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サッカーの思い出 |
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投稿:長野 央希 |
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現在、サッカー クラブW杯が行われております。元々、私は少なくとも欧州のビッククラブの選手達からすると、体力の消耗などの身体的なデメリットから、クラブW杯に対して、あまり良い印象を抱けないというのが本音です。それでも、いざ大会が始まると、中継は見ないまでも、結果を注視してしまいます。 高校時代に、友人が着古したフラメンゴのユニフォームを貰ったことが有り、結構気に入って着ていたという経緯も在り、フラメンゴを応援していましたが、残念ながら負けてしまいました。 そういえば、サッカー事情も大きく変わってきているものであると痛感しています。 私は高校の時に寮に入っておりました。寮は4人部屋で、当然各部屋にテレビはありません。テレビは、皆が集まるホールに一台しかありませんでした。93年の時に、94年アメリカW杯予選が行われ、大勢で、その中継を見ていました。いわゆるドーハの悲劇も、皆で見ていましたが、あのときのほぼ全員の悲痛な叫び声は、忘れられません。 日本が出場できないW杯本戦は、それでも十分楽しめました。決勝でのイタリア対ブラジル戦は、ロベルト・バッジョのPK失敗もあり、ブラジルの優勝に終わりました。悲劇のヒーローのような形でバッジョは日本でも知名度を上げて人気者になりました。 あの頃、私にフラメンゴのユニフォームをくれた友人は、ACミランのファンクラブに入っているような熱狂的なファンでしたので、ACミランの良さを再三聞かされたものでした。今見ても、マルディーニやコスタクルタやアルベルティーニと言った若手も、バレージなどのベテランも格好良かったなと思います。 その後、自分も欧州サッカーが好きになり、私はイタリアではなく、イングランドプレミアリーグに惹かれていきました。90年台後半は、マンチェスターUが、ファーガソン監督の下で、若手を育て、彼らを主力として抜擢していった時期でした。ギグス、ネビル兄弟、ベッカム、スコールズ、バットなど。あの頃、自前で育てて、強いチーム作りをしている様子が、野球の広島に通じる物を感じ、マンUのファンになりました。あの頃、マンチェスターシティは昇格と降格を繰り返すような状態でしたし、リバプールも中堅の順位に甘んじているような状況でした。今のマンUの置かれている状況や、毎年覇権争いを繰り返すマンC,リバプールを、あの当時想像すら出来ませんでした。 ちなみに、大学の時に同級生と三人で英国に言ったことがありました。基本的に食事以外は別行動に近かったですが、サッカーだけは三人で行こうと言うことになり、どのカードを見るか、私が一任されました。ロンドンから行きやすい場所でということで、一つはチェルシー対ウィンブルドン、もう一つが、アーセナル対トッテナムでした。普通に考えると、ノースロンドンダービーという熱いカードである後者を薦めるべき所でしたが、当時はマンUのファンで、アーセナルの試合を見に行くのは許されないことのように感じていた点と、チェルシーのグレアム・ルソーやジャンフランコ・ゾラが好きだったことで、前者の試合を選んでしまいました。残念ながら、盛り上がりの欠ける凡戦であったといわざるを得ず、友人には申し訳ない思いでいっぱいでした。唯一、そのカードに価値があるとすれば、ウィンブルドンがその年に降格して、それ以降プレミアに昇格できていないため、プレミアリーグでこのカードを見た最後の人間(今のところ)になれたことくらいでしょう。 この場をお借りして謝罪します。すみませんでした。 90年代の強豪は、現在の強豪とは限らないと言うことをまざまざと見せつけられています。放映権料やオイルマネーなどの資金を得られるクラブは大化けしているし、資金力で、クラブ間の格差は大きくなる一方のように見えます。 チームの戦術の進歩により、かつてのファンタジスタのような存在は肩身が狭くなっている様に思われ、ファンタジスタが活躍できなくなるとともに、イタリアやブラジルのような国が力を失っているように見受けられます。 私が海外サッカーを見るようになった90年代に、イタリアやブラジルがW杯予選を勝ち進むのにとんでもなく苦労する時代が来るとは想像もしませんでしたし、本戦に出れない事があるなどとは思いもよりませんでした。しかし、それが現実であり、盛者必衰という言葉が身にしみます。 サッカーという1スポーツですらそうなのですから、国際情勢は更にその傾向が強まるでしょう。今の強国が10年後にその地位を維持できているのかすら怪しいという激動の時代に入ってきたように思えます。日本はその世界の荒波を渡りきる必要があり、舵取りが失敗すれば、国家は沈没してしまう可能性もあります。日本国民は、周囲の大国に飲み込まれないよう、常に緊張感を持たねばならない局面に立たされていることを肝に銘じる必要があると思います。 |
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2025年7月7日(月) |
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初夏の郷愁 |
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投稿:長野 央希 |
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先週から6月とは思えないような猛暑日があります。8月と違い、朝、夜が過ごしやすい気温になるのがせめてもの救いです賀、皆様も熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。 さて、魚沼では、先週からちらほらと蛍が飛び出した感じでしたが、今週は、飛んでいる個体数も大分増えた印象です。今週水曜は魚沼に着いたのが20時半前後であった為、蛍もそろそろ休息に入る時間であったのかもしれませんが、田んぼの畦の草に停まって点滅を繰り返している物も数匹おり、カエルに食べられたりしないのだろうかなどと心配になってしまいました。 また、屋外の公衆トイレに入った際に、暗いので、ドアノブに輪ゴムのような物が巻き付けてあるなと何気なく、ドアノブに触れた直後、得体の知れない痛みを覚え、よく見ると、その輪ゴムのような物が左手の薬指にひっついておりました。何が起きたか分からず、手を振ってその者を振り払ったとところ、床に落ちたその物体を見て合点がいきました。ムカデ。蛇のように鎌首をもたげるような事はありませんが、何となく怒っているようには見えました。水道がすぐそばにあったのが不幸中の幸いで、水道水で傷口を洗い流したため、大事にならずに済みました。T〜2時間ほどはじんじんとした痛みが持続しましたが、さほど腫れることもありませんでした。ムカデもなんでまた、ドアノブに巻き付くという行為を行ったのか不思議なところです。地面に潜って寝ている方が快適かつ安全なのではと思うのですが、ドアノブには何かしらのメリットがあるのでしょうか? 魚沼では、新潟市では味わえなくなったような自然との交流が楽しめます。 蛍を見ながら、川と田んぼの間の小道を歩いていると、カエルの合唱が鳴り響いております。自分が子供の頃には新潟市の実家で、夏場には窓に多くのカエルがへばりついているのを思い出しました。そういえば、カエルの声がよく聞こえていた物でした。今は、その家で寝ていても、ほとんどカエルの鳴き声など聞こえてきません。窓にカエルがついていることもありません。私が通学していた小学校の脇には堀がありましたが、今やそれは埋め立てられ、立派な道路が出来ています。失われた堀に、小さい頃は祖父と一緒にカエルやザリガニを捕りに行きました。小学生になると、友達達と、ザリガニ取りに行っていたのが懐かしく思い出されました。自然が失われ、それによって生活が便利になっている。その便利さの恩恵を受けている身ではありながら、減っていく自然に対しての強烈な寂しさを感じてしまいました。 魚沼は新潟市よりは自然が残っているとは言え、どんどん自然も減り、最近では田んぼも減っている。日本の原風景が日本各地で減ってきている。古き良き日本の自然が失われると共に、日本人としての誇りや日本人の美徳が失われてしまっているのではないかという悲しい気持ちがわいてきていました。カエルの声尾を聞きながら、そんなことをあれこれ考えてしまった今日この頃です。 |
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2025年6月28日(土) |
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自由な意思こそ、強さを生み出す |
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投稿:長野 央希 |
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米国のトランプ大統領はハーバード大学の留学生受け入れの認定を取り消すと発表し、これに対して大学側は強く抗議、連邦地方裁判所は認定の取り消しを一時差止めるという決定を下しました。 政権が学問の自由、独立性に介入すれば、それは極めてゆゆしき問題であります。そもそも、米国の強さは、国としての自由さにあると思います。人種、民族の多様性の中で、活発な議論を行い、それが国としての発展につながってきました。殊に、学問領域は、その闊達な議論があったからこそ、爆発的とも言えるような発展を遂げてきたと言えましょう。科学分野での発展は、生活を豊かにし、軍を強くし、結果的に世界第一位、それも圧倒的な第一位の座を維持し続けられてきたと思います。その学問の自由を奪うことは、米国の国力を急速に衰退させるでしょう。トランプ政権は、自分で自国の首を絞めているような物です。ハーバード以外のアカデミーの世界は力を合わせて、トランプ政権と戦うべきです。学問に時の権力が強い影響を及ぼすことは、絶対主義につながっていきます。学問の危機はすなわち国家の危機に及んでいくでしょう。 近年、米国は斜陽にあるのは間違いありません。それでも、他の国との国力の差には、まだ大きな開きがありますので、しばらくは世界一位の座には居続けるでしょうが、今のようなやり方を続ければ、それほど遠くない将来に、一位の座から滑り落ちるでしょう。 米国国民は、目を覚まさねばなりません。トランプの掲げるアメリカファーストは、その実はトランプファーストであり、彼の考えは、著しいナルシズムに他ならないのだと思えてなりません。彼は自分にひれ伏さない物を徹底的に叩き、自分が頂点に君臨出来ていれば良いだけの人なのだと思います。 彼は暴君です。今回の一件は絶対に許してはならない蛮行です。 ところで、先日、韓国の大統領選挙が行われました。韓国にしろ、米国にしろ、大統領選は、とにかく相手陣営をこき下ろし、罵倒することに終始している様に見えてしまいます。ほんらい、選挙というのは自分達の政策論争によって勝敗を決するべきものですが、今の選挙はどちらがより相手のイメージを損ねることに成功できたかが重要になってしまっているように感じるのは自分だけでしょうか?こういうやり方は、国民としての民度の低さを表しているように受け取られかねません。民主主義を守るには、基本に立ち返り、政策論争で、選挙戦を戦うようにする意外には無いと思います。 7月に我が国でも選挙があります。正々堂々と、相手方の悪口を言うのではなく、自分達の政策をしっかり訴えていってほしいと切に願います。 |
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2025年6月9日(月) |
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長嶋さん |
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投稿:長野 央希 |
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本日、昼の訪問診療に出かけようとしていたところ、突然長嶋茂雄さんの訃報を知りました。驚きましたが、ただ、最近は時々見かける長嶋さんの姿から、大分衰えている感は否めませんでしたし、同時期にプロ野球を引っ張っていた野村克也さんや金田正一さんが続々と鬼籍に入って行かれていたことも有り、ある程度覚悟は出来ていたというのが正直なところではあります。 私は、広島ファンですし、長嶋さんは1974年に引退されておりますので、私は現役時代を生で見たことはありませんから、そこまでの思い入れがあるわけではありません。むしろ、1996年に広島が途中までぶっちぎりで首位を快走していたにもかかわらず、最終的には巨人に優勝され、長嶋さんに「メイクドラマ」という造語まで作られたことへの逆の意味の感謝があるくらいです。あのとき優勝できず、その後永きにわたり広島は万年Bクラスの泥沼に突入していきました。優勝間違いなしと思っていたところが、負けたことで、この世の中に絶対はないのだと言うことを学ばせてもらいました。 ただ、長嶋さんの言動は常に面白さを呼び、憎めないという感覚がありました。太陽のような人と言えるでしょう。 1960年代の高度経済成長期に、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われ、その巨人の中心であったのが長嶋さんなのも、太陽のような人だったからだと思います。 あの当時、太平洋戦争での敗戦で、滅亡の瀬戸際にまで追い込まれ、すべてを失った日本の発展のために国民全員が一丸となっていた頃、その国民に勇気を与え続けられたのも、長嶋さんだったから出来たのでは無いかと思います。 単なる野球選手の域を遙かに超えているのです。もはや昭和という時代の極めて大きなピースなのだと思います。それも、替えのきかないような巨大なピース。 長嶋さんの死は、本当の意味での昭和の終焉を意味しているように思えてなりません。 そこはかとない哀愁や情感があり、中村草田男の 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という句が好きです。 「逝くひとや 昭和は遠く なりにけり」 長嶋茂雄さんの御冥福をお祈り致します。 |
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2025年6月3日(火) |
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歴史好き(4) |
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投稿:長野 央希 |
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歴史を学ぶことの意義という物を考えてみました。歴史を学ぶ、そのこと自体が面白いというのはあります。ただ、歴史を学ぶ最大の意義は人間の本質を知ることなのではないかと思うのです。勿論、歴史学者になるのであれば、恐らく、全く話が変わってくるのでしょう。ただ、一般の人たちが歴史を学ぶことは、人間性の研究になるのではないでしょうか。歴史を見てくると、地域を問わず、民族を問わず、繰り返してきた過ちや失敗には共通点が少なくないと言うことです。その共通点を見ていくと、人類共通のコアな面が浮かび上がってくるのでは無いかと思うのです。また、民族によっての差があれば、それが民族的な差なのか、住む地域の気候や動植物の差によって生じた物なのかも探求していくことで、見えてくる事が多々あるのだろうと思います。 人間性の本質などと言う大それた物ではないですが、歴史を学び、自分なりに考えることはあります。 @官僚制のこと 特に中国史を勉強すると、度々問題として浮上するのは官僚や宦官達の専横です。これは洋の東西を問わないのか迄は分かりませんが、秦や漢といった古代中国の時代から、しばしば国を滅ぼす元凶となっていきました。 官僚というのは極めて優秀でありますが、秀才としての優秀さによって、自分や自分達の組織の利益を優先する傾向があるように思えます。要するに、国家よりも自分達の組織を優先するということです。日本においてもそれは見て取れます。太平洋戦争当時の帝国陸海軍は、学歴エリート達でしたが、極めて官僚的な組織となっていってしまいました。国のためと言いつつも、結果的には陸軍、あるいは海軍と言う自分達の組織を優先し提起真下。自分達の利益、自分達の名誉、沽券がもっとも大切であり、国のことは二の次であったように思えてなりません。 官僚は優秀で、有用です。しかし、それは彼らが主体性を持って活動しないことが前提のように思えます。あくまでも使役される立場でこそ、有益なのではないかと思えるのです。そして、終身雇用的な官僚制は、様々な腐敗の温床になり得ます。それを防ぐには、政権交代に合わせて官僚機構も交代する必要があるのではと思っています。 A日本人の「過ちから学ぶ意識の薄さ」 日本人は組織として失敗した場合に、その原因研究が不十分な傾向があるように思えます。恐らく、組織としての失敗の原因追及をした場合、責任の所在が明確化されてしまうことを恐れているためでは無いかと思います。日本人の優しさと言えるのかもしれませんが・・ ただ、それでは失敗から学び、どこを是正すれば良いのかも明確に出来ないことになります。太平洋戦争でのミッドウェー海戦の大敗も、時の連合艦隊司令長官の山本五十六はその失敗の原因をうやむやにしてしまいました。「責任は自分にある」といって、敗戦の原因、敗戦の責任の所在が不明瞭なため、その後の闘いではことごとく敗れていきました。山本の度量の大きさのように言われていますが、それは違うと思います。敗戦を追求することによって、人材の適材適所の見直しにもつながり、相手側の行動原則の見直しにもなり、その結果、作戦の立て方の変化をもたらし得ることにもなったろう。 失敗という物は、それを見つめること自体苦痛を伴いますが、そこを耐えて見つめ続けることで、多くの教訓が得られ、今後の成功につながるのだと思うのです。 B日本人の極端さ 日本人は、元来、あまり白黒はっきりさせなくても良いような精神性であったような気がしますが、いざ白黒つけようとすると、途端に極端に走る傾向があるように思えます。こうでなくてはならないと思えば、それを周囲にも強要しようとする。洗脳されるような人が増えれば、その思想で凝り固まった組織ができあがり、暴走してしまう。 こうでなければならないなどと言うことは、ほとんど無いように思えます。遊びのない思考は、意見が相違する人を許せなくなってしまうという考えにつながり、社会不安を助長させたり、社会の発展を阻害することになるのでは無いかと思います。 人間の本質を知ることが出来れば、これまで繰り返してきた失敗や失敗とまでは言わなくても、何か微妙な問題をただしていけるのではないかと考えています。 |
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2025年6月2日(月) |
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歴史好き(3) |
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投稿:長野 央希 |
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私は以前から鈴木貫太郎という人に関心を抱いておりました。太平洋戦争終結時にかじ取りをしていた首相です。本屋で『終戦時宰相 鈴木貫太郎』(小松茂朗著 光人社NF文庫)を見つけたため、読んでみました。 鈴木は元々、海軍軍人で、日清・日露戦争において勇猛果敢に戦い、英雄的な活躍をしました。後年、昭和天皇の信頼篤く、長らく侍従長を務めました。その間、2・26事件で殺されかかります。この時、鈴木邸を襲撃した部隊のリーダーが安藤輝三陸軍大尉でしたが。この安藤大尉は以前、鈴木と面会を市、鈴木の発言に感銘を受け、尊敬すらしていたという話です。そのためか、鈴木にとどめを刺すことなく、その場を去り、最終的には刑死します。この安藤という人物の胸中を考えれば考えるほど、尽きせぬ思いがあふれてきます。 鈴木は瀕死の重傷から奇跡的に生き残り、陛下のたっての頼みから終戦に導く役割を担って、総理大臣の職務を全うします。 大日本帝国の絶頂は、日露戦争勝利の時にあったと思います。その戦役に出征し、英雄的活躍をした。この、帝国軍人としての誇り、日本人としての誇りは尋常なものではなかったでしょう。それが、ポツダム宣言を受諾し、未曽有の敗戦を受け入れるという屈辱は、彼の誇りをどれほど打ちのめしたことでしょう。恐らくは、死ぬよりもつらかったのではないかと思うと、胸の張り裂ける思いがします。それでも、80歳という老齢の中、陛下と国家への最後の御奉公として、全力を尽くした、その生き方に尊敬の念を禁じえません。 それにしても、何故、われわれ日本人は、あれほど無謀極まりない太平洋戦争など始めてしまったのだろうと、疑問を抱かざるを得ません。 戦争は回避できなかったのか、回避できなかったのだとしたら、どうすればあそこまで甚大な被害を生じるような負け方に至らず、最小限の敗戦に済ませられなかったのだろうか? 当時、戦争を始めるにあたり、どのような戦争の進め方をして、どのような形で終戦に導くかという、ヴィジョンを描いていたのかどうか? 我々、現代に生きる日本人は果たして、アジア太平洋戦争というものを、まともに総括しているのでしょうか?反戦という名のもとに、戦争を振り返ることを避けてきたように見えてなりません。 日露戦争に勝利して以降、欧米諸国の真似をして、帝国主義に傾倒し、結果的に欧米各国や植民地諸国との軋轢を増大させていった。 大正、昭和初期の国内情勢、内政、外交、軍部、諸外国の状況、多方面から、改めてあの戦争を総括していかなければならないのだと思います。 |
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2025年5月29日(木) |
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歴史好き(2) |
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投稿:長野 央希 |
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司馬遼太郎の小説を全部が全部好きと言うわけではないが、それでも『坂の上の雲』『燃えよ剣』『殉死』は時間を忘れて呼んだ記憶があります。個人的には、坂本龍馬も新撰組も、それほど好きというわけではないのですが、何故か土方歳三には関心がありました。江戸幕府という当時の泥船に乗り、最期まで明治新政府と戦った、その胸中はいかばかりのものであったのだろうと想像を膨らませてくれるからなのでしょう。 坂の上の雲は近年NHKでもドラマ化されておりましたのも見ましたし、司馬の小説に基づいた形で作られた映画『二百三高地』もDVDを買って見ました。 小説を忠実に再現しているというわけではないですが、それほど小説に比べた違和感を覚えるような出来でも無いと思います。どちらも、出演者が豪華であることは言うまでもありません。自分は、夏目雅子さんとあおい輝彦さんが好きだったので、映画の方は特に何回も見ました。 乃木希典役の仲代達矢さんや児玉源太郎役の丹波哲郎さんも、実に良い仕事をしていると思ったものです。 司馬史観に準ずると、乃木は軍人としては無能で、児玉は極めて有能な軍略家ということになり、映画でもドラマでもそのような作りになっております。 その後、司馬史観への批判も出るようになり、今では乃木大将は名将であったという説が有力になっているようです。 歴史の面白さと共に難しさは、その歴史的な事象や人物を評価することにあるように思えます。 明治という、記録もふんだんに残っているような時代ですら、歴史の評価が難しいのですから、記録、文献の類いが少ない時代の評価は容易な者ではないといわざるを得ないでしょう。 私は、乃木という人物に対しては、名前の「希」が自分と共通しているため、子供の頃から親和感を感じていました。その為、司馬の小説で、乃木が軍人的な無能さを描出されるにつれ、言いようのない悲しい気持ちにさせられました。しかし、司馬の『坂の上の雲』と『殉死』を読み返すと、司馬は乃木をこよなく愛していたのだろうと思えてくるのです。ダメな子ほどかわいいという表現が適切かは分かりませんが、不器用で、時代錯誤的な生き方に徹し、明治天皇の郎党のように忠義を尽くし、死んでいった乃木という人物を、多分、その不器用さ故に愛したのだろうと思えるのです。加えて、乃木の漢詩は、相当見事な物のように思えますが、そういった文才も司馬の心を捉えたのかもしれません。 いずれにしろ、歴史を、後世に評価することの難しさは、時代によって評価は変わっていくし、英雄がくずのように地に落とされるかもしれないし、その逆もあり得るのだろうという、歴史の深遠さを思い知らされます。 |
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2025年5月26日(月) |
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歴史好き(1) |
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投稿:長野 央希 |
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私は子供の頃から歴史が好きで、好んで歴史物の本を読んできました。 歴史上の人物で、自分が特に興味を持っていたるのが、西欧史で言うと、フリードリヒ大王、ウェリントン公爵、中国史で言うと、信陵君、楽毅、張良、そして日本史で言うと、天武天皇、源頼朝、楠木正成です。 自分が幼少の頃、母方の祖父母と同居していた際に、多動気味でいたずらばかりして、よく祖父母の押し入れを探索していたものですが、その際に、家系図が出てきました。 その中に、源義光の名前がありました。八幡太郎義家の弟で新羅三郎として名が知られ武田、佐竹、平賀氏の祖となった人物です。さすがに幼少の頃のことなので、義光以降の人物の名前までは記憶は無く、相当な傍流の傍流であったろうとは思われます。それでも、子供心に源氏の末裔として源氏に寄せる愛着は感じた物でした。源頼朝は義家の系統ですから、全く自分とは縁もゆかりもないのですが、とりわけ強い関心を抱きました。 色々と歴史書を読んでいく内に、頼朝と鎌倉幕府三代目執権北条泰時の晩年に関しての記述が、鎌倉幕府としての公式な史書である吾妻鏡に見当たらないことも知りました。もともと記述がなかったのか、紛失したのかも分からないという。鎌倉幕府にとっての二大英雄の晩年の記述がなされないと言うことはないでしょうが、時の権力者である北条氏からして都合の悪いことは残せなかったのだろうかなどと邪推してしまいます。 ただ、自分が頼朝に特に感情移入しやすいのは、平治の乱で破れ、伊豆に流されてから、以仁王の令旨に呼応して挙兵し、石橋山で大敗しつつも、味方を増やし鎌倉入りするところまでな気がします。 12歳程度で、初陣を飾り、戦に敗れ、父や兄とはぐれ、捕らわれてから、処刑にされそうになるところを、救われる。今で言うと、中学生位の年齢で殺されるという死の恐怖を感じるというのがどれほどのことか想像できません。更に、伊豆に流罪となって、毎日念仏を唱えながら過ごしていたといわれますが、毎日毎日、20年もの間、いつ殺されるかもしれないという恐怖の中で生きていたのでは無いかと思うと、相当なストレスを受け続けていたでしょう。免疫に関与するようなNK細胞などが相当増えていたのではないだろうかと考えてしまいます。北条政子と恋愛結婚していますが、これも北条氏を味方とする生き残り戦術の一環であったのかもしれない。この辺の真意は、本人達以外は真相は分からないのが、歴史のある意味の面白さになります。ここまで来ると、史書には出てこない、小説の領域になるでしょう。 また、頼朝の同母弟に希義がいます。土佐冠者と呼ばれた、土佐に流罪となっていた人物です。頼朝の挙兵に呼応しようとしていたところで、殺されてしまいました。もし生きていたら、範頼や義経以上に弟として優遇されたのか?どれほどの能力の人物であったのか?どんなポジションについたのだろうかなどと想像してしまいます。 鎌倉の頼朝公の墓の隣にひっそりと墓標があります。名前の「希」が自分の名前にもあるため、ほとんど歴史的な記録もないながら、何かしらシンパシーをかんじるのです。 年に二回程度鎌倉に行きますが、頼朝公の墓と希義公の墓標は、常に詣でるスポットです。 ところで、歴史は好きですが、大河ドラマやハリウッドの歴史物はあまり見ることはありません。何か違和感を感じるからです。それが何なのか分かりませんでしたが、最近その違和感の理由が漠然としつつも、理解するようになってきました。一番大きいのは、今風の脚色をしていること、現代の価値観で歴史を捉えていることのような気がします。 確かに歴史を語るのは後世の人たちではありますので、常に当時の価値観や考え方で歴史を語ると言うことはなかったでしょう。ただ、現代文明というのは、人間の考え方を大きく変えてきた部分があります。とりわけ日本は西欧文明の受け入れ以降、日本的な思想や価値観を大きく変えてきたように思います。 今の価値観で歴史を断じることに、何か違和感や不快感を感じてしまうのです。その時代その時代の人間達は、その当時の流儀に乗っ取り、行動していたでしょうから、その当時の思想や流儀を認識して、歴史を見つめる必要があるのでは無いかと思うのです。 |
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2025年5月18日(日) |
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山を歩きながら |
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投稿:長野 央希 |
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先日、八海山に登りました。半年以上ぶりの登山と言うことも有り、山頂まで行くつもりもなく、どこまで登り切るという目的もない、気ままな山行でした。八海山尊神社の登り口から登っていきましたが、このコースは登りだしてすぐのところから中々な急坂で、直角に近いようなハシゴを登らなければならないような所も有り、久しぶりの山登りで、体を慣らす意味でも、かなり楽しめると言えましょう。 例年、雪解け間もない時期だと、登山道はぬかるんでいたり、雪の重みで倒れた倒木が登山道の行く手を遮るような局面もあるのが常でした。 今年は、思ったより道はぬかるんではいませんでしたが、雪が多かった影響もあるのか、残雪は例年より多い印象でした。日陰部分や谷間の一部は、膝下まではあるかという程度でしょうか。雪には、熊であろうかと思われる足跡が残っていました。また、雪の重みで倒れているような倒木もやや多いような気はします。案の定、相当な大木が倒れて、登山道を塞いでいました。小さい木々も雪で倒されて、根から折れている物も多々ありました。そんな倒木からも新芽が出ていたりするのを見て、自然界の生命力の強さに、感動すら覚えたものです。 山に行くと、無心になれたり、日頃は考えないような考え事が出来て、かなりリフレッシュできる気がします。今回は、縄文人や石器時代の人たちは、狩猟なんかで、山道を歩き回っていたでしょうが、そこでどんな装備を身につけていたのだろう?と考え出すと、もし裸足だとしたら、木の端や岩などで、怪我をすれば、破傷風になったりはしなかったろうか、毒蛇や毒虫に咬まれて落命しなかったろうか、ダニに刺されて、ダニ関連感染症に罹患したりする人はどれほどいたのだろうか?もしかすると、当時は生活の知恵で、そういったことから身を守るような術があったのだろうか?等と次々と疑問がわいてきました。あるいは、今のような整備された登山道など無いため、山の中でどうやって自分の位置を確認出来たのだろうか?どれほどの遭難者が出たのだろうか?現代人よりは生命力はありそうなので、遭難した場合のリカバリーのやり方はどうしていたのだろうか?と考え出すと、時間があっという間に過ぎていきます。 私は、6年前から週三回程度泳いでいますが、水泳をする前はジョギングをしていました。その頃は、久々の登山の際は、翌日信じられないような全身の筋肉痛に襲われました。しかし、水泳を始めてからは、登山の翌日でも、ほとんど筋肉痛がないのです。登山は確かに、四つん這いで歩いたり、上半身をねじりながら登ったりもするので、ジョギングでは使用しない筋肉も使っているのでしょう。水泳はあまり意識していないながらも、そういった多くの筋肉もつかっているのでしょう。水泳が全身運動であると言われる所以だと、改めて実感させられました。 そんなことを考える今日この頃です。 |
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2025年5月11日(日) |
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黄金週間中の診療体制及び業務連絡 |
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投稿:長野 央希 |
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ゴールデンウィーク中の診療形態 4/28 通常通り 4/29 休診 4/30〜5/2 通常通り 5/3〜5/5 休診 5/6 9:00〜12:30 発熱外来のみ 5/7〜 通常通り となります。なお、5/6は検査会社の休みの都合もあり、当院職員の数も少ないため、血液検査やPCR検査、点滴などは行えませんので、御了承ください(抗原検査は可能です) また、4/25,30,5/9,23,26,6/2は、医師が学校検診のため、15時半頃まで院内に不在になりますので、その間、診療をお待ちいただく可能性がありますので、ご理解いただけますと幸いです。 |
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2025年4月21日(月) |