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歴史好き(1) |
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投稿:長野 央希 |
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私は子供の頃から歴史が好きで、好んで歴史物の本を読んできました。 歴史上の人物で、自分が特に興味を持っていたるのが、西欧史で言うと、フリードリヒ大王、ウェリントン公爵、中国史で言うと、信陵君、楽毅、張良、そして日本史で言うと、天武天皇、源頼朝、楠木正成です。 自分が幼少の頃、母方の祖父母と同居していた際に、多動気味でいたずらばかりして、よく祖父母の押し入れを探索していたものですが、その際に、家系図が出てきました。 その中に、源義光の名前がありました。八幡太郎義家の弟で新羅三郎として名が知られ武田、佐竹、平賀氏の祖となった人物です。さすがに幼少の頃のことなので、義光以降の人物の名前までは記憶は無く、相当な傍流の傍流であったろうとは思われます。それでも、子供心に源氏の末裔として源氏に寄せる愛着は感じた物でした。源頼朝は義家の系統ですから、全く自分とは縁もゆかりもないのですが、とりわけ強い関心を抱きました。 色々と歴史書を読んでいく内に、頼朝と鎌倉幕府三代目執権北条泰時の晩年に関しての記述が、鎌倉幕府としての公式な史書である吾妻鏡に見当たらないことも知りました。もともと記述がなかったのか、紛失したのかも分からないという。鎌倉幕府にとっての二大英雄の晩年の記述がなされないと言うことはないでしょうが、時の権力者である北条氏からして都合の悪いことは残せなかったのだろうかなどと邪推してしまいます。 ただ、自分が頼朝に特に感情移入しやすいのは、平治の乱で破れ、伊豆に流されてから、以仁王の令旨に呼応して挙兵し、石橋山で大敗しつつも、味方を増やし鎌倉入りするところまでな気がします。 12歳程度で、初陣を飾り、戦に敗れ、父や兄とはぐれ、捕らわれてから、処刑にされそうになるところを、救われる。今で言うと、中学生位の年齢で殺されるという死の恐怖を感じるというのがどれほどのことか想像できません。更に、伊豆に流罪となって、毎日念仏を唱えながら過ごしていたといわれますが、毎日毎日、20年もの間、いつ殺されるかもしれないという恐怖の中で生きていたのでは無いかと思うと、相当なストレスを受け続けていたでしょう。免疫に関与するようなNK細胞などが相当増えていたのではないだろうかと考えてしまいます。北条政子と恋愛結婚していますが、これも北条氏を味方とする生き残り戦術の一環であったのかもしれない。この辺の真意は、本人達以外は真相は分からないのが、歴史のある意味の面白さになります。ここまで来ると、史書には出てこない、小説の領域になるでしょう。 また、頼朝の同母弟に希義がいます。土佐冠者と呼ばれた、土佐に流罪となっていた人物です。頼朝の挙兵に呼応しようとしていたところで、殺されてしまいました。もし生きていたら、範頼や義経以上に弟として優遇されたのか?どれほどの能力の人物であったのか?どんなポジションについたのだろうかなどと想像してしまいます。 鎌倉の頼朝公の墓の隣にひっそりと墓標があります。名前の「希」が自分の名前にもあるため、ほとんど歴史的な記録もないながら、何かしらシンパシーをかんじるのです。 年に二回程度鎌倉に行きますが、頼朝公の墓と希義公の墓標は、常に詣でるスポットです。 ところで、歴史は好きですが、大河ドラマやハリウッドの歴史物はあまり見ることはありません。何か違和感を感じるからです。それが何なのか分かりませんでしたが、最近その違和感の理由が漠然としつつも、理解するようになってきました。一番大きいのは、今風の脚色をしていること、現代の価値観で歴史を捉えていることのような気がします。 確かに歴史を語るのは後世の人たちではありますので、常に当時の価値観や考え方で歴史を語ると言うことはなかったでしょう。ただ、現代文明というのは、人間の考え方を大きく変えてきた部分があります。とりわけ日本は西欧文明の受け入れ以降、日本的な思想や価値観を大きく変えてきたように思います。 今の価値観で歴史を断じることに、何か違和感や不快感を感じてしまうのです。その時代その時代の人間達は、その当時の流儀に乗っ取り、行動していたでしょうから、その当時の思想や流儀を認識して、歴史を見つめる必要があるのでは無いかと思うのです。 |
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2025年5月18日(日) |
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山を歩きながら |
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投稿:長野 央希 |
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先日、八海山に登りました。半年以上ぶりの登山と言うことも有り、山頂まで行くつもりもなく、どこまで登り切るという目的もない、気ままな山行でした。八海山尊神社の登り口から登っていきましたが、このコースは登りだしてすぐのところから中々な急坂で、直角に近いようなハシゴを登らなければならないような所も有り、久しぶりの山登りで、体を慣らす意味でも、かなり楽しめると言えましょう。 例年、雪解け間もない時期だと、登山道はぬかるんでいたり、雪の重みで倒れた倒木が登山道の行く手を遮るような局面もあるのが常でした。 今年は、思ったより道はぬかるんではいませんでしたが、雪が多かった影響もあるのか、残雪は例年より多い印象でした。日陰部分や谷間の一部は、膝下まではあるかという程度でしょうか。雪には、熊であろうかと思われる足跡が残っていました。また、雪の重みで倒れているような倒木もやや多いような気はします。案の定、相当な大木が倒れて、登山道を塞いでいました。小さい木々も雪で倒されて、根から折れている物も多々ありました。そんな倒木からも新芽が出ていたりするのを見て、自然界の生命力の強さに、感動すら覚えたものです。 山に行くと、無心になれたり、日頃は考えないような考え事が出来て、かなりリフレッシュできる気がします。今回は、縄文人や石器時代の人たちは、狩猟なんかで、山道を歩き回っていたでしょうが、そこでどんな装備を身につけていたのだろう?と考え出すと、もし裸足だとしたら、木の端や岩などで、怪我をすれば、破傷風になったりはしなかったろうか、毒蛇や毒虫に咬まれて落命しなかったろうか、ダニに刺されて、ダニ関連感染症に罹患したりする人はどれほどいたのだろうか?もしかすると、当時は生活の知恵で、そういったことから身を守るような術があったのだろうか?等と次々と疑問がわいてきました。あるいは、今のような整備された登山道など無いため、山の中でどうやって自分の位置を確認出来たのだろうか?どれほどの遭難者が出たのだろうか?現代人よりは生命力はありそうなので、遭難した場合のリカバリーのやり方はどうしていたのだろうか?と考え出すと、時間があっという間に過ぎていきます。 私は、6年前から週三回程度泳いでいますが、水泳をする前はジョギングをしていました。その頃は、久々の登山の際は、翌日信じられないような全身の筋肉痛に襲われました。しかし、水泳を始めてからは、登山の翌日でも、ほとんど筋肉痛がないのです。登山は確かに、四つん這いで歩いたり、上半身をねじりながら登ったりもするので、ジョギングでは使用しない筋肉も使っているのでしょう。水泳はあまり意識していないながらも、そういった多くの筋肉もつかっているのでしょう。水泳が全身運動であると言われる所以だと、改めて実感させられました。 そんなことを考える今日この頃です。 |
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2025年5月11日(日) |
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黄金週間中の診療体制及び業務連絡 |
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投稿:長野 央希 |
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ゴールデンウィーク中の診療形態 4/28 通常通り 4/29 休診 4/30〜5/2 通常通り 5/3〜5/5 休診 5/6 9:00〜12:30 発熱外来のみ 5/7〜 通常通り となります。なお、5/6は検査会社の休みの都合もあり、当院職員の数も少ないため、血液検査やPCR検査、点滴などは行えませんので、御了承ください(抗原検査は可能です) また、4/25,30,5/9,23,26,6/2は、医師が学校検診のため、15時半頃まで院内に不在になりますので、その間、診療をお待ちいただく可能性がありますので、ご理解いただけますと幸いです。 |
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2025年4月21日(月) |
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ドクターヘリ事故 |
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投稿:長野 央希 |
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4/6、13時半に対馬から福岡に向かった医療搬送用ヘリコプターが、17時に壱岐島の北端から北東約27kmの海上で転覆した状況絵発見されるという事故がありました。乗員6人中3人が亡くなるという悲しい事件と言えます。 私は、救急当直をしているとき、ドクターヘリも受け入れる病院でしたので、ヘリコプターで搬送された患者さんを迎えて受け入れる際の説明を受けていました。やはり、ヘリコプターのプロペラなどへの配慮も必要なので、色々注意点を聞いておりました。ただ、結局、自分が救急当直をしている日は、ドクターヘリの収容依頼がありませんでしたので、実際にヘリコプターを間近で見ることはありませんでした。 自分がヘリコプターを間近に見たのは東北の震災で、石巻日赤に救護班で行ったときに、自衛隊が海上で救出した人の搬送の際でしたが、信じられないような音と風がとても印象に残っております。 ドクターヘリに乗るドクターは、人一倍、人命救助に対する使命感とモチベーションが高い人達であろうと思います。爆風や爆音の中で、揺れなどのかなり困難な環境で、時には心臓マッサージや気管内挿管や抹消点滴確保などを行う必要があり、相当な精神力や根性がなければ務まらないでしょう。 今回の事故では、34歳という、前途有望なドクターも殉職されました。同業者として、自分にはまねできないことを行っている有能な医師の命が失われたというのは、悲しみと、やり場のない怒りすら感じてしまいました。 調査委員会が、今回の事故の検証を開始しておりますので、これから事故の原因究明がされるとは思います。ただ、このヘリコプターを運用していた航空会社も、これまで何度か事故を起こしていたという話もあり、責任が追及されることになるでしょう。 医療搬送用ヘリというのは、人命を救助するための物であるのが、一人の命を救うはずが3人もの命を失わせてしまったことは返す返すも悔しいと言わざるを得ません。 亡くなられた3名の方々の御冥福をお祈りいたします。 |
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2025年4月8日(火) |
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春眠暁を覚えず |
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投稿:長野 央希 |
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大分春めいてきました。とはいえ、なお、日中と朝晩の寒暖差が身に染みる季節ではあります。春ということで、慢性的なけだるさや眠気を感じる季節でもあります。 何となくの体のだるさの一方で、山菜やタケノコなどなど春の旬な食材が続々と出てきて、良い季節になってきました。 私は、魚沼にいるときに、初めて木の芽を食べました。うずらの生卵を載せて、少しの醤油を垂らして食べた時の感動は忘れられません。ほのかに苦く、それでいてさっぱりして、お酒が進むような一品です。魚沼で言う木の芽というのはアケビの新芽を指します。都内に行った際に、メニューに木の芽があったため、そのつもりで注文したら、全く別物が出てきました。後で知ったのは、全国的にみると、木の芽は山椒の葉を指すことが多いということでした。山椒の方は、それはそれでおいしいのですが、個人的にはアケビの新芽には及ばないと思えてしまうのです。 今年は、雪の量も多かった為、少し木の芽の出回る時期が遅くなるのではと言われており、今から待ちわびております。 その他、タラの芽やフキノトウ、ウド、コゴミなど山菜はすでに出回りだしており、喜ばしいです。 先々週に都内に行った際に、人形町を訪れましたが、桜並木は一部葉桜になっているような状況でしたが、新潟はこれから満開となってくるのだろうと思えて、それも楽しみではあります。当院の裏にある梅は、少しずつ開花しておりますが、やや例年より遅い開花のような気がします。 昨年途中までは、一年中、奥外で発熱外来をしていたので、草花や昆虫といった自然と身近に接していましたが、今は自然とは距離があいてしまった感が否めません。少し寂しい感じもします。 昨日、魚沼に行って、八海山尊神社に行きました。八海山への登山口入口の鳥居は、未だに大量の雪が残っておりました。さすがに、まだ、登山をしようと思えるレベルではなかったです。今週は、暖かくなるようで、どれほど雪解けが進むのか注目です。まあ、例年で行くと、GW明けくらいまではそれなりの残雪があるのだろうとは推測されますが、新潟の山々に登りたくなる季節になりつつあります。 最近は温暖化の影響もあるのか、春や秋が短く感じられます。短い春を満喫したいものです。 |
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2025年4月7日(月) |
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来るべく危機に備えて |
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投稿:長野 央希 |
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日本時間の28日午後にミャンマー内陸部を震源とする震源地10km,M7.7のミャンマー大地震が発生しました。4/1現時点で死者が2700人という報道です。 現地は気温が40℃という猛暑で、倒壊した建物に生き埋めとなっている人達の救出が難航しているということです。残念ながら、死者数は更に増加するであろうと考えざるを得ません。このような状況で、現在の自分が寄付くらいしか出来ないことが残念で、情けなくてなりません。 気温40℃というのが、被災状況を更に悪化させていくことになるでしょう。衛生状況の悪化は、震災で非難した人たちに、胃腸炎やマラリア、ダニやげっ歯類が媒介する種々の感染症の蔓延を惹起する恐れもありがあり、被災地の周囲にも、その感染が拡大する可能性を考えておく必要があります。震災そのものによる直接的物理的被害と、二次的な被害、震災によるトラウマなどの心理的な被害は、これから大きな問題となっていくといえます。 中世の欧州でペストの大流行が起きた時も、世界規模の天変地異があり、中央アジアのげっ歯類の移動が、欧州や中東にペストの流行につながったのではと言われています。当時は、欧州の都市の町は、普段の時でも、家から直接窓下の路地にごみを捨て、それを放し飼いの豚が食べるといった、極めて劣悪な衛生状況でしたから、ペストの流行も甚大となりました。さすがに現代では、その当時よりは衛生観念があるとはいえ、災害に見舞われると、同じような劣悪な衛生環境になりえるのです。 場合によっては、こういった災害を契機に、新たなウイルスや細菌の感染が世界規模に拡大する可能性をも念頭に入れておく必要があるのではと思います。 新型コロナウイルスのパンデミックから5年経ちました。有史以来、人類は様々感染のパンデミックを経験してきましたが、近代医学の見地で、パンデミックを観察したのは、20世紀初頭のスペイン風邪と今回の新型コロナと言えましょう。20世紀初頭に比べ、遺伝子レベルでも科学の進歩は目覚ましく、スペイン風邪の流行を今回の教訓としきれなかった面が大きいのに対して、今回の新型コロナウイルスの感染発生、拡大状況を考察することが重要であるといえます。また、三種類の抗ウイルス薬やワクチンの効果を検証する必要もあります。抗ウイルス薬の使用量が多い都道府県と少ない都道府県で、入院や重症化率の差があるのかどうかなど今こそ、中間報告でもかまわないので、検証していく必要があるでしょう。 新型コロナパンデミックの全体的な考察をもとに、来るべき新たな感染症の脅威に対して、転ばぬ先の杖とすることができるのではないかと強く思います。 いずれにしろ、世界中のいろいろな場所で、天災、人災問わず、その被害にあっている人に対して、自分なりに役に立てることはないかと自問しています。 |
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2025年4月1日(火) |
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業務連絡 |
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投稿:長野 央希 |
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新潟市医師会より通達がありました。 4/1から帯状疱疹ワクチン定期接種が始まります。 対象者は @年度内に65歳を迎える方 A60〜64歳でHIVウイルスによる免疫機能障害があり日常生活がほとんど不可能な方 B令和7年度から令和11年度までの5年間の年度内に70,75,80,85,90,95,100歳になる方 です。A以外の方には5月上旬に個別で郵送案内が送付されます。 使用ワクチンは (1)生ワクチン 1回接種 (2)組み替えワクチン2回接種 公費補助により (1)の接種費用は 4950円 (2)の接種費用は2回で36300円となります。 帯状疱疹予防効果としては (1)は50%程度に対し、(2)は90%超です。 ワクチン接種御希望の方は、御電話にて御相談、御予約下さい。 |
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2025年3月24日(月) |
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正義を振りかざすな |
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投稿:長野 央希 |
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昨日、NHK党の党首立花孝志氏が、鉈で襲われるという事件がありました。不幸中の幸いで、命に別状はなかった模様です。犯人は、他の議員を死に追い込む様な人が許せないと言う理由で犯行に及んだようです。 私は個人的に立花氏の言動に賛同することもあれば、時に不快感を抱くこともあり、少なくとも支持者ではありません。しかし、今回の犯人の発言で、他の議員を死に追いやったというのが事実なのかどうか確証はなく、それを理由に暗殺してしまおうという行為は常軌を逸しているといわざるを得ないと思います。恐らく、犯人には「悪意」はなく、彼個人の信念に基づき、正義を行おうとしたと言うことなのでしょう。 このように正義を行おうとする人たちが増加していることが非常に恐ろしいことであると思われます。しかも、彼らの信じる正義は、彼らの得る情報によって、醸成される正義感であり、その情報が正しいとは限らないところが、更に恐ろしさを増幅させるのです。マスコミやSNSが垂れ流す情報が、必ずしも正しくないのに、それを鵜呑みにして、そこで、自分の信念、信条が生み出されていく。間違った事実から、誤った信念を抱けば、たちどころに正義は悪に変わることを理解する必要があります。 更に、その時点では「正しい」ことが、後年間違いであったと判明する事も少なからずあります。医学という科学分野でも、そういった事例は散見されます。その代表が、精神科領域で行われたロボトミーでしょう。ノーベル医学賞まで受賞することになるこの手術は、その後、多大な医原的な災厄をもたらし、誤りであったと判定されるに至りました。ノーベル賞という最高の権威付けをされた最高の科学的業績であるはずのものが、重大な間違いであったことは、重要な反面教師として多くを学ぶべきであると思います。 現代社会というのは、「科学的」であることを重要視し、不思議なほどそこに価値を置きます。思っている以上にエセ科学が幅を利かしているように見えるにもかかわらずです。科学的根拠として、都合の良いデータをつなぎ合わせて理論武装して、科学を自称する詐欺師のような人も少なからず見受けられます。また、それを不思議なほど信用してしまう人も少なからず、見かけます。 現段階で分かってる「本当に正しい」ことは実は思っているほど多くないことを理解する必要があります。その事実が正しいか分からないからこそ、我々は謙虚でいる必要があるのです。 ましてや正義等というものは、更に少ないでしょう。絶対的な正義、絶対的な悪などと言う二元論的考えは、もしかすると、もしかすると荒唐無稽な幻想であるかもしれないのです。絶対的な正義、絶対的な悪というものは、その人の置かれた立場で変わってくるからです。 歴史を見れば明らかでしょう。宗教戦争を始め、それぞれの置かれた立場での正義感が強まれば、それに反する人たちを目覚めさせなければならない、あるいは殲滅しなければならないという理念の発露で戦争や殺戮につながる。正義のためには、正義に反する者は生かしておかないという狂信的な発想にいたることが非常に恐ろしいことであると思います。 また、自分と意見を異にする人は許せないという狭量な意識を持つ人が増えているような懸念を抱いております。米国のトランプ大統領の言動を見ていると、そういった傾向が見えます。世界のトップを自称する国のリーダーがそういった姿勢を取れば、それに倣う人が増えるのも仕方が無いことかもしれませんが、多くの人が、自分の意見と違い、自分の正義感に反する人を許せなくなれば、世界は極めて暴力的になっていくでしょう。 少なくとも自分の正義や自分の理念が真に正しいわけではないかもしれないと思えるだけでも、相手に対して寛容になれるのではないでしょうか? |
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2025年3月16日(日) |
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3月11日 |
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投稿:長野 央希 |
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大船渡市の山林火災で、市は延焼の恐れがなくなったとして、火災の「鎮圧」を宣言し、10日午前に火災発生から12日で避難指示も全てが解除されました。 大船渡は2011年の東日本大震災の津波による被害をもろに受けた地域でもありましたが、そのような地域で、再び大きな災厄に見舞われたことは、本当に心の痛む事ではあります。 自分は東日本大震災の災害救助として3/13に宮城の石巻、5月下旬に岩手の釜石に行ってきましたが、そういえば、どちらも津波の甚大な被害を受けた沿岸部からそう遠くない内陸部では、全く津波の被害も受けていない牧歌的な田園風景や里山の風景が広がっていたのが印象的でした。そういった森林や山で火事が起きた場合、乾燥している太平洋側では、一気に火災が拡大するのも理解できるように思えます。 3/14に石巻の桃生地区の避難所に行きましたが、沿岸部では津波で、いたる所が水没している様な状況に対して、この地区は津波があったことすら忘れさせてしまうような場所であったことが強く記憶に残っています。 確かに、ひっきりなしに震度3〜4程度の余震が続いている中で、避難所の小学校のグラウンドでは子供達がサッカーに興じているのを見たときは、子供達のバイタリティに感動すらしました。それでも、避難所の体育館に入ると、避難し、身を寄せ合っている多くの人たちがおられるのを見て、やはり甚大な津波があったのだと新たに思い知らされました。 その後、14年も月日が経ち、その間にも、熊本や能登をはじめとした地域で巨大な地震の被害に遭い、2020年からは新型コロナのパンデミックといった世界規模の混乱が起きました。 コロナの影響は、恐らく未だに世界に暗い影を落とし、紛争や世界的ないざこざや、それぞれの国々が内向きな姿勢になっている経済政策、政治姿勢などに直接的にも、間接的にも影響を残しています。 自分事では、2020年から2024年の途中まで、屋外で発熱外来を行っておりましたので、一日中多量の紫外線を浴びていましたから、これからどれほどの身体的なダメージが出るのだろうと自分自身の変化に注目している状況です。猛暑の日も、吹雪の日も屋外で堪え忍べたのは、東北の震災で、二日間丸太か何かにつかまって海を漂流し、ついには自衛隊に救出され生存した老人を目のあたりにしていたことで、自分の境遇が、当時の被災者の方々に比べれば、取るに足りないと考えることが出来たからだと思っています。 ここに来て、南海トラフなどの話題もかまびすしくなりつつあります。 日本は、これからも各地で、常に何らかの天災を受け続けていく可能性が高い国です。いつ災害に見舞われてもおかしくないという意識を持ち、危機管理対策を常に講じていく必要があることを再確認しなければなりません。その為にも東日本大震災、阪神大震災などの不幸な出来事を忘れないことがとても大切であると考えます。 |
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2025年3月10日(月) |
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夢 |
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投稿:長野 央希 |
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コメの価格が高騰しております。確かに、米の値段は上がっておりますが、ただ、これまでが物価に比して、米の価格が低く抑えられていたのは事実だと思いますので、コメ農家の人の収入が増えるのであれば、ある程度はやむを得ないのかもしれません。ただ、米の価格上昇で、コメ農家ではない何らかの営利団体だけが、うまい汁を吸うのだとすれば、それは許されないことだとは思いますが。 今回、コメの価格が話題になったことで、我々は、改めて農業や畜産業、漁業という、食に直結する第一次産業に対して、考えを巡らす必要があるのではと思います。 食は、人間が生きていく根幹に関わってきます。その食料生産を自国で行わない場合、常に輸入に頼ると言うことはどういうことになるか。輸入相手国との関係が悪くなった場合、食料を輸入してもらえず、結果的に兵糧攻めのような状況にもなりかねません。関係が悪くなくとも、こちらの足下を見られて、相手が値をつり上げてしまう恐れもあるのです。食糧を自給できないならば、常に食料をネタにゆすられ続けてしまうかもしれません。 日本は、自給率を上げるためにも、もっと農業、牧畜産業、漁業などに対して力を入れ、必要に応じて政府が保護しなければならないのではないかと思っています。食料を外国に握られることは、相手に生殺与奪の権利を与えることに他なりません。真剣に考えるべきことだと思います。 魚沼でも、農家の高齢化や跡継ぎ問題などで、農地が減ってしまっています。今後も魚沼産コシヒカリというブランドを守り続けるためにどうすべきか。 私の夢として、魚沼に農業系の学校を作れないかというのがあります。専門学校でも良いし、可能ならば、大学を。大学を作るのであれば、獣医学部も包括して。農業を志す若者を迎え、最新の科学とともに、農家の方々の実体験に基づく経験を融合させることで、農畜産業の発展にもつながるかもしれません。そして、若者が魚沼で農業を続けたいと考えてくれれば、農家の後継者問題にも解決策が見つかるかもしれない。若者の流入で、ある意味の町おこしになるかもしれません。もっとも、この構想は、財源や実現可能性をすべて無視した荒唐無稽な夢物語なのかもしれません。ただ、農業、畜産業を守る一案になりはしないかと期待しています。 魚沼に限らず、日本の多くの農地や里山を保全しなくてはなりません。外国人にそういった土地を買いたたかれ続ければ、日本の将来に大きな禍根を残してしまう恐れもあると危惧します。 政府や市町村が当てにならないのなら、クラウドファンディングを利用してでも、守らなくてはならない、それくらい重要な案件であると思っています。 |
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2025年3月3日(月) |