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 来るべく危機に備えて
投稿:長野 央希
日本時間の28日午後にミャンマー内陸部を震源とする震源地10km,M7.7のミャンマー大地震が発生しました。4/1現時点で死者が2700人という報道です。
現地は気温が40℃という猛暑で、倒壊した建物に生き埋めとなっている人達の救出が難航しているということです。残念ながら、死者数は更に増加するであろうと考えざるを得ません。このような状況で、現在の自分が寄付くらいしか出来ないことが残念で、情けなくてなりません。
気温40℃というのが、被災状況を更に悪化させていくことになるでしょう。衛生状況の悪化は、震災で非難した人たちに、胃腸炎やマラリア、ダニやげっ歯類が媒介する種々の感染症の蔓延を惹起する恐れもありがあり、被災地の周囲にも、その感染が拡大する可能性を考えておく必要があります。震災そのものによる直接的物理的被害と、二次的な被害、震災によるトラウマなどの心理的な被害は、これから大きな問題となっていくといえます。

中世の欧州でペストの大流行が起きた時も、世界規模の天変地異があり、中央アジアのげっ歯類の移動が、欧州や中東にペストの流行につながったのではと言われています。当時は、欧州の都市の町は、普段の時でも、家から直接窓下の路地にごみを捨て、それを放し飼いの豚が食べるといった、極めて劣悪な衛生状況でしたから、ペストの流行も甚大となりました。さすがに現代では、その当時よりは衛生観念があるとはいえ、災害に見舞われると、同じような劣悪な衛生環境になりえるのです。

場合によっては、こういった災害を契機に、新たなウイルスや細菌の感染が世界規模に拡大する可能性をも念頭に入れておく必要があるのではと思います。

新型コロナウイルスのパンデミックから5年経ちました。有史以来、人類は様々感染のパンデミックを経験してきましたが、近代医学の見地で、パンデミックを観察したのは、20世紀初頭のスペイン風邪と今回の新型コロナと言えましょう。20世紀初頭に比べ、遺伝子レベルでも科学の進歩は目覚ましく、スペイン風邪の流行を今回の教訓としきれなかった面が大きいのに対して、今回の新型コロナウイルスの感染発生、拡大状況を考察することが重要であるといえます。また、三種類の抗ウイルス薬やワクチンの効果を検証する必要もあります。抗ウイルス薬の使用量が多い都道府県と少ない都道府県で、入院や重症化率の差があるのかどうかなど今こそ、中間報告でもかまわないので、検証していく必要があるでしょう。
新型コロナパンデミックの全体的な考察をもとに、来るべき新たな感染症の脅威に対して、転ばぬ先の杖とすることができるのではないかと強く思います。

いずれにしろ、世界中のいろいろな場所で、天災、人災問わず、その被害にあっている人に対して、自分なりに役に立てることはないかと自問しています。



2025年4月1日(火)

 業務連絡
投稿:長野 央希
新潟市医師会より通達がありました。
4/1から帯状疱疹ワクチン定期接種が始まります。
対象者は
@年度内に65歳を迎える方
A60〜64歳でHIVウイルスによる免疫機能障害があり日常生活がほとんど不可能な方
B令和7年度から令和11年度までの5年間の年度内に70,75,80,85,90,95,100歳になる方
です。A以外の方には5月上旬に個別で郵送案内が送付されます。
使用ワクチンは
(1)生ワクチン 1回接種
(2)組み替えワクチン2回接種
公費補助により
(1)の接種費用は 4950円
(2)の接種費用は2回で36300円となります。
帯状疱疹予防効果としては
(1)は50%程度に対し、(2)は90%超です。

ワクチン接種御希望の方は、御電話にて御相談、御予約下さい。


2025年3月24日(月)

 正義を振りかざすな
投稿:長野 央希
昨日、NHK党の党首立花孝志氏が、鉈で襲われるという事件がありました。不幸中の幸いで、命に別状はなかった模様です。犯人は、他の議員を死に追い込む様な人が許せないと言う理由で犯行に及んだようです。
私は個人的に立花氏の言動に賛同することもあれば、時に不快感を抱くこともあり、少なくとも支持者ではありません。しかし、今回の犯人の発言で、他の議員を死に追いやったというのが事実なのかどうか確証はなく、それを理由に暗殺してしまおうという行為は常軌を逸しているといわざるを得ないと思います。恐らく、犯人には「悪意」はなく、彼個人の信念に基づき、正義を行おうとしたと言うことなのでしょう。
このように正義を行おうとする人たちが増加していることが非常に恐ろしいことであると思われます。しかも、彼らの信じる正義は、彼らの得る情報によって、醸成される正義感であり、その情報が正しいとは限らないところが、更に恐ろしさを増幅させるのです。マスコミやSNSが垂れ流す情報が、必ずしも正しくないのに、それを鵜呑みにして、そこで、自分の信念、信条が生み出されていく。間違った事実から、誤った信念を抱けば、たちどころに正義は悪に変わることを理解する必要があります。
更に、その時点では「正しい」ことが、後年間違いであったと判明する事も少なからずあります。医学という科学分野でも、そういった事例は散見されます。その代表が、精神科領域で行われたロボトミーでしょう。ノーベル医学賞まで受賞することになるこの手術は、その後、多大な医原的な災厄をもたらし、誤りであったと判定されるに至りました。ノーベル賞という最高の権威付けをされた最高の科学的業績であるはずのものが、重大な間違いであったことは、重要な反面教師として多くを学ぶべきであると思います。
現代社会というのは、「科学的」であることを重要視し、不思議なほどそこに価値を置きます。思っている以上にエセ科学が幅を利かしているように見えるにもかかわらずです。科学的根拠として、都合の良いデータをつなぎ合わせて理論武装して、科学を自称する詐欺師のような人も少なからず見受けられます。また、それを不思議なほど信用してしまう人も少なからず、見かけます。
現段階で分かってる「本当に正しい」ことは実は思っているほど多くないことを理解する必要があります。その事実が正しいか分からないからこそ、我々は謙虚でいる必要があるのです。
ましてや正義等というものは、更に少ないでしょう。絶対的な正義、絶対的な悪などと言う二元論的考えは、もしかすると、もしかすると荒唐無稽な幻想であるかもしれないのです。絶対的な正義、絶対的な悪というものは、その人の置かれた立場で変わってくるからです。
歴史を見れば明らかでしょう。宗教戦争を始め、それぞれの置かれた立場での正義感が強まれば、それに反する人たちを目覚めさせなければならない、あるいは殲滅しなければならないという理念の発露で戦争や殺戮につながる。正義のためには、正義に反する者は生かしておかないという狂信的な発想にいたることが非常に恐ろしいことであると思います。
また、自分と意見を異にする人は許せないという狭量な意識を持つ人が増えているような懸念を抱いております。米国のトランプ大統領の言動を見ていると、そういった傾向が見えます。世界のトップを自称する国のリーダーがそういった姿勢を取れば、それに倣う人が増えるのも仕方が無いことかもしれませんが、多くの人が、自分の意見と違い、自分の正義感に反する人を許せなくなれば、世界は極めて暴力的になっていくでしょう。

少なくとも自分の正義や自分の理念が真に正しいわけではないかもしれないと思えるだけでも、相手に対して寛容になれるのではないでしょうか?

2025年3月16日(日)

 3月11日
投稿:長野 央希
大船渡市の山林火災で、市は延焼の恐れがなくなったとして、火災の「鎮圧」を宣言し、10日午前に火災発生から12日で避難指示も全てが解除されました。
大船渡は2011年の東日本大震災の津波による被害をもろに受けた地域でもありましたが、そのような地域で、再び大きな災厄に見舞われたことは、本当に心の痛む事ではあります。
自分は東日本大震災の災害救助として3/13に宮城の石巻、5月下旬に岩手の釜石に行ってきましたが、そういえば、どちらも津波の甚大な被害を受けた沿岸部からそう遠くない内陸部では、全く津波の被害も受けていない牧歌的な田園風景や里山の風景が広がっていたのが印象的でした。そういった森林や山で火事が起きた場合、乾燥している太平洋側では、一気に火災が拡大するのも理解できるように思えます。
3/14に石巻の桃生地区の避難所に行きましたが、沿岸部では津波で、いたる所が水没している様な状況に対して、この地区は津波があったことすら忘れさせてしまうような場所であったことが強く記憶に残っています。
確かに、ひっきりなしに震度3〜4程度の余震が続いている中で、避難所の小学校のグラウンドでは子供達がサッカーに興じているのを見たときは、子供達のバイタリティに感動すらしました。それでも、避難所の体育館に入ると、避難し、身を寄せ合っている多くの人たちがおられるのを見て、やはり甚大な津波があったのだと新たに思い知らされました。

その後、14年も月日が経ち、その間にも、熊本や能登をはじめとした地域で巨大な地震の被害に遭い、2020年からは新型コロナのパンデミックといった世界規模の混乱が起きました。
コロナの影響は、恐らく未だに世界に暗い影を落とし、紛争や世界的ないざこざや、それぞれの国々が内向きな姿勢になっている経済政策、政治姿勢などに直接的にも、間接的にも影響を残しています。
自分事では、2020年から2024年の途中まで、屋外で発熱外来を行っておりましたので、一日中多量の紫外線を浴びていましたから、これからどれほどの身体的なダメージが出るのだろうと自分自身の変化に注目している状況です。猛暑の日も、吹雪の日も屋外で堪え忍べたのは、東北の震災で、二日間丸太か何かにつかまって海を漂流し、ついには自衛隊に救出され生存した老人を目のあたりにしていたことで、自分の境遇が、当時の被災者の方々に比べれば、取るに足りないと考えることが出来たからだと思っています。

ここに来て、南海トラフなどの話題もかまびすしくなりつつあります。
日本は、これからも各地で、常に何らかの天災を受け続けていく可能性が高い国です。いつ災害に見舞われてもおかしくないという意識を持ち、危機管理対策を常に講じていく必要があることを再確認しなければなりません。その為にも東日本大震災、阪神大震災などの不幸な出来事を忘れないことがとても大切であると考えます。

2025年3月10日(月)

 
投稿:長野 央希
コメの価格が高騰しております。確かに、米の値段は上がっておりますが、ただ、これまでが物価に比して、米の価格が低く抑えられていたのは事実だと思いますので、コメ農家の人の収入が増えるのであれば、ある程度はやむを得ないのかもしれません。ただ、米の価格上昇で、コメ農家ではない何らかの営利団体だけが、うまい汁を吸うのだとすれば、それは許されないことだとは思いますが。
今回、コメの価格が話題になったことで、我々は、改めて農業や畜産業、漁業という、食に直結する第一次産業に対して、考えを巡らす必要があるのではと思います。
食は、人間が生きていく根幹に関わってきます。その食料生産を自国で行わない場合、常に輸入に頼ると言うことはどういうことになるか。輸入相手国との関係が悪くなった場合、食料を輸入してもらえず、結果的に兵糧攻めのような状況にもなりかねません。関係が悪くなくとも、こちらの足下を見られて、相手が値をつり上げてしまう恐れもあるのです。食糧を自給できないならば、常に食料をネタにゆすられ続けてしまうかもしれません。
日本は、自給率を上げるためにも、もっと農業、牧畜産業、漁業などに対して力を入れ、必要に応じて政府が保護しなければならないのではないかと思っています。食料を外国に握られることは、相手に生殺与奪の権利を与えることに他なりません。真剣に考えるべきことだと思います。

魚沼でも、農家の高齢化や跡継ぎ問題などで、農地が減ってしまっています。今後も魚沼産コシヒカリというブランドを守り続けるためにどうすべきか。

私の夢として、魚沼に農業系の学校を作れないかというのがあります。専門学校でも良いし、可能ならば、大学を。大学を作るのであれば、獣医学部も包括して。農業を志す若者を迎え、最新の科学とともに、農家の方々の実体験に基づく経験を融合させることで、農畜産業の発展にもつながるかもしれません。そして、若者が魚沼で農業を続けたいと考えてくれれば、農家の後継者問題にも解決策が見つかるかもしれない。若者の流入で、ある意味の町おこしになるかもしれません。もっとも、この構想は、財源や実現可能性をすべて無視した荒唐無稽な夢物語なのかもしれません。ただ、農業、畜産業を守る一案になりはしないかと期待しています。
魚沼に限らず、日本の多くの農地や里山を保全しなくてはなりません。外国人にそういった土地を買いたたかれ続ければ、日本の将来に大きな禍根を残してしまう恐れもあると危惧します。
政府や市町村が当てにならないのなら、クラウドファンディングを利用してでも、守らなくてはならない、それくらい重要な案件であると思っています。



2025年3月3日(月)

 寄生虫
投稿:長野 央希
私は学生時代、自分で言うのも何ですが、優秀な医学生ではありませんでした。ただ、興味があった事もあり、精神科学と、ウイルスや寄生虫、真菌を扱う異動物学は、なかなか優秀な成績であったと自負しております。後者に関しては、子供の頃から、カビや腐ったアボカドや池等で汲んできた水を顕微鏡で観察するのが好きだったことも有り、カビやダニやミジンコなどの微生物が好きだったことが影響しているのだと思います。腐ったアボカドを鏡見したときは、カビはおろか、ダニなどの節足動物がうごめいているのを見て、気持ち悪いと思うと同時に、大変わくわくしたのを思い出します。

最近、佐々木瑞希著『寄生虫を守りたい』(dZERO版)、小林照幸著『死の貝
日本住血吸虫症との闘い』(新潮社版)、小林照幸著『死の虫 ツツガムシ病との闘い』(中公文庫版)を読みました。これらに触発され、久しぶりに東京目黒の目黒寄生虫館に行ってきました。ここは、良い意味でコンパクト、悪く言うと、学校の文化祭の発表のような趣ではありますが、標本が所狭しと並べられ、時間を忘れるような面白さがあり、何度来ても、何かしら新しい発見があるような気がします。
上記の三冊の著書は、佐々木は獣医師で寄生虫学者ということも有り、純粋な寄生虫愛を本にされおり、大変興味深いものでした。小林著の二冊は、日本における代表的な寄生虫関連疾患の解明、治療といった壮絶な闘いを描いた、実にスピーディかつ迫力ある力作であります。日本住血吸虫は山梨、広島、佐賀・福岡を舞台に、ツツガムシは新潟、山形、秋田を主な舞台として描かれるため、時間軸や地域軸が時に混乱を呼ぶ点は否めませんでしたが、それを補うような迫力が有り、一気に読み切った感があります。
ツツガムシ病については、新潟も長い間苦しめられた経緯があります。その真相解明のため、多くの医療者、科学者が、感染流行地に直接来て、あるいは在住して、病気の原因を探り続けます。その当時、リケッチャが原因などと、全く分かっていない中で、流行地で診療することは、極めて恐ろしいことであったことは想像に難くありません。致死率で言えば、現代のアフリカのエボラ出血熱に匹敵するようなレベルですが、エボラはウイルス感染ということが既に分かっている現状を考えると、その当時、全く治療法もなく、対症療法と言っても、今からすれば極めて貧弱な医療体制で、流行地に赴くことは、戦地に乗りこむ兵士と同様の悲壮感を抱いたに違いありません。更に、今以上に迷信等の支配する世界で、恐らく、今以上の風評被害の恐れもあったのだろうと思われます。実際に、千葉大で研究者が、ツツガムシ病を発症し、殉職されております。今の時代なら、研究者が亡くなるような事態が発生したら、その研究事態が頓挫しかねないように思われます。
日本住血吸虫でも、実際に研究者が田畑を歩いて、実際に感染するかどうか、実地に体験しています。また、山梨の開業医が自分の愛猫が日本住血吸虫に感染していると考え、実際にその猫を解剖に供した場面は、猫好きの自分からすれば、涙無しには読めないシーンでありました。ただ、この猫の解剖から、日本住血吸虫という新種の寄生虫発見につながったという意味で、この猫の犠牲がいかに医学の発展に大きく寄与したか。
どちらの疾患も、真相解明や治療薬の開発で、人命に限らず、犬猫を始めとした膨大な動植物の犠牲があったかを考えなくてはならないと思います。というより、医学の発展そのものが、多くの人の命と、実験動物の命と引き換えになされていることを実感し、その尊い命に感謝しなくてはならないのだと思います。
尚、日本住血吸虫に関して言えば、その中間宿主のミヤイリガイの駆除のために、殺貝剤を使用したり、河川のコンクリートでの護岸工事を行ったりしました。最近、日本でデング熱が比較的流行したときに、代々木公園などで大規模な蚊の駆除を行ったことが思い出されました。
秋田で熊が駆除されることに苦情を言う人がいますが、罪がないという意味で言うなら、これらの貝や蚊の駆除には文句はないのでしょうか?
これらの生物は誰も人間に迷惑をかけようと企んでいないのです。それでも人の命を守ろうとすると、こういった処置はやむをえない。
自分が感染の流行地にいる、あるいは熊などの野生動物の被害を受けるかもしれない危険地域にいるという中で、それでも駆除に反対するのなら、それはそれで勇気ある言動だと思いますが、自分は安全な地域にいて、自分なりの正論を振りかざす人には、やはり不信感を抱かざるを得ない気がします。

ツツガムシ病は新潟が主舞台であったことから、自分の命も省みずに研究に邁進した先達の心意気を、自分はどこまで踏襲できるかと強く考えます。医者を職業として選んだ以上、自己犠牲を払ってでも、社会の役に立つ覚悟を持ちたいと思いました。
寄生虫にしろ、ウイルスにしろ、細菌にしろ、人間よりも遙かに以前から生き残っている物達ですから、その生き残り戦略は、人間の思考をハルカに凌駕した物であり、人類が、感染症との戦いに今後も勝ちきると言うことは残念ながら、難しいでしょう。時には闘い、時には平和裏に共存するという作業が今後も続いていくと考えるべきでしょう。そして、彼らの生き残り戦略から、新たな発見をする可能性も高く、彼らから、学び続ける姿勢も重要であろうと思います。
今回、寄生虫関連作品を読み、子供の頃わくわくした微生物の世界を再度顕微鏡で見たいという当時の無邪気な情熱が戻ってきた感じがしました。

2025年2月24日(月)

 階級闘争
投稿:長野 央希
タモリ倶楽部が終了してから、まるでテレビを見なくなって久しくなります。孤独のグルメや相棒はDVDを借りてみているような状態で、ニュースすら、ほとんどテレビでは見なくなっていますので、最近の大物芸能人の引退騒動や、テレビ局の危機などには、青天の霹靂のような印象を受けていました。

テレビを見ない側からすると、テレビ局の存亡や芸能人の去就などの芸能関係の問題は、正直なところ「どうでもいい」ともいえるのですが、今回の騒動で思うことがあります。
テレビにしろ、大物芸能人にしろ、政治家にしろ、従来でいうと資金力もあり、権力もあるようないわゆる既得権益層と言われる人たちは、これまでであれば、自分の都合の悪いことや、犯罪まがいの、明るみに出ては困るような問題は、金の力などで、もみ消してきたものと推察されます。しかし、昨今のSNSなどの興隆によって、そういった話題がリークされ、白日の下にさらされやすくなっていることで、やりたい放題であった既得権益層が、追い落としに会っているような構図に見えます。
既得権益層ではない人たちが、SNSを武器にして、既得権益層を失脚させている、現代版の階級・権力闘争なのではないかと思われます。歴史的に階級闘争は、大概、武力衝突を常としてきました。それが、現代では武力行使は行われません。そういう意味では平和裏ともいえそうです。
従来であれば、既得権益層によって闇に葬られてきた悪事、それによって泣き寝入りしてきた多くの人たちが、SNSの力で、状況に変化が出ているように見受けられます。
この力をうまく利用することは有益ではありましょう。
現代の日本の政治家は、世襲議員やタレント議員など金や地盤、知名度を利用して選挙に当選していると思いますが、真に国を思う気持ちや政治的理念、それを実行しうるような政治力というものはほとんど考慮に入れられていないようにすら思えます。世襲議員たちは、その地域では絶大な権力を有し、結果的に常に選挙で勝ち続け、資金は増えていく。現代の貴族たちに他ならないのです。選挙に勝つことで、民意を得たということになってしまうのですが、果たしてそうなのか疑問です。よほどな無能か、犯罪的性向が顕著ででもなければ、多くの場合、政治家活動を継続できてしまうように思われてなりません。
民主主義なのに、新たな貴族階級を作り出せてしまってきたのが、これからは彼らの問題をあぶりだすことで、容易に選挙で勝てなくなるという時代が来るかもしれないという期待を抱いています。
しかし、SNSも手放しで、評価できるものでもないのが事実です。SNSで発信されたことが、事実であるのかどうかという問題があります。高名なインフルエンサーが発信すれば、手放しで、信じられてしまい、拡散され、嘘でも真実として世界に認知されかねない危険もはらんでいるといえます。また、天才的な詐欺師は、SNSを巧妙に使い、多くの信奉者を作ることで、ファシズムに突き進んでいくという危険も考えられます。各人が、その情報の確かさを吟味する力を養う必要があります。
また、日本人の特性で、少しでも傷があると、評価しなくなるという面があります。味は変わらないのに、曲がりくねったキュウリは買わないなどの傾向があります。そうなると、SNSで少しでも不祥事が暴露された段階で、全体的に見たら素晴らしい人物が、評価されなくなるという恐れもあります。能力はないが、真面目だけが取り柄で、不祥事とは無縁という人ばかり国政に出てきてしまうようなことも出てくるかもしれません。完全無欠の人間など存在しないのですから、著しい潔癖は、分断を拡大させ、逆に国を亡ぼすことにもなりかねません。
SNSという比較的新しい武器はうまく活用すれば、権力の暴走を抑止できると期待できますが、下手を打つと、国力を低下させるという諸刃の剣であることを理解していく必要があると思います。


2025年1月30日(木)

 ジョン サイクス
投稿:長野 央希
昨日、1/21に世界的なギタリストのジョン・サイクスが癌のため亡くなったという訃報に接しました。高校、浪人、大学時代によく聞いていたブルー・マーダーやホワイトスネークを改めて聞き返しています。
ホワイトスネークのボーカルであるデヴィッド・カヴァディールは声が好きだけど、顔があまり好きでないなあ等と考えていた、学生時代の思い出にふけっています。
学生時代は、酒井康と広瀬和生がMCをしていたヘヴィーメタルシンディケートといFMの番組を毎週聞いていました。自分がもともと落語好きで、MC二人も落語好きなため、そういった意味でもほぼ欠かさず聞いていたことが懐かしく思い出されます。二人の影響で、リッチー・ブラックモアのファンになり、ディープパープルやレインボーを好んで聞くようになりました。
高校時代の数学の先生が、レッドツェッペリン好きを公言していたのですが、あの当時は、その良さがあまりわからずにいました。しかし、年を重ねるにつれ、彼らの音楽が好きになり、ジミー・ペイジのギターに聞きほれたりもしました。
自分が学生時代に盛んに聞いていたアーティストをあれこれ思い出しています。
私が大学時代に、元レインボーのドラムのコージー・パウエルが事故で亡くなり、社会人になってすぐに、レインボーの元ボーカルのロニー・ジェイムズ・ディオが亡くなりました。ロニーの声は、ボーカルとしては一番好きだったような気がします。
その後、プリティメイズなどの北欧系に好みがシフトしたりはしましたが、最近は、you tubeで学生時代に盛んに聞いていた各バンドをよく聞いています。
既に鬼籍に入ってしまった人も、画像で見られるという良い時代になりました。リッチーブラックモアやジミーペイジもまだ現役ではありますが、大分老けたなというのが率直な印象です。私が生まれる前から活躍してきたわけですから、当たり前ですが。とはいえ、長寿を保ち、演奏を続けてほしいと切に願います。
今、ブルーマーダーのRun Awayという曲を聴いています。泣きそうになります。ジョン サイクス氏,安らかにお眠りください。

2025年1月24日(金)

 挨拶
投稿:長野 央希
先日、今期の新潟市としては比較的積雪が増えた日がありました。
その日は朝7時前から、医院の駐車場の除雪を行っておりましたが、そんな時に、医院とは道を挟んで対岸を歩く、登校中の小学生低学年とおぼしき小さい女の子から大きな声で「お疲れ様です」と挨拶されました。
最初は、年齢に似つかわしくないような挨拶で、ちょっと笑ってしまいましたが、途中から嬉しくなって「有難う」と返しました。後から考えると、「気をつけて歩いてね」などと、もう少し気の利いたことを言うべきであったと反省しました。
それはともかくとして、挨拶の力の偉大さを改めて感じました。新潟市の雪というのは水気を含んでいるため、大分重句感じるのですが、朝早くから1時間以上かけて除雪をしていると、「診療前に体力消耗したくないなあ」などというマイナスな思考に陥りがちです。その時に、あの挨拶で大分勇気をいただいた感じがしましたし、何かとても晴れやかな気分になりました。小さい子どもながら、親御さんの教育がしっかりしているのだろうなどとも考えました。
私も、若い頃は、挨拶を軽んじている傾向がありました。儀礼的でおざなりな挨拶しかしていなかったような気がします。
心からの挨拶が、どれほど人の心を動かすのか、そしてある意味、社会の動きをいかに潤滑にするのかと言うことを強く感じました。
また、同時に小さい子どもからであっても、色々な気づきを貰ったり、色々なことを教えられるのだと言うことも改めて実感しました。年を取っても、常に誰かしらから教えられ続けるのだと言うことも痛感し、だからこそ謙虚でいなければならないのだと言うことも教えられ、自戒の念を込めて、これを書いています。



2025年1月19日(日)

 倫理観と承認欲求
投稿:長野 央希
都内美容外科の女医が、グアムでの解剖実習に関して不適切なSNSへの投稿を行い、年末に一時的な話題になりました。
あまりにも馬鹿げた話で、当初はコメントする気も起きませんでしたが、自分が学生の頃の解剖にまつわる話題を思い出させられました。
新潟大学ではない、別の大学での解剖実習での話ということでしたが、献体から切除した耳たぶを壁につけて「壁に耳あり」と言って、はしゃいでいた学生が、かなり厳しい処罰を受けたという内容でした。
これが、事実なのか、都市伝説的な噂話であったのかは、確認していないので、不明です。いずれにしても、献体としてその身を提供してくださった方を冒涜するような、極めて幼稚で無礼な所業であると、当時から考えていました。今回の件はそれを彷彿とさせるような事件でしたし、さらに問題なのは、この問題行動をしたのが、学生ではなく、実際に臨床を行っている立派な医師であったことにあります。患者さんにしろ、献体にしろ、一人の人間としての尊厳に対して敬意を欠く行為は許されるべきではないと言わざるを得ません。
しかしながら、この女医が医師免許をはく奪されるべきというのは、流石に暴論なように思われます。少なくとも、今回の不祥事を、深く反省し、自己研鑽を積み、自分の倫理観も成長させる余地はあると思うのです。もし、一回でも過ちを犯した場合に、許されないのであれば、仏教の開祖でもあるブッダも、その若いころの多くの過ちの為に、仏教を開くことすらできなかったでしょう。
医療者の倫理観の問題は非常に重大なものであり、今後遺伝子研究など最先端の医療が進歩を続けていけばいくほど、医療者は自己の倫理観を高めていく必要が増していくと考えます。
一方で、話題性や「インスタ映え」を優先させたインスタグラムなどのSNS投稿やYou Tube投稿を行うケースが最近増加しているように思われます。
今回の女医の発想も、恐らくインスタ映えするというような稚拙な発想に端を発しているのだろうと思います。
話題性を倫理観よりも優先させた結果でありましょう。しかし、こういう事例は何も医療者に限らないのです。若者が、インスタ映えの為に、飲食店で大量の料理を注文し、それを撮影することだけで、口もつけないで残すという行為も、根は同じであるように思えてなりません。
こういう投稿をする人は、話題性やインスタ映えの為に、料理を作っている人や、食材となっている動植物を冒涜していることに気づいていないのかもしれません。迷惑系You Tuberも、最近の多くのマスコミも、視聴を稼ぐために、大事なものを忘れているように思えます。倫理観と話題性などの面白さでは、最初から天秤にかけられるものではないのです。
元来の日本人は無神教であるにもかかわらず、大変倫理的な国民性であったと思います。恥の文化として、「お天道様に顔向けできない」と言ったような発想が、倫理観の底上げをしていたのではと考えています。日本的良さが、徐々に失われて行ってしまうというような危惧を抱いています。


2025年1月5日(日)

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