに病棟に行ってみると、その患者さんはすでにショックバイタルとなっており、いわゆる急変という状況でした。救命措置を行っておりましたが、結局、救命できないという非常に残念で悔しい結末で、未だに、その時のことを思い出すと、悔しさで泣きたくなります。結果的に血液培養からアシネトバクターが検出されましたが、明らかな感染源は不明という結果でした。原因不明の食思不振でしたので、点滴を継続せざるを得ない状況でしたので、感染源は点滴のルート以外には考えにくい状況でした。あの当時は、その病院では点滴をするのは医師の仕事でしたので、自分か、その他の当番医が、不潔な方法で点滴を行ったのだろうか、点滴の管理で、何か菌が混入するような状況があったのだろうか、と未だに考えることがあります。ただ、その時の病棟スタッフは優秀で信頼できる人が多かったため、少なくとも意図的に異物を混入するようなことはなかったと信じています。
そういうわけで、今回の点滴に糞便を入れるというのとは、次元の違う話ではあるのですが、中心静脈カテーテルではなくても、点滴に異物が混入されれば、敗血症で、急激に病状が悪化するものであることは肌で実感しております。

あの時の教訓は、点滴や尿道カテーテルを留置している人が発熱したら、極力早急に入れ替えることでしたので、その後の自分は、それをできる限り実践してきました。血液内科時代は、多くの人が中心静脈カテーテルでの点滴管理を行うのですが、発熱した場合、発熱性好中球減少症に対するガイドラインがあるので、それに沿って抗菌薬、抗真菌薬の投与を開始しますが、熱が下がりにくい場合は、できうる限り中心静脈の抜去や入れ替えを行っていました。

もうひとつ点滴に異物を混入するということでは、母親が子供の点滴ボトルにペットボトルの飲料水を混入させることで、退院を先延ばしにさせていたという、代理ミュンヒハウゼン症候群が疑われた事例が思い出されました。もっとも、この場合は、子供の病状を悪化させることで、病気の子供の面倒をみる献身的母親像を作り出そうという狙いが透けて見える点で、今回の事例とは全く異なりますが。
殺意があったとして、何故薬物やカリウムではなく、糞便を使用したのかという点は、これから捜査の進展で分かってくることではありましょうが、この件で、自分のかつての苦い記憶が思い出される結果となり、色々な意味で、切ない事件ではあります。

連日、厳しい暑さが続いております。スーパーエルニーニョの影響なのか、7月とは思えない酷暑となっており、本日は都内で400人超がすでに熱中症で搬送されているという話です。
これからが本格的暑さになるはずであり、どうか皆様も熱中症に対してしっかりと対策していただければと存じます。

2026年7月23日(木)

 飛蚊症
投稿:長野 央希
私は大分小さい時から飛蚊症があります。
幼少期に、それが飛蚊症だなどと知りませんので、ぼーっとしていると、目の上の方とかに何やら「線虫」のような顕微鏡でのぞく微生物のようなものがみえるなと、面白がっていました。日常生活に支障もあるわけでもないので、放置しておりましたが、大人になってからも、同様の症状があり、医師になってから初めてこれは「飛蚊症」なるものなのだと認識したような状況でした。

先日、飛蚊症に加えて光視症も出現したのですが、時間とともに改善するだろうと様子を見ておりました。
光視症も、暗いところで、街灯などを脇で見ると、カメラのシャッターのように、目の端に光が走る感じで、「なるほど。これが光視症なんだな」と教科書をおさらいする感じで考えておりました。
数日でよくなるかと思っていると、一週間経ても変化がないため、流石に網膜剥離や網膜裂肛などではないかと不安になり始めました。
万が一、網膜剥離でレーザー治療の適応でなかった場合、入院での手術になるというのはりかいしておりましたので、もし入院しなければならなくなった場合、内視鏡や訪問診療などの予約の状況を踏まえて、どのように入院の日程を決める必要があるのだろうかなどといったことが、次々と頭に浮かんできて、不安を募らせる結果になりました。自分の場合、様々な不安があっても、酒をあおって(量はそんなでもない)寝てしまうと、翌日には不安を持ち越さないという幸せな性質があるので、今回もそれほどの強い不安は抱かずに済みました。とはいえ、流石にしっかり診断しておく必要があるので、休診日を利用してがん化を受信させてもらいましたが、結果的に網膜剥離は否定され、結局は加齢性の変化という結論に達して、一安心した次第です。

今回の件で、考えたことがあります。
私は子供のころから医者嫌いなので、ほとんど医療機関を受診したこともないのですが、今回患者という立場になり、自分の体に対して不安を抱くという、これまでほとんど味わったことのない体験をしました。そんな中で、受診した眼科医院で、色々と検査していただき、先生からも丁寧な説明を受けられ、それまでの張りつめていた不安と緊張から解放され、心の底からほっとさせられ、先生や看護師含めた職員の方々に、心から御礼申し上げます。
「医者」という立場で「患者」と接していると、忘れがちなのですが、いざ自分が「患者」の立場に立つと、「医者」のちょっとした物言いや態度という、ある意味極めて些細なことが、「患者」の心を温かくするのだと実感させられました。
恐らく、逆もあり得るでしょう。何気ない一言が、「患者」を傷つけ、不快にさせたり、不安を増長させてしまう可能性もあるのだと、気づかされました。
今後の自分の言動を見直していきたいと思いました。

また、加齢による変化という話で、自分も着実に老化してきているのだということを痛感させられました。これは生物として仕方のない宿命ではありますが、やはり多少の者寂しさはあります。
老化していく中で、いろいろと問題が生じてくる体とどう付き合っていくかも考えさせられました。

視点を変えると、これまで見えていたものが大分、異なって見えてくることを改めて感じさせられました。


日本人初のノーベル生理・医学賞受賞の利根川進博士が亡くなられました。現在、免疫における抗体に関する研究の先駆者でもあり、その後も記憶の領域などで、斬新な研究成果を出しておられた偉大な科学者でしたが、ご冥福をお祈りいたします。

2026年7月16日(木)

 スポーツ応援という宗教
投稿:長野 央希
現在、北中米W杯が着々と進行し、ベスト8まで出そろいました。
様々な物議をかもしている大会ではありますが、色々な問題はこれまでの大会でもありましたので、物議をかもすこと自体は珍しくはないと言えます。しかしながら、一国の大統領がFIFAの会長に電話したりということが公の場にさらされること自体、とんでもない問題ではありましょう。(もしかしたら、これまでも秘密裏にそう言ったことが行われていたのかは分かりませんが)
五輪もW杯も商業主義、拝金主義的な要素が増大していることの弊害のようにも思えます。
そもそも、ウクライナに戦争を吹っ掛けたロシアを出禁にしておきつつ、イランに戦争を仕掛けた米国はのうのうと出場しているということが大きな矛盾であるはずなのに、それは誰も騒がない。米国という金の成る木は大会主催者側には不可欠だからなのでしょうが。
ベスト8の顔ぶれを見ると、そのうち6か国が欧州になります。今のサッカーというものが組織戦、総力戦になっていいることの証左なのかもしれません。

アルゼンチンとエジプトの試合は、大会史上でも最も劇的な試合であったかもしれませんが、エジプト側は審判のアルゼンチン寄りの判定に対する不服を訴えております。ただ、主審はフランス人なので、自国のためにアルゼンチンに不利な判定を下してもおかしくはなさそうですが、そうはしませんでした。アルゼンチンに買収されていたような感じにも見えません。ただ、アルゼンチンのリーダーであるメッシはすでに20年、世界のトップオブトップのような存在として活躍してきたため、サッカーの業界人からすると、すでに神格化されていたり、子供のころからのヒーローのような存在で、あこがれの対象とすると、無意識化にメッシの側に有利な判定を下してしまう可能性もあるのだろうかなどと考えてしまいます。
ベスト8のフランス対モロッコ戦の審判がアルゼンチン人のみで構成されるということで、フランスに不利な判定を下すのではという懸念がなされております。何故こんなきな臭い人事をしたのかという思いにもなります。仮にアルゼンチンが勝ち進んだ場合、その勝利にケチをつけられるような事態は避けた方が、後味もいいと思うのですが。

以前ほどではないですが、サッカーの熱狂的なファンやフーリガンの事件というのは今でも時々話題になります。スポーツ応援という物には、宗教のような狂信性を伴う面があるように思えます。
自分の青春時代を振り返ると、強く思い起こされるのです。
自分は浪人時代、最も狂信的な広島東洋カープの信者となっていました。
自分の不勉強ということがまいた種で浪人しておりましたが、その時期は常に自分が不遇であるような気持ちを抱いておりました。そう考えること自体、自分の非を棚に上げて、周囲に責任転嫁しているわけで、自分の精神的な稚拙さを如実に表しているのですが、当時の自分はそんなことにも思い至りませんでした。現実逃避のように広島の野球の試合にのめりこみ、横浜に住んでいましたが、必死でRCC中国放送のラジオに合わせて、ものすごい雑音の中で中継を聴き、負ければ、翌日は一日不機嫌の塊のようになっている。あの時期に、身の回りに同じような熱狂的な広島ファンの人が数人いたら、恐らくフーリガンになっていたのではないかと思えます。
自分の境遇に不満を抱えていたり、不遇であると思えたりしていると、(自分の側に非があろうとなかろうと)スポーツチームや芸能人のアイドルなどに希望を託し、感情移入し、いつしか狂信的な信者になっていくように思えます。そして、その個人が精神的に未熟であればあるほど、自分の感情を抑えるすべを知らないために、その狂信性や暴力性が高まってしまう。また、精神的な未熟さは自己決定することでの責任が生まれることを避けたがる傾向があり、自己決定する代わりに、応援する対象、信仰する対象の動向で、自分の決定もゆだねてしまうようになる依存性もあるように思えるのです。
宗教の信者と熱狂的なファンというのはその信仰する対象は異なっていても、類似点が多々あるように感じられます。
自分は、その後社会人として責任を伴う仕事をするようになっていくと、いつの間にか、広島カープへの妄信はなくなっていきました。ファンではあっても、広島の勝敗に生活を支配されるようなことはなくなっていきました。
今思うと、病的であったのかもしれません。
スポーツチームやアイドルが生活の大きな部分を占めている人の中には、かつての私のような人もいるのではないかと思います。少し冷静になって、自分自身を分析してみることも必要なのかもしれません。






2026年7月9日(木)

 
投稿:長野 央希
魚沼の一部地域では、今シーズンにおいて、今が盛りとばかりに蛍が飛ぶようになっております。
私が蛍を見に行く場所というのは、主に二か所ありますが、そのうちの一つは、人里離れた山のふもとになります。
そこは、登山道の登り口の神社脇に川が流れており、その川を挟むように木々が生い茂っている場所です。
いつもはそこに到着するのは20時ころで、月でも出ていないと、辺りは真っ暗で歩き出すこと自体勇気がいるようなほどです。先日19時半ころに、そこに着くと、思った以上に空も明るく(とはいっても、ブルーグレイという感じで、真っ暗ではないというレベル)、いつもなら暗くて行動範囲が狭くならざるをえない状況であったものの、その日は少し山道を歩いてみる気になりました。
19時半というと、通常、まだ空が比較的明るいので、蛍の活動時間としては早い印象を抱いておりましたが、その日、辺りは明るくても、鬱蒼とした森の中は暗闇で、木々に鈴なりに蛍が光っているのが見えました。葉に留まって、光を点滅させているものや、ゆっくりと飛び回っているものまで、様々でしたが、これまで見てきた蛍の数をはるかに凌駕するほど多数の蛍を見ることができました。
その光景に圧倒され、しばし頭の中が真っ白になって、ぼーっと突っ立ておりました。はっと気が付くと、鼻先をかすめるように二匹の蛍が自分の周りを飛び交っておりました。更には頭をかすめるように浮遊しているものも二匹ほどいました。その瞬間は、蛍にとってみると、自分はそこら辺の石ころと同じような存在になっていたのかもしれません。自分の中で、「悟り」というのは自然と同化できた境地に達していることなのだと勝手に思っていましたが、まさに一瞬ではあっても、悟りの境地に達していたのかもしれないと嬉しくなっておりました。そんなことを考えていると、途端に蛍は自分の周りを去って、川面の方や森の中に思い思いに散って行ってしまいました。人間があれこれ考えだした瞬間に、すでに自然界の生き物からすれば、邪心を抱いている存在なのかも知れません。

蛍が飛んでいるのと、光を点滅させるのとで、どれほどのカロリーを消費するのだろう?蛍雪の功というのは、灯をつけることもできない貧しい環境下で、蛍の光や窓の雪明りで勉学に励んだという故事ですが、一体、何匹の蛍を捕まえてくると、読書できるほどの明るさになるのだろう?
これらの疑問にこたえるべく研究しだすと、既にそれは科学になります。
一方で、蛍の光の神々しさに、手を合わせて拝むようなことがあれば、既にそれは宗教になりえるのだと思います。
科学と宗教は、ある意味で表裏一体なのだと改めて考えさせられました。
そんなことを考えている中で、蛍たちは幽遊と空を周回していました。
山道で立ち止まって、しばし過ごしていると、獣の歩く音が聞こえてきました。ハクビシンをよく見かける場所なので、おそらくはハクビシンであったと思いますが、はっと我に返り、熊に遭遇する前に帰らねばと帰路を急ぎました。

自然と同化できたら、熊にも一目置いてもらえるのでしょうか?

2026年7月2日(木)

 『ドン・ジョヴァンニ』
投稿:長野 央希
新型コロナ流行時期は、自分が始終、発熱外来をしていたため、自分が感染源になることを避けるために、スポーツ観戦や音楽コンサートに行くことを自重しておりました。
ようやく、パンデミックも終わり、時間も経ちましたので、野球を見に行ったり、コンサートに行けるようになりました。
先日、モーツァルト曲目のコンサートに行ってきました。
都内、埼玉で働いている際には、しばしばコンサートとりわけオペラを聴きに行っていました。
自分はモーツァルトのオペラでは『ドン・ジョヴァンニ』が最も好きです。
最初のドイツオペラともいわれる『魔笛』は音楽的には素晴らしいのですが、話の内容がやや稚拙な感じを受けてしまうこともあり、ドン・ジョヴァンニのほうがより内容の充実度も考え、自分としては軍配を上げてしまいます。
ドン・ジョヴァンニ自体は、今の通念で行けば、下衆な放蕩者ということにはなるでしょう。手あたり次第といった感じで、女性に手を出し、邪魔建てした騎士長を殺してしまう。これだけでは、本当に屑野郎ということになります。
ただ、従者のレポレッロが歌うところで、ドン・ジョヴァンニが女性であれば、老若、美醜問わず、だれでも愛せるというような趣旨のセリフがあるように、ある意味、神のような心ともいえる気がします。やっていることは、ギリシア神話の最高神であるゼウスと同じようなものです。ゼウスもやたらと女好きで、多くの人間女性に手を出して、孕ませています。しかし、ゼウスは全能の神として尊崇を集めるのに対し、ドン・ジョヴァンニは放蕩者の悪人とされてしまう。
この対比は非常に興味深いもののように思われます。

やっていることは褒められるような類ではないが、少なくとも、ドン・ジョバンニには彼の美学や哲学があって、それを貫いている。そこに彼の格好良さが感じられます。しかも、彼は最終的に自分が殺した騎士長の亡霊に地獄に連れていかれることになりますが、死ぬ間際においても、彼は自分の生き方を悔いることはなく、死んでも自分の生き方を貫いたところに、究極の格好良さがあるような気がします。罪を重ねて、自分の犯した罪で裁かれるに際して、急に被害者面する人が度々見受けられますが、ドン・ジョヴァンニは全く被害者ポジションをとることもありませんでした。その死に様も、彼なりの美学を貫き通した結果と言えましょう。
また、彼の敵対者としてドン・オッターヴィオという品行方正な騎士の鑑ともいえるような貴族が出てきますが、正直なところ、昔から彼のアリアには、何か魅かれる要素が乏しいと感じてきました。
品行方正というのは一般的には価値の高いものではあるのでしょうが、きれいごとを言っているだけのように思えてしまうことがしばしばあります。
今の時代も、沢山の人が、現実に即さずに、きれいごとのような理想論を展開しております。机上の空論としての理想論というのは、その人の単なる自慰行為のようにしか見えないのです。しかも、時には大変有害な場合があります。

『ドン・ジョヴァンニ』という作品は、常識的と言われる一般大衆が理解しないものは排除しようとする人間社会において、その常識にとらわれず、無茶苦茶な言動ができる人こそが、人間の歴史を大きく変革できるものの、大概は、そういった英雄は、大衆の理解を超えていることから浮き上がる恐怖と、自分たちにはまねできないことをしでかす言動への羨望と同時に嫉妬から上げ足をとられるようになり、最終的に不幸な末路をたどることになるという、ある種の人間社会の普遍性を表しているからこそ、名作として今に至るまで残り続けているのではないかと思います。

2026年6月25日(木)

 最近の話題から
投稿:長野 央希
魚沼で、それほど有名ではない蛍のスポットを二か所めぐってきましたが、一か所では3〜4匹ほど蛍が飛び出していました。もう一か所は未だその飛翔は見られませんでしたが、蛍を見ると、生きていて良かったという思いと、来年も生きていたいと言う思いを持てる気がします。ただ、いずれの場所も真っ暗で、人気もない場所であるため、色々な意味で怖いのですが、最近では熊に遭遇したらどうしようという恐怖も加わっています。昨日は、歩いていたら、ガサガサという音がしたので、クマか?と身構えていたところ、何者かが走り去っていく音がして、その後では辺りにははカエルの鳴き声以外しなくなりました。しばらくは動かずにあたりを見渡しておりましたが、特に何かが戻ってくる気配もないので、再び歩き出しました。物音からすると、それほどの大きな生き物ではなさそうでしたから、狸とかハクビシンとかの類だったのかもしれません。とはいっても、なかなかな恐怖を味わいました。

今週に入り、日本各所で食中毒の情報が目立つようになりました。
広島の福山で、宿泊施設において、ウェルシュ菌による食中毒の集団発生がありましたし、名古屋のコストコの総菜からO157の集団発生の報道もありました。
ウェルシュ菌はクロストリジウム属にの嫌気性桿菌ですが、その芽胞が高温処理されてから、緩徐に冷却される過程で、増殖していき、それを摂取することで、食中毒を発症します。あまり発熱や嘔吐は見られず、腹痛と下痢が主体となり、O157のように重症化することはまれではありますが、しばしば給食などで、集団発生するため、注意が必要になります。
O157は血便や高熱も加わり、溶血性尿素症候群(HUS)のような重症化する恐れもあり、時に致命的になりえるので、更に注意が必要となります。
その他でも、カンピロバクターと思われるような症例も徐々に増えつつあります。
食中毒予防三原則として「つけない、増やさない、やっつける」というものがあります。
つけない:手洗い、器物洗浄、消毒
増やさない:適切な食品の保存、保管。調理物の速やかな摂取
やっつける:加熱処理
殊に夏場は食中毒への注意を強化する必要がありますので、どうかご注意ください。
また、6/1に長野県で初の重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の発生報告がありました。これはSFTSウイルスを保有するマダニに咬まれることで、発症すると考えられておりますが、少し前までは、基本的に温暖な西日本の感染症という認識でおりました。しかし、隣県の長野で出たということは、時間の問題で新潟でも出る可能性があるということです。新潟といえば、マダニ媒介の感染でいうと、ツツガムシ病(リケッチャ)が有名でした。最近はツツガムシの発症頻度というのも相当少なくなっておりますが、今後リケッチャとSFTSウイルスを同時に保有するようなマダニの個体が出てくるのかどうか注視していく必要があると思います。いずれにしろ、屋外で活動する場合、マダニにかまれないような防護をしておくことは重要といえましょう。

最後に、徳島大学で世界初の1型糖尿病患者に対して、TUFF−IPC(脂肪から分離した自己脂肪細胞由来の新しいβ細胞)の移植を行い、経過順調という発表もありました。非常に朗報といえます。従来、1型糖尿病は終生にわたって、インスリンの定期注射が不可欠なものでした。
大分前の話で、巨人軍にガリクソンという投手がいました。彼は一型糖尿病でインスリンを打ちながら、プレーしているというのは有名でしたので、子供ながらに大変なものだなと感心していた記憶があります。後年、医学生や医師となってから、ガリクソンを思い出すと、あんなにもハードな運動をしていて、低血糖の発作とかは起きなかったのだろうかなどと、違う視点で感心しておりました。
1型糖尿病は多くが若年で発症しますので、定期のインスリン注射による日常生活への制限も出てくるでしょうし、アスリートへの道なども断念せざるを得ないような人生への制限も加わってしまいかねない疾患でしたが、今回の治療によって、多くの患者さんがその恩恵に浴する可能性があります。この夏に2症例目の治療を行う予定とのことで、この治療がより早期に広く行われるようになることを願っています。
そして、今回の治療は世界初ということですが、この先も、日本がこうした野心的な研究や治療を世界に先駆けて行っていければ、大変素晴らしいことだと強く思います。

2026年6月18日(木)

 「学歴社会」に思うこと(4)
投稿:長野 央希
より高い学歴を求めると、結果的には受験戦争に勝つ必要があるのが今の世の中と言えます。
受験という競争で、メリットは何か考えてみました。
一つは、忍耐力を身につけられる可能性があること。
更には、継続する力を身につけられることが挙げられると思います。また、受験に勝つという場合は、それこそ「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」という孫子の言のように、自己の正当な評価をし、受験する学校の試験問題を分析することにはなるので、(十分やれているのかは微妙かもしれませんが)冷徹な分析力が身につくかもしれません。
もっとも、これらの継続力や忍耐力、分析力という物は、恐らく長らくスポーツや音楽などで高レベルな活動をしている人たちは皆、身につけざるをえない物な気はします。そういった、運動や芸術をやり続けてきたわけではない人たちには、受験勉強が、鍛錬の場にはなるでしょう。
そして、最も大きい意義があるとすれば、挫折を経験させてくれることではないかという気がします。格の違う学校秀才であれば、受験においては全く挫折を経験しないかもしれませんが、そんな人は少数派でしょうから、多くは、色々な失敗や挫折を経験しながら、成長していくことになるでしょう。この挫折や敗北は、子供のうちに経験しておくことが重要な気がします。最近は、子供の運動会で、順位をつけるのはかわいそうだからと言うことで、勝敗や順位付けをしない風潮になっていると聞きます。運動会で勝敗を決めない様な配慮をする大人達は、何故受験は許容できるのでしょうか?運動会という特段人生に大きな影響を与えないような行事で負けたら、子供がかわいそうという心配をするくらいなら、もっと人生に影響を与えかねないような受験で勝敗がくっきり分かれるようなことに文句を言わないのは何故でしょう?その矛盾に対して疑問を持つべきでは無いかと思うのですが。子供に敗者の屈辱を味合わせたくないと言うことで、純粋培養すればするほど、子供の成長はむしばまれてしまう気がしてなりません。
そもそも、社会に出てからは、失敗や挫折の連続と言えます。その失敗を糧にしながら、色々工夫を凝らしたりして成功につなげていくのが成熟した大人と言えます。そこでは上司からの叱責や、他者からの苦言などはつきものでしょう。子供の頃に挫折を経験してこず、大人になって初めて挫折を経験した場合は、打たれ弱さのあまり、挫折感からの立ち直りが上手くできなくなってしまっている恐れもあるのです。
恋愛一つとっても、勝者と敗者が出てしまいます。仮にある一人の女性を三人の男性が愛したとして、その女性が一人の男性を選んだ場合、他の二人の男性は、少なくともその恋愛においては敗者となるのですが(その女性が大変な猛者で、三人とも同時に付き合ってしまえば、三人とも勝者で、三人とも敗者ということになる可能性がありますが)、その二人の男性は別の恋愛で負け続けるわけではありません。大人になるまで挫折を知らない人は、気持ちの切り替えがすんなり出来るのかどうかという懸念が出てくるのです。
そういう意味でも、学歴を得るための受験戦争には厳然たる勝敗が有り、ある種の社会勉強の側面もあるのかもしれません。
とは言っても、現在の学歴という人間評価の術は、非常に偏りのある物であり、見直されなくてはならないというのは、自分としての長年の思いであることは間違いありません。
人間性の評価という、最も難しい面をどうしたら適切に評価できるのか。その結果、適材適所で人々が生きていけることが、最も社会として目指すべき方向なのでは無いかと思います



2026年6月16日(火)

 「学歴社会」に思うこと(3)
投稿:長野 央希
今は、学生が勉強をするうえで、受験に利用する科目に比重を置く風潮が強いようです。受験戦争に勝つための戦略としては正しいのでしょうが、この点にも、違和感を感じます。
学うえで、最も重要な科目を考えると、数学と国語になるのではないかと思っています。
算数・数学は、論理的思考を身に着けるためのトレーニングになると思います。物事を論理的に筋道立てて考える根幹になると思っています。
そして、国語は書いてあること、話されたことを論理的に解釈するとともに、自分の施行を論理だてて話す・書くことのトレーニングになります。
英語などの外国語もより若いうちから始めることは重要とはいえ、外国語を学ぶ前に母国の国語力を軽視している風潮があるように思えてなりません。
今の世の中を見渡すと、相手の発言や記述の一部の言葉尻だけをとらえて、発言者の真意と全く違う解釈をしてしまっているケースを度々見かけます。ただ、こういったケースでは、国語力の欠如の場合もあれば、相手を非難するために恣意的に解釈をゆがめている人もいるかもしれないので、注意が必要ではありますが。
理科という教科は、個人的には小中学性の頃、苦手だったし、あまり好きではありませんでした。自分は手先が器用ではなかったので、時間内に何か実験機材を作るというのが苦手であったことも一つの理由ではありましたし、そもそも、植物や昆虫の観察など学校の時間割の範囲内では、ほとんど何も観察できなかったことも、つまらないと思う原因であったような気がします。大きくなってから、ある程度時間に余裕があるときに、自然を観察するようになると、自然の奥深さを垣間見ることもできて、とても面白いと思えるようになりました。理科の重要な意義は、自然現象を、まずは観察し、そこからいろいろと推論を立て、実証していけるようにトレーニングすることにあるように思います。理科を学ぶうちに、自然の途方もない神秘を感じられれば、自然の前の人間の小ささを実感でき、謙虚さを学べるのではないかとも思っています。
社会科の中で、自分は歴史が好きなので、歴史を学ぶ意義を考えました。歴史というものが人間の失敗の積み重ねであることを前提に考えてみると、失敗してしまう人間全体の共通の行動原理、思考原理があるのかどうか考察すること、民族や人種的な行動、思考原理の差異があるのかどうか学ぶこと、もし差異があるとすれば、その差は先天的なものなのか、環境による変化なのか考察すること こそが、重要な意義なのではないかと思っています。その考察をすることで、歴史的に繰り返す過ちを繰り返さなくなれるのかどうかという点にも非常に興味があります。

何を書きたいか、わからなくなりつつありますが、受験のための勉強という狭い了見から解放されて、学ぶことができる時代になればいいとは思うのです。何よりも、喫緊の課題は国民一人一人が国語力を高める努力をする必要があると強く思っております。また、受験とは関係ないという理由で、重視されていないように見える体育や芸術系の科目の方が、人間形成に大きな意味を持っているようにも思えるのです。
学歴社会の為に、教育が歪み、捻じ曲げられ、結果的に人間の成長に関して重要なことが忘れられないことが極めて重要と思います。


2026年6月12日(金)

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 訪問診療
投稿:長野央希
魚沼地域で、月一回ながら、訪問診療に携わらせていただくことになりました。患者さんの疾患や状況もさることながら、それぞれの家庭の状況なども千差万別であり、そのため、それぞれのケースで求められる医療も異なり、提供する医療サービスも、それに応じて変化するという意味で、非常にオーダーメイド的といえると思います。
勿論、在宅で行える治療は限られており、いわゆる最先端医療を行うような意味でのオーダーメイド治療とは異なります。
それでも患者さんや御家族の状況によって、そのニーズに丁寧に対応する必要があり、究極のオーダーメイドともいえるかもしれません。
患者さんが、住み慣れた場所で、少しでも長く過ごしていただけるように、医療者は努力する必要があることを、改めて認識させていただきました。
当院でも、徐々に訪問診療などを行っていきたいと考えておりますので、宜しくお願い致します。


2020年7月3日(金)


 日本の医療
投稿:長野央希
自粛解除後、都内では昨日も60人の感染者が判明している。
また、米国では、さらに膨大な感染者数に上ってきている。
米国での陽性者の中での重症者の占める割合がどうなっているのか、どうなっていくのかが注意すべき点ではあるが、少なくとも、3〜4月の頃の状況のような医療崩壊の危機のような状況にはなりにくいのではないかと考えている。今回の新型コロナによる重症化に至る機転が、より分かってきているためである。キーワードはサイトカインストームとDICということになろう。
重症になりやすいタイプの人の傾向もわかるようになっており、そういった方々で重症化しそうな兆候を早めにとらえられることで、DIC治療を早期に行ったり、適切な免疫抑制療法を行い、重症化の芽を摘むことがしやすくなってきていると思われる。
一方で、WHOやCDCは、当初新型コロナに対してのステロイド治療は推奨されないという論調であったが、ここにきてデキサメタゾンは死亡率を低下させるというような報告も出てきており、どちらが正しい見解なのかという問題もある。自分も、短期間ながら、新型コロナ治療にあたってきたため、確実に新型コロナの肺炎でステロイドが一定以上の効果を有していると実感しており、相当数の臨床医は、経験的にステロイドの有効性を把握しているはずである。(勿論、安易にステロイドなどの免疫抑制治療を行うべきではないし、コロナに細菌性肺炎が合併しているような場合では、当然ステロイドは控えるべき状況にもなるが)
そして、実際のところ、WHOが推奨していなかろうが、必要に応じ、ステロイドを使ってきていたと考えられる。
しばしば、日本のマスコミは欧米の医療をほめ、日本の医療に問題があるような報道をされているが、2009年の新型インフルエンザの時も然りであったように、毎年、米国ではインフルエンザで1万人を超えるような死者が出るのである。要するに、ごく一部の、高額な保険を支払っている富裕層が、超一流で最先端の医療を受けられるものの、多くの国民は、さして褒められた医療すら受けられていないという現実があるのである。
国民皆保険の日本では、おしなべて、平均的でそれなりに良質の医療を受けられていることを無視して、日本を貶める報道というのは、明治以来の日本人の西洋文明に対するコンプレックスを如実に表していると言えよう。
安倍首相の言うジャパンモデルが、なにを指しているのかは判然としないが、少なくとも日本の医療を自信をもって世界に発信していくことも重要なのではないかと思う今日この頃である。

2020年6月29日(月)


 
投稿:
現在、魚沼と新潟市を週一回行き来しておりますが、この時期の魚沼での楽しみの一つはホタルです。
小出の市街地からジョギングで行ける距離、あるいは車で五分圏内のところに、隠れたホタルのスポットがあります。
勿論、観光地のようなわけではないので、ホタルが乱舞するような状況とは違いますが、それでも、淡くほのかなホタルの光が、はかなげな美しさを放っています。
昨日も、二か所見てまいりましたが、涼しげにホタルが飛んでいました。そうかと思うと、急に猛スピードで飛んだり、点滅がせわしなくなったりと、見ていて飽きませんでした。
ホタルの光は、色々なものを削ぎ落した、シンプルな美であると思います。
翻って、人間界では、常に宗教や人種、主義主張で、小競り合いが繰り前されています。いたずらに情報があふれているために、その情報におぼれて、結果的に本来の人間のあるべき姿から逸脱したり、人間不信に陥ったりしているように思えてしまいます。
もっと、人間もシンプルに生きれば、より平和共存できるのではないかと思いながら、ホタルの光を目で追っていました。
今年は様々なことがあって、人々も疲弊し、心も荒みがちになっていることもあり、ホタルから、そんなことを考えてしまいました。


2020年6月25日(木)


 世界情勢とコロナ
投稿:長野央希
日本ではコロナの発生件数が減少、落ち着いてきたかのように見えておりますが、世界的には依然として、猛威を振るっております。
WHOの報告では、一日での発症者数が過去最多を更新したとのことです。
ひとたび、規制が緩和されると、なし崩し的に、緩和すべきでないことまで、緩んでしまうというのが人間社会の常ではありますが、気のゆるみも含めて、感染を拡大させている可能性があります。
高温で多湿の環境では、ウイルスの脅威が減ることも期待されておりましたが、パンデミックとなっている現状では、それも期待できないというのが専門家の大方の見方となっている模様です。
殊に米国の連日のデモ、集会は、一層感染を困難なレベルにしているといえましょう。米国政府はコロナ感染対応においても、人種の分断という問題においても、既にイニシアチブが取れていないように見える状況で、はたして、コロナ感染を終息に向かわせるような方策がとれるのか、甚だ疑問です。米国での感染は、少なくとも第二波ではなく、第一波が持続している状態といえます。この状況が遷延している間は、世界中に感染を波及させる恐れが高いと思われます。
新潟県でも一か月ぶりに感染者がおられたようですが、報道によるとやはり海外渡航歴がある方のようです。
米国をはじめとした世界情勢を鑑みると、当面海外との往来は今もなお控えるべき段階であろうと考えられます。
日本では、コロナに感染したとしても、大半は軽症とはいえ、一部では重症化するケースがあることも間違いなく、君子危うきに近寄らないスタンスが重要と言えると思います。


2020年6月22日(月)


 北別府さん 頑張ってください
投稿:長野央希
私は広島東洋カープのファンですが、6/19にようやく2020年度のプロ野球が開幕する予定で、わくわくしてきているところです。
ただし、今年は広島の話題としては、もっと大切なことがあります。
北別府さんが成人T細胞白血病で現在、末梢血幹細胞移植を受けて、闘病中であることです。
私は血液内科診療に携わってきただけに、マスコミで報道されるような血液疾患に対して、注意を払ってはいましたが、元広島の往年のエースの件となれば、より敏感になりました。
ブログを見ていると、息子さんからの末梢血幹細胞を移植して、副作用などで難儀をされているようです。
北別府さんといえば、投手王国と呼ばれた広島の絶対的なエースともいえる方でした。大野、川口、金石など、ストッパーで津田、野手でも高橋慶彦、山崎、長内、重鎮として山本、衣笠などなど今でもわくわくするようなメンツがそろっていたころのエースでした。
それだけ鍛え上げた肉体でも、血液疾患に対する抗がん剤治療や骨髄移植治療はつらいものであることは間違いないと思われます。
自分も、血液疾患での化学療法など行うたびに、治療の副作用や合併症で苦しむ患者さんの姿を診て、時には心苦しい思いもしてきました。そんな中で、病気が寛解、あるいは治癒に至るような患者さんの姿を見て、心から喜び合えたものです。
北別府さんも、長い闘病生活とはなろうと思いますが、一刻も早くお元気になられることを切に願います。
山本浩二さんも闘病生活をされておられるようですが、頑張って克服していただきたいと思います。
二人のためにも、今年はカープが優勝してもらいたいと期待しております。


2020年6月17日(水)


 新型コロナ
投稿:長野央希
昨日、一昨日と都内での新型コロナ陽性者数が50人近くと増加しております。これは、いわゆる「夜の街」で働く人の集団検査の影響もあろうと思われます。
一方で、米国では人種差別への反対デモが全国に広がっており、これによってコロナの感染が再度燃え上がりはしないかと懸念せざるを得ない状況です。また、北京でも再度感染者が増加に転じております。
短期間ながら、コロナ診療に携わったものとして、新型コロナは大半が軽症であるか、無症状であるため、(少なくとも日本では)不必要にパニックになるべきではないと考えます。ただ、高齢者、癌のある方、若くても男性、肥満、糖尿、喫煙(肺気腫)などの条件がそろうと、一定の割合で重症化する印象を受けましたので、決して油断していいものでもないと言えます。
無症状のコロナ陽性者から、このような重症化の危険をはらむ人たちに感染が拡大する可能性を常に考えておく必要があると考えられます。
新潟は幸い大きな流行に見舞われずにここまで来ておりますが、これだけのグローバル社会では、第二波の流行も対岸の火事と受け流すわけにもいきません。我々、医療者は行政とも連携をとって、第二波への対策を練っていく必要があると改めて感じております。

2020年6月16日(火)


 サルコペニア予防
投稿:
当院の近くにあるスポーツセンターも、コロナの影響で、一時休業されておりましたが、ようやくジムも含めて再開されております。拝見しますと、多くの中高年の方々が様々な運動にいそしんでおられます。非常に良いことだと思います。
昨今は、筋肉量の減少からくる身体機能の低下(サルコペニア)が話題になっており、その予防のために適度な運動、適切な食事が極めて重要と言えます。
これまでは医療といえば、病気を治すことに主眼が置かれておりましたが、これからはいかに病気にならないようにするか、あるいは大病になるのを未然に防ぐかという予防の医療がより大切になってくると考えます。
そういうことも、患者さんとともに考えていきたいと思っております。
尚、これからの季節、運動中の脱水、熱中症にはくれぐれもお気を付けください。

2020年6月13日(土)

 ブログを始めました。
投稿:長野央希
急激に真夏のような天候になってきている今日この頃。
全国的にも、ようやく新型コロナ感染が収束に向かいつつあるのかと期待する日々です。幸いに、新潟県は大きな流行のうねりにもまれることなく、本日に至っております。
私は、4月末から5月いっぱい、北埼玉の病院で新型コロナ診療のお手伝いをしてまいりました。関東もひとくくりにはできず、埼玉も大宮や川口など南部と、熊谷などの北部では、大分感染者数も異なっておりました。マスコミ報道で、コロナの恐ろしさ、悲惨さが盛んに取り上げられておりましたが、確かに重症化した場合は厳しい経過をたどりえますが、多くの場合は、軽症であったり、無症候性であったりします。
この疾患に関しては分からないことが多い点や、治療法が確立されていない点で、人々の恐怖が増幅していってしまいました。このこと自体は、ある程度やむを得ないことではありますが、過剰にマスコミが恐怖をあおった感が否めません。
手洗いをする、外出時にはマスクを着用する(自分の感染予防というよりは、自分が感染していた場合に周囲に感染を広げない意味でも)など基本的な注意をしつつ、正確な情報のもとに、適切に怖がりながらも、節度を守って生活を楽しむことが重要と感じました。
我々医療者も、マスコミも、いかに正確な情報を、皆さんにお伝えできるかが大切であり、それこそが本来のインフォームドコンセントのあるべき姿なのかもしれないと、改めて考えさせられております。

毎日とはいかないと思いますが、思うことがあれば、ブログを更新させていきたいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

2020年6月10日(水)



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