新型コロナの動向 |
投稿:長野央希 |
ここにきて、首都圏や大阪でのCOVID-19 PCR陽性者の増加が顕著となっております。都内では300人弱にまで増加し、以前働いていた埼玉県内でも50人を超えてきております。 基本的には検査件数の増加を反映しているものと考えられます。また、若者が陽性者の過半数を占めているような傾向があり、相当数が無症候性、もしくは軽症と思われます。更には、3〜4月の頃に比べ、重症化してしまうケースも減少しているような印象を受けます。 これは、COVID-19の重症化する傾向や重症化の機序がある程度、分かってきたため、早め早めに対応している賜物といえるかもしれません。 また、ウイルスが変異をして、毒性が弱まっていたりするのかという希望的な観測をしたくもなります。 こういった現状を踏まえ、陽性者の急増で、半狂乱になるのではなく、冷静さを保っていただきたいと思います。 陽性者や、新型コロナ患者の診療にあたるような医療機関を、罪人のように見なすことは厳に控えなければならないと言えます。 一方で、まだまだ、今後の展望は見えてはこないのも事実です。 夏場になり、コロナは終息するという希望的見通しは、もろくも崩れ去っています。 ワクチンやアビガンなどの治療薬に期待する声も聞かれましたが、アビガンは現段階では有効性が結局証明されていません。(実際、自分も使用し手経験から、本当に効いたのか、患者さんの自然免疫で、自然と快方に向かったのか判然としない症例が多かったのは事実です。) いずれにしても、タミフルやイナビルのような抗インフルエンザ薬のような効き目は期待すべきではないといえましょう。 では、今後抗コロナ薬が開発されるのかどうかですが、どこまで期待できるのか何とも言えないと思います。そもそも、コロナウイルスは感冒(風邪)を引き起こすウイルスの代表の一つと言えますが、残念ながら、感冒を起こすウイルス群に対しては、あまり研究が進んでいないのが現状であり、もし、コロナへの特効薬ができたとすれば、相当に画期的な出来事と言えますが、とてもすぐに開発できるとは考えにくいように思えます。 ワクチンも果たして終生免疫につながるのかどうか、まだ、分からないことだらけであり、自分としてはやや懐疑的にとらえております。 しかし、マイナス面ばかりをみて、周囲を敵視していても、何ら建設的ではないですし、こういった時世ですので、周囲と強調し、少しでもポジティブに社会との連帯を強める必要があるのではないでしょうか? |
2020年7月18日(土) |
情報の取捨選択 |
投稿:長野央希 |
現代は情報化社会と言えます。出所のしっかりした物から、出所も怪しげな物まで、多種多様な情報であふれかえっております。 医療のレベルでは、ランセットなどの高名な世界的医学誌を情報源とするものは、現時点では最も信頼に足る情報とされております。それでも、これまでの歴史から、高名な医学雑誌の論文も、後世になり誤りであったことが判明する例もあり、あくまで現段階で最も信頼できるという前提にはなろうかと思います。 ましてや、出所の怪しげな情報に至ってはどうでしょうか?勿論、正しいことを言っている可能性もある反面、全くの出鱈目であったり、その人の希望的な憶測であったり、あるいは他人をだますような詐欺まがいのものである可能性もはらんでいると言えます。 また、かつてユリウス・カエサルが「人間は自分の見たいことだけ見る」というような趣旨のことを述べておりますが、正に言い得て妙といわざるを得ず、様々な情報の中で、自分が信じたい内容のみ取り上げて信じてしまう傾向があるように見えます。さらに、人間はひとたび信じた内容が絶対正しいと確信してしまうと、矯正が難しく、加えて、自分の信念や思想を、恐ろしい自信をもって、他人に発信し、時に押し付けてしまうことも少なからずあります。他人から、その信念の矛盾など指摘されると、相手を徹底的に攻撃してしまうような場合もあります。ここまでくると、一神教の宗教のようであり、自分と異なる思想は異端として、排斥するような動きにつながってしまいます。(どこかの国の大統領にもみられる傾向ですでね) 根拠のないような情報を、その「信者」が、その人からすれば善意で拡散し、世に広まっていく。善意で行っていることが、結果としては社会に害を広げる恐れがあるのです。 殊に医療や災害での無責任で根拠のないデマは極めて有害といわざるを得ません。 情報過多といえる現代では、我々は益々もって冷静に情報の取捨選択をしなくてはならない時代に生きていることを自覚しなくてはならないのだと思います。 |
2020年7月15日(水) |
医療系ドラマ |
投稿:長野央希 |
近年は、医療系ドラマや漫画が沢山、世に出てきます。 日頃から医療に携わっていますと、勤務医時代は夜間でも病院から呼び出されたりしますので、自宅にいる間は、少しでも医療から離れてのんびりしていたい思いから、あまり医療ドラマや漫画を見ることはありません。ごくたまに、テレビから流れるドラマを見ていると、荒唐無稽な内容のものから、なかなか現実的で、よくできた内容のものまで、様々あるものだなと感じておりました。ドラマでは当たり前ですが、劇的な事件やトラブルがおきたり、それを鮮やかに解決したりすることが多いです。そうでないと、視聴率は稼げないでしょうから、やむを得ないとは思いますが、通常の医療現場では、基本的にそうそう事件は起きません。頻回に事件があれば、医者も看護師も身が持たないでしょうし、病院としての信用問題にも発展するでしょう。 また、私がかかわってきた血液内科は、中心静脈カテーテルを留置するとか、胸腔ドレーンを留置するとかで、広い範囲の小手術のような処置はしますが、基本的には抗がん剤による化学療法などの投薬治療が中心になりますので、とても医者を主役にしたドラマは成り立たないでしょう。(血液ガンの患者さんを主役にしたドラマは様々なドラマがありますが) 血液内科の治療では、小さなほころびを放置することで、問題が大きくなり、治療が難しくなることがしばしばあります。感染や現病の増悪の兆候を早めに察知して対処することで、問題が顕在化しなかったり、大きな問題になることが未然に防げたりします。それこそが医療者の手腕が問われる部分ではないかと考えています。 現在の医療はガイドラインや治療指針がしっかりしており、その遵守が求められる場合が多いので、疾患自体の大まかな治療選択で悩むことは少なくなっている気はしますが、いざ治療開始後の合併症や副作用などのトラブルに関しては、医療者の裁量にゆだねられる面が多々あります。 派手な合併症が起きれば、それに対処する場合にある意味派手な治療が必要になりますが、合併症が些細なレベルで済む範囲で対処すれば、非常に地味な治療になります。しかし、患者さんの側からすれば、極力苦痛がないに越したことがないので、問題が小さく、早い段階で解決できれば、それに越したことがないわけです。 現実の医療では、ドラマのような派手さのない地道な医療で終始できれば、一番良いのだろうと思います。 そのような点で、開業医の役割も、生活習慣病の放置から心筋梗塞や脳梗塞を合併しないように、早め早めに何らかの対処をしたり、癌であれば、早期発見できるように努力することが求められるのであろうと考えます。 私は、華々しさのないけれども、着実で誠実な医療ができるように努めていきたいと思っております。 |
2020年7月13日(月) |
北海道時代 |
投稿:長野央希 |
私は、地域医療や災害医療に興味があったため、医者5年目で赤十字病院に入職しました。地域派遣で、北海道の南部にある赤十字病院に勤めることになりました。そこは医療崩壊に片足を突っ込んでいるような病院で、医師の確保に汲々としている一方で、その地域に医療機関が少ないため、患者さんは多いという状況でした。入院担当患者数も常に30人近くおり、重症患者さんが数名いれば、5日連続で深夜に病院から呼び出され、徹夜のような状態が続いたりすることもありました。救急では、内地では関与しないような患者さんの診療に当たったりしました。馬にけられた馬外傷やクマに殴られた熊外傷、猟銃の暴発で顔面に重傷を負った人、自分で釣ったイカの生食でアニサキスが大量に寄生したケース(結局内視鏡で除去したアニサキスは13匹)等々。 そこで働いたことで、多くの経験をさせていただき、相当、肝がすわった気がします。 また、夜に赤ん坊が虐待でも受けてているんではないかというような声が聞こえたので、行ってみると、キタキツネと猫がけんかしていたり、夜に車を走らせていると、その前をエゾシカが3頭走り去っていったり、野良猫の集団にエサをねだられて、追いかけまわされたりという、貴重な経験もしました。 また、とにかく食べ物は何でもおいしくて、近く海辺にあるお店でツブ貝を殻ごと買って、どんぶり飯で食べたりしましたし、野菜も何でも夢中になって食べるようなレベルでした。もともと苦手だった羊肉も、そこではまるで臭みもなく、こんなにうまいものなのかと食べたことが思い出されます。病院の医局にお歳暮でエゾシカの生ハムが届いたことがありましたが、他の医局員は気持ち悪がって食べない方もおられる一方で、自分は美味しくいただいておりました。 自分のいたところは海沿いで、北海道の南部と行くこともあり、冬場も雪は少なく、気温もマイナス10度まで行くことは稀な地域でしたので、なかなか住みやすかったと言えます。ただ、夏場が夜になると20℃を切るため、新潟のフェーン現象や東京、神奈川の連日の熱帯夜を経験してきたものとしては、とにかく夏の涼しさが堪えました。夏の間中、夏風邪のような状態で体調がすぐれないことが多かったです。 そこでの生活は、自分としては楽しかったですが、いかんせん仕事がハードで、この生活では身がもたないだろうと思える状態であることと、夏場の低温なことがネックとなり、翌年には埼玉県内の赤十字病院に異動することとなりました。 大変なことも多々ありましたが、今でも良い思い出になっております。 |
2020年7月11日(土) |
初心 |
投稿:長野央希 |
私は、もともと医者を志したのは、精神科医になりたかったからでした。 実際に、都内の精神科主体の総合病院で研修したりしておりましたが、精神疾患を診る精神科は数多おりますが、精神疾患を有する患者さんの身体疾患を診る医師が少ないことを痛感していました。殊に統合失調症の患者さんに対しては、医師といえども、偏見というか、苦手意識が内在している点は否めませんでした。確かに、精神状態によっては、検査や治療が遂行できないこともしばしばありますので、苦手意識を醸成しやすいのは事実ですが、そういった状況から、自分は精神疾患のある患者さんの身体管理のできる医者になろうと考えて、内科に転向したような過去があります。 内科に転向して、早、十数年経ちますが、当初の初心は忘れがちになります。どうしても、一般的な総合病院では、そういった初心を貫徹することは困難でありますが、開業を契機に、初心に戻った医療を行わねばならないなと、改めて感じております。 |
2020年7月9日(木) |
災害 |
投稿:長野央希 |
今現在、九州南部で大雨の被害が続いています。 熊本の球磨川流域での被害が大きいようですが、宮崎でも短時間で著しい雨量が認められたということで、被害が増大してくる恐れがあります。 新潟では最近で言えば、中越地震、中越沖地震により大きな被害を受けました。その時、自分は都内で働いていたこともあり、かつ関越道が崩落したりして、交通もままならず、結局、現地で救護など役に立つことが出来ませんでした。当時、何ら手助けができなかったことにより、「同胞を裏切った た」という罪の意識と、悔しさが残りました。このことがあって、何か災害があったときには、少しでも役立ちたいという思いもあり、赤十字病院で働くことになりました。2011年に東北震災があった際には、自分は埼玉県内の赤十字病院にいましたが、3/13〜15と5月下旬の二回、赤十字の災害救護班として、宮城の石巻界隈、岩手の釜石界隈に行かせていただきました。 特に3/13の時点では災害発生直後ということもあり、甚大な被害を目のあたりし、また、目の前の患者さんの大きな苦痛の前で、途方に暮れそうになりながら、診療をしたことが思い出されます。自分の文章力ではとても表現しきれないような状況で、泣きそうになることもしばしばでした。 救護班として仕事をして感じたことは、自分の無力さでした。 新潟の震災で役に立てなかった分、東北では役に立ちたいという思いで行ったものの、結局、さして役に立てていないことで、一層罪悪感のような感情を抱きました。 だからこそ、今でも、被災地での救護活動に参加できる機会があれば、参加したい、そうすることで、これまで被災地で役に立てなかった分の後ろめたさを拭いたいという気持ちが強いのだと思われます。 日本は、元来災害の多い国であると言えます。加えて、地球の温暖化で、これまで以上な規模の台風や大雨が頻回にみられるようになっており、毎年、どこかしらの地域が被災地となっております。要するに、日本国内度声も、被災地になる恐れがあり、その備えが不可欠と言えます。 現在、熊本や鹿児島で避難所に避難されている方も多くいらっしゃると思います。 避難所では、上下水道も含めて、衛生状態を保つことが難しい場合もあり、腸炎などの感染の懸念もありますし、今年の場合は、新型コロナの問題もはらんでおります。避難所では思うように各人の距離も取れない状況が想定されますので、行政、医療者も、その点の対策に迫られると思われます。 一日でも早く、この水害が終結し、復旧・復興していくことを心から祈ります。 |
2020年7月6日(月) |