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 医療の正解とは??
投稿:長野 央希
私が北海道、埼玉で働いているときは、一般内科医として勤務しておりましたので、内科的と言われる疾患や病態であれば、何でも診なくてはなりませんでした。救命救急科というものがなかったり、あっても脆弱な体制であったということもあり、救命科に近いようなことも当たり前のようにしておりました。
その中で、特に印象深い2症例があります。
一つは、自殺を図ったのか、誤って飲んでしまったのか判然としない状況の農薬(有機リン系)中毒の患者さんでした。有機リンにより、心室細動など致死的な不整脈が夜通し出現しているような状況で、アトロピンやPAMなどの薬剤を繰り返し投与する必要がありました。この時は、意欲的な研修医が下についていたこともあり、より記憶に残っているのですが、急性期を過ぎてからも、様々な合併症を起こしながらも、何とか救命し、入院前と比較すると、かなりADLは低下しつつも、車いすで退院されていきました。
もう一つの症例は、初夏とはいえ、日中すでに30度を超えるような気候の中、車の中で意識がない状況で発見された70代の方でした。脳のCTで広範な出血性脳梗塞が認められましたが、同時に重度の熱中症の状態にもありました。一度は心肺停止にもいたり、心臓マッサージも行い、蘇生。様々な集中治療を行い、何とか救命しましたが、その後も敗血症を合併したり、DICを起こしたりと、次々に命にかかわるような合併症したため、やれる限りの治療を行い、リハビリも含めると、およそ半年かかって、車いすで退院されました。
いずれも、退院の際には、自分としての全力を尽くしての退院ということで、何か晴れやかな、ある意味誇らしい感じを抱いていました。しかし、2例目の方に関しては、ご家族から丁寧なお礼と同時に、医療費の工面のために「田畑を売った」という話をされました。
それを聞いたときに、晴れやかな気分は一気に吹き飛びました。

集中治療や敗血症などの合併症治療は、相当の高額な医療費にはなってしまいます。日本では、国民皆保険でもあり、しかも高額医療の助成などもあるため、負担は減るということもありますが、米国のように国民皆保険ではない国では、かなりの人が、断念せざるをえない可能性がある治療といえます。

若い頃の自分は、「救命すること」「長生きしてもらうこと」が正義と信じて疑わず、その正義のために全力を尽くし、邁進していました。
一例目の方が、もし自殺目的で農薬の服毒を図ったのだとしたら、救命したことは、本人からしたら不本意であったかもしれない。二例目では、救命することで、家族への甚大な負担を強いて、周囲が幸福ではなかったかもしれないと思いいたると、恐ろしい恐怖に襲われました。救命することが正義という自分の正しいと信じていることが、必ずしも正義ではないのではないかと思わされた瞬間、自分への自信の喪失や自分の立っている土台が崩れるような恐怖と不安を覚えずにはいられませんでした。

このことは、胃瘻造設などにも言えることでした。魚沼で血液内科として働くまでは、各所で、胃瘻造設にかかわってきました。内視鏡を持つ側の時もあれば、術者の時もありましたが、恐らく埼玉時代は病院で一番胃瘻造設に関与していたと思われます。あの頃は、経口摂取ができない状況(嚥下障害など)であれば、胃瘻造設を行うことが一般的な時代であったこともありましたが、その後、患者さんの意思や希望に反してまで、胃瘻造設を行うことはいかがなものかという発想の転換の時代になり、やたら目ったら胃瘻にするということを控えるようになっていきました。

救命にしろ、胃瘻にしろ、患者さんやそのご家族に自分の正しいと思う医療を押し付けていたのかもしれないと考えだしたら、医療の正解は何なのだろうと思い悩むようになりました。
結局、医学的なインフォームドコンセントを行いつつ、対話の上で、患者さんの意思を極力尊重するほかはないのだと、ある意味開き直りのような考えに至りました。
それでも、未だに医療の本当の正解というものがあるのか、あるとしたら、そういった極意をいつになったら極められるのだろうか、生きているうちにそういった境地にたどり着けるのだろうかと考えてしまいます。

私個人でいえば、病気や外傷のレベルにもよりますが、基本的に延命治療は希望しません。しかし、いざ、現実的に自分の死期がが近くなったら、もしかすると、その考えは変わるのかどうか分かりません。(おそらくは変わらないと思いますが)
それぞれの人にはそれぞれの生き方や死に様への哲学や美学があると思います。その意思を尊重しつつ、一人一人に対して個別に適した医療を模索するほかはないのだと思っています。

2026年4月16日(木)

 麗しい雑草
投稿:長野 央希
今年は3月から比較的温暖な日々が続いておりましたが、4月になり、ますます良い陽気で、いよいよ春めいてきました。暖か買った影響もあるのか、桜の開花も速いような気がしておりましたが、既に各所とも葉桜のようになってもいます。
私は、医院の比較的そばのお宅への訪問診療の際は、徒歩で伺うようにしておりますが(以前は自転車でしたが、坂のアップダウンも激しく、冬場は恐ろしい強風が吹き荒れるため、タイヤがパンクしたことを契機に自転車での訪問診療は控えるようになりました)、歩いていると、自転車や車での移動では見えない物が見えてきます。雑草です。一口に雑草と言っても、大変多様な雑草が繁茂しております。しかも、美しい花を咲かせていたリします。
薄い青紫であったり、鮮やかな紅や黄色などなど。自分が植物の種類を知らないことも有り、具体的に何という種類の植物なのか分からないのが残念ではあるのですが、往診の途中なので、あれこれ調べているわけにも行かないのです。少なくとも、花壇や畑で人為的に栽培されているという物ではなく、畑の脇や道路上、荒れ地のようなところで、咲き乱れている雑草を見ていて、あれこれ考えました。
名も無いながら、けなげに咲き誇る姿に感動すら覚えます。
肩書きは立派だけれど、中身が大したことの無い人たちが少なくない社会を見てきて、これらの雑草には、ある意味、潔さを感じるのです。
かつての自分も、功成り名を遂げたいと言う思いがありました。戦前に生まれていたら、陸軍大将になりたいと思っていたに違いない人間でしたが、雑草を見ていて、何か恥ずかしさを感じます。
そして、人間は(特に日本人は?)肩書きとか、ブランドといった物が好きで、そういった色眼鏡で物を見がちですが、雑草を見ていて、そんな思考回路も、馬鹿馬鹿しく思わされるのです。
雑草の美しい花を見て、色眼鏡で物を診ることなく、自分の五感で感じることの大切さを学ばされます。
また、人の評価等気にすることはないという開き直った気持ちにもさせられます。雑草という、一段下のものデアルカのような評価しかされなくても、美しい物は美しい。ただ、生を受けたからには生を全うするのみと言う、格好良さが、雑草にはあります。
自分も、人の評価を気にしていたときは、精神的にも滅入ることがしばしばでしたが、気にしないで、自分の思うように生きることを心がけてから、生きているのが、急に楽になった感じがします。

人間関係で悩んでいる若者も、雑草のように、他者からどう思われようと、自分が正しいと思う道を進む(人に迷惑のかからない範囲で)覚悟が出来たら、それほど人間関係に悩まなくてすむようになるかもしれません。
また、ブランドとか肩書きとか、人間の浅い知恵で作られた価値観を取っ払って、自分の感受性を磨いて、素直な目でものを見るようになると、自然も社会も、違った世界に見えてくるかもしれません。
他人から押しつけられた価値観だのに縛られていた時では、人生が味気なく思えることもしばしばでしたが、自分なりの価値観を少し筒作りながら、周囲を見渡していると、人生に彩りが生まれるような気がするのです。

そんなことを考えながら、連日訪問診療をしております。

2026年4月13日(月)

 複雑な思い
投稿:長野 央希
先週、W杯欧州予選プレーオフが行われました。個人的にはデンマーク好きなので、デンマーク敗退はショックでした。しかし、一般的に見ると、イタリアがボスニア・ヘルツェゴビナに敗れ、予選敗退に終わったことの方がショッキングであった物と思われます。これで、イタリアは三大会連続の予選敗退ということになりますが、1990年代から2000年代初頭のイタリアを知るだけに、言葉にならない思いがあります。あの頃の至りはというのは、とても強いというよりは、エンジンがかかるのが遅く、危なっかしい中で、勝ち上がっていくというような感じでした。恐らく、マルディーニ等の強固なディフェンスを中心にしつつも、ファンタジスタと言われるような、バッジオ、デルピエロ、トッティらが比較的に自由にプレーしていた印象があります。今やファンタジスタというのも死語のような感すらありますが。
もっとも、ボスニアには、年を取ったとは言え、ジェコといった名手もそろえ、しかも、かつては旧ユーゴスラビアの一地域であったわけですから、弱いわけはないのだと痛感しました。
また、日本が親善試合とは言え、イングランドに、しかもウェンブリーで勝つという快挙を果たしました。イングランドは聖地ウェンブリーだと、自分達が緊張して、ホームにもかかわらず、いつもパッとしないパフォーマンスに終わることが多いとはいえ、大した物だと思いました。
W杯本戦でも、この調子を維持してほしいと思います。

一方で、米国とイランの戦争は今も続いております。北中米W杯ですから、米国も主催側であるのですが、FIFAはイランの参加を審査しているという話です。これは全くおかしいことといわざるを得ません。そもそも、戦争をふっかけたのは米国です。イランを大会から閉め出すのなら、けんか両成敗としてでも、米国も閉め出されるべきでしょう。
ロシアはウクライナ戦争を始めたことも有り、今に至るまでスポーツの国際大会からことごとく閉め出されています。その流れで行けば、何故米国は許容されるのでしょう?
ロシアの戦争は正義ではなく、米国の戦争は正義だとでも言うのでしょうか?そんなことはあり得ない。
山本五十六海軍大将の盟友である、堀悌吉海軍中将の有名な言葉としても「戦争その者は明らかに悪であり(云々)」の言葉の通りなのだと思います。戦争を生業とする人の言葉ですから、極めて重みがあると言えましょう。正義や大義と言う物は、国の数だけあるでしょう。世界中の国々がそれらを主張し合い、一歩も譲らなければ、人類は一年と持たずに滅亡してしまうでしょう。
そもそも、イランが核を有していることは許容しないというのに対して、何故、米国やロシアや中国等は核を保有しても良いのでしょう?そんな勝手な論理が、まかり通っていること自体がおかしいのです。軍事使用される核兵器という物を選ばれた物しか保有できないというのであれば、誰一人として保有してはならないと思います。

とんでもない戦争を始めた米国主催の大会に参加することで、米国に莫大な金が入ってしまう。これが、軍事費として利用されてしまうかもしれない。そう考えると、今回のW杯は世界中の国々がこぞってボイコットしなければならないのではないかと思うのは私だけかもしれません。道義的に見て、米国を利することは、恥ずべきことのように思えてしまいます。
とはいっても、やはりW杯の試合は見たいと言うのも本音です。
大変複雑な思いで、今回のW杯を注視していくことになろうかと思います。手放しに楽しめないのが残念ですが。。

トランプ大統領がSNSで「ホルムズ海峡を開放しろ。ろくでなしどもめ」と言ったということですが、全くもって品性のかけらも感じられない情けない発言だと思いました。
これに対して、同様の品性のない発言をしたら、同じ穴の狢になってしまいますので、品良く抗議したいと思います。
 
早急に大統領を辞任していただけますでしょうか。ろくでなしの腐れ外道の大統領閣下


2026年4月7日(火)

 迷い悩むべきこと
投稿:長野 央希
私はカトリック系の幼稚園に通っておりました。今思えば、父親が宗教嫌い(宗派問わず)であったので、よくそこに通わせたなという感じですが、家から近くて通わせやすいという単純な理由からだったのでしょう。そこでは、朝礼のような場で、神父様から聖水をかけられた記憶はありますが、それ以外宗教的教育を受けたという記憶がなく、楽しく過ごしていました。そこでは誕生日に、マリア様のペンダントをいただくのですが、これを宝物のようにしまっていたのが懐かしく思い出されます。
成長して、歴史が好きになり、世界史を学ぶようになると、キリスト教が行ってきた暴虐を知って、キリスト教というものへの不信感が芽生えました。今でいう、イスラーム過激派の所業を大規模にしたようなものといえましょう。
中世における、異端者や異教徒への筆舌を尽くしがたいような暴挙や、近世になり、大航海時代を経ての、スペイン・ポルトガルが中南米で行った布教という名の侵略行為は、まともな人間の所業とは到底思えないと言わざるを得ません。宗教の布教という情熱を持つ宣教師が、富と権力を手にしたいという人たちと手を結んだ結果が生んだ悲劇といえるのかもしれません。
あの時代の日本の為政者がキリスト教の脅威を本能的に察知し、遮断してくれたことは、日本の独立を守るうえで非常に重要であったと思えてなりません。
ただ、幼稚園時代のこともあり、今でもキリスト教の教え自体には何かしらの親しみを覚えているのですが、キリスト教の教団という集団が絡んでくると、途端に不信感を抱いてしまう。どんな素晴らしい教えも、結局はその教えをどう解釈し、どのように人生に活かすかは、人間次第なのであろうと思います。

これは宗教に限ったことではありません。イデオロギーにも当てはまります。
今や、言論の自由もあり、多様なイデオロギーが社会に満ち満ちております。
一部のイデオロギーの信奉者は、自分たちの思想が絶対的に正しいと固く信じ、それを強く社会に主張し、時にはその思想を広めるためには人命すらも軽視するような人たちがいます。学生紛争時代の、赤軍派などの過激派の残党を彷彿とさせられます。
自分たちの思想が絶対的正義と信じられることは、本人たちにとっては幸せなことでしょうが、それを押し付けられたほうからすれば迷惑以外の何物でもないという構図が出来上がるのです。
そもそも、絶対に正しいという思想も、絶対的な正義という人間も存在しているはずがないのです。科学という、一見すれば最も情緒から遠く絶対的真理のように思われる分野ですら、過ちを犯すのです。医学でも、その当時は絶対的に正しいと思われていたことも、後年新たな事実が判明し、その当時の学説が間違っていたことが判明するということはしばしば経験されることです。
況や政治的思想や哲学的思想などという物はをやです。
また、イデオロギーを強く主張する人たちというのは、往々にして、多様性などを強く訴えるのに、自分の考えと異なる人たちの存在や主張に対しては、極めて狭量な態度を示します。その自己矛盾に気づかない点も、非常に独りよがりなのだと強く思わざるを得ません。気づかないから幸せなのかもしれませんが。
大概の場合、自分たちが正しいと頑迷に信じている人たちの考えは、間違っていることが多いです。
この世の中の、様々な事象というものは単純ではない。複雑系の中でいろいろと偶然も重なったりしながら構成されております。つまるところ、複雑系を考慮すれば、自分の思想以外にも、様々な可能性があり得ることを考慮する必要があると思うのです。
いろいろな可能性を考えることは、迷い悩みながら生きていくことに等しく、時には非常にストレスフルです。そのストレスから解放されたいと思うと、自分が信じたい思想に固執し、それ以外の可能性を放棄することが、一番の近道ではありましょうが、それは人間としての成長を蝕むことになります。
SNSの普及で、色々な思想や宗教が、身近になっているといえますが、それを受け取る側が精神的に成熟し、多くの情報や思想の正否を各自で判断していかねばならない時代になっていると思います。
多くの情報を受け入れる際に、迷い悩むことは必要であり、その悩む作業が自分たちの考えを成熟させることにつながるのだと思うのです。


2026年4月2日(木)

 最近の話題から
投稿:長野 央希
ここにきて、ようやくインフルエンザの流行も下火になってきております。
例年であれば、今の時期はCOVID-19の冬の流行期なはずでしたが、今年は、さしたる流行も見られません。当院で行うPCRを見ても、むしろ季節性コロナ陽性のほうが目立つような印象があり、もしかするとCOVID-19も季節性コロナに徐々に同化されつつあるのではないだろうかと考えてみております。もっとも、当院のような小規模の医療機関での些少なマスでの検査結果でありますので、断定的なことは何も言えないものではありますが。

ところで、埼玉県立小児医療センターで、白血病患者3名7が抗がん剤の髄腔内注射後に神経症状を発症し、1人が死亡、2人が重体となっている事案がありました。その結果を受けてか、センターの患者35名が転院したり、他院に転医して治療を継続しているという報道がありました。また、センターでは原因究明のための調査委員会を設置した模様です。
確かに、急性リンパ性白血病や悪性リンパ腫のようなリンパ系の悪性疾患では中枢浸潤のリスクが高く、抗がん剤の髄腔内注射(髄注)はしばしば行われる治療です。血液内科の処置としては、骨髄穿刺・生検、中心静脈カテーテル留置と並んで、髄液穿刺・髄注は頻度の高いものではあります。
ただし、髄腔内に投与する薬剤は、血液脳関門の通過の問題もあり、非常に限られた薬剤にしぼられます。ほとんどのケースでは、メソトレキセート、シタラビン、デキサメタゾンなどのステロイドくらいしか使用しないでしょう。
今回は、髄液中からビンクリスチンが検出されたということが大きな問題となっています。ビンクリスチンという薬剤は、リンパ系悪性疾患においては、非常に有用な薬剤です。しかし、髄注で使われることは基本的にあり得ない薬剤です。そのため、どういった経緯で、髄注用の薬剤にビンクリスチンが紛れ込んでしまったのかは究明されなければならない問題です。薬剤部から薬剤が調製、出庫され、処置の際には看護師や医師もダブルチェックなどをするはずです。まさか、医師が誤ってビンクリスチンを髄注でオーダーするとは考えられないくらいの初歩的な間違いともいえます。
また、どんなに万策尽きた白血病患者さんでも、他にやりようがないから、ビンクリスチンを髄注しようという運びにもなりえないと思われますから、そういった意味でも、非常に謎が深いように思われます。
新たな治験として、ビンクリスチンを大量に髄注するという試みでもしていたのか、その場合は、その旨のインフォームドコンセントがされていたはずですので、恐らくそういったことではなかったのだろうと思います。
今回の件で、ビンクリスチン(オンコビン)が非常に有害な薬剤のように認知されないことを願います。この薬剤は、殊に血液疾患においては、今後も極めて重要な薬剤であり続けますので(慢性骨髄性白血病に対してのチロシンキナーゼ阻害薬のような画期的な薬剤でも出てこない限りは)

いずれにしても、何らかのミスによって、人の命が失われたという重大事案でありますので、しっかり原因を究明し、再発防止に努めなければなりません。同時に、我々医療者も他人ごとではなく、私のような小規模医療機関であっても、どんなに些細なミスと思われることでも、それが蓄積すれば、重大なミスに発展しかねないことを肝に銘じて、自戒しなくてはならないと、強く思わされました。

重体のお二人の方の一日も早い回復を切に願うとともに、亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りさせていただきます。

2026年3月26日(木)

 WBC
投稿:長野 央希
先日World Baseball Classic (WBC)がベネズエラの初優勝という形で閉幕しました。今年1月に米国によってベネズエラ大統領が拘束されるというような事件があって、色々な遺恨がある中で、その雪辱を果たして、ベネズエラが米国を下したのは、何か深遠な意味を感じ、極めて感慨深いことのように思えました。
ところでWBCというと、血液内科的に(というよりは医療者的に)White Blood Cell(白血球)を意味するので、何か気持ちがそわそわしてしまうのは、私だけでしょうか?
そういった理由というわけではないですが、WBCの主催がMLBとMLB選手会である点で、米国主導で、公平性に欠けるのではないかと言う疑念が払拭できず、以前からあまりWBCというものに関心を抱けずにいました。とはいっても、勤務医時代に医局で、他の医師達がWBC中継に釘付けになってみていると、自分も、その輪に入って見入ってしまったものですが。
今大会は地上波放送がなく、Netflixでしか見られないと言うことも有り、ますます縁遠い物になってしまいました。
日韓戦だけは、居酒屋のカウンターで飲んでいると、隣の方がiPadで見ているのを気にしていたら、その方が一緒に見て下さいと仰って下さり、観戦させてもらいました。
元広島の鈴木が活躍してくれて、大変満足な試合でした。
残念ながら、日本代表は、準々決勝敗退という結果ではありましたが、総じて、代表としては全力で闘い、よくやってくれていたように感じます。
しかし、敗退を受けて、井端監督や代表選手達への批判や誹謗中傷が話題になっています。
日本を代表すると言うこと自体が、非常に勇気のいることで、勇気を持って一歩を踏み出してくれていること自体が、大変賞賛されるべき事であるはずですが、それを誹謗中傷するのは、どう考えても間違っていると思います。批判する側は、勇気を持って戦うような立ち位置にもなく、しかも安全な場所から、相手に罵声を浴びせている。これは極めて卑怯なことだと思うのです。
そもそも、井端監督はそれほど指導者経験もない状況で、監督という大役を引き受けてくれました。彼を任命した側こそ、責任が問われて然るべきでしょう。指導経験の浅い、若い監督であれば、当然その下のコーチ陣も同じように経験が浅くならざるをえません。能美、吉見と言った投手コーチも、指導者として、当然まだまだ成長過程にあるはずなのです。
井端と言えば、落合監督時代の強い中日で、荒木と鉄壁の二遊間を形勢しておりましたから、広島ファンとしては、ある意味不倶戴天の敵ともいえました。憎らしい選手でしたが、その選手としての能力には賛辞を送っていました。あの当時、井端さんが日本代表監督になるなどと想像すら出来ませんでした。今回の件で、ケチをつけられて、これからの長い野球指導者人生が閉ざされないことを強く願います。

今大会の敗退を受けて、日本も、ピッチクロック導入をした方が良いという議論も出ています。国際大会に勝つというのであれば、ボールやストライクゾーンなども含めて国際基準に合わせた方が良いのは間違いないでしょう。
ただ、ルールも含めて国際基準に合わせていけば、日本人よりもフィジカルに優れた民族の方が有利になっていく一方なのではという懸念を抱いてしまいます。
今後どうなっていくのか、注視していく必要があります。

ピッチクロック導入は試合の短縮につながると言うことになるのでしょうが、MLBが今やっていることが、本当にファンの求めるものなのかにも関心があります。米国では、サッカーの人気の台頭や他の娯楽の勃興も有り、野球人気が低迷しているという話を聞きます。
データ至上主義によって、人間ドラマとしての野球がかき消されているように感じられることが、野球離れを促進させているのではないかという気すらしています。
日本でも、野球をやる子供が減っているという話を聞きましたが、ある意味、野球という競技自体が大きな岐路に立たされているのかもしれません。
野球人口の拡大を図るという点で、多くの子供達も野球が見られるように地上波で野球を放映した方が良いのでは(少なくとも国際大会だけでも)という思いもあります。高校野球でDH制導入されていますが、野球というのはそれこそ、打って、守って、走って楽しいという競技であるはずなので、少なくとも、プロではない野球においては、あまりDH制を採り入れないでほしいように思えてしまうのですが、これもどうなのでしょう?

また、個人的な思いですが、昭和の野球のように、野村克也対ONなどのスラッガーとの舌戦のような、広島で言えば、達川対バッターのような、バッターボックスでのつばぜり合いみたいな物が、ピッチクロック導入で、完全に消滅してしまうのだろうかと思うと、何か寂しい思いを抱いてしまいます。

2026年3月20日(金)

 東日本大震災(8)
投稿:長野 央希
二回にわたり、救護班に参加できたことは、今でも自分にとって貴重な経験でした。私は、他に誇るべきものは何一つないと言っても過言ではありませんが、この時に救護班に参加できたことは私の唯一の誇りです。
ここで、その時の経験を踏まえて、自分の考えや思いを書いておきたいと思います。
(1)当時の私の上司の一人は、震災の時に「自分は痔だからウォッシュレットのないところにはいけないな」と笑いながら話していましたが、平時では十分笑い話にはなります。やはり関東の人からすれば、他人事のような面があるのだと痛感しました。しかし、日本は災害大国ともいえるほど、どの地域も何らかの天災による被害を受けかねないことを肝に銘ずる必要があります。いつ何時、自分が災害の当事者になるかもしれないという思いを持つべきと思います。
(2)災害の種類によって、その被害内容は大きく変わることを理解しなければなりません。阪神大震災の時は地面の陥没、家屋の倒壊や火災により、被害が拡大しましたが、東日本大震災では津波による水害が主たるものでした。前者では整形外科的な外傷が多かったはずですが、後者では、そこまで重症の外傷は多くはなく、むしろ持病の増悪や溺水や海水の誤嚥による誤嚥性肺炎などへの対応が重要であったと思われます。
従って、災害の種類に応じた、救護班の医療準備も少しづつかえていく必要があろうと思われます。
(3)災害の予防策を講じて、それに応じた前準備をしっかりしておくことが重要であることを再認識しました。
石巻日赤では、大地震が来ることを想定して、対策を練っていた模様です。もし、それがなければ、恐らく震災直後の医療体制は崩壊していただろうと思われます。それでも、対策を講じた、想定以上の水害であったことも事実でしょう。
まず、対策を講じる場合に、自分のいる地域が水辺なのか、山間なのか、住宅が密集している地域なのか等で、起きうる被害を想定する必要があります。更に、想定する場合は、最悪の事態を考える必要があるのだと思います。昔から、日本人は最悪の事態を考えて対策を練ろうとすることの下手な民族ではありますので、自分たちの国民性も考えていく必要があると思います。
(4)避難所では、たいていの場合上下水道とも機能が麻痺している場合が多く、その環境は感染症の温床になりやすいということを認識しておく必要があります。3月の時点では、万が一避難所でインフルエンザが出れば、一気に蔓延してしまうという懸念がありました。一方で、5月の時点では、大分日中の気温が高くなっていましたから、食中毒など腸炎を起こしやすくなるのではないかという不安がありました。もし、現段階で、何か天災があれば、新型コロナの対策をどうするかという問題を考える必要があります。
(5)避難所での生活は非常にストレスフルな環境です。ほぼプライバシーもない状態です。震災直後は連帯感のような感情があって、支えあえていたものが、時間の経過とともに、共同体内での不協和音も出てきてしまいかねません。また、震災で負ったトラウマなども尋常なものではないと言えます。そういった意味でも、心のケアは極めて重要であると言えます。
(6)デマや風評被害への注意う。災害などの社会的混乱が生じるような状況下では、その被害に対する怒りのはけ口として、スケープゴートにされるような人たちが出てきます。また、完全に不確かな情報でも、まことしやかに情報が共有され、デマが真実のような様相を呈してしまう場面もあります。昨今ではSNSなどでデマであろうと各種の情報が拡散されてしまいやすい時代でもあり、混乱した状況下でも、いかに冷静に情報を取捨選択する重要性を認識する必要があります。

「天災は忘れたころにやってくる」という寺田寅彦の格言があります。
東北の震災以降も、千葉や九州など各地で様々な天災被害に見舞われました。平時にこそ、こういった不幸な教訓を再度考えるべきなのだと思います。


2026年3月10日(火)

 東日本大震災(7)
投稿:長野 央希
釜石に行った際は医療的な救護と同時に、復興支援として、地元の経済的な支援も一つの目的となっておりました。
ですから、5月の救護班は海からほど近いところにあるホテルを宿舎としていました。料理もおいしく、大浴場もあって、とても快適に過ごさせていただきました。そのほかにも、経済的な支援という形で、釜石の土産物屋や地域物産展のような市場で買い物が奨励されましたし、昼食は地元の飲食店を利用してきました。おいしい海産物が非常に印象に残っております。
また、時間的な余裕があるときには、日赤として借りているレンタカーを使用しても良いことになっていましたので、研修医を連れて、釜石市街地を回ってみることにしました。3月の段階とは異なり、他の日赤病院の救護班とも親しくなったりしましたから、そういった人も市街地をめぐりたいと希望してきたため、一緒に市街を回ってきました。私は非常に運転が好きなので、知らない場所をドライブするのがとても楽しみなのですが、この時はとてもそういう気分にはなれませんでした。
海のそばでしたから、当然海の香りが強いのですが、併せて何か生臭い匂いや、ところどころによっては腐敗臭のような匂いが漂っていました。市街地と思われる地区は、廃墟やがれきの山となっており、震災前の状態がまるでうかがい知れないような光景でした。そして、それぞれの廃屋には赤丸や緑丸がかかれており、どうも御遺体が発見されているか否かを示していたという話を聞きました。家の外装は完全に破壊されているのに、内部の机が残っていたりというところもあり、車を降りてみると、机にひっかかるような形でランドセルがおいてあるのを見つけ、そのランドセルから教科書らしいものが見えたりしていましたので、つい最近まで普通の生活の場だったことを改めて認識させられました。
釜石市街には新日鉄の工場にかかる陸橋がありましたが、そこには津波で流されて、陸橋に衝突して乗り上げた状態の船が未だに残されていましたし、海沿いの堤防では、巨大なタンカーが堤防に乗り上げて、動きの取れなくなっているような状況も見られました。
雨が降ると、依然として冠水するようで、一部の道路は雨の後は完全に浸水していたりしました。巨大な鉄橋が柱の根元のあたりで、完全に折れて倒れているような光景も見てきました。周りのすべては流されつつも、神社の鳥居のみ残っているという場所も見てきました。
震災から二か月。好転している面もある一方で、復興への険しい道のりは果てしなく長く続いていくというような暗澹たる思いを抱いた三日間でした。

2026年3月10日(火)

 東日本大震災(6)
投稿:長野 央希
私は、2011年5月末に再度日赤救護班として、岩手県の釜石に行きました。
この時期には、新幹線含めた鉄道の運航が再開しているところも増えてきておりましたので、電車で埼玉から釜石に行ってきました。宮沢賢治ゆかりの土地ということもあり、駅には銀河鉄道にちなんだようなモニュメントなどがありました。釜石につくと、駅構内は一部工事中であったと記憶しておりますが、通常業務が遂行されておりました。
そこから日赤の救護班が集合しているプレハブのようなところに行き、業務連絡や任務の確認を行いました。流石に、3月の時点と比べると、大分切迫している感じは無くなっていました。二日間にわたりいくつかの避難所を回診するという任務を与えられました。市街地からそばの避難所は小学校の体育館を利用していたりしており、一方で、山間の避難所では、公民館や神社の社殿が避難スペースになっているところもありました。
震災後2か月経過しておりましたので、地域の基幹となるような病院は業務を再開しているところが増えておりました。そのため、3月のような混乱したような診療風景はほとんどなくなっておりました。基本的には避難所で風邪を引いた患者さんの診察などが主体でしたし、より重要であったことは心のケアであったと言えます。日赤としては心のケア班を派遣しておりましたから、救護班とともに心のケア班が同時に働いておりました。
ちなみに、2回目の救護班の際には、自分についている研修医にもついてきてもらいました。災害救護というものを経験するということは、医師としても非常に重要な経験であろうと考えられましたので、研修担当の責任者である副院長にお願いしていました。彼は、避難所で、色々な人の話に耳を傾けてくれましたし、ハチ刺されなどの患者さんの処置も手伝ってくれて、大いに助かりました。
また、釜石の医師会の方などとの打ち合わせのために公民館に行く機会がありました。この打ち合わせ自体は業務連絡程度で、すぐに終了しましたが、むしろ、その公民館のエントランスホールで、まだ消息の分からない被災者の方々の人探しの張り紙が多数あり、とてもやりきれない思いがしました。とりわけ、二歳の子供を探しているという張り紙には、涙が出そうになりました。2歳の子供が二か月以上も親なしで生存している可能性は極めて低い状況で、その子供もかわいそうに思うとともに、その親の心情たるや、計り知れない苦悩に満ちた日々を送っていることが想像され、言葉に出来ないような虚無感を感じました。
実際に、その母親と思われる方を避難所で診察しました。症状は不眠でした。基本的には多少の不眠で安易に睡眠薬を処方することは望ましくないのですが、このようなケースでは少しでも不安や焦燥を抑えてあげられるような薬剤が必要であろうと判断し、抗不安薬を処方しました。

2026年3月10日(火)

 東日本大震災(5)
投稿:長野 央希
石巻を去り、埼玉へ向けて帰路につきました。東北道を上っていく中で、白河インターであったか、どこか失念しましたが、食堂が営業している数少ないサービスエリアでラーメンを食べました。そのサービスエリアで、病院から、「雨にあたらないように」「車の外に出る際は、首にもタオルを巻いたりして、極力肌を露出しないように」という指示がありました。その時点では、我々はなぜこんな支持を受けるのか理解できませんでしたし、病院に帰院したら、すぐに着替えて、シャワーを浴び、極力人と接触しないように帰宅するようにというような指示まで出ていました。
私は、この災害救護に行く際には、遺書まで書いていました。再度、同じ規模の地震や津波が起きれば、自分も生きて帰れないだろうと本気で考えていました。今から考えると、馬鹿馬鹿しいほどの悲壮感を感じていたのですが、この時は大まじめで、親しい人にも、出発前にお礼の御挨拶のメールを送っていたものでした。実際には、この任務で死んでもかまわないくらいの気持ちでいただけに、救護から帰って、まるで汚いものでも扱うような病院の指示に、とても腹が立ったことが思い出されます。
現場では、福島の原発で事故が起きたことはほとんどわかっていませんでしたから、振り返ると、この時の病院の指示が放射能被害にあわないようにという意味での指示であったことが理解できますが、この段階では、訳も分からず、とにかく不快な思いをしていました。
車の外に極力出ないように言われたため、その後はサービスエリアでの休憩もなく、まっすぐに帰院しました。
埼玉に戻って、その日に自分の車のガソリンを入れに行くと、軒並みガソリンスタンドは大行列が出来ているか、もう本日分のガソリンがないということで営業終了しているような有様でした。幸いに花園インターそばに穴場のようなガソリンスタンドがあり、そこでガソリンを入れることが出来ましたが、その後は給油するガソリンの量も制限されるようになり、加えて、スーパーやコンビニで置いてあるパンなども売り切れるような状況が増えていきました。埼玉というさして被害の爪痕のないような地域ですら、このような物資の欠乏する状況にいたっていたことからも、震災の影響の大きさが窺い知れます。

2026年3月10日(火)

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