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 東日本大震災(4)
投稿:長野 央希
3/15に起床すると、昨日同様、視聴覚室での朝のミーティングが行われます。業務連絡の中で、再び医師同士が、やり場のない怒りをぶつけあうようなシーンも見られましたが、こういう極限状態では、時に思いをぶつけあう方が、ストレスをためすぎないためにもいいのかもしれません。誰も経験したことのない極限状態で、最善の方針を打ち出すことは困難で、試行錯誤の中から、よりよい方策を見つけ出すという状況でしたから、震災発生から1週間はみんな手探りで、最良の方法を見つけ出そうとしていたといえるかもしれません。
その日は、病院の玄関前で、トリアージを行う任務を受けました。患者さんの状態を見て、重症度を判断し、重症度に応じて色分けし、それに対応する治療スペースに誘導するという役目です。
大概の方は、歩いて病院を受診されましたから、そういった方々は基本的にはトリアージの緑(軽症)となります。
そんな中で、津波で身動きが取れず、自宅にこもらざるを得なかった高齢女性が救急搬送されてきたケースもありました。足が不自由で、家から出られなくなっていたのですが、幸いに大きな問題はなさそうでしたので、ひとまず黄色のブースに行っていただきました。
最も、印象に残っているのが、3/11に被災してから、丸太のような木に乗って5日間海を漂流していた老人が、自衛隊のヘリコプターで救出され、そのまま石巻日赤に搬送されてきたケースです。自力歩行もままならず、隊員に両わきを抱えられ、何とか病院玄関においでになりました。全身ヘドロのようなものがこびりつき、海特有の匂いが強烈に印象に残っています。3月の海上ということで、非常に寒い中、よく生存できたと思えるほどの状態でした。低体温もあり、トリアージ赤のブースにお連れしました。海水を飲んでいたりということもあって、肺炎が合併していく可能性が高いことが予想されました。
その他では、玄関前で、亡くなったと思われていた石巻日赤の看護師が、無事であることを伝えに来院する場面もあり、また患者さん同士で、無事に再会できたことで、泣きながら抱き合っているような光景も目にしました。
中には、その日が抗がん剤の点滴の日で来院した方や、内視鏡検査の予定なので来院したという方もおられましたが、当然のごとく、この混乱状態で、予定治療や予定検査は出来ません。これを受けて、抗がん剤治療をされている方は、自分のがんが悪化していってしまうのではという恐怖を吐露されていました。確かに、未曽有の被災を被った地域で、安定して抗がん剤が供給されるようになるまで、あるいは病院として日常診療に戻るまでにどれほどの期間を要するのか、全く未知数であるため、上記のような不安を抱く人も少なくなかったと思われます。

この日は、気温も低く、30分程度でも屋外で働いていると、寒さが堪えるような気候でした。このような中で、生き延びた多くの被災者の方々に、敬意を表さずにはいられません。
昼過ぎまで、トリアージの仕事をしてから、夕方前に石巻を去り、埼玉への帰路につきました。その当時働いていた日赤で、私たちは第二班でしたが、既に第三班が被災地に向かっており、そういった兼ね合いで、任務終了となりました。


2026年3月10日(火)

 東日本大震災(3)
投稿:長野 央希
巡回している避難所には、何人か妊婦さんもおられました。一人は、「おなかのはり」を強く自覚しておりました、幸い、私の医療班では看護師の一人が助産師であり、その方と相談し、切迫流産の危険もあると判断されましたので、巡回地から石巻日赤の本部に戻った際に、この妊婦さんの件を相談し、救急車を用意して、福島の病院に入院させてもらうことが出来ました。
あのような不幸な出来事の直後に生を授かるということは、とても感慨深いもので、何とか無事に生まれて、そして力強く成長してほしいと願わずにはいられませんでした。
その他、避難所では、診療の他に、避難している人たちの話をよく聞くのも一つの仕事でした。最も、印象に残っているのは、中年から初老にさしかかった男性の話です。その方は、津波の中奥さんとともに逃げていたそうですが、途中で大きな波にのまれ、目の前で奥さんが流されてしまったということでした。ここでは記載を控えるほど、目を覆いたくなるような光景であったということを涙ながらに話しておられました。目の前で肉親や愛する人が津波にのまれるのを目のあたりにしつつ、全く何もしてあげられないという無力感にうちのめされるという信じがたい事故に見舞われた辛さというものは想像を絶するとしか言いようがありません。こういった被災者の方々が、少しでも思いを口に出すことで、苦悩を和らげてあげることも救護の役目なのだと強く思いました。
その日は、石巻日赤からの要請で、埼玉から血液透析の回路の備品や蒸留水と、その他、不足しがちなおむつを持参し、病院にお渡しする仕事もありました。確か地下に薬局や備品庫があった印象があるのですが、そこで各備品をお渡ししました。この際に地下の広間のようなスペースが目に付きましたが、この広間では、シートにくるまれた御遺体が多数安置されていました。当時8年近く医者として働いてきましたから、望まなくても人の死と少なからず関わってきましたが、これほどの光景は後にも先にも目のあたりにすることはありませんでした。
被災者の方々や、石巻日赤の職員の方々に比べれば、自分等の疲労は、取るに足りないものであるとは思われますが、それでも、巡回から17時過ぎに戻ると、とても疲れていました。食事もままならないであろうと覚悟しておりましたが、幸いに避難所では炊き出しのおにぎりや桜餅を御馳走になりましたし、夜は病院内で、備蓄しているカップラーメンと干し芋をいただくことが出来ました。この時、カレー味のカップヌードルを食べましたが、寒いところから戻っているところでの、温かいカップヌードルというだけで十分心が満たされましたし、麺は完全に伸びていましたが、恐らく自分の人生で一番おいしいカップラーメンでありました。涙が出てきました。私の苦労など取るに足りないとはいえ、これが命の味なのかもしれないと思いました。
その日は、ミーティングを行った視聴覚室の部屋の角のところで、台車をたためば眠れるスペースがあったため、台車を片して、そこで眠りました。頭の上には大きなスピーカーがあり、余震の揺れのたびにスピーカーも揺れているのが見えました。これが落ちて来たら、生きてはいられないだろうと思いつつも、仮に落ちてきたら、即死であって、苦しむこともないだろうと、妙に腹が座っていました。それくらい疲れていたのもあるかもしれません。

2026年3月10日(火)

 東日本大震災(2)
投稿:長野 央希
眠れたか眠れないかよく分からないような一晩を過ごすと、朝のミーティングのために視聴覚室と思われる大広間に集合いたしました。全国からきている日赤の救護班に加えて、DMATのメンバーもおり、本日の業務などの確認を行いました。この3/14でDMATは撤収するということでしたから、その日からは災害医療の現場は基本的に日赤の医療チームが主体になって診療にあたることになります。
朝のミーティングは、単なる業務連絡かと思いきや、石巻日赤の医師陣は、疲労のピークということもあってか、すんなりとした業務連絡に終わらず、災害医療チームのリーダーの医師に対して、公然と怒りをぶつけたり、文句を言うようなシーンも見られ、かなりピリピリしたムードに包まれていました。何とかその場もおさまると、具体的にどの医療班がどこに行くか等の振り分けが行われ、私たちの医療班は桃生地区の避難所を巡回する任務を受けました。三か所ほどの学校や公民館を巡回診療いたしました。前日までは津波で市街地も完全に浸水して、避難所までボートで行かなくてはならなかったという話でしたが、3/14は水もはけている部分も増えて、車移動が可能となっておりました。この桃生地区はやや山間の地域であったと記憶しておりますが、その分津波の被害をさほど感じなかった印象があります。小学校の体育館などが避難者の生活空間となっており、多くの人たちが段ボールなどで区画を分けつつ、家族同士身を寄せ合っているというような状況でした。
三か所ほど巡回し、概ね70人程度の患者さんの診療にあたりましたが、最も印象に残っているのが、津波の中何とか裸足に近い状態で逃げ延びてきた女子高生の方です。裸足で水の中を歩いてきたため、ガラスか何かで足を切っていました。傷自体はさほど重症なものではないのですが、震災の影響で上下水道とも機能しなくなっていましたので、当然水道も出ず、傷口を洗浄することも十分できないという状態で、持参している生食や蒸留水で、何とか毎日傷を洗浄するという処置が繰り返されました。傷をあまり清潔でない状態で縫合すれば、確実に感染を起こしてしまうため、傷の縫合は行わず開放したまま、洗浄し、抗生剤の内服のみを行っていただいておりました。この子の場合は傷の治療もさることながら、精神的なストレスで、発語が出来なくなっているということの方がより深刻であろうと考えられました。3/14時点では、この子の家族の安否すら確認できていない状態で、この年齢では考えられないような大きな心的ストレスを背負っていると言えます。
この事例は、もしかしたら、この東日本大震災のけがの典型的なものの一つと言えるかもしれません。災害の被災者の方は、津波を逃げ延びることのできた人は、概ね外傷は重症ではないこと、肉体的なダメージよりも精神的なダメージの方が大きいかもしれないこと。
その他では、着の身着のままで逃げてきたため、常時服用しなくてはならない薬が欲しいという患者さんが多数おられました。勿論、薬手帳などすべて紛失しているため、何の薬を服用しているかすら分からない状態でしたから、処方も非常に悩まされました。高血圧と高脂血症で薬を飲んでいますと言われれば、曲りなりの処方が出来ますが、御高齢の方によっては、自分が何の病気で治療しているかすら分かっていないケースがあり、どう処方すべきなのか途方に暮れそうなケースもありました。また、糖尿病でインスリンを自己注射していましたという方も複数おり、避難所で食生活も不安定になり、結果的に低血糖のリスクも高くなる懸念があることから、(低血糖よりは高血糖の方が、すぐに命にかかわることがないことも踏まえ)低血糖の起きにくい内服薬を処方して、何とか対応したのも強く記憶に残っています。
更に、何らかの疾患でワーファリンを内服している方への投薬も非常に悩みました。そもそも、ワーファリンを何mg内服しているかもわからない中、本来であれば、PT−INRという値を測定して、ワーファリンの分量を決めるところが、当然、そういった検査は全くできなくなっている状態でしたし、不規則な食事やストレスでワーファリンをいつもと同僚飲んだとしても、過剰に効きすぎてしまう危険もあり、バイアスピリンなどの薬剤でお茶を濁すしかない例もありました。

2026年3月10日(火)

 東日本大震災(1)
投稿:長野 央希
東日本大震災から、ちょうど10年が経ちました。
この十年が速いと思う人もいれば、塗炭の苦しみで、あまりにも長いと感じた人もいるかもしれません。どのような10年だったかは、人によって異なりますが、復興に関わることや原発の問題など密度の濃い問題提起のなされた年月でした。
私は3/13〜15まで日赤の救護班として、宮城県石巻に行っておりましたので、その時のことを書いておきたいと思います。
個人的な話ですが、さかのぼって中越地震や中越沖地震の際に、私は都内の病院で働いておりました。特に中越地震の時には、関越道が大きく破損し、しばらく新潟に帰ることもままならず、震災で苦労している同胞のために、何一つ役に立てなかったことが、とにかく悔やまれ、何だか地元の人を裏切ったような罪悪感を抱き続けていました。そんなこともあり、東北で震災が起きた時には、その罪滅ぼしのような感情も入り混じって、救護班に志願いたしました。
2011年当時、私は埼玉県内の日赤病院で働いておりましたので、3/13に北埼玉から東北道を通って、仙台に向かいました。震災直後は、東北自動車道は車両通行止めとなっていたため、自衛隊車両と日赤車両の他は車が走っていない状況でした。そして、白河インターを過ぎたあたりから、高速の路面が陥没していたり、段差が出来ていたりと地震の爪痕を色濃く感じられるようになり、とても高速で運転できる状態ではなくなっていきました。何とか、仙台まで来たは良いものの、市街地は軒並み停電して、信号は完全に機能していませんでした。そして、宮城県庁に到着し、そこで到着報告と、任務の指示を仰ぎましたが、県庁の庁舎内は入り口を入ると、エントランスに所狭しと、布団やござを敷いて寝ている避難してきた人たちの光景が広がっておりました。階段の裏にも疲れ切って寝ている人がおり、本当にここが日本なのかと、目を疑うような状況です。県庁の会議室のような部屋が、対策本部となっており、そこでは県庁の職員や自衛隊員などが忙しそうに働いておりました。対策本部で石巻日赤に行くように指示を受けて、その足で石巻に向けて移動しましたが、高速もさることながら、下道も、段差ができていたり、倒壊した壁や塀で道路が遮断されていたりという極めて運転が大変であったと思いますが、日赤の職員の方々には無事に運転していただいて、改めて感謝いたします。話によると前日までは一面が水没していたということでしたので、それに比べると、車が走れただけ、水がはけてきていたということなのだと思われます。
14時に埼玉を出発し、石巻日赤に到着したのは、深夜の1時を過ぎていたと記憶しております。病院内も、エントランスからして避難してきた人たちが一面寝ています。病院の床は、水害の痕を示すように砂まみれでした。二階には、医局や視聴覚室がありましたが、その階段のところまで避難している人の寝床となっていました。二階は二階で、病院の職員や救護班が所狭しと、休息をとっており、廊下や図書室等、スペースがあれば、そこでスタッフが休んでいるという状況でした。
私たちの救護班では二名の看護師がおりましたが、到着するや、看護師は看護の手伝い要請を受けて、休息する間もなく手伝いに回っていきました。私や事務方は、ひとまず休息をとることが出来ましたが、当然寝るスペースなどほとんどなく、やむを得ず、院長室の前の廊下に布団を敷いたり、寝袋にくるまったりして、就寝しました。院長や副院長もみな泊まり込んでおられ、トイレなどに行く際に、我々のような廊下で寝ているものを踏まないように、気をつけて歩かれていました。

2026年3月11日(火)

 3月11日
投稿:長野 央希
今年も3/11を迎えます。
東日本大震災から、はや15年が経ちます。
あの当時のことは色々と思い出します。当時埼玉にいたので、そこで、ガソリンスタンドが大行列をなしたり、スーパーやコンビニで陳列棚に物がなくなっていたこと。2回にわたり、宮城と岩手に災害支援に行ったときのこと。思い出すのですが、その鮮烈さは、徐々に薄まってきているのは事実です。

大きな災害の記憶というのは当事者からすれば、思い出したくない記憶でも有り、思い出したくなくても、強く記憶に残ってしまうものでもあると思います。

新潟では2004年に中越地震、2007年に中越沖地震が発生し、甚大な被害に見舞われました。その2回の震災の際に、私は都内で働いておりました。
2004年の時は、自分は医者になってT年目でした。私の同級生も多くが長岡で働いておりました。被災者の方々や、その地で働く医療者の艱難辛苦を思うにつけ、都内で何も出来ずにいた自分の無力さに自己嫌悪と、焦燥感を感じていました。関越自動車道は大破し、ストップしている。新幹線も止まっている状況で、しかも、T年目の研修医が何が出来ただろうという意見もありますが、それでも、現地に行けなかった自分を、私は、今に至るまで許せないでいます。同胞を見捨てたという罪悪感と最善を尽くさなかった無力感が未だに心のしこりとして残っています。震災は、現地にいなくても、心の傷として残るのだと強く感じています。
研修医時代の、その思いが、私のその後の医師の使命を規定しているようにも思えます。
災害があれば、現地の人の役に立たねばならないという義務感や、災害医療をすることで、少しでも自分への罪悪感が払拭できるのだろうかという思い。
災害支援に行ったところで、結局は自分の無力さを思い知らされ、全く罪悪感は晴れず、自己肯定するだけの自信ももてませんでしたが。
贖罪のために、困っている人を助けなければと言う強迫観念のような思いは今でも持ち続けています。恐らく、そういった潜在的意識が、COVID-19のパンデミック時に、発熱外来をやり続けたことにつながっているのだろうと思われます。

いずれにしろ、時間が経過し、震災の記憶が薄れていく中で、決して忘れてはいけないことがあります。日本は今後も、様々な自然災害を経験するでしょうが、それに対する備えをしていく必要がありますし、その為にはかつての災害の経験を活かしていかねばならないのだと思います。

少しでも、その記憶の保全のために資することを期待して、5年前に記載した東日本大震災の記述を再度アップしておきたいと思います。

2026年3月10日(火)

 皇国の興廃
投稿:長野 央希
米国とイスラエルによるイラン攻撃が行われ、ハメネイ師が殺害されたとのことです。今年に入り、ベネズエラに続いて、イランを攻撃したということで、米国の動きが喧しくなっております。
ある国の政権や体制により、国民の自由が奪われている窮状を打破するというのが表向きの攻撃理由なのかもしれませんし、動画でイラン国民が今回の攻撃によって体制が変わるのではという期待感で、喜びの集会を開いているようなシーンが映し出されておりました。一方で、トルコに避難する人たちがいたりと、実際のイラン国内でのイラン国民の正直な感想がどうなのか気になるところではあります。
ただ、これまで、米国が自由のために圧制者を殺害した事例は、記憶に新しいだけでもフセインのイラク、カダフィーのリビアが思い出されますが、いずれの国も、今に至るも、果たして国家の態をなしいるのか疑問に思うほどの荒廃ぶりである以上、今後のベネズエラとイランの成り行きにも注視していく必要があります。そもそも、トランプ大統領はイランへのさらなる大規模な軍事行動を企図しているようですから、喜びの集会の参加者の中でも、命を落とす人たちが出てくる恐れがあります。イランがホルムズ海峡を封鎖し、報復を継続すれば、戦闘も長期化していくでしょう。イランの国力から、どれほど、米国、イスラエルと渡り合えるのか、そこにロシアがどう関与していくのか、注目していく必要があります。ロシアが介入するような事態になれば、戦線は拡大していくこととなり、場合によっては第三次世界大戦のような世界規模の戦争に発展しないとも言い切れないでしょう。ウクライナとの戦争が長期化している中でロシアの余力がどれほどあるのかにかかっています。空爆などの攻撃はそう時間はかからずに終了し、制空権を得たとして、地上部隊を派遣した場合、そこから長期化していく可能性が高いように思えます。米国も軍費は無尽蔵にあるわけではなく、イラン国民がどこまで米国に融和的であるかによっては、ベトナム戦争の二の舞になる可能性も否定できない。米国の同盟国である、サウジなどのスンニ派諸国がシーア派のイランを敵視しているのはありましょうが、彼らの足並みがどこまでそろっていられるのか。イスラーム諸国がイスラエルとどこまで友好的でいられえるのか?注目すべき点は多々あります。
戦争が長期化した場合に、イラン国内で、新たな革命が起きるのかどうか?
米国が支援したパフラヴィ朝を倒し、ホメイニ師によるイスラーム革命政権が誕生して以降、新たに革命が起きた場合に再度国民がどのような選択を取るのか。

そもそも、米国の企図が、圧制者からの解放なはずがありません。
彼等の狙いは、ベネズエラとイランという中国への重要な石油供給国をたたくことで、中国への圧力を強めることと言われています。また、イランをたたき、中東への軍事展開を軽減することで、インド太平洋地域に兵力を集中させるという意図もあるようではあります。要は、対中政策を強化し、覇権争いに決着をつけたいということなのでしょう。
しかも、そこにはトランプの次回の選挙戦への点数稼ぎや、歴史に偉大な名前として名を残したいという強い欲求が働いているのは間違いないでしょう。彼のような自己愛の塊のような人間ですから、米国を強くするというのは、あくまでも自分の評価を高める材料にしか過ぎないと思えます。
米国の野望の為、利害関係が一致したイスラエルをけしかけ、イラン攻撃のために軍事基地の使用を拒否したスペインへの貿易停止などの制裁を加える姿勢を見るにつけ、激しい不快感と怒りを覚えます。
元々、米国は政治外交軍事において、偽善的な仮面をかぶっていましたが、その仮面すら脱ぎ捨てたと言えます。
自分の野望の為には同盟国を都合よい駒としてしか見ていないのがよくわかります。日本も、そんな米国の重要な同盟国なのです。
残念ながら、今の日本の国力では、日米安保条約を破棄するようなことが到底できません。今のトランプ政権が続く場合、いつ何時、同盟国の日本にも軍事活動強要してくるかわかったものではありません。
トランプという人物に、新しい秩序をもたらす救世主を期待している人がいるのかもしれませんが、いい加減に目を覚ますべきです。彼は、このままいけば、小規模なヒトラーのようになりかねないのです。

日本としては、日米同盟を維持するほかの選択肢がないとはいえ、米国への依存度を段階的かつ、あまり気づかれないように減らしていく必要がありましょう。自分の国は自分で守れるようにする。そのためには、憲法改正などを着実に進めていき、来るべき将来に備えないといけません。(そういう意味では大国同士がつぶしあって、国力を疲弊させてくれるのは、日本にとっては好都合ではありますが)
第二次世界大戦の敗戦で、戦勝国から、徹底的に牙を抜かれ、腑抜けのようにされ、米国の愛玩動物のような国にされたのが現在の日本です。
日本が本当の意味で一人立ちできたとき、はじめてヤルタ協定、サンフランシスコ講和条約から始まる戦後体制から卒業できたと言えるのだと思います。
今、本当に日本人は米国依存からの脱却を図らないと、将来日本はより情けない国になってしまうでしょう。
皇国の興廃はこの一戦にありという、切迫した世界情勢となっているのだと思っています。



2026年3月5日(木)

 岡本綺堂を読んで考えたこと
投稿:長野 央希
ここ3年ほど、全くと言っていいほどTVを見なくなり、現在どんなドラマやバラエティが放映され、流行しているのか、まるで把握しなくなっております。しかし、蔦屋に行き、店頭に並んでいる本や広告を見れば、流石に今現在、NHKで小泉八雲を扱ったドラマをやっているのだろうとは推測できます。
小泉八雲の作品は、日本の伝承を見事に文学作品に昇華させていると思います。その悲哀や美しさは、時に胸苦しくすら感じさせられます。
私個人としては、八雲より少し若い岡本綺堂の怪談噺のほうが、大衆的な感じで気楽に読めて、好きです。
岡持綺堂は、半七捕者帳で有名ではありますが、そのほかの作品を扱った本が、あまり店頭に並んでおらず、書店で見かけると、つい購入してしまいます。
私が、初めて綺堂の作品を読んだのは、小学生の時だったかと思います。風邪で寝込んでいるときに、綺堂の『西瓜』という作品を読んだ時の鮮烈な印象は忘れられません。特に体調不良な時の怖い話は、よりインパクトがある気はしますが、静岡の晩夏の静かな情景とスイカが生首に代わるというような衝撃的な内容が、子供心に不思議な感覚として頭の中で映像化されました。

最近、綺堂の本を購入して、読んでいましたが、彼の作品にはしばしば「ぶらぶら病」「神経衰弱」という単語が出てきます。
ぶらぶら病というのは、調べてみると原爆関連の疾患として取り上げられていますが、原爆関連以外だと、あまり判然としません。明治大正では、恐らく結核療養中という意味なのだろうと思って読んできましたが、どうも適応障害やうつ状態なども取り込んでいるような内容の時もあり、やはりぶらぶら病の正体がつかめずにいます。神経衰弱という言葉も最近はあまり使用されなくなっておりますが、精神科のDSMで行けば、今でいう「鑑別不能型身体表現性障害」に該当するようです。しかし、明治のころ、夏目漱石が神経衰弱と言われておりましたが、彼はロンドン留学中には被害妄想や幻覚妄想がみられていた点で、身体表現性障害というよりはより統合失調症に近いような病態(妄想性障害など)があったのではないかと思わせる面もあり、神経衰弱自体が相当複雑な病理を包括しているのだろうと思われます。
綺堂と漱石はほぼ同世代ですが、この時代「神経衰弱」というものが脚光を浴びていたのかもしれません。
江戸から明治に替わり、西洋文明を積極的に受け入れ、日本的従来の価値観が大きく転換期を迎えていた時代でした。加えて、それまで厳格な身分制のもと、職業選択の自由もない状況から、自分の生き方を選択する自由が少しづつ広がっていきつつある時代であったともいえます。
こういった劇的な社会の変化が、個人個人にも影響をしていたのだろうかと思いめぐらさないわけにはいきません。
自分の人生を選択できる自由は、一方で、自分で生きていくことへの責任の度合いが増すということでもあります。他人への依存の傾向が強い人からすると、その責任の重さが脅威として感じられるのかもしれません。自分で人生を切り開きたい人がいる一方で、周囲で自分の人生のレールを形作ってもらい、そこをすすんでいきたいという性格の人もいるのです。これはどちらが優越という問題ではなく、個性や養育環境によるものなのだと思うのです。自分で人生を切り開きたい人からすれば、江戸時代以前のがちがちの身分制度の時代は、大変生きにくかったのだろうと推察されますが、決められたレールをすすみたい人からすれば、そのがちがちの社会制度のほうが、安心できていたのかもしれません。
現代は、更にそういった自由度が増しているとも言えます。若者はひとたび就職すれば、そこで働き続けなければならないという昭和の意識から解き放たれ、容易に仕事を変えることもできる時代になっています。自由が増すことは、実は潜在的にとても怖いことなのかもしれないと、最近思います。
特に、子供時代に親や教師に生き方を誘導されてきて、あまり自己決断をしないで育った人たちからすれば、社会に出て、色々選択の自由があるということは、自由という大海原に突然放り出されて、生き抜けと言われているようなものですから、それは恐怖以外の何物でもないかもしれません。

選択に自由が増している時代においては、その準備のためにも、子供の時代から、徐々にでいいので、自分の判断で決断していく、そして時にはその責任を負うという習慣をつけていく必要があるのかもしれないと思っています。
私は、高校で実家を出たため、嫌が負うにもにも、自分で決めないといけない状況に直面させられましたが、これは非常に良かったと今更ながらに思えています。

現代人における様々な精神的な問題の改善を図る一つの手段として、子供のころから自立心をどう育めるかを考えていくことが重要なのではないでしょうか?


2026年2月26日(木)

 今、広島東洋カープに思うこと
投稿:長野 央希
昨日、広島東洋カープの羽月選手が保釈されたという報道を見ました。
ゾンビたばこを使用していたと言うことで逮捕されておりました。
ゾンビたばこという物を聞いた事も無かったため、調べてみました。
そもそも、その主成分たるエトミデートという物すら、お恥ずかしい話で、知らなかったのですが、米国などでは、全身麻酔や鎮静の導入に使用されているのですが、現段階では日本においては未承認であります。
作用発現が速く、他剤よりも血圧低下や呼吸抑制を起こしにくいというメリットがあるようです。頭蓋内圧を下げながら、正常な動脈圧を維持できると言うことで、外傷性の頭部外傷などが良い適応になる模様です。一方で、副腎皮質ホルモン生合成阻害作用があるという興味深い特性があります。この点は、麻酔以外の領域でも、何かしらの利用価値が広がる可能性がるのかもしれません。
一方で、ゾンビたばこという物は、中国、香港、シンガポールで作られる際は、このエトミデートにケタミン、カンナビノイド・オピオイド系成分を配合して、電子たばことして売り出されているようです。
エトミデートが悪というよりは、不純カンナビノイドが配合されていれば、そちらの方が有害になるのではと思われます。
いずれにしろ、日本においては不法薬物であることに変わりはありません。羽月選手も、そんな大それた物ではないという安易な気持ちで始めてしまったのかもしれません。いわゆる覚醒剤や麻薬よりもマイルドな物であるかのように若者に近づいて、その人をむしばんでいく。子供を、これらの違法薬剤から守る必要があると共に、大人は自制心を持って、自分を守る自覚が必要でしょう。
羽月選手は、その意味でも極めて脇が甘かったと糾弾されて然るべきであるのは間違いないです。ただ、今回の過ちで、人生全てを棒に振らせることがないことを願います。
今後、球団がどのような判断を下すのかは分かりません。解雇などもあり得るのかもしれません。
しかし、高校卒業で、すぐにプロの世界に入ってきた若者を考えた場合、まず彼らはその人生をほぼ野球に捧げて、一般常識を学ぶ間も惜しんで野球にいそしンできたと言えます。しかも、子供時代は野球の才能が非常に高いため、周囲からちやほやされて育った可能性もあり、なお、常識から外れてしまいがちな環境で生きてきたのかもしれません。そういったいわゆる「野球バカ」とも言える若者に常識を身につけさせるべき責任を負うのは球団であると思うのです。
最大の非は当然、羽月選手にあるのですが、球団も彼らを常識的な成人に鍛えられなかった責任があるのでは無いかと思います。
ですので、羽月選手を単純に解雇、放擲するのはいかがな物かと思います。
野球選手を続けさせないとしても、少なくとも薬物依存から脱却できるような医療的カリキュラムや社会復帰への道筋をつけられるサポートはしっかりしてあげてほしいと願います。これは、羽月選手のためだけの問題ではないのです。他の若手も、過ちを犯した場合に、球団が厳しい措置を執りつつも、サポートもしっかりしてもらえると信じられれば、チームのために体をはって頑張ろうというチームへの忠誠心が強化される結果につながると思うのです。
今回のカープ球団の対応が、選手達のモチベーションを大きく左右する可能性があると思います。
くれぐれも下手を打たないでほしい。

昨年動画で流れていた、カープと巨人の選手達の国歌斉唱の時の姿勢の差が注目されたことがありました。個人的に国歌斉唱や国旗の掲揚に、敬意を示せない時点で、国民として恥じ入るべきだと思うのですが、
巨人の選手達が、整然と整列して、国歌を斉唱もしくは静かに聞いているのに対して、広島の選手達はかなりぐだぐだな状況でした。この締まりのなさが一事が万事のようになっているような気がするのです。締めるところも締められないチームの雰囲気は、勝負の弱さにも直結し、プライベートもだらしなくさせてしまう様に思えてなりません。
チームが勝てないのも、今回の不祥事が起きたのも根は同じだと思えます。

このようなだらしないチーム状況では、残念ながら優勝に値するとは到底言えません。
まずは、その気持ちの緩みを本気で修正してほしい。
今年は、優勝云々ではなく、まずは広島が引き締まったチームに脱皮することを切望します。


2026年2月20日(金)

 最近の話題
投稿:長野 央希
1月下旬ころに、B型インフルエンザも、少し下火になってきたかとおもっておりましたところ、ここにきて、再度のB型インフルエンザ流行がみられております。むしろ、この時期は冬場のCOVID-19の流行期に入ることが想定されておりましたが、今のところ、COVID-19感染者数は微増している程度にとどまっております。やや想定外の感は否めません。
また、このシーズンに限ったことなのか不明ですが、インフルエンザB型は、A型やCOVID-19に比して、偽陰性の確立がやや高いように思われます(個人的な感想です)
実際に、他院で抗原陰性で、当院にてPCRを行うと陽性であるケースや、当院で抗原陰性で、マイコプラズマなど疑ってPCRを行うと、結局B型インフルエンザというケースがしばしば見受けられるのです。
また、昨年の冬場以降、比較的若い世代のマイコプラズマも例年よりは多い印象を受けます。高熱(一過性の場合と持続性の場合とある)と持続する咳嗽の場合はマイコプラズマも疑う必要がありましょう。今年のインフルエンザB型においては結構咳が激しく、かつ長引く傾向があるため、マイコプラズマとの鑑別も悩ましい部分があります。昨年秋くらいまでは、百日咳も多かった印象がありますが、ここにきて百日咳の方は激減しております。一方で、大人でもRSウイルスやヒトメタニューもウイルス、エンテロウイルス系の感染者数もしばしば見受けられます。これらのウイルスも案外高熱が出たりします。
本来であれば、風邪の患者さんにすべてPCR検査を行えば、よりどういった種類のウイルス感染が起きているのか詳細がわかるのでしょうが、現実的には不可能なのが残念です。
更に、ここ1、2年は若者の、帯状疱疹やヘルペス咽頭炎も度々見かけます。
後者に関しては持続する高熱と強い咽頭痛で、診てみると、咽頭に小水疱や小潰瘍が多発していて、診断につながるケースが複数人おられました。
加えて、ここにきて医師会から新潟市で麻疹の発生の報告がありました。
長引く高熱と途中から生じてくる発疹、コプリック斑で麻疹を疑い検査を進めていくことになるのは教科書的には分かっているのですが、現実では、恐らく4,50代以下の年齢層の医師で、今の日本で実際に麻疹の診療にあたったことのあるものは相当少ないと思われます。滅多に患者さんがいないため、発生して際にニュースになるくらいですから。私も、実地で麻疹患者さんを診療したことがないのが正直なところです。教科書で知っているのと、実際に診療したことがあるのとでは、大きな隔たりがあるのは言うまでもありません。私も、発熱外来を行っている以上、麻疹の可能性も含めて、気を引き締めて診療にあたる必要があると改めて考えております。
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私は休日の朝や仕事終わりに、医院の近所を散歩するのですが、その散歩コースに野菜の無人販売所があり、野菜があれば、最低でも週一回以上はそこで野菜を買っていました。新鮮さもあり、大変美味しいのです。特に自分がすきなのは、龍のひげと大根ですが、芋系もすべて美味しい。
その無人販売所はキティちゃんの貯金箱や柴犬の置物があったり、面白川柳なども貼ってあったりで、ほっこりする空間なのでしたが、先週放火されるという事件がありました。犯人はすでに逮捕されていますが、当事者でもない自分がこれほど腹を立てているのですから、当事者の方々の怒りや悲しみはいかばかりか想像もできません。放火というのは、ある人の財産も消失させるとともに、その思い出やいろいろな思い入れなども破壊する蛮行なのだと強く思いました。
犯人の方は、とにかくしっかり罪を償っていただきたいし、一日も早くこの無人販売所が復旧して、おいしい野菜が再度買えるようになってほしいと強く願います。


2026年2月19日(木)

 近代民主主義を考える
投稿:長野 央希
2/8に衆院選挙が行われ、自民党の歴史的な大勝で幕を閉じました。
立憲民主党が公明と連合したというのが大きな話題になったりはしました。

高市首相の掲げる政策が、視覚的にわかりやすく、かつ実現可能性が最も高そうであったことも勝因の一つになろうと思われます。
一方で、野党は実現可能性をあまり考慮していない理想論をぶち上げ、机上の空論のような主張を繰り返しているように見えることも敗因の一つなような気がしました。加えて、野党の一部の演説は、自分たちの政策を訴えるというよりは、他党を非難、貶めることに主眼が置かれているように感じさせたことも、聴衆に不快感を与えたのかもしれません。
立民と公明との連合というのは、両者のイデオロギーや政策に大きな隔たりがあるように見えるのにもかかわらず、合併するということ自体、政策よりも選挙戦の勝利を優先させているようにしか見えないことが、民衆の不信感を増大させたと思わざるを得ません。

私が選挙権を有するようなって、30年近く経ちました。極力、選挙にはいくようにしております。この数十年の各政党の選挙戦や主義主張を見てきましたが、あまり政策論争というものがなされていないように見受けられます。最近は、特に自分たちの政策を訴えるよりも相手の荒探しをして、非難しあうということが目立つようになっている気がします。要するに建設的な議論よりも、相手を貶めて、票を奪うことに主眼が置かれているように見えてしまうのです。
これは、日本に限った話ではなく、米国の大統領選挙を見ても明らかです。

日本においての民主主義は、明治政府主導で導入されていきました。議会制民主主義や選挙を取り入れた際に、プロイセンを参考にしていましたが、そもそもプロイセンは民主主義という意味ではあまり参考にすべき国ではなかったはずです。
その後、太平洋戦争に敗れて、新たに米国主導で民主主義をすすめられました。
明治も昭和も民主主義というのが、国民が血を流して勝ち取ったのではなく、政府や他国主導で行われたことは特筆すべきことのように思えます。
国民が命懸けで勝ち取った民主制でないということによって、我が国は未だに成熟した民主性を根付かせられていないのではという気もするのです。
民主主義とはいかなるものかという理解も不十分なのかもしれません。
一方で、フランスやアメリカのように、国民が血を流し、民主制を勝ち取った国で、現在民主主義が成熟しているのかというと、疑問を禁じえない面も多々あります。
殊に、米国は衆愚政治が増大してきているように感じるのは私だけでしょうか?

近代民主主義国家の誕生を見てから、高々200年強という状況で、今、民主主義は大きな転換期を迎えているのかもしれません。
民主政治が有効に機能する大前提を考えた場合、まずいろいろな考えや政策の違いを埋めるための議論が正当になされる必要があるでしょう。また、国民が政治家を選挙で選ぶ以上、国民が正しい情報のもとで、適切に政治家を選び監督する必要がありましょう。
短絡的な思考や、意見の相違を許容しない姿勢は、民主主義の機能不全につながりますし、民主的国家の腐敗をまねくことになるのではないでしょうか?

日本において、政治家は代々の政治家家系の人たちと、有名人が幅を利かせています。有名人も、それまではマスコミ関係、芸能関係などのメディアに露出の多い人が主体でしたが、今の時代はyou tubeや各種SNSで、アピールがうまい人も、その一角に参入してきております。
つまるところ、実績や思想がすぐれているというよりも、自分を本来の姿よりも大きく見せられるテクニックがある人が当選してしまう時代になりつつあるのかもしれないということです。
実際には何もできないのに、口だけは達者で、大口たたいて、話題を振りまけるペテン的要素の強い人が政治家として増えれば、国力は低下することになるでしょう。

民主政治を守るためには、国民一人一人が高い品性と知性を最大限に発揮し続ける必要があるのだと思います。我々国民が試されている時代ともいえるのではないかと思います。


2026年2月12日(木)

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