長野医院

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 業務連絡
投稿:長野 央希
令和6年4月1日より、新型コロナウイルスワクチンは公費ではなくなります。
現段階では、ワクチンの金額が確定しておりませんので、新型コロナワクチンの御予約はしばらくお待ち下さい。
また、これまでは新型コロナウイルスの抗ウイルス薬として、パキロビット、ラゲブリオ、ゾコーバの3種類が一部公費負担で処方できておりましたが、
4月1日より、他の薬剤と同様に、公費負担がなくなります。その点を御承知おき下さいますようお願い致します。
昨今の報道を受けて、麻疹ワクチンの接種を御希望される方が増加しておりますが、ワクチンの製造量の問題もあり、定期接種の子どもや接種が不可欠な医療関係の学生さんが優先されますので、一般成人の接種希望の方は、しばらくは麻疹ワクチンの接種をお受けできない場合がありますので、その点もご容赦下さい。
宜しくお願い致します。

2024年3月31日(日)

 3月11日
投稿:長野 央希
東日本大震災から、13年が経ちました。震災の関連し含む死者、行方不明者が2万2222人、福島第一原発の事故の影響で現在に至るまで福島県内の7市町村のおよそ310平方キロに及ぶ帰還困難区域があり、避難者は尚2万9000人余という状況です。きわめて大きな爪痕を残していると言わざるを得ません。
一方で、今年の正月に発生した能登沖の地震での被害も甚大です。新潟県は石川県に比べれ被害は軽いといえ、それでも県内の住宅被害は2万294棟(全壊が102,半壊2783,一部損壊1万7395,床下浸水14という内訳)で、西区の避難所には今なお6人の方が非難されている状況です。

私は、東日本大震災の際に3/13〜15と石巻に行っていたこともあり、ひっきりなしに震度3、4程度の余震を味わっていた為、揺れに鈍感になっている感がありますが、患者さんと話していると、今回の能登沖地震の余震で、かなり恐怖を感じている方も多く、精神的な面で慢性的に不安やうつ気味になっている方も少なくないことを実感します。

思えば、2000年に入ってからだけでも、中越地震、中越沖地震と言い、東日本の震災の後も熊本の地震などなど、大きな被害を残した地震がたびたび起きていると痛感させられます。

能登沖の地震が起きる前の年末に、西日本出版社の『写真集 関東大震災』という本を購入していましたが、関東大震災直後の焼け野原のような生々しい写真を見ていると、まるで終戦直後の焼け野原の東京なのかと錯覚してしまうほどです。私は東京、埼玉で働いている際に、好きで人形町や馬喰町などをぶらぶらしていましたが、関東大震災と太平洋戦争を経て、よくここまで復興したものだと今更ながらに感動します。日本人のたゆまぬ努力と、強い精神力のなせるわざだとおもいます。

残念ながら、日本では今後も巨大な地震や大雨などに伴う大規模な水害に今後もみまわれると考えなければなりません。自然には勝てないという謙虚さを持ちつつも、天災に対して、常に対策を講じ続けていく必要があるのだと思います。
少なくとも、日本人が日本人としての誇りを持って、謙虚に勤勉に行動すれば、震災から必ず復興できると信じています。
そのためにも、自分たちは大丈夫という、他人事ではなく、自分の身にも常に起きる可能性があるという意識をもって、危機管理を行っていく必要があります。
3月11日は、そういった意識を新たにするべき日だと思います。


2024年3月11日(月)

 学歴社会の弊害
投稿:長野 央希
依然として、韓国の専攻医等のストライキが続き、仕事を続けている他の医師や看護師達の疲弊も顕著になってきているように見受けられます。
そんな中で、一部報道にて、京機道医師会の会長の発言として、成績の低い医師の診療を受けたがるだろうかという主旨の発言が見られました。この発言が、額面通りの意味だとすれば、思い上がりも甚だしいように思えてなりません。既得権益にしがみつき、新たなマンパワーの増加を恐れているように見えます。
医師を増やすために医学部増員をすれば、質の落ちる医師が増えると言うことなのでしょうが、果たしてそうなのかという疑問がわいてきます。
そもそも、学校の成績が優秀だと、医師としても優秀なのかという話になります。はっきり言えば、それは幻想です。少なくとも、臨床医の能力は、必ずしも学歴を反映しているとは限りません。私が若い頃、偏差値で言えば、一流とは言いがたい医大を卒業した先輩の一人はとても優秀で、大分、その人の勉強の仕方や仕事のスタンスを真似させて貰いました。ただ、医師としての理想とかにおいての考え方の相違はあるので、完全な猿まねにはならないように気をつけていましたが、恐らく自分が医者となったとっかかりにおいては、一番学ばせて貰った人だと思います。逆に、偏差値で言えば、トップあるいはトップ5に入るような大学を出ているにもかかわらず、臨床医としての能力に疑問符がつくような人を少なからず見てきました。今振り返ると、能力の低さを感じさせる要因としては@教科書や論文ありきで考えてしまうA臨機応変に対応が出来ないBコミュニケーションが上手く取れない など挙げられます。
@は現実の患者さんの状態に即して物事を考えるというよりは、論文などに無理矢理にでも、患者さんを当てはめようとしすぎる為、現実に起きていることがないがしろにされてしまう恐れがでてくるのです。Aは、医療というのは、刻一刻と患者さんの状態の変化に対応を迫られるものですが、大きな変化にしばしば対処できないことになります。Bは、患者さんや他の医師、コメディカルと上手く信頼関係が築け無いことにつながります。
勿論、偏差値の高い大学を出て、臨床医としても優秀な人も当然いますし、偏差値の低い大学を出て、医師としての能力も低い人もいます。
ただ、学歴が医師としての能力を保証してくれているとは思えません。
優秀な医師という話になれば、遠くない未来にはAIによって生身の人間である医師は淘汰されてしまうかもしれません。

個人的に、日本が太平洋戦争において大敗を喫した要因の一つは、学歴偏重主義にあったのではと考えています。帝国陸軍も帝国海軍も、いわゆる学校秀才の集う場でした。そして、将来の出世は、陸軍士官学校や海軍兵学校の成績順で決まっていました。しかし、学校の勉強ができるから戦上手というのは、全くナンセンスな発想だと思います。年功序列と学校の席次のために実務的な能力が高い者が、然るべきポストに就けなかった例は相当あったのだと思われます。逆に、米国では、海軍の太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツは、少将であった段階で、F.ルーズベルト大統領の抜擢によって司令官に着任したという経緯があります。戦争という人命が関わる、極めてリアリスティックな状況下では、学歴ではないシビアな能力判断が不可欠なのです。ニミッツ大将は、日本の東郷平八郎を尊敬していたと言われています。日露戦争の頃までは、確かに参謀クラスは陸軍士官学校や海軍兵学校を優秀な成績で卒業した者立ちが占めていたと言えますが、司令官クラスは、ほとんど士官学校、兵学校を出ていないか、出ていたとしても初期の、そこまで整備されていなかった時期の卒業生でした。そして、その多くは、鳥羽伏見の戦いや会津戦争で転戦した経験があり、ある意味、叩き上げの軍人といえます。戦争という修羅場を実地で体験していて、官僚化されていない将官がやや官僚化しつつある参謀を時に軌道修正したからこそ、バランス良く戦えたという部分もあったのではないかと考えています。
医療も、人命が関わる物です。学歴によらない能力判断ができる方法はないものでしょうか?
私は、優秀なAIに駆逐、淘汰されてしまうのではないかという漠然とした不安の中で、何とかスキルアップしていきたいと考えながら、日々過ごしています。



2024年3月1日(金)

 韓国医療ストライキ
投稿:長野 央希
先週から、しばしば韓国の専攻医(研修医)の大量退職や欠勤の報道を目にします。
韓国政府が、医師不足解消の為、医学部の入学定員を増やす方針を打ち出したことに対しての反発であるということです。こういったストライキのような行為は、2020年の文在寅政権の時にも、同じような経緯で、医師増員の方針を断念させていましたから、その成功体験が、今回の件にもつながっているのでしょう。
韓国の医療事情というのを、それほど把握しているわけでもないので、あまり無責任なことも書けませんが、少なくとも韓国の人口当たりの医師数は先進国の中でも、最も少ない部類に属しているということは間違いないようです。高齢化が進むことで、救急医療などの現場での医師不足は深刻な模様です。医療賃金の問題、労働環境の問題、訴訟の問題などで、外科や産婦人科を志す医師が少なく、美容外科医として従事する医師は頭数は確保されているという現実的問題を内包しているようです。
確かに、賃金が安く、過酷な労働環境で、訴訟の問題なども少なくないとなれば、そんな茨の道を好んで歩む人は少なくなるでしょう。となると、韓国政府の方針で、医師の数を増やしても、結局、美容外科医は増加する一方で、外科系も産婦人科も救命救急も医師が増えないという可能性も十分考えられるのでしょう。つまり、人を増やすだけでは、片手落ちな政策になりかねないのは事実だと思います。賃金や労働環境の改善などにも着手しなければ、意味がないとも言えそうです。
しかし、人口一人当たりの医師数が少ないのであれば、ある程度の増員は必須であろうと思います。
ストライキをしてまで増員を拒否する意味が理解できません。
韓国という国は、日本以上に学歴重視社会です。やはり、科挙の文化のようなものが根強いのかもしれませんが、受験を勝ちぬいた人たちのエリート意識は日本の比ではないのかもしれません。苦労して医学部に入り、医師免許を取得したという医師層は、増員によって、自分たちの少数精鋭のようなプライドにケチをつけられるのを恐れているのではないかとうがった見方をしてしまいます。また、増員によって、自分たちの仕事の取り分が食い荒らされるという恐怖があるのかもしれません。
どんな理由であるにしろ、ストライキをするということがどういうことかよく考える必要があります。自分たちが医療行為をやめてしまったことで、被害を被るのは誰かというと、当然、多くの患者さんたちです。手術が延期になったり、受診予約を延期させられたりというケースが増加しているようです。
つまり、自分たちの政治的駆け引きのために患者さんの命を人質にしているといっても過言ではないのです。政府との駆け引きで、命を天秤にかけていることがどれほど恥ずべき事かを理解すべきであると思います。
医師が医師でなければ務まらないことというのが、患者さんの命を預かることです。当然、助けたくても助けられない命もありますが、今、ストライキをすることは助かるべき命を助けないということにつながってきます。変なエリート意識を持つ前に、人の命を預かれるという医師としての誇りを思い出すべきではないかと強く思います。

日本で、同じようなことが今後も起きないことを切に願います。


2024年2月26日(月)

 ナワリヌイ氏
投稿:長野 央希
ロシアの反政府活動家のナワリヌイ氏が急死しました。
ロシア当局は死因を「突然死症候群」と発表しております。
乳幼児突然死症候群というのは、しばしば問題になる疾患群ではありますが、大人でこの診断が下されている状況は、私が知る限りでは、正直なところ、初めてです。確かに、死因の判然としないケースというのはあることはありますので、検死をして死因を詳らかにしようとすることになります。
今回、ナワリヌイ氏の場合は、遺体の家族への引き渡しにも応じないことからしても、まともな検死がされることは期待できないでしょう。
突然死症候群というのは、自分たちにとって都合の良い死因に持っていくための便宜上の診断でしょう。
今回が、暗殺かどうかはわかりません。
ただ、三年前に毒殺未遂をされていたことから、今回もロシア政府に対して強い疑惑を持たざるを得ないのは事実です。暗殺だとして、プーチン大統領が直接指示したのか、現場が大統領の意向を忖度して、自発的に行ったのかも判然としません。また、殺害の意図がない中で、拷問によってなくなってしまったという可能性もあり得ますし、かなり劣悪な刑務所環境で、蓄積されてきた身体的ストレスが、彼の命を奪うに至った可能性というのも否定はできないでしょう。
少なくとも、ロシア当局が、検死をして正式な死因を発表することでもない限り、世界中は、ロシア政府を黒に近い灰色として扱い続けることになるでしょう。
ただ、今回の件で現代ロシアの密室での恐ろしさを喧伝していますが、別段、今始まったような恐怖支配ではないでしょう。
ソビエト時代(特に、スターリンやブレジネフ時代)では、恐らく、もっと恐ろしい恐怖支配であったでしょうし、帝政ロシア時代も、相当政治犯への弾圧が熾烈を極めていたのは歴史が証明しています。大体、ロマノフ王朝で、ロシアを大国に押し上げたピョートル一世(大帝)自体が、即位前後で、政敵の姉から何度も殺されかかっているようなお国柄です。
19世紀になっても、ロシア帝国政府の政治犯の弾圧は、当時の小説で、取り上げられています。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの『金縁の鼻眼鏡』では、当時のロシアの弾圧が事件の伏線となっております。
要するに、ロシアはモンゴル帝国から独立を勝ち取ってから、今に至るまで、あの広大な国土を維持するために、相当な恐怖体制を築かずにはいられなかったのだと思われます。最近は、インターネットなどの発展によって、秘密主義が成立しにくくなっているという面はあるでしょう。
とはいえ、今回の件も、証拠がない以上、ロシア当局(プーチン大統領)が犯人と証明するすべはないでしょう。
しかし、今回のナワリヌイ氏の死はある意味、大きな大衆運動を引き起こしてしまうかもしれないと思うのです。
今のロシアは、何となく、ロシア革命前の状況に似てきているように思えてなりません。ロシア革命前は、日露戦争、第一次世界大戦という度重なる戦争により、国民が疲弊し、厭戦気分に陥っているような時代でした。日露戦争の際、大日本帝国は明石大佐をロシアに派遣し、反政府運動の地下活動を金銭的にも支援して、革命運動の起爆剤になっていったという経緯がありました。
今のロシアでも、ウクライナとの戦争が長引けば長引くほど、国民の厭戦気分が高じて、ロシア政府に対しての怨嗟の声が高まっていくのではないかと思われます。そんな中で、自由の大切さを主張するようなナワリヌイ氏のような運動家が、殉職したとあっては、ある意味英雄に祭り上げられることになりえます。ナワリヌイ氏自体は、実はそこまで民衆を動かすだけの実力を持った運動家ではなかったようですが、今回の死で、実力以上の英雄になり、自由を求める民衆の心のよりどころとなっていき、大衆の結束を強める結果につながるかもしれません。今回の事件は、ロシア政府として、将来的に後悔をしてもしきれない出来事になるのかもしれません。

2024年2月19日(月)

 業務連絡
投稿:長野 央希
新型コロナウイルスワクチンに関して
これまでファーザー社製のワクチンを使用しておりましたが、同社の供給がいったん終了しましたので、当院では、当面は第一三共社製のワクチンとなります。同社製のワクチンが終了したところで、モデルナ社製ワクチンとなりますので、御了承ください。

2024年2月11日(日)

 リング禍
投稿:長野 央希
昨年の12/26に行われた日本バンタム級タイトルマッチで戦った挑戦者の穴口一輝選手が、試合後に意識を失い、救急搬送され、右硬膜下血腫の診断で回答手術を施行されるも、意識が回復することなく、2/2に亡くなるという悲しい事故がありました。急性硬膜下血腫自体が、かなり予後の芳しくない病態でありますが、23歳という若さを考えるにつけ、悲しみと悔しさのないまぜになった気持ちにならざるを得ません。
この試合は、井上尚弥選手のスーパーバンタム級世界四団体統一王座戦のセミファイナルで行われたため、世間的な注目が井上選手の試合に集まってしまいましたが、日本バンタム級タイトルマッチ王者堤聖也選手対挑戦者穴口一輝選手の試合も、大変ハイレベルな好試合であったと思います。
3ラウンド以降、接近戦での打ち合いが続き、激しい攻防が繰り広げられていました。お互いに、逃げることもなく、クリンチもかなり少ない印象でしたし、当然、アンフェアな行為も皆無でした。王者がカッティングで、何度かドクターチェックを受けていましたが、挑戦者は特にそういったチェックを受ける必要性もないような試合展開でした。確かに7ラウンドに二回目のダウンを喫してから、王者の攻めが激しさを増した感はありましたが、それも、8ラウンド途中で若干攻め疲れたのか、王者の攻勢が緩むと、再び挑戦者も激しい攻めに転じていましたから、この段階でも硬膜下血腫を疑って試合を止めなくてはならないような局面ではなかったと思われます。9ラウンドのダウンでも、すぐに立って、ファイティングポーズをとっていましたから、流石にここで試合をストップさせるわけにもいかなかったでしょう。試合を通して、ここで試合を止めねばならないというような状況は、素人目からすると皆無だったように思います。もしどこかで試合を止めたら、止められた陣営も、ファンも黙ってはいられなかったように思います。
ダウンして、マットに頭部を強打しているようにも見えませんでしたから、やはりパンチの被弾による蓄積した出血があったのだろうと思います。
ただ、それぞれの選手も全力で戦い抜いた結果なので、今回の件に関しては、誰も責められないと感じます。
以前から、軽量級の方が重量級より、一発一発のパンチによるKOが少ない分、蓄積されたパンチのダメージによってリング禍が多いというのは聞いていましたが、その通りの結果となってしまいました。

1800年代は、ボクシングというと、ベアナックルと言って、グローブをしないで素手で殴りあい、更にどちらかが倒れるか、降参するまで延々と試合を続行するという方式でしたから、リング上で命を失わなくても、帰宅してから亡くなるというような悲劇が相当多かったのではないかと推測します。そういった反省を踏まえ、グローブを着用し、ラウンドの制限も設けるようになったりと、少しずつ選手の安全面を考えたルール変更がなされてきましたので、安全性は格段には高まっているといえますが、それでも悲劇が0になるのは難しいのだと思われます。というのも、ボクシングやその他のあらゆる格闘技も、もともとは相手を「倒す」ことが目的で、それを娯楽、スポーツにして来たわけで、本質的に、相手と打ち合ったり、蹴り合ったり、関節を決め合ったりしていること自体が、怪我や場合によっては生命にかかわることに直結するからです。
もし、こういった悲劇があるから競技の存在自体を問題視するのであれば、もはやスポーツとしての格闘技は禁止されねばならなくなってしまいます。
私は個人的にボクシングが好きで、数々の名勝負で感動をもらってきました。それだけ、人の感情を揺さぶる力のあるものであるので、存続していってほしいのです。そのために、いかに安全性をより高めるのかを講じていく必要があるのでしょう。
例えば、AIの進歩によって、リングでの事故のあった試合をAIで分析し、選手の些細な動きの変化の中に、命の危険のあるような病態をはらんでいそうであると高率に判断できるような技術進歩があれば、そういった方法も積極的に導入していくのも一つでしょう。

また、スポーツである以上、選手たちは本当の紳士、淑女である必要はないとしても、相手に対して敬意を持って接する必要があると思います。最近は、格闘技の試合前の計量や記者会見で、相手を挑発したり、侮辱したり、場合によっては暴力沙汰を展開するケースがしばしば見受けられます。話題作りということなのでしょうが、こういった行為が、選手それぞれの冷静さを失わさせ、スポーツをけんかにしてしまう危険もあるように思えてなりません。そうなると、憎しみや怒りに任せた蛮行というものに走らせ、結果的に事故を起こさせてしまうのではないかと危惧もするのです。

今回の悲劇で、王者の堤選手には、決して自分を責めたりして、選手生命を短くさせたりということがないことを切に願います。
それくらい素晴らしい試合であったと思うのです。
そして、亡くなられた穴口選手については、とても勇敢に最後まで正々堂々と戦った姿に、本当の賞賛の念を禁じえませんし、御冥福を祈ります。



2024年2月5日(月)

 指名手配容疑者
投稿:長野 央希
1/29、胃がんで入院していた桐島聡を名乗る70歳の男性が、鎌倉市内の病院にて死亡したという記事をみました。
この桐島聡なる人物は、1974〜1975年に連続企業爆破事件を起こした、過激派「東アジア反日武装戦線」の「さそり」のメンバーで、長らく指名手配されていた容疑者です。
なかなかな衝撃を受けました。勿論、事件自体は、私が生まれる前ですので、記憶はありません。ただ、私がしばしば銭湯に行くようになって、そのたびに銭湯の壁に貼られている指名手配犯の写真を見てきた為、その顔は大分脳裏に焼き付いていた感がありました。私が銭湯に頻回に行きだしたのは、都内世田谷で働いている頃のことですから、かれこれ20年経ちます。20年前から、週に2〜3回近く見てきた計算になります。
笑顔で写真に写っており、案外人懐っこそうな顔から、正直なところ、とても凶悪犯には見えないと思っていました。

1975年からですから、50年近く、逃亡生活を送っていたことになります。どんな心理状況で生きてきたのだろうと考えてしまいます。本名を捨て、偽名を名乗るということは、自己のアイデンティティを喪失することにもなります。もっと即物的に言えば、免許証も、保険証も、通帳も作れないであろうという多大な不便さもあるでしょう。さらには、いつ見つけ出されるかわからないという恐怖に常時苛まれるのです。想像を絶するような生き地獄だったのではないかと想像してしまいます。それだけの心身への甚大なストレスがあれば、様々な疾病や体調不良に陥ってもおかしくない中で、保険証もないため、まともな医療も受けられなかった可能性もあります。
この30年は神奈川県内の工務店で住み込みで働いていたといいますが、常に同僚が警察に垂れ込むんではないかという疑心暗鬼に陥っていたかもしれません。自首した方が楽だと思ったことがあったのだろうか?己が犯した罪の重大性に恐れおののいていたのではないか?それとも、自分の政治主張を今でも絶対的に正しいと確信し、自分の人生を恥じることもないと誇らしく感じていたのだろうか?
彼の深層心理は遂にはやぶの中です。
今後、そもそも、この人物が、本当に桐島聡本人なのかや、彼に対しての支援者がいたのかどうかなどの捜査が進められていくのでしょうが、死の床で、彼が罪を悔いていたのか、人生に満足していたのかさえ分からないままとなってしまいました。
彼の半生を見ていると、時代物の剣客小説にしばしば出てくる、仇持ちの武士(あるいは元武士)を想起せざるを得ません。彼らは、人を殺めてしまい、その身内から仇として追われる身となります。身から出た錆とはいえ、一生逃げ続ける恐怖は想像を絶するものがあります。死んだ方が楽だと思う瞬間も多々あっただろうと想像してしまいます。名を偽り、逃亡し続けるということが、どれだけ辛いかは、我々には想像できないのではないでしょうか?
もっとも、犯した罪の大きさから、同情の余地はないようには感じますが。

桐島聡容疑者が、最期の段階で、素性を明かしたことで、世論は様々な論評をしています。卑しい自己顕示欲の表れであるとか、往々にして、ネガティブな評価です。
ただ、私としては、彼が最期に本名を名乗った理由は、果たして自己顕示欲の発露だったのかには疑問です。最後まで警察から逃げ切ったから、自慢げに名を名乗ったとは思えないように感じます。
日々、逮捕の恐怖におびえながら、名前さえ捨てて生きている。これ自体が生き地獄なはずで、早く楽になりたいとすら思ってきた可能性があり、そこから警察に勝ったと優越感に浸る要素はまるでないように思えてしまうのです。
生き地獄を生き抜いてきた最期に、本名という最低限のアイデンティティを誇示しないではいられなかったように思えるし、最後まで偽名であったら、自分の人生を全否定するような気持になっていたのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?

いずれにしろ、今後、彼が働いていた工務店の特定をして、そこに対して誹謗中傷を加える輩が出てくることが危惧されます。そういったバカげた行為は厳に慎む必要があります。そして、工務店の同僚たちは今どう感じているのでしょうか?長年伴に働いてきたとすると、もしかしたら、同志としての連帯感のようなものができていた可能性もあります。その場合、自分の信じた人間が指名手配犯だったら、どれほどのショックを受けるか想像に難くありません。彼らの心のケアも必要になるかもしれません。

1970年代は、赤軍派などの過激派が自分たちの思想が絶対であると信じ、猪突猛進に行動した時代でもありました。唾棄すべき話ではありますが、現代社会にもその規模は小さいとはいえ、自分の思想を正義として、周囲に押し付けてくる連中は沢山います。最近では、モナ・リザにスープをかけた環境運動家たちがニュースになっていましたが、ああいった人達も、実は根が一緒なのだと思うのです。自分の思想が正しく、周囲が間違っている。正しい自分たちは人に迷惑をかけても、正当化されると考えているとしたら、過激派と何が違うのでしょうか?



2024年1月29日(月)

 成人式クラスター?
投稿:長野 央希
新潟市を含めて1/7に成人式を行った市町村が多いかと思いますが、そこに参加した新成人が先週半ばから発熱で当院を受診するケースが増えております。
検査してみると、インフルエンザ、新型コロナとも20名弱ずつ罹患しておりました。当院のみで、この状況ですから全体を見渡せば、推して知るべしという状況でしょう。まさに成人式クラスターと言いたくなる状況です。
確かに、2020年からのコロナ禍を振り返ると、1月中旬から急激に若者のコロナ感染が増加し、1月下旬には若者の感染数増加が落ち着いたかと思うと、中高年で感染者数が増加する流れであったといえます。
今回は、コロナに加えてインフルエンザまでもが感染拡大しています。年末から年始にかけてインフルエンザが下火になってきたかと思っていたところで、新型コロナ感染者数が増え、またインフルエンザも増加している感が否めません。
雪深い市町村などでは成人式がゴールデンウィークや夏場に開催されているところがありますが、全国的にそうした方が、感染拡大をさけるという意味ではいいのかもしれないと思われてしまいます。

能登沖地震の余波が続いている状況で、新潟市でも未だ被害の全貌が把握しきれていないということですが、能登地方では、更に被害の全貌が分かっていないでしょうし、交通が遮断されているような地域では、もしかすると大まかな被害状況すら把握が困難な恐れがあります。
避難所生活が長引けば、様々な感染症の流行の恐れがあります。
中東でもウクライナでも戦火は一向に止む気配が見えない状態です。そういった地域でも、感染症含めて様々な疾病、飢餓、怪我、様々な不幸に常にさらされていると思うと、自分はどうしたらいいのだろうかと、まったく結論の出ない悩みを抱かざるを得ないのです。
のうのうと生活している自分が、どうしようもなく情けなく思えてしまう日々です。

2024年1月16日(火)

 令和6年
投稿:長野 央希
明けましておめでとうございます。
と言いたいところでしたが、元旦から、あまりにも悲しい出来事が多すぎて、おめでたいとは言えない状況となっております。

1/1の16時過ぎに、令和6年能登半島地震が発生しました。
その時間、私は、医院内で翌日の発熱外来のための準備をしておりましたが、一度、短時間の揺れを感じたと思ったら、ほどなくして、強く激しい、かつ長い時間の揺れに見舞われました。目の前でカルテ棚が倒れ、カルテが床に散乱し、待合室のウォターサーバーが倒れ、水をまき散らしたうえで破損し、処置室の掛け時計が落ちてきて、大破していました。何かにつかまっていないと立っているのもやっとという状況でしたが、医院の被害としてはその程度で済みました。その後、当院は海の近くとはいえ、比較的海抜が高いところにあるため、医院の第二駐車場は津波警報発令で避難してきた人たちの車で一時満車となっておりました。医院内の片づけを終えて、自分の住まい(寺尾)に戻ってみると、自分の住まいは築50年以上の家であるため、家屋がつぶれているんじゃないかと心配していましたが、そこでは、棚のものが落ちたりしている程度でした。ただし、翌日までは断水となっていました。もともと、古い家屋で、暖房もなく、電気も暗いので、被害を認識しにくいということもあるかもしれませんが。
その後、明るくなってから、寺尾周辺を車なり徒歩なりで見渡すと、道路にひびが入っていたり、塀が倒れていたりしているのが散見されました。場所によっては冠水や液状化現象で、陥没しているような場所もありました。私は直接見ていませんが、西郵便局の駐車場は陥没していたそうです。近所の神社の灯篭が倒れていたりと、揺れの大きさをまざまざと見せつけられた感はありました。とはいえ、新潟市内は震度5強でしたから、この程度で済んだともいえましょう。石川の能登半島の市町村では震度7であったこともあり、今朝の段階で、73人の方の死亡確認がされており、多くの方が住まいを失い、避難所生活を強いられております。残念ながら、安否不明の状況からすれば、亡くなる方の数はさらに増加すると考えられ、非常に心が痛みます。
新潟でも石川ほどではないにしろ、避難されている方もおられます。また、断水の影響で、給水所で給水をする必要がある世帯も少なくありません。越後線などの電車はいまだに運行できていない状況です。

東北の震災に救護班で行った経験を踏まえると、避難所での生活では、まず上下水道の麻痺と、季節的には寒さと食料品などの不足が当面問題となることが想定されます。また、医療機関の麻痺などから、基礎疾患のある方々が、治療を受けられず、持病の悪化をきたす例も考えなくてはなりません。
上下水道の麻痺は、様々な感染症の温床となりえます。
12/30と1/2と発熱外来で診療しましたが、依然として、インフルエンザは流行を続け、新型コロナはいよいよ増加してきており、感染者数だけ見れば、時間の問題で第10波となるでしょう。また、胃腸炎なども少なからずおられました。いずれの感染症も、手洗いなどで感染予防を行うことが重要なのですが、避難所ではそのための水すら得にくいという状況でしょう。
また、寒さのため、避難所でじっとしていれば、深部静脈血栓症のリスクも増大していくでしょう。
医療機関が機能不全になると、患者さんをしかるべき遠方の医療機関に搬送しなくてはなりませんが、道路状況が悪ければ、搬送自体がままなりません。
東北の震災の際に、私が直面したのは、基礎疾患があっても、自分の病気が何かもわからず、薬手帳も紛失しているため、何の薬を飲んでいるのか、インスリン注射をしているが、何単位のインスリンが必要なのかなど、まったくわからない患者さんが多かったという問題でした。
当然、医薬品も不足していくでしょう。
そのためにも、道路などのインフラの回復は喫緊の課題であるといえます。
更に、避難所生活が長期化してくれば、今は緊張の糸が張りつめて居るため、顕在化していないかもしれませんが、徐々に精神的な不調を訴える人が増えていくことも考える必要があります。心のケアが重要になってきます。
更に、被災してから治安の乱れなどにも注意を払う必要がありましょう。
行政が果たすべき課題は山積みであり、与党内での不協和音や与野党の争いなど、くだらないことは後回しにして、与野党が一致団結して対応していただきたいと切に願います。

この週末の連休途中から寒気の影響で雪になる予想です。そうなることで、被害が拡大していく恐れがあります。窮状に置かれている被災地の方々のために、今の自分に何ができるか自問しながら、新年を過ごしていく必要があると強く思います。




2024年1月4日(木)

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 訪問診療
投稿:長野央希
魚沼地域で、月一回ながら、訪問診療に携わらせていただくことになりました。患者さんの疾患や状況もさることながら、それぞれの家庭の状況なども千差万別であり、そのため、それぞれのケースで求められる医療も異なり、提供する医療サービスも、それに応じて変化するという意味で、非常にオーダーメイド的といえると思います。
勿論、在宅で行える治療は限られており、いわゆる最先端医療を行うような意味でのオーダーメイド治療とは異なります。
それでも患者さんや御家族の状況によって、そのニーズに丁寧に対応する必要があり、究極のオーダーメイドともいえるかもしれません。
患者さんが、住み慣れた場所で、少しでも長く過ごしていただけるように、医療者は努力する必要があることを、改めて認識させていただきました。
当院でも、徐々に訪問診療などを行っていきたいと考えておりますので、宜しくお願い致します。


2020年7月3日(金)

 日本の医療
投稿:長野央希
自粛解除後、都内では昨日も60人の感染者が判明している。
また、米国では、さらに膨大な感染者数に上ってきている。
米国での陽性者の中での重症者の占める割合がどうなっているのか、どうなっていくのかが注意すべき点ではあるが、少なくとも、3〜4月の頃の状況のような医療崩壊の危機のような状況にはなりにくいのではないかと考えている。今回の新型コロナによる重症化に至る機転が、より分かってきているためである。キーワードはサイトカインストームとDICということになろう。
重症になりやすいタイプの人の傾向もわかるようになっており、そういった方々で重症化しそうな兆候を早めにとらえられることで、DIC治療を早期に行ったり、適切な免疫抑制療法を行い、重症化の芽を摘むことがしやすくなってきていると思われる。
一方で、WHOやCDCは、当初新型コロナに対してのステロイド治療は推奨されないという論調であったが、ここにきてデキサメタゾンは死亡率を低下させるというような報告も出てきており、どちらが正しい見解なのかという問題もある。自分も、短期間ながら、新型コロナ治療にあたってきたため、確実に新型コロナの肺炎でステロイドが一定以上の効果を有していると実感しており、相当数の臨床医は、経験的にステロイドの有効性を把握しているはずである。(勿論、安易にステロイドなどの免疫抑制治療を行うべきではないし、コロナに細菌性肺炎が合併しているような場合では、当然ステロイドは控えるべき状況にもなるが)
そして、実際のところ、WHOが推奨していなかろうが、必要に応じ、ステロイドを使ってきていたと考えられる。
しばしば、日本のマスコミは欧米の医療をほめ、日本の医療に問題があるような報道をされているが、2009年の新型インフルエンザの時も然りであったように、毎年、米国ではインフルエンザで1万人を超えるような死者が出るのである。要するに、ごく一部の、高額な保険を支払っている富裕層が、超一流で最先端の医療を受けられるものの、多くの国民は、さして褒められた医療すら受けられていないという現実があるのである。
国民皆保険の日本では、おしなべて、平均的でそれなりに良質の医療を受けられていることを無視して、日本を貶める報道というのは、明治以来の日本人の西洋文明に対するコンプレックスを如実に表していると言えよう。
安倍首相の言うジャパンモデルが、なにを指しているのかは判然としないが、少なくとも日本の医療を自信をもって世界に発信していくことも重要なのではないかと思う今日この頃である。

2020年6月29日(月)

 
投稿:
現在、魚沼と新潟市を週一回行き来しておりますが、この時期の魚沼での楽しみの一つはホタルです。
小出の市街地からジョギングで行ける距離、あるいは車で五分圏内のところに、隠れたホタルのスポットがあります。
勿論、観光地のようなわけではないので、ホタルが乱舞するような状況とは違いますが、それでも、淡くほのかなホタルの光が、はかなげな美しさを放っています。
昨日も、二か所見てまいりましたが、涼しげにホタルが飛んでいました。そうかと思うと、急に猛スピードで飛んだり、点滅がせわしなくなったりと、見ていて飽きませんでした。
ホタルの光は、色々なものを削ぎ落した、シンプルな美であると思います。
翻って、人間界では、常に宗教や人種、主義主張で、小競り合いが繰り前されています。いたずらに情報があふれているために、その情報におぼれて、結果的に本来の人間のあるべき姿から逸脱したり、人間不信に陥ったりしているように思えてしまいます。
もっと、人間もシンプルに生きれば、より平和共存できるのではないかと思いながら、ホタルの光を目で追っていました。
今年は様々なことがあって、人々も疲弊し、心も荒みがちになっていることもあり、ホタルから、そんなことを考えてしまいました。


2020年6月25日(木)

 世界情勢とコロナ
投稿:長野央希
日本ではコロナの発生件数が減少、落ち着いてきたかのように見えておりますが、世界的には依然として、猛威を振るっております。
WHOの報告では、一日での発症者数が過去最多を更新したとのことです。
ひとたび、規制が緩和されると、なし崩し的に、緩和すべきでないことまで、緩んでしまうというのが人間社会の常ではありますが、気のゆるみも含めて、感染を拡大させている可能性があります。
高温で多湿の環境では、ウイルスの脅威が減ることも期待されておりましたが、パンデミックとなっている現状では、それも期待できないというのが専門家の大方の見方となっている模様です。
殊に米国の連日のデモ、集会は、一層感染を困難なレベルにしているといえましょう。米国政府はコロナ感染対応においても、人種の分断という問題においても、既にイニシアチブが取れていないように見える状況で、はたして、コロナ感染を終息に向かわせるような方策がとれるのか、甚だ疑問です。米国での感染は、少なくとも第二波ではなく、第一波が持続している状態といえます。この状況が遷延している間は、世界中に感染を波及させる恐れが高いと思われます。
新潟県でも一か月ぶりに感染者がおられたようですが、報道によるとやはり海外渡航歴がある方のようです。
米国をはじめとした世界情勢を鑑みると、当面海外との往来は今もなお控えるべき段階であろうと考えられます。
日本では、コロナに感染したとしても、大半は軽症とはいえ、一部では重症化するケースがあることも間違いなく、君子危うきに近寄らないスタンスが重要と言えると思います。


2020年6月22日(月)

 北別府さん 頑張ってください
投稿:長野央希
私は広島東洋カープのファンですが、6/19にようやく2020年度のプロ野球が開幕する予定で、わくわくしてきているところです。
ただし、今年は広島の話題としては、もっと大切なことがあります。
北別府さんが成人T細胞白血病で現在、末梢血幹細胞移植を受けて、闘病中であることです。
私は血液内科診療に携わってきただけに、マスコミで報道されるような血液疾患に対して、注意を払ってはいましたが、元広島の往年のエースの件となれば、より敏感になりました。
ブログを見ていると、息子さんからの末梢血幹細胞を移植して、副作用などで難儀をされているようです。
北別府さんといえば、投手王国と呼ばれた広島の絶対的なエースともいえる方でした。大野、川口、金石など、ストッパーで津田、野手でも高橋慶彦、山崎、長内、重鎮として山本、衣笠などなど今でもわくわくするようなメンツがそろっていたころのエースでした。
それだけ鍛え上げた肉体でも、血液疾患に対する抗がん剤治療や骨髄移植治療はつらいものであることは間違いないと思われます。
自分も、血液疾患での化学療法など行うたびに、治療の副作用や合併症で苦しむ患者さんの姿を診て、時には心苦しい思いもしてきました。そんな中で、病気が寛解、あるいは治癒に至るような患者さんの姿を見て、心から喜び合えたものです。
北別府さんも、長い闘病生活とはなろうと思いますが、一刻も早くお元気になられることを切に願います。
山本浩二さんも闘病生活をされておられるようですが、頑張って克服していただきたいと思います。
二人のためにも、今年はカープが優勝してもらいたいと期待しております。


2020年6月17日(水)

 新型コロナ
投稿:長野央希
昨日、一昨日と都内での新型コロナ陽性者数が50人近くと増加しております。これは、いわゆる「夜の街」で働く人の集団検査の影響もあろうと思われます。
一方で、米国では人種差別への反対デモが全国に広がっており、これによってコロナの感染が再度燃え上がりはしないかと懸念せざるを得ない状況です。また、北京でも再度感染者が増加に転じております。
短期間ながら、コロナ診療に携わったものとして、新型コロナは大半が軽症であるか、無症状であるため、(少なくとも日本では)不必要にパニックになるべきではないと考えます。ただ、高齢者、癌のある方、若くても男性、肥満、糖尿、喫煙(肺気腫)などの条件がそろうと、一定の割合で重症化する印象を受けましたので、決して油断していいものでもないと言えます。
無症状のコロナ陽性者から、このような重症化の危険をはらむ人たちに感染が拡大する可能性を常に考えておく必要があると考えられます。
新潟は幸い大きな流行に見舞われずにここまで来ておりますが、これだけのグローバル社会では、第二波の流行も対岸の火事と受け流すわけにもいきません。我々、医療者は行政とも連携をとって、第二波への対策を練っていく必要があると改めて感じております。

2020年6月16日(火)

 サルコペニア予防
投稿:
当院の近くにあるスポーツセンターも、コロナの影響で、一時休業されておりましたが、ようやくジムも含めて再開されております。拝見しますと、多くの中高年の方々が様々な運動にいそしんでおられます。非常に良いことだと思います。
昨今は、筋肉量の減少からくる身体機能の低下(サルコペニア)が話題になっており、その予防のために適度な運動、適切な食事が極めて重要と言えます。
これまでは医療といえば、病気を治すことに主眼が置かれておりましたが、これからはいかに病気にならないようにするか、あるいは大病になるのを未然に防ぐかという予防の医療がより大切になってくると考えます。
そういうことも、患者さんとともに考えていきたいと思っております。
尚、これからの季節、運動中の脱水、熱中症にはくれぐれもお気を付けください。

2020年6月13日(土)

 ブログを始めました。
投稿:長野央希
急激に真夏のような天候になってきている今日この頃。
全国的にも、ようやく新型コロナ感染が収束に向かいつつあるのかと期待する日々です。幸いに、新潟県は大きな流行のうねりにもまれることなく、本日に至っております。
私は、4月末から5月いっぱい、北埼玉の病院で新型コロナ診療のお手伝いをしてまいりました。関東もひとくくりにはできず、埼玉も大宮や川口など南部と、熊谷などの北部では、大分感染者数も異なっておりました。マスコミ報道で、コロナの恐ろしさ、悲惨さが盛んに取り上げられておりましたが、確かに重症化した場合は厳しい経過をたどりえますが、多くの場合は、軽症であったり、無症候性であったりします。
この疾患に関しては分からないことが多い点や、治療法が確立されていない点で、人々の恐怖が増幅していってしまいました。このこと自体は、ある程度やむを得ないことではありますが、過剰にマスコミが恐怖をあおった感が否めません。
手洗いをする、外出時にはマスクを着用する(自分の感染予防というよりは、自分が感染していた場合に周囲に感染を広げない意味でも)など基本的な注意をしつつ、正確な情報のもとに、適切に怖がりながらも、節度を守って生活を楽しむことが重要と感じました。
我々医療者も、マスコミも、いかに正確な情報を、皆さんにお伝えできるかが大切であり、それこそが本来のインフォームドコンセントのあるべき姿なのかもしれないと、改めて考えさせられております。

毎日とはいかないと思いますが、思うことがあれば、ブログを更新させていきたいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

2020年6月10日(水)




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