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 保健所
投稿:長野央希
最近、港区の保健所の職員が現在のコロナ状況下で、丸一年、ほぼ無休で、対応にあたっているという内容の新聞記事を読みました。家族の時間も持てず、このままコロナの流行が継続していくようであれば「絶望しかない」というようなコメントも載っておりました。本当に大変な中で仕事をされていると、改めて痛感させられました。自治体によって、その多忙さには差はあるでしょうが、おしなべてどこの保健所の職員の方々も、大変なご苦労をされていることは間違いないと思われます。
私もこれまで色々と保健所にはお世話になっております。
研修医の頃、地域医療研修の一環で、世田谷の保健所で手伝いをさせていただきました。この際には、STD(いわゆる性病)の検査及び結果説明をさせてもらいましたし、いわゆるゴミ屋敷に訪問診療に行ったり、場合によっては、他の職員の方と、ゴミ屋敷の清掃をしたりしました。玄関を開けると、入り口の扉にゴキブリが何匹も歩いていたり、飛んできたりと、想像以上の重労働でしたし、部屋の中は何年分のゴミが積もっているのだろうかというくらいで、床がまるで見えないところから、掃除をして、床が見えるようになっただけで、感動したことを思い出します。
その他にも、食中毒事例が発生したら、それに対応した緊急会議などにも出席させてもらいましたし、様々な業務があり、時には不測の事態への緊急の対策を練る必要があったりと、臨床とは違った多忙さがありました。
その後も、埼玉県で働いている時には、結核審査会に隔週で出席しておりましたので、熊谷保健所の職員の方々にも大変お世話になりました。
そして、今年、自分の医院の継承の際にも新潟保健所の方々や医師会の方々には大変お世話になりました。現在も新型コロナ対応について、とても保健所の感染対策室の方々に大変お世話になっております。

現在はコロナ感染が終息の気配を感じさせない情勢であり、先の見通せない中で、医療関係者のみならず、保健所の職員の方々も疲弊されつつあると言えます。私も、開業医として何か役に立ちたいと思い、やれることをやっておりますが、さして役に立てているようには思えず、とても心苦しい日々を過ごしております。
コロナの第一波の際には、保健所の対応に対して苦情の電話が鳴り続いたりということもあったようです。社会には、自分の正しいと思うことや、正義と思うことに反していると、それを正さなければならないという使命感をお持ちの方がいらっしゃいます。その発露として苦情の電話をかけたりしているのかもしれませんが、結果的にそれが、保健所や医療機関の業務を妨げ、より一層、対応を後手に回らせてしまう悪循環に陥らせる危険があることを理解していただく必要があろうと思います。
年始年末も、無休で働かざるを得ない方々も少なからず、いらっしゃると思いますが、どうか御自愛いただき、くれぐれもご自分の心身ともの健康に御気を付け頂きたいと思います。

2020年12月25日(金)

 新型コロナの話題
投稿:長野央希
ここにきて、全国的に新型コロナの感染者数が増加の一途をたどっております。そのような情勢下で、神奈川県と広島県では新型コロナ陽性と診断され、自宅療養中に二名の方が亡くなったということで、大きく報道されております。亡くなった死因などは不詳なことが多いため、あまり無責任なことは言えませんが、広島県の方は心筋梗塞の既往があった模様です。
広島県の方の御遺族はせめて、受診の際に画像診断をしてくれていたらという無念な思いを吐露されておりますが、しごく尤もなご意見であろうと思われます。ただ、医療機関で働いていると、新型コロナ陽性の方が容易にはCTなどが行えない現状も認めざるを得ないのです。
私は4〜5月に埼玉県内の病院のコロナ病棟で働いておりました。そこで発熱外来を行っておりましたので、新型コロナ陽性と診断した場合には、当時は基本的に全例入院していただいておりました。その時点では病床もひっ迫している状況ではなかったからでもあります。それでも、入院時や入院中に画像診断をするというのは簡単ではないのでした。レントゲンに関しては、ポータブル(持ち運びができる)レントゲンがあるので、検査を施行するのには問題がないのです。しかし、新型コロナ感染の場合は、レントゲンよりはCT検査の方が格段に有用ではある一方、新型コロナ陽性の方をCT室にお連れすること自体が、極めて大掛かりな事業となります。というのも、コロナ感染の方と、そうでない方の接触を避ける必要があるため、陽性者をCT室にお連れする際には、その時間を他の患者さんと遭遇しないように、前もって一般の患者さんを、その通り道に近づけないようにしておく必要があり、また一般の患者さんがCTを取る時間帯を避ける必要があるので、結局CTを撮るのには、大幅な待ち時間が出来てしまうからです。入院していれば、入院の病棟で検査を待てますが、入院でないとなると、CT検査を待つのに5時間以上はお待ちいただく場合もあり、その間をどこで待機していただくのかという問題も浮上します。更には、新型コロナ感染の方のCTを施行した場合、検査後のCT室では消毒や清掃などもあって、場合によっては、半日近く使用できなくなる可能性もあり、そうなった場合には通常の診療(とりわけ救急診療)に支障が出てしまうのです。こういった状況で、残念ながら、コロナ感染の方でCT検査は容易には出来ない医療機関が少なくないと思われます。医療現場の窮状というのは病床数が足りないこともありますが、このように簡単にCTなどの精査に踏み切れないことも要因の一つであろうと思います。

また、最近は英国での報告もありましたが、新型コロナウイルスの「新種」が増加してきているとのことです。変異株は、より感染力が強いのではないかということですが、問題は感染した際に発病する「病原性」の高低や発病した際の重症化のしやすさの指標であるビルレンス(毒性)の高低であろうと思われます。感染しても、重症化する割合が低いのであれば、通常の風邪を引き起こすコロナウイルスとさして差がないことになりますので、新型コロナウイルスの変異が起きたということで、パニックに陥らないことが極めて重要です。ただし、変異株が増加するということは、現在出回りつつあるコロナワクチンの有効性にも疑問符がついてくることは否めませんので、その点でもワクチンに過度の期待を抱かず、冷静に状況を見極めていく必要があります。

2020年12月21日(月)

 大雪
投稿:長野央希
私は週一回、魚沼の方で仕事があるため、大概は自動車で、時々新幹線で魚沼に行きます。(週末に魚沼に行く場合もあるので、多い時は週3〜4回魚沼に行っている計算になります。)
今週も水曜の夜に車で魚沼に行き、木曜の夕方に新潟市に帰ってきました。
先週までは、まるで雪もない状況でしたが、今週の水曜は雪が降り続き、一面雪の世界となっておりました。私も魚沼に住んでいる際は、雪の降った日の朝は、車の雪払いと、車周囲の雪堀りをするのが当たり前でしたが、ここ数年は雪の少ない状況が続き、スキー場関連の仕事の方は大分つらい時期を過ごされていたと聞きました。
今年はどうなるかと思いきや、雪の降り始めから二日間で、魚沼では恐らく150cm程度(多いと2m近くでは?)の積雪があった模様です。流石に雪に慣れている地元の方々も、水曜の雪の降りに「身の危険を感じた」とまでおっしゃっておりましたので、相当激しかったのだと想像できました。
私が到着したころはそこまで身の危険を感じるような降りではありませんでした。実際に新潟市で見ていたニュースでは長岡も大雪と報道されていたので、関越道も長岡辺りから路面が雪で覆われていて、除雪も間に合っていないのではないかと心配しておりました。しかしながら、小千谷に差し掛かるまではさして雪も積もっておらず、若干拍子抜けをしていたところ、小千谷からは本降りになって、堀之内を抜ける頃には、降りが激しくなってきました。長岡から道路状態が悪いと通常よりも2倍近い時間がかかるのではと考えておりましたが、1.5倍程度の時間で小出インターに到着しました。
魚沼地域は、街中では除雪や融雪パイプが充実しており、大雪でも運転に支障が出ないことが多いのですが、短時間で大雪が降ると、除雪も間に合わないため、道路が雪ででこぼこになり、極めて走りにくい状況になります。水曜の夜はまさにそのような状況でした。
そんな中、関越道の上下線とも、雪による立ち往生が起きてしまいました。
塩沢のあたりということでしたが、除雪も間に合わないペースで雪が降り続いたのでしょう。下り線は開通したようですが、上り線はまだ通行が止まっておりますようで、立ち往生に巻き込まれた方々及び、除雪に関与した人たち、自衛隊の方々のご苦労は大変なものであると思います。
魚沼で働いている頃は、週一回埼玉に仕事で行っておりましたので、毎週小出インターから花園インターまで関越道を通っていました。確かに、塩沢から湯沢にかけては、吹雪くと、あっという間に路面が雪で覆われていくのが印象に残っておりますが、今回の場合も、そうこうしているうちに、車の周囲に雪が積もっていき、車が前進できなくなったていったのではないかと推察します。
雪に閉ざされた環境で、車もエンジンをつけっぱなしにしてもいられず、エンジンを切れば、大変な寒さと、そして空腹とで苦しめられ、定期的に車の雪払いをしたり、周囲の雪かきをしたり、排泄も思うようにままならない環境で、心身ともに疲弊しきっていることが想像に難くありません。本日の夜から、再度降雪量が増えるという予報ですので、今回の雪害に関わった皆さまの無事を切にお祈りいたします。
また、今後、雪の多い地域では、屋根の雪下ろしなどでの事故も増えますので、雪に関わる不幸が起きないように注意をしていっていただきたいと思います。
大雪後に、晴れて、陽光に照らされた雪の美しさは、言葉に出来ないですが、その美しい雪はしばしば恐ろしいものとなり、改めて自然の力には人間は勝てないことを痛感させられてしまいます。

2020年12月18日(金)

 薬剤製造過失事故
投稿:長野央希
今回、小林化工による抗真菌剤イトラコナゾール錠50『MEEK』に睡眠導入剤であるリルマザホン塩酸塩水和物が混入していたことで、死亡者まで出るような事故(事件?)となっております。これまで364人に処方され、128人に健康被害が出、内14人が自動車の運転中に意識消失をするなどして物損事故を起こしています。尚、死亡された方は、運転での事故によって亡くなったわけではないとのことです。
イトラコナゾールという抗真菌薬は、水虫(白癬)に使用されますが、血液内科疾患でも、しばしば使われる薬剤であるだけに、驚きを禁じ得ませんでした。血液疾患の患者さんは原病でも、治療のよってでも免疫不全状態となるため、日和見感染として、カンジダなどの真菌(カビ)や各種ウイルス感染を起こしやすくなり、予防的な意味でも抗真菌薬や抗ウイルス薬を投与されることが少なくありません。従って、このイトラコナゾールは血液内科的には大変なじみ深く、御世話になっている薬剤であります。
そんな中に、睡眠導入剤が混入すること自体が、???という状況です。
今回混入していたリルマザホン自体はさほど強い睡眠薬とも言えませんが、高齢の方であれば、2mgまでの使用にとどめておくべき薬剤にもかかわらず、5mgもの量が混入していたとのことでした。
今回処方されていた患者さんの年齢の内訳なども不詳ではありますが、もし高齢の方が多かったとすれば、当然、交通事故やふらついての転倒といった有害事象が多発しても不思議はないと言えます。また、睡眠薬によっては深い鎮静によって呼吸抑制も惹起される場合もあり、亡くなられた方の死因もしっかりと検死がされなくてはならないと思います。
全く違う薬物が混入するだけでなく、通常使用量を超えるような事態は、非常に重大な問題であるため、しっかり社内での製造過程でのミスの検証を進めていただく必要があろうと思いますし、繰り返されてはならない事故と言えましょう。
薬剤というものは、多くが人類の健康にとって、大きな恩恵を与えてくれていますが、色々な形での人的ミスが、場合によっては人の健康を害してしまう諸刃の剣になりえることを肝に銘じる必要があると改めて思い知らされました。医療者として、常に薬の良さと同時に恐ろしさも知りつつ、日々向き合う必要があると痛感します。

2020年12月14日(月)

 「悟る」ということ
投稿:長野央希
私は仏教徒ではないので、いわゆる悟りというものを真に理解はできないと思われます。一方で剣豪小説や剣豪物の映画などが好きでよく見ておりますが、剣術の達人の無の境地というのは悟りの境地と同じようなものなのではないかと思えてきます。
悟るということは、究極的には自然との同化と結びつくのではないかと、自分なりに解釈しています。自分も含めた人間も自然の一部でしかなく、その現実を受け入れ、自然と一体となれるか、そのためにはどうすべきなのかを考えると、「見ざる、言わざる、聞かざる」の実践となるのではないかと思われてきます。人は、何かを見聞きすれば、色々な知識が集積してきます。そうなると、もっと知りたい、何が欲しいなどの様々な欲望が生まれてくる気がします。何も見なければ、何も聞かなければ、何も知らなければ、自分と他人を比較して、他人を嫉妬したり、ねたんだりすることもなくなります。何かを知ることは煩悩の根源なのではないかとすら思えてきます。
知ることを放棄すれば、争いもなくなるのかもしれませんし、そもそも自然の一部として、その生を全うするのみとなるのでしょう。
これは、しかし、言うことはたやすいかもしれませんが、少なくとも現時点での自分が実践できるような生半可なものではないと言えます。こういったことができるからこそ、悟りを開いた僧侶は尊敬に値するのでしょうし、剣豪は死を超然と受け入れられるのかもしれないななどと考えてしまいます。
また、知りたいという欲求を放棄することは、少なくとも若い時分には、向上心がないことのようにも思えてしまい、人間とはどうあるべきなのか、まるで結論が出ない今日この頃です。

2020年12月11日(金)

 違和感
投稿:長野央希
米国大統領選挙が終わりましたが、トランプ氏が選挙に不正があったと主張しており、裁判を起こそうとしたりと、未だに悶着が続いております。
選挙に不正があったのかどうかは、現在のところ検証しているところでしょうから、その結果を待つ必要はあろうと思います。しかし、これまでの経緯を見ていると、選挙で不正があったという結果であれば、鬼の首を取ったように自分たちの勝利を高らかに謳い上げるのでしょうし、不正がなかったという結果でも、自分たちの敵対勢力によって、真実が捻じ曲げられているという論調で、自分たちの敗北を認めようとはしないような気がしてなりません。トランプ支持者の中には、コロナ問題のみを見ても、あれだけの死者が出ている現実を見ているのか、見ていないのか分かりませんが、「コロナ騒動自体がマスコミの作り上げたフェイクニュース」ととらえている人がいるようです。要は、トランプ氏もその支持者(の一部)も現実云々よりも、自分の信じたいことが真実であるという姿勢のように見受けられます。
この態度から、何となくカルト教団の思想統制に近いような印象を受けてしまいます。カルト教団でしばしばみられるのが、自分たちは正義を貫き、自分たち以外は悪の組織で、正義たる自分たちを迫害するという、二元論的構図に持ち込む姿勢です。敵対勢力による攻撃を喧伝することで、内部の信者に恐怖心と、自分たちが悲劇のヒーローのような自己陶酔感を植え付けて、洗脳しやすくなるのかもしれませんし、結果的に教団の信者の結束を強めているように見えます。彼らには自分たちの信仰が絶対であり、それ以外の現実は受け入れられないものなのでしょう。
かつて、ユリウス・カエサルが言っていたように「人は見たい現実しか見ない」という内容の通り、多くの人は数多ある現実の事象の内で、見たいもののみを取捨選択していると言えますし、そうでないと現実の海でおぼれてしまうのでしょう。ここに、ある種の信仰や信念がからむと、都合の悪い現実は、現実として認識することを拒否してしまうことになるのかもしれません。
かつて存在していた人民寺院という教団は、教祖がパラノイアのような気質であった模様で、最終的には被害妄想的に教団でとして集団自決を図るという結末に至りました。状況は大きく違うとはいえ、何か今のトランプ氏とその一派には類似するような面を感じ、強い違和感を覚えてしまうのです。

2020年12月8日(火)

 反グローバル化社会
投稿:長野央希
アゼルバイジャンとアルメニアの間で、領土問題を発端として戦火を交え、ようやく落ち着きを取り戻しつつありますが、ウクライナ問題と併せて、最近になり、領土的な野心を隠さない国が増えつつある印象を持っております。冷戦中、冷戦後は、宗教的問題やイデオロギーを前面にした戦いが主体でしたが(その背景には領土的な野心があったとは思いますが)、少し、流れが変わってきているのかもしれません。
トランプ大統領が「アメリカファースト」を謳うようになって、世界各国がそれに倣い、自国ファーストの姿勢に変わってきているようにも見えます。
第二次大戦後は、それまでの帝国主義を反省してか、帝国主義を貫くことに疲弊したからなのか、自国の利益を追求し続けるというスタンスが影をひそめるようにはなっていました。ただし、元来が自国の利益を求めるのは当然のことであり、冷戦後の世界は本音と建前の、建前を押し出して本音をより隠すような時代であったのではないかと思います。そして、世界平和を謳い、世界は一つという考えで、グローバル化が進んでいきました。グローバル化によって、過剰な実力主義などの面で、それまで以上に格差が生じ、結果的にそれまでの階級がなし崩し的に消滅し、様々な矛盾が生じ、多くの不満を抱く階層が増えたと言えます。そういった不満を抱く人たちからすれば、グローバル社会ではなく、自国の利益、自国民の利益、従来の階級への返り咲きを求めるようになっていくのでしょう。そんなタイミングで支持を集めたのがトランプ氏であり、英国のEU離脱を強く主張したジョンソン氏であり、あるいはフランスのルペン氏などであったといえるのかもしれません。つまるところ、世界的な規模でグローバルという潮流に疲れたタイミングで、反グローバリズムを推し進める政治指導者が目立つようになってきているといえるように思われます。
この流れは、第二次大戦後の世界的な流れへの反動であり、そう易々とは、止められないのではないかと思われます。恐らく、仮にバイデン次期大統領となっても、基本的には国民感情からして、トランプ時代ほど前面には押し出さないかもしれませんが、「アメリカファースト」のスタンスは大きく変わらないで行く気がしてなりません。つまり、今後自国の利益を優先する姿勢が強まれば、日米安保の履行よりも、米国の都合を優先するわけであり、仮に隣国が日本に攻撃をしかけたとしても、その時の米国の置かれた状況によっては日本を守ることがないという可能性も否定はできない気がします。時代の大きなうねりの中で、自国は自国を守る必要性が高くなっていく時代を迎えている(当たり前なことなのでしょうが)のではないかと思います。日本の平和憲法の素晴らしさは言うまでもないのですが、わが国を害する敵に対して、どう立ち向かうのかという問題を改憲も含めて、しっかり考えないといけない時期に差し掛かっているのではないかと考えます。


2020年12月4日(金)

 日本の職人の技
投稿:長野央希
私が埼玉や魚沼で働いている頃に、しばしば訪れていた財布などの革小物の店が日本橋の人形町にあります。そこは浅草だったかにある工房で日本人の職人が作っている製品を売っているお店で、物の質もい良いのですが、そこのお店の店員さんが、それらの品物のことを「この子たち」と言って、いかにも自分のところの品を慈しんでいる感じにとても好感が持てた記憶が鮮明に残っております。そのそばにあるつづらの工房も伝統の技を生かしたモノづくりをしていて、職人さんの作業を見ているだけでも楽しめます。
その他にも、日本の職人さんが作る色々な物の質の良さから、購入するには間違いがないような安心感があります。例えば、私の使用しているコートは日本人の仕立て屋さんにオーダーして作ったものですが、ほぼ手直しをすることもなく、20年以上着ております。体形さえ維持できれば、もしかすると一生ものと言えるかもしれないと思っています。
若いころは外国製のものに対して、根拠のない憧れがあり、所謂ブランドものがどんなものかと買ってみたこともあります。確かに、布地の色や手触りは素晴らしいと思うものも多々あるのですが、縫製が甘かったりで、少々のことで破れてしまったりということがあり、それ以降はあまり購入しなくなりました。確かに、ブランド物はコンセプトとして流行に応じて製品を作るので、そんなに長持ちする必要はないのかもしれませんが、私としては自分の使用するものは長く使用したいという気持ちが強いので、考え方に相違が生まれるのだとは思います。
タイやイタリアの生地の色はほれぼれするものがありますが、丈夫さの点で不安がぬぐえない面があります。外国製は車や家具などデザインで素晴らしいと思うものが少なくはないですが、物持ちの良さや、頻回なメンテナンスの必要性の点で、やはり私は日本の物を使いたくなります。
日本製のものは、ピンからキリまではありましょうが、やはり安心感が違います。日本の職人技や伝統の技は世界に誇るべきものであり、後世まで伝えていくべき、日本の宝と言えます。
コロナの影響で、現在日本も世界も経済的に大きな痛手を受けています。こんな時だからこそ、日本製品の良さを再確認して、そして日本の素晴らしい技術を守っていく必要があるのだと思います。

2020年12月2日(水)

 一億総評論家時代
投稿:長野央希
私はあまりテレビを見ませんが、テレビをつけると、色々なコメンテーターが様々な持論を展開したりしているのを見かけます。なるほどと思うような内容もあれば、愚にもつかないと思うような内容のものもあり、時にはよくこれでギャラをもらえるもんだと思うような人もいます。
一方で、私はパソコンが苦手なので、ネット情報にも疎いのですが、ネットで、実名・匿名関係なく、多くの人が自説を発信しているのを見かけます。
言論の自由という意味では、多数の人が自己主張できるのは良いことではあろうと思います。ただ、その内容からすると、経験に根差していないような机上の空論の如きものが多いような気がしてなりません。皆が高邁な理想論を発信しているという意味では、国民皆評論家のような時代になっている感があります。
太平洋戦争時と日清・日露戦争時の大きな差は何かを考えると、大きな違いの一つとして、戦争に参加している指揮官や上級士官の「戦」の経験の有無にあるのではないかと思えてしまうのです。日清・日露戦争の時の作戦立案する将校は生身での戦争経験はないか、非常に少なかったかもしれませんが、作戦を認可、指導する指揮官陣は皆、幕末の鳥羽伏見の戦いや会津戦争、西南戦争という戦を経験しています。戦争の規模は小さいとは言えますが、それでも命のやり取りをする、いわば修羅場をかいくぐっているのは間違いないのです。ましてや同じ日本人同士で殺しあうという、拭えないような悲しみを身をもって体験してきたと言えましょう。こういった修羅場をくぐった人は、間違いなく戦場での独特の勘などがはぐくまれるのではないかと思われるのです。日露戦争は薄氷の勝利とは言え、あれだけの国力差の中で最終的に勝てたのは、痛みを伴う経験に根差した作戦指導の賜物であったのかもしれないと思うのです。一方で、太平洋戦争での戦争指導部は、上層部のごく一部のみ日露戦争に参加しているのみで、ほとんど「戦」を経験していません。本当の戦争の怖さと言ったものは戦地に行ってこそ身につくのかもしれません。そして、戦争の怖さや痛みを知るからこそ、どうやったら自軍にとって痛みの少ない作戦指導ができるのかといったことにも思いをはせることが出来るのではないかと思います。そのためには効率性や機械化などの要素も含まれてくるでしょう。太平洋戦争では上層部は多大な痛みを感じず、下級士官以下に多大な犠牲を強いて、最終的には大敗北につながりました。机上の空論で作戦を計画立案し、それを遂行していったことが、敗北に帰結してしまった要因ではないかと思われます。
個人的な話では、私は本当に医療崩壊寸前という地域で勤務した経験があります。一週間で総睡眠時間が10時間程度というような時期があったり、毎日病院から呼び出される、もしくは呼び出されるかもしれないという張り詰めた精神状態で生活をしていたため、このままでは疲労で倒れてしまうだろうという状態でした。勿論、修羅場というにはおこがましいとは言えますが、それでも身を削るような日々を送った経験があるため、そういった苦労もせずに、知識だけは豊富なくせに、あまり現実に根差していないような意見を述べてくるような同業者を見ると、時に怒りを感じてしまうのです。
皆が自分の意見を主張することは良いことですが、実行不能なようなことばかりをいうだけ言って、実際に行動しないのは無責任のそしりを免れないのではないでしょうか?
これからの時代は、様々な面でますます大きな変化が起きていくことが想定されます。そのために、意見を述べるだけではなく、実行力が求められていく時代になっていくのだと思います。

2020年11月27日(金)

 インフルエンザ回想
投稿:長野央希
私は、これまで二回インフルエンザになっております。最初は小学生の頃だったかと思いますが、とにかく学校の教室で歩いていても、まるでふわふわしていて、歩いているのに、スキップしているような感覚だったことが思い出されます。二回目は受験生の頃で、センター試験終了直後に罹患しました。恐ろしい寒気が襲ってきて、そうこうしているうちに39℃の高熱が出て、検査の結果インフルエンザ陽性と判明しました。タミフル内服をしましたが、内服開始後2日ばかりは、とにかくだるくて、受験勉強しないといけないのにと思いつつも、床に臥せっておりました。食欲もなく、三食ともガリガリ君を食べて過ごしていたことが強く記憶に残っています。その頃、家では猫を飼っておりました。基本的に家の中では一番年少の私に対しては、猫はなめてかかっているため、遊びたく成れば、私にちょっかいを出してくるのですが、インフルエンザで具合が悪い時には、猫も遠慮してくれていました。更に、私は寝相が悪いため、猫は基本的に寝ている自分には近づかないのを原則としておりましたが、その時は、まるで私を気遣うように自分の足のところで一緒に寝てくれていました。猫は何か不思議な感覚を持っているのだと思いますが、弱り目な時に、そばにいてもらえることがどれだけ嬉しいか実感した出来事でもあります。
インフルエンザの診療で、最も印象深い症例は、埼玉で働いている時のものでした。ゴールデンウィーク明けくらいの、土曜の11時頃に発熱と頭痛で救急外来を受診された50代の女性がおられました。救急当番であったため、私が診察にあたり、インフルエンザ抗原検査をしたところ、B型インフルエンザの結果でした。通常であれば、タミフルなどの抗ウイルス薬を処方して御帰宅いただくのが常ではありますが、頭痛が強いため、頭部CTを撮ったりなどの諸検査をし、あまり大きな異常は確認できないものの、ひとまず入院をしていただきました。土曜ですので、病院としても午前で基本的な業務は終了となり、人手は減ります。ですので、午後に色々な検査は困難になるのですが、流石に、今回は頭痛も強いので、髄液検査は不可欠であろうと考え、御家族をお呼びして検査の説明をしようと待っている間に、みるみる内に患者さんの意識状態が悪化していってしまったので、家族の来院を待たずに、髄液検査を行いました。その結果、細菌性髄膜炎(その後の培養結果で肺炎球菌性髄膜炎と判明)の合併を認めたため、経鼻胃管から抗インフルエンザ薬の注入(当時はまだ、点滴の抗インフルエンザ薬はなかった)を行いつつ、抗生剤の点滴治療を開始しました。幸いにも同日の夜には意識は戻り、その後軽度の聴覚過敏が後遺症として残る以外は、重篤な後遺症が残りませんでした。
インフルエンザで頭痛が生じるのは当然ながら、細菌性髄膜炎などの別の病態も合併している可能性を常に念頭に入れる必要があることを改めて思い知らされた出来事でした。
今年は新型コロナの兼ね合いで、多くの人が感染予防のために手洗いやマスク着用を心がけておりますので、例年よりはインフルエンザの患者さんが減るのではないかという推測もありますが、どうなるかは分かりません。
いずれにしろ、インフルエンザであろうが、新型コロナであろうが、しっかりした手洗いを行い、外出時のマスク着用を心がけるなどの日常の注意を怠らないようにして、感染予防に努めていくようにお願いします。

2020年11月21日(土)

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