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投稿:長野 央希 |
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11月に入って、急激にインフルエンザ罹患者が増加し、先週から急増している感があります。ほぼA型インフルエンザでありますが、今週の火曜は連休明けということもあり、当院で50人ほどインフルエンザの患者さんの診察をいたしました。新型コロナ(COVID-19)の流行期に、一日最高54人のCOVID-19の診療にあたった時をほうふつとさせる数であると言えます。このCOVID-19の54人という数も、その当時、発熱外来をしている医療機関が少なかったため、当院に患者さんが集中しやすいという傾向があったのに対して、今のインフルエンザについては、他の医療機関も普通に発熱患者さんを診療しているのに対しての、この数であることを考えると、驚異的にすら感じます。 当院では、インフルエンザ、COVID-19、マイコプラズマ、百日咳などを含めたPCR検査を行っておりますが、その項目にライノ/エンテロウイルスが含まれます。特段珍しいウイルスではなく、所謂風邪ウイルスでありますが、案外と、こちらのウイルスも多いのです。 実のところ、私も、先々週にこのライノウイルスに感染しておりました。自分の体験談としては、ざわざわとした悪寒があるにもかかわらず、熱は平熱で、咽頭痛が軽微であり、一方で、鼻汁が非常に多く、咳嗽も常時出るわけではないものの、出だすと、なかなか止まらないという症状でした。熱がないにもかかわらず、非常に倦怠感が強く、土曜は診療後帰宅して早々に寝てしまいましたが、翌日の日曜も依然として倦怠感が強く、一日寝たり起きたりを繰り返しておりました。風邪とは言え、なかなかしんどい一週間であったと言えます。 熱がないが、寒気やだるさが強い場合は、こういったライノウイルスなどの可能性もあるのではと思います。 百日咳やマイコプラズマも一時期ほどではないにせよ、依然として感染者は出続けております。咳が遷延している方は、その感染も疑う必要があろうと思います。 また、最近というわけではありませんが、ここ二年ほど帯状疱疹や単純ヘルペスの患者さんもよく診るような印象があります。しかも、高齢の方ではなく、若い患者さんが結構多い印象です。厳密な統計を取ってはいないので、あくまでも印象ではありますが。 例年通りではありますが、この時期は胃腸炎なども流行りやすくなります。 この数年の傾向からすれば、12月下旬ころからCOVID-19の冬の流行期が始まると予想されます。 特に御高齢の方は、重症化予防のために、ワクチンを活用することも御検討いただければと存じますし、何よりも人ごみに行く際のマスク着用や手洗いの励行が重要といえます。 最終的に、感染症から自分を守るのは自分であるという認識をもって、この冬を乗り越えましょう。 |
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2025年11月27日(木) |
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日本人の勤勉さ |
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投稿:長野 央希 |
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休息に冬に向かって季節が走り出している今日この頃です。 先日は、魚沼で初雪が降りましたが、初雪にしては思ったより積雪しました。今回の雪はすぐに融けるでしょうが、いよいよ冬だなと実感がわきます。 高市政権が発足し、早一ヶ月が経ちました。これからどう政権運営をしていくのかはお手並み拝見という所でしょうが、現状、首相の答弁や発言は概ね賛同できるものであるように思います。 彼女の発言として「馬車馬のように」という部分で、何故か相当な批判的意見が出ているのですが、個人的に歯正直なところ、その批判の意味が分かりません。 私は、医師として働き、20年余が経ちました。最初の16年を勤務医として働き、2020年以降は開業医として働いております。 研修医時代は都内で働いておりましたが、二年目の研修医時代、一時墨田区の病院で働いておりました。同院の血液内科で研修した初日に担当した入院患者さんが、想像以上に重症で、初日から5日間病院に泊まり込まねばならないような状況になりました。病院のシステムやどこに何があるのかまるで分からないけれども、仮眠室の場所だけは把握するというような有様でした。最初の二週間くらいは、連日上席の先生に罵声を浴びせられたり、怒られたりという日々でした。毎日、自分の不甲斐なさや情けなさで、泣きたくなりつつも、必死で食らいついていたら、その後、その先生から大変かわいがってもらえるようになり、本当に感謝しております。 あの時に、自分の仕事という者が、人の生命に直結するような仕事であり、人の生死に関与する以上は、時には自分の人生を削るような必要があるのだという覚悟を持てるようになりました。 その後、何年か経って、日赤の職員として、地域医療に受持することになりましたが、要は、医師不足にあえいでいるような病院に派遣されるのですが、その時に赴任したのが北海道の病院でした。そこは、病床数300床近い病院でしたが、私が赴任するまでは内科の常勤医が2人しかいないというような状況で、どうやってやりくりしていたのだろうかと不思議なレベルでした。 そこでは、医療崩壊の危機というのはこういうことなのだと言うことを痛感させられました。 そこでは、血液内科の簡単な抗がん剤治療は行いつつ、神経内科的な疾患の検査や治療も行う必要があり、上下部とも内視鏡を行うひつようがありましたし、ある一日では、外来終了後に、ペースメーカーを留置し、それが終了したら、ERCPの介助に入るという感じでした。近隣にホスピスなどないので、肺がんなど癌の終末期の方の入院対応もしておりました。とにかく、内科の全分野に対応しなければならないという感じで、今思えば、こんな医療状況があって良いのかというレベルです。 そんな状態ですから、常に入院担当患者さんは30人を下回ることもなく、30人以上患者さんを診ていれば、常にその中にはかなりの重症の方もおられます。 ある週には、三日連続、深夜3時に病棟から呼び出されました。 1回は、昇圧剤投与中の患者さんの点滴が取れなくなっていると言うことで、早朝に中心静脈カテーテルを留置せざるを得ないことになったこともありました。(今なら、そこまで切迫していないので、朝まで待ちましょうという判断も出来たと思うのですが、あの頃は若さもあって、必要以上に働いていた可能性はあります) つまるところ、医療というのは、医師のQOLを犠牲にしなければならない自体が起きえると言うことです。患者さんに実害が出るような事態は避ける必要があるのです。医療崩壊しかかっている病院というのは、一人一人の医療者へのしわ寄せがひどいために、医療者が疲弊してやめてしまい、残った職員が更にしわ寄せが来て疲弊を強めるという悪循環に陥る構図があります。その為行政なども一丸となって、職員の確保をすることが急務なのです。 このことは今回の話の本筋ではありません。 医療者は、人の生死が関わる仕事で有り、臨戦態勢にあるとも言えます。 その場合に、自分のライフワークバランスなどは偽性にせざるを得ない事があるのです。 政治家や官僚や自衛官(軍人)といった公僕も、国難になるような状況では、常に臨戦態勢にあると言うことで、自分達のQOLを偽性にする必要があると思います。そういう点を考えると、高市首相の「馬車馬のように働く」という発言は、私としてはむしろ好感が持てるとすら思えてしまいます。 ゆとり、ライフワークバランスと言う物は、勿論学ぶべき部分もあるとは思いますが、若いある時期は、自分の生活を犠牲にしてでも必死に働く時期があってこそ、その後の人生に資する部分が大きいと思うのです。自分の限界を確認出来るようなほど働かなければ、大成することはないのではないでしょうか? (大成してもいない自分が言うのもおこがましいですが) ブラックな環境は排除されるべきでしょうが、ブラックな環境でもなくても、馬車馬のように働く必要があることはあります。 日本人が世界に誇れる物、あるいは世界が日本を恐れる物というのは何でしょうか?勤勉さだと思います。コツコツと努力を継続していける胆力だと思います。そういった部分をそぎ落とされれば、日本人としてのアイデンティティすら失われかねないような恐怖感を抱く今日この頃です。 |
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2025年11月23日(日) |
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散歩の楽しみ |
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投稿:長野 央希 |
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私は、週三回程度、仕事終わりに水泳に行っております。水泳に行けないときやプールが休館日には、近所を散歩するのですが、基本的に業務終了後なので、20時とか21時といった時間になります。当然ながら、街灯はあるとはいえ、暗いです。月が出ていると、月明かりはこんなにも明るいのだと実感させられるレベルです。 先日、同じ場所を早朝に散歩したことがありました。明るいので、視覚的情報が多く、暗いと見逃してしまうような、花々の美しさに気を取られておりました。また、明るいあまり、いろいろな小道が目に入ります。暗いと、決まった道しか選択できないような感覚にとらわれますが、明るさのため、逆にいつも利用する道がよくわからなくなってしまい、結果的に近所で道迷いしておりました。もっとも、近所なので、遭難するようなことはあるまいという余裕をもってぶらぶらしていましたが、まるでよくわからない場所に迷い込んで、案外スリルを味わえました。 道に迷いながら考えました。 散歩は人生のようなものなのかもしれないという。 情報が限られた方が、進む方向性の選択肢が限られ、迷いにくい。一方で、情報量が多いと、選択肢が増えて、迷いやすい。情報も、様々で、でたらめの情報を真に受けたら、正しい道には戻れないかもしれない。道に迷ったと思っても、正規のルートよりも近道で、早く目的地に着く場合もある。 そう考えると面白いと思いました。迷子になりながら、すごい発見をした気になれました。(後々考えると、それほど大した発見でもないのですが) 散歩ではありませんが、山歩きにおいても人生の選択を思わせることがしばしばあります。 基本的に、私は雪山登山はしません。しかし、魚沼の山はゴールデンウィーク前後は、場所によっては、まだ残雪が残っております。膝くらいまでの雪が残っている場所では、辺りがまだまだ銀世界のようなところもあります。そうなると、自分の来た道と進むべき道がわからなくなることもあります。自分の足跡があれば、それが来た道であることは認識できますが、万が一吹雪いていたら、足跡は雪によってかき消されていきますので、自分のいる位置すら分からなくなり、パニックになるという恐れがあります。雪山の怖さの一つなのでしょう。 情報量が極めて少ない中で、自分の方向性を決めるということの難しさとリスクは人生でも同様であると思います。 情報が少なければ、迷う余地もないかもしれませんが、極端に情報がない場合に安易に方向を決めることは非常にリスキーであろうと思います。 逆に情報があふれれば、情報の海でおぼれ、適切な進路を決められない恐れがあります。 かつては、自分の仕事というものがすでに決められているケースが多く、自分の選択の余地はあまりなかったのに対し、今は職業選択の幅がある分、迷いも生じやすい。仕事についても、一つの仕事についても、他に適職があると思って、仕事を頻回に変える状況も見かけます。仕事の選択の自由が利かない時代に比べれば、はるかに幸せなことなのでしょうが、今自分の仕事が適職ではないと思っていても、頑張って続けていくうちに適職のように思えてくる場合もあります。頻回に仕事を変えることは、そういう可能性を摘んでしまっている場合もあるのではないでしょうか? また、情報が多いということは、その分、間違った情報も多く含まれている可能性が高いため、情報の取捨選択を誤れば、大きく道を踏み外す恐れがあります。正しい情報を見つけ出す力量を磨くことも重要でしょう。 散歩をしていると、案外と普段考えもしないようなことが浮かんできたり、無心になれたりと、心がリフレッシュできるのが感じられます。 |
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2025年11月13日(木) |
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クマ騒動 |
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投稿:長野 央希 |
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ここ数年、クマのニュースが増えていると思っていましたが、今年は特にクマの目撃情報や、クマ関連のニュースが多いように思われます。 私は山歩きをするため、念のため熊除けスプレーを購入しました。ドイツ製のようで、説明書がドイツ語のため、今一つ理解が深まりませんが、何とか使用できそうです。どれほどのカプサイシンが含有されていて、それがどれほどクマに有効なのか?もっとも、これを使用する機会がないことを願っています。 私は、これまで北海道で一年働いており、また魚沼で計6年働いておりましたから、いずれの地でもクマの出没やクマによる事故は間接的に経験しておりました。北海道時代は、クマに殴られたという患者さんが、救急搬送されて来られました。私は内科系の当番であったため、直接治療に関与はしておりませんが、左顔面を殴られており、顔の半分がえぐり取られているような状況で、止血自体が困難で、最終的に札幌の病院まで搬送して治療していただいておりました。 一命はとりとめたものの、義眼となったという話を伝え聞きしました。あの時に、やはりヒグマは恐ろしいのだと痛感させられました。 ツキノワグマはヒグマほど大きくもないしと、やや舐めておりましたが、魚沼で自分が住んでいた住居から徒歩数分圏内の工場で侵入してきたクマに襲われ、指を切断するような重傷を負ったという事故がありましたし、その後もクマに襲われ重傷を負うケースがあり、ツキノワグマは小柄であっても、とても人間が太刀打ちできないのだと改めて学びました。 以前山歩きをしている際に、クマは臆病なので、鈴やラジオのおとで、クマは近寄ってこないという話を聞いていました。 確かに、魚沼の登山の際にはクマよけの鈴を鳴らしていますが、確かに一度も直接遭遇はしたことがありません。私は臆病なので、クマの新鮮な糞が落ちているのを見て、引き返したりしておりますから、そういったことが事故を防いでいるのかもしれません。 北海道では、登山中に双眼鏡ではるか遠くにクマが視認されたことはありますが、幸いにクマに脅かされたことはありませんでした。 クマのニュースが増えているのは何故なのでしょうか?クマの個体数が増加しているのか?クマのえさとなるような木の実の不作によるのか?クマが人間の生息域に行けば容易にえさが獲得できると学習したためなのか? いろいろな可能性が考えられます。 今年は、確かにクマのえさになるブナの実が大凶作というニュースがありましたので、エサ不足はあるのでしょう? ただ、クマが人里に行き、ゴミ箱をあさったり民家に侵入すると、すぐに食べ物が手に入るということを学習した可能性もあるように思われてなりません。 北海道の知床では観光客が安易にクマにえさを与えることが問題視されているようです。クマはヒトが食べ物をくれるということを学習しますからヒトを見れば寄ってくるようになります。それで、そのヒトがえさを与えなければ、そのヒト自体を獲物として襲う可能性も高くなりえます。野生動物がかわいい、かわいそうということで、やみくもに餌を与えることは現に慎む必要があるのでしょう。 クマは殺人を犯したくて人を襲うわけではありません。自分や子供の生存を確保するために、要は食うためにヒトを襲っているにすぎないのです。当然悪気もないのです。 クマによる獣害を減らすには、やはりクマと人間の接触を減らすほかはないでしょう。人里にいれば、エサが手に入ることを学習したクマは、当然効率的に餌を獲得できる人里に住み着く恐れがあります。ましてや人間は自分たちよりも弱いことを学習した個体は、容易にヒトを得御物としてみなし、襲うリスクが高まります。そういった場合は、やはり駆除するほかはないと考えます。麻酔銃で眠らせて山に返すというのが現実的にどれだけの人員を必要とし、どれだけの財源を要するのか考えた場合、かなり無理があるように思えます。 非情で残酷なようですが、ヒトが襲われないようにするには、舐められてはいけないのだといえます。 ただ、クマを駆除したからには、そのクマをジビエとして食べる、皮や油を活用するなどして、そのクマの生に対して最大限の感謝をささげるべきなのだと思います。 昨今は、「クマは凶悪なので全滅させるべき」や、逆に「クマがかわいそうだから殺すな」とか「クマの事故を避けるために、クマのいない場所に引っ越せ」などの意見を発信している人たちがいます。 「クマを全滅させろ」や「引っ越せ」という意見は、発信するのが恥ずかしいくらいの発言だと思うべきレベルではないでしょうか?自分の意見が絶対に正しいとして、その他の生活事情などへの想像力という視点が絶対的に欠如していると言わざるを得ません。 また、クマの駆除に自衛隊を要請するのも、それは違うのではないかと思います。当面は自衛隊や警察の力を借りざるを得ないかもしれませんが、若いハンターの養成をすすめていくべきなのではないかと考えます。 秋の深まり、冬の足音が急ぎ足で聞こえてくる時期、クマも冬眠にむけて活動が活発化することが想定されます。 里山を守る必要があり、そのために人間の娯楽のために自然を奪えば、最終的には人間に対してしっぺ返しがくるといいう自然の警告を受け止めて、いかにクマなどの野生動物と共存していくべきかを真剣に考える必要があるでしょう。 |
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2025年11月6日(木) |
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「嘘」が垂れ流される怖さ |
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投稿:長野 央希 |
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最近、嘘や嘘とまでは言えないまでも、本当に事実なのかあやふやなことが、当たり前のように社会に流布しているように感じます。 嘘にもいくつかの種類があるでしょう。 相手のことを思っての優しい「嘘」と悪意ある「嘘」、保身のために積み重ねられた「嘘」、単なる勘違いや思い込みで発せられる「嘘」などなど。 一昔前までは医療業界でも、ガンの告知をせずに、別の良性疾患病名を告げている時代もありました。私が医師になったころには、できる限り本当の病名を告げることで、患者さんに病気と向き合っていただくことが望ましいという時代になっておりました。 かつては医療も未熟で、ガンの多くが不治の病のような印象があり、患者さんのショックを考え、病名を告知しないという流れがあったのかもしれません。 今も多くの進行がんはなかなか治療が難しいのは事実ですが、日々、明らかな医療の進歩もあり、患者さんにしっかり病名を告知しつつ、医療としてのサポートを十分行うことで、患者さんの闘病への気持ちを切らさず、患者さんと家族と医療者で病気と向き合っていくことが重要な時代になっております。こうした流れもあり、以前のように患者さんに「嘘」の病名を告知しない時代になて来ていると思います。 相手への配慮としての嘘は、必ずしも非難されるべきことではないかと思います。 しかし、昨今の情勢でそうではない「嘘」が垂れ流されている懸念を抱いております。 そういった「嘘」を分類すると以下のようになる気がします。 @純粋な勘違いや思い込みの嘘 A詐欺やペテンとして、相手をだますために自覚をもってつく嘘 B自己顕示欲として、目立ちたい、バズりたいという目的でつく嘘(自覚、無自覚を問わず) C「嘘」を狂信的なまでに「事実」と信じこみ、それを周囲に広めようとする嘘(自分が信じている「嘘」が事実と思い込んでいるため、嘘をついている自覚はないと思われる。) D自分の過ちを非難されないようにつく保身のための「嘘」 ある意味、@〜BDは根が深くないと思います。 @は理屈で説明することで、自分の考えが間違っていると矯正できます。 Aは理屈で、その発言は犯罪になるなどといえば、発言を撤回するか、姿をくらますでしょうから(別の新たなウソでペテンを働く可能性が高そうですが) Bもバズらなかったり、周囲から猛烈なバッシングを浴びれば、すぐに発言を改めるでしょう 一番、病巣として根の深いものがCになります。 「嘘」を「事実」として信奉している人たちを見ていると、半分宗教のようにすら見える場合もあり、どんなにその考えが間違っていると説明しても、頑として自説を曲げないことが多いように見受けられます。しばしば、自説を立証せんがために、都合の良い「科学的エビデンンス」を寄せ集めて理論武装し、自説が正しいと訴えかけてきます。そもそも、自説に都合の良いエビデンスの寄せ集めをしている時点で、すでに科学的でないことを理解していないのだろうかと疑問に感じることがあります。 更に恐ろしいことに、「嘘」を狂信的に信じている人は、なぜかゆるぎない自信を持っているため、その発言が嘘にもかかわらずまるで事実であるかのような説得力を持って語るため、結果的にそれを信じる人たちが増えて行ってしまうのです。しかも、その嘘を発信していることは善意であって、悪意がないのがまた怖いことです。 医学の分野でも、ノーベル賞を取るような、その時代では絶対的な「事実」が後世に間違いであったと判明する場合もあります。それくらい、本当の真実を見出すというのは難しいことなのだと思います。 自分の考えとは別にいろいろな可能性がありえるのだと思う謙虚さが必要なのだと思うのです。 SNSなどの発達で、多くの人が自説を簡単に発信できる時代になっています。悪意のある嘘、悪意のないウソ、様々ではありましょうが、「嘘」の荒波に飲み込まれないためには、まずは各個人がその説が本当に信じていいことなのか検証する姿勢が不可欠なのだと思います。 |
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2025年10月30日(木) |
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大谷選手を見ていて思うこと |
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投稿:長野 央希 |
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広島東洋カープの今シーズンの終戦で、野球を見る気が失せていましたが、MLBはつい見てしまいました。 ドジャースは好きではないですが、さすがに日本人選手たちが活躍しているのは喜ばしいことです。先日の対ミルウォーキーの第4戦の大谷選手の活躍ぶりは、驚き以外の何物でもないとしか言えません。先発登板として7回途中までで10奪三振を奪い、打っては3本塁打。今時のヒーローものの少年漫画でも描かないくらいのベタなヒーロー像を現実世界で体現しているのは、感動して笑ってしまうくらいです。また、山本投手もシーズン中からポストシーズンにいたるまで安定感のある投球を続けており、流石だなという感じです。シーズン中は多くの批判を集めた佐々木投手も、ポストシーズンで見事な復活劇を遂げ、守護神として活躍しています。 もっとも、佐々木投手の場合は真価が問われるのは来年でしょう。来シーズン、先発で行くのか、中継ぎで行くのか、抑えで行くのかはチーム事情によりましょうが、どのポジションでも、一年をフルに稼働できるかが重要になると思います。 今年は日本人選手たちが、L.A対トロントのワールドシリーズでどんな活躍をしてくれるのか楽しみにしております。 大谷選手を見ていて、走攻守すべてで全力を尽くし、秀でた成績を残している姿を見て、本当に野球が好きな野球少年がそのまま大人になったのだなと、好感を抱かずにはいられません。彼の野球に関しては、全ての分野に手を抜かない姿を見て、我々医療業界も見習わないといけない面が多いと感じます。現代社会は、科学技術などの著しい進歩により、専門分野を突き詰めきれないようになって、結果的に狭い専門領域のみしか診ないような医療関係者が増えているように感じます。 勿論、高次医療機関の医療者は専門領域のエキスパートとして研鑽を積んででいただく必要がありますが、患者さんはその疾患のみで構成されているわけではないため、患者さんのトータルに少しでも目を向けられるような視点を持てるような指導体制を確立させる必要もあると思ってきました。 自分も勤務医時代は研修医の指導にあたっていることもありましたが、自分の思いがどこまで研修医に届いていたかは分かりません。(自分はあまり指導力がないので) 大谷選手という稀有な存在はとてもまねできるものではありませんが、専門領域だけというような狭い守備範囲を自分で確定させてしまい、自分自身をがんじがらめにしてしまう現代社会に大谷選手は何らかの一石を投じてくれているような気がします。 |
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2025年10月23日(木) |
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古代史から今を考える |
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投稿:長野 央希 |
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私は、子供のころから歴史が好きでした。特に、まだあまり解明されていない時代のことに強い関心をもってきました。その最たるものの一つが日本の古代ということになりましょう。なぜか幼少のころから神社が好きで、よく境内で遊んでいました。木々が生い茂り、とにかく静かなのが、時に恐怖心を呼ぶこともありましたが、同時に心の安定につながっていたような気がします。 大人になってからは、しばしば奈良に古墳や神社を見に出かけてきました。大和王権発足の地とされる、纏向やその周囲には何度も訪れております。桜井市の大神神社と天理市の石上神宮を結ぶ山の辺の道は片道12kmほどであったかと記憶しておりますが、3回ほど歩きました。その周辺は、数多くの古墳や神社で満ちているといっても過言ではない状況で、山の辺の道から、少しわきに外れれば、何かしらあるような感じで、とにかく歩いているだけで楽しめました。一部は民家の庭のようなところに道があり、ここを歩いても大丈夫なのだろうかと不安になる個所もありましたが。 纏向遺跡は有名なので、観光名所のようになっているのかと思うと、10年以上前ですが、纏向駅自体が半分無人のような感じで、そこから遺跡に向かうにも大した標識もないため、迷子になりながら、何とか遺跡に到着したものの、まったく観光客もいないという光景に、ある意味驚愕させられました。 京都と違い、人気のなさと静けさが、自分としては好感が持てるように感じています。三輪から橿原神宮や飛鳥のあたりを歩き回りましたが、橿原のあたりは大分都市化されており、古代に思いをはせるという感じではなかった印象があります。 『発掘された日本神話』(瀧音能之監修 宝島社新書)を読みました。文献資料がほぼないため、考古学的発見に頼らざるを得ないところにロマンを感じます。ただ、2020年以降にも次々と考古学的な大きな発見もあるようで、これまで謎な部分にも少しづつ新たな知見が増えていることは嬉しい限りです。 これまで魏志倭人伝など中国の歴史書の文字資料に大きく依存してきた面があると思います。しかし、私は長年、そもそも中国の歴史書にどこまで信頼を置くかという問題があるように感じてきました。というのも、中国は古代から中華思想の国です。中華の中心から外れれば外れるほど、蛮族の国になり、そこに対しては差別意識や無関心が支配していたはずです。日本の倭というのも差別的侮辱的な表現であることがすべてを物語っているように思います。つまり、日本に関しての表記は、差別や無関心から発せられているでしょうから、事実を客観的にとらえていない可能性が高いように思われます。要は、魏志倭人伝などの記載は話半分にしてみておくべきなのではないかと思うのです。(これは『発掘された日本神話』の論考ではなく、個人的な考えです) 『発掘された日本神話』で特に面白かったのは、ニュージーランドのタウポ火山噴火に端を発する世界規模のうねりに関しての考察でした。 西暦181年にニュージーランド北島タウポ火山の噴火が起き、それにより世界規模の天変地異が起きました。それが、中国大陸での飢饉を起こし、結果的にいわゆる三国志の端緒ともなった黄巾の乱につながっていきます。その結果、大陸で難を逃れようとした流民が朝鮮や日本に渡ってきました。中国や朝鮮からの難民が北部九州に押し寄せ、当初は受入に寛容でしたが、難民と元々の住民との間の摩擦につながり、徐々に北部九州はブロック経済を敷かざるを得なくなっていったというのです。更に、九州の難民との軋轢を避けるために九州から本州に渡っていった人たちが大和などの地に移住していったという流れがあったようなのです。 噴火により世界規模の天変地異が起きた部分が、アマテラスによる天岩戸伝承に、難民と原住民との問題がスサノオ神話に、九州から大和への移住が神武東征神話につながっているのではないかとの話でした。 勿論、考古学的な発見だけで、これらが史実であるとはいいがたいとは思いますが、非常に面白い話だと思います。 かつて、騎馬民族征服説などがありましたが、今はそれは否定されているようです。しかし、大陸からの渡来人が古代の日本史に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。それは日本の歴史を大きく変えたといえましょう。 移民受け入れというのは、それくらい国家の根幹を変え、歴史を変える可能性があることなのだと思います。今、日本は移民受け入れを推し進めようとしています。それ自体にケチをつける気もないのですが、古代史を勉強し、移民受け入れが大きく自分たちの歴史をや文化を変えるだろうことを理解しておく必要があると思うのです。その覚悟が日本人にあるのか自問する必要があるでしょう。まったく違う国になるかもしれないという覚悟はありますでしょうか? 移民問題は安易に結論を出していい問題ではないと思います。 |
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2025年10月16日(木) |
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スポーツの秋 |
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投稿:長野 央希 |
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10/4に広島カープの今シーズン最終戦が終了しました。残念ながら、5位という結果に終わりました。 長年、広島ファンをしていると、万年Bクラス時代を見てきた分、ある程度、勝敗におおらかになっている面はありますが、今年の広島の戦いぶりには、何か釈然としないものがありました。もちろん、選手たちは懸命にプレーしているのはわかりますが、時には「なめんなよ」と思うような場面もあり、若いころは球場で、他チームの選手に罵声を浴びせていることがありましたが、その罵声を自チームに浴びせたくなるようなシチュエーションも度々あった気がします。 新井監督は、退任するべきだと思っていましたが、来期も継続となりました。恐らく、選手からの人望が厚いからなのでしょう。ひとまずは、フロントの判断を信じたいと思います。来期は背水の陣のつもりで、頑張ってほしいです。 昨今、特にセリーグでは盗塁数が激減しています。投手のクイックや牽制技術の進歩などの要因があるのでしょうが、広島といえば、足を使った野球がお家芸のはずですから、盗塁の技術を磨いて、どんどん足を使った野球をしてほしいと切に願います。 かつて、自分が広島を応援しだした頃は、四球で出塁し、盗塁して、バントで送って、犠牲フライで一点というような、一安打も出なくても、点を取り、その虎の子の一点を守り切って勝つというような試合がありました。投手力が安定していたためでしょうが、そういう胃の痛くなるようなしびれるようないぶし銀な野球を取り戻してほしいです。 昔から「スモールベースボール」という表現が嫌いでしたが、いわゆる「スモールベースボール」を突き詰めて、しぶとく勝つチームつくりをしてほしいのです。派手さはいりません。 来期は優勝はしなくても、とにかく将来的なビジョンを明確にした選手育成をして、Aクラス入りを目指してほしいです。 今年は、フラストレーションがたまるので、これからCSも日本シリーズも見ないでしょうから、私にとっての日本のプロ野球は終了です。 ちなみに、MLBでは、以前マダックス投手が好きだった影響もあり、アトランタ・ブレーブスが好きでしたが、ここ最近は低迷しており、ワイルドカードにすら進めていません。大谷選手らのいるドジャースに関しては、昔から金満なイメージがあり、あまり好きではないのですが、大谷選手ら日本人選手には頑張ってほしいと思います。 今年は、野球、サッカーとフラストレーションのたまる年です。 昔ほど応援はしていませんが、マンチェスターUも下位に低迷し、アルビレックスも厳しいシーズンです。 自分が応援しているようなところが軒並み、調子が上がらないため、日常のストレスをスポーツ観戦で発散するどころか、ストレスが増大してしまう状況でした。 アルビには何とか頑張って残留してほしいし、来年こそは広島も躍動してほしい。 ちなみに、MLBで優勝すると、ワールドチャンピオンの称号になるのは、いかがなものかと思うのは自分だけでしょうか?アメリカのチャンピオンであって、世界のチャンピオンではないだろうと思ってしまうのですが。 |
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2025年10月9日(木) |
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山登りの季節 |
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投稿:長野 央希 |
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9月中旬になって、ようやく猛暑を脱した感があり、特に朝、晩は過ごしやすくなってきたため、角田山、弥彦山に登ってきました。両山に登るのは、小学校の遠足以来になりますから、40年くらいぶりになります。 思えば、高校で新潟を離れ、大学で新潟に戻り、就職で新潟を去り、2014年に新潟県に戻ったとはいえ、魚沼でしたから、15年間は帰省以外で新潟市に来ることもありませんでしたから、家の周囲以外で立ち寄るところもありませんんでした。そのため、新潟市のあるいは新潟市周辺の山に行くようなこともありませんでした。 私がこれまでお世話になった上司、上席のドクターで、登山をお好きな方が何人かいらっしゃいました。 北海道で働いているときに、上司の先生からお誘いを受けて、アポイ山系の山に登山しました。あの当時は登山用の装備は何一つなく、ハイキング感覚で登山をしましたので、登山靴でなくスニーカーなどといういでたちで、今からすれば、「山をなめるな」と自分に説教したくなるような状況でした。山の怖さを知らないため、北海道の自然に浮かれて、グループを離れて、一人でサーっと上っていきましたが、頂上で上司に「クマに気をつけろよ」と言われ、いまさらそんな重要な注意喚起をするなよと思いつつ下山して、幸いにクマに遭遇せず、ほっとしたことが懐かしく思い出されます。 その後、埼玉時代には、本格的な登山好きの上司に誘われ、屋久島の宮浦岳に登山に行きました。二泊三日の山行で、連日の大雨で、結局登頂をあきらめざるを得ず、有名な屋久杉だけ見てきました。登頂できなかったことを不憫に思っていただいたのか、その先生から、奥穂高登山に連れて行っていただきましたが、この時も相当な強風と大雨で、奥穂高には登頂できず、涸沢岳にのみ登頂しました。この際も、目的地に行けなかったことを気の毒に思ってくださったのか、それ以降も、いろいろな登山に誘っていただきました。南北アルプスでは剣岳、槍ヶ岳、鳳凰三山、そのほかの地域ですと、大雪山、利尻富士、白山、大山、石鎚山などなど。最初の二回が大雨でしたから、私の中で、高い山は常に大雨なのかと思っていましたが、剣岳や槍ヶ岳では、頂上も含めて快晴で、降られなかったので、ある意味拍子抜けした記憶があります。大雨の中の山行では、これは修行なのだと言い聞かせて登っていましたから、なんとなく修験者の気持ちに触れていた気がします。 それ以降、個人的に一人で登山に行くようになりました。霊山と呼ばれるところに巡礼に行くのがが好きで、三輪山や葛城山、戸隠山に登り、和歌山では登山とはいえないまでも熊野の山中を歩き回り、毎年広島に野球を見に行く際は、必ず厳島の弥山に登っています。下山してから飲む広島の酒は最高です。 魚沼に住むようになり、魚沼周辺の山にも登りました。とりわけ、自分が好きなのは、権現堂山と守門岳、八海山でしょうか。 権現堂山は高い山ではありませんが、登っていて楽しい山です。以前、8月初旬くらいに権現堂山登山をした際には、下権現の頂上付近に近づいたら、何かプロペラ機の襲来でもあるのかと思うようなけたたましい羽音がして、登頂するや、頭上をおびただしい数の巨大なオニヤンマが飛びかっているのをみました。羽の音がすごいため、恐怖心が生まれ、しかもほかに登山者がいないことも相まって、ほとんど地を這うように、上権現には向かわずに下山したことがありました。 さて、今回の角田・弥彦ですが、海よりの登山道で沢山の赤トンボが飛んでいました。トンボの涼しげな飛行には優雅さすら感じます。しかし、現状は紅葉もなく、日中は依然として暑く、トンボ以外に秋を感じさせるような印象は乏しかったように思われました。 各山とも秋の深まりとともに紅葉も見ごろとなるでしょう。登山にはいい季節になってきますが、クマとの遭遇などには気を付けていきたいものです。 登山好きな方はクマや滑落、遭難にお気を付けいただきつつ、楽しい山の時間をお過ごしください。 |
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2025年10月2日(木) |
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無題 |
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投稿:長野 央希 |
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血液内科医を目指すがんサバイバーの齊藤樺嵯斗さんが9/16に亡くなられたというネットニュースを見ました。 普段SNSを見ることがないため、お恥ずかしい話ですが、そのニュースを見るまで、齊藤さんを存じ上げませんでした。 このニュースに触れ、齊藤さんのXを見ました。X自体、ほぼ初めて見たため、時系列などがよくわからなくなりつつも、齊藤さんの生前の投稿を拝見させていただきました。 医学部5年の2023年5月にTリンパ芽球性リンパ腫/急性リンパ性白血病を発症し、同年9月にハプロ移植を行い寛解。翌24年6月に再燃し、8月に再移植を経て、2025年再度緩解を得て、その後リハビリを頑張っておられました。しかし、7月になり、血尿を認めるようになり、膀胱の焼灼止血術を行うも、その後も血尿が持続していく中で、8月にはカンジダ血症を発症し、9月になり肺炎も併発したという経過であったようです。SNSで見る限りでは、白血病の再発はなかったようですが、白血球数や貧血、血小板減少の程度が不明ながら、移植後の様々な合併症に向き合ってこられたことは間違いありません。 齊藤さんの投稿を見て、一貫して、誰よりも懸命に治療やリハビリに臨み、誰よりも懸命に生きようとしていた姿と同時に、自分の壮絶な闘病の中で、家族や医療者への感謝を忘れない姿勢に心を打たれました。 自分も、血液内科として勤務しているときに多くの若い急性骨髄性白血病、急性リンパ性白血病の患者さんの治療にあたってきましたが、そのときの思いと重なり、涙が止まりませんでした。 一般的に、T細胞性リンパ増殖性腫瘍はB細胞性に比べ難治であることが多いのです。B細胞系に比し、画期的な分子標的薬に乏しかったり、CAR-T療法のような新たな治療戦略がまだまだ不十分な面があります。 もっとも、T細胞系であろうがB細胞系であろうが、血液疾患において移植治療というのは極めて重要な治療戦略であります。 移植後の骨髄生着の状況や移植後に継続する免疫抑制治療などで、様々な合併症との戦いを強いられることが少なくありませんし、移植は成功しても、合併症で命を落としたり、後遺症で苦しむということもあります。 志半ばで、亡くなられた齊藤さんの無念はいかばかりであったろうと思うと、言葉もありません。 また、昨今の状況で、血液内科を志す若手が少ないという実情があります。(少なくとも新潟では) 血液疾患で入院している多くの患者さんは、抗がん剤による化学療法や移植療法を受けておられる場合が多く、常に患者さんの一定数が骨髄抑制状態(ほとんど白血球が0のような状態)にあります。そのため、誰かしらは具合を悪くする可能性が高い状況にあり、血液内科は夜間病院から呼び出しの連絡を受けるような状況もしばしばです。特に医師が少ない病院では、一人の医師が連日夜間呼び出しを受けるような場合もあります。医者としてのQOLを考えた場合、自分のプライベートな時間を確保したい人からすれば、夜間当直や当番でもないのに呼び出されるのは困ったことですので、そういった科を敬遠してしまうということがあるのかも知れません。 しかし、そういった身を粉にして治療にあたって、その結果、患者さんが寛解に入り退院、社会復帰する姿を見ることは、何にも代えがたい幸せであるのは間違いないのです。 医者という仕事はほとんどの場合つらいことばかりといっても過言ではありませんが、治療がうまくいった患者さんを診ると、そのつらさが忘れられるのです。 やりがいのある仕事であると断言できます。 齊藤さんは血液内科を目指しておられました。 ご自分がつらい闘病生活を経験しておられたことで、患者さんの闘病における身体的、精神的なつらさ、恐怖、幸福というものを誰よりも分かち合えたことでしょう。独りよがりではない、真の意味での患者さんに寄り添う血液内科医になれたであろうことを考えると、本当に残念でなりません。 つらい闘病生活、本当にご苦労様でした。そして、御冥福をお祈り申し上げます。 |
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2025年9月25日(木) |