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 トランプ氏
投稿:長野央希
トランプ大統領が退院したとのことです。
未承認のカクテル抗体療法を行ったり、レムデシビルを投与したりしている中で、SpO2の低下を認めたため、デキサメタゾンによると見られるステロイド療法を行ったとの由。ステロイドにより、当然解熱するでしょうし、呼吸状態も改善はしたでしょう。そういった病状の一時的な回復を認めたためか、外出までしておりました。これ自体、政府の方針をトップ自らが破っていることになりますし、ウイルスの排出量も多いような状況での外出という行動に良識を疑います。(もっとも、以前から彼に良識があるとは思っていませんでしたが)選挙で不利な現状を打破するために、一刻も早く選挙活動に戻りたいという焦りがあるのでしょうが、正直なところ、許されざる行為だと思います。コロナウイルスは、確かに風邪を引き起こす代表的なウイルスであり、そういう意味で風邪として軽視しきっているのでしょうが、米国では実際に20万を超えるコロナによる死者が出ております。これは、トランプ政権の無為無策というよりは、無関心、無知から適切な対応が取る気がなかったからに他ならないと言わざるを得ません。風邪の範疇を大きく逸脱している国家状況で、ホワイトハウス自体がクラスターと言える環境となっており、その責任はトップにあると言えます。感染防御をしっかり行っているとはいえ、自分の政治活動のために巻き込まれる運転手やエスピーといった人たちに感染が波及した場合、大統領はどのように責任を取るつもりなのでしょうか?米国は、曲がりなりにも民主国家であり、専制国家ではありません。国のトップのために、国民の命がないがしろにされるべき国家体制ではないことを、トランプ氏は理解しているのでしょうか?彼が、高い支持率を維持してきたことも、自分にとっては大きな謎でした。彼の対中政策があるからこそ、アジアの平和が保てているという論調を唱える人がいますが、甚だ疑問です。彼の政策(政策と言っていいのか分かりませんが)は、仮想敵国を作って、それと対決して、勝っているというアピールをする、いわゆる分かりやすい構図で大衆を扇動しているのだと思います。勿論勝っているというのは、本人がただ言い張っているだけに過ぎないのですが、だまされる人は騙されるのでしょう。米国のプロレスのWWEのように、傍から見ても分かりやすい抗争を勃発させて、民衆に面白そうに感じさせることには成功しておりますが、全く実がないと思います。
いずれにしろ、今回の一時外出の一事をとっても、彼の頭には選挙に勝つ以外のことはなく、国民に奉仕する、米国の未来に資するなどの意識が欠けていることを如実に示しているのだろうと思われます。
バイデン氏が良いのかは分かりませんが、少なくともトランプ氏が大統領として、ひいては国民一個人としての資質に大きな疑問を感じてしまいます。

2020年10月6日(火)

 最近のコロナの話題
投稿:長野央希
最近の新型コロナ関連の話題
(1)年明けには、新型コロナのワクチンを導入開始していくという政府の方針に関する報道がありました。
現状は、ワクチンの有効性も副作用や合併症も検証が不十分な段階であると言えます。ワクチン接種は公費で賄えるということですが、そもそも、新型コロナのワクチンにより終生免疫が得られるとは考えにくく、季節性インフルエンザの様に毎シーズンで予防接種を受けるのかどうかという議論も不十分で、導入に至る経緯において拙速な印象を抱かざるを得ません。ひとまず、早くワクチンを開始することで、国民を安心させたいという狙いなのかもしれんせんが、政府として手をこまねいているだけではないという、批判をそらしたいという気持ちも透けて見える気がしてなりません・・
(2)これから本格的に季節性インフルエンザの流行時期に入ります。感染症学会の指針としては、発熱時には新型コロナ、インフルエンザ両方共の検査が望ましいとしていますが、インフレンザ陽性の場合は必ずしも新型コロナの検査はせずに、インフルエンザの治療で経過を見ることもありであるというような趣旨の見解を出しています。
コロナの影響で、マスク着用の習慣がつき、手洗いの徹底がなされることで、季節性インフルエンザの流行を抑制できる可能性もあります。また、インフルエンザと新型コロナが合併した場合に、どのような経過をたどりやすいのか、重症化しやすいのかなどは注視していくべきではあろうと思いますが、現段階では未知数と言わざるを得ません。
(3)最近の話題では、やはりトランプ米大統領の感染ほど話題を振りまいたものはないかもしれません。春には感染予防で、抗マラリア薬を内服してみたり、最近までマスク着用を拒否し、トランプ支援者の踏み絵のような形でマスク着用の有無が取りざたされたりしておりました。高齢で肥満があり、重症化の恐れがあるということなのか、現状未承認のカクテル交代療法を行ったり、レムデシビルの投与を行ったりしております。一国のトップであるために、その時代で考えられる最先端の医療を施されたのか、新規治療の治験に、体を提供したのか、富豪として金に任せてありとあらゆる治療を要求したのか分かりません。米国は裕福で高い保険料を払う人には極めて高レベルな治療が行われますが、高くない保険料しか払えない人には、日本の医療から見て大分貧弱な医療のみしか受けられなかったり、場合によってはまともな医療が受けられないというシステムです。米国で新型コロナによる死者が20万を超えてしまっています。(毎年季節性インフルエンザでも1万超亡くなる国ではありますが)その中で、もう少ししっかりした医療を受けられたら救命できた人がどれほどいるのだろうかなど考えさせられます。
トランプ氏は報道では兵役を逃れたり、税金も払っていなかったり(フェイクニュースなのかどうか・・・?)と、それが真実としたら、大統領としては不適格と言えましょう。そもそも、国民としての義務を果たさない時点で、国民としての良識すら疑いますが、ひとまずどんな人であれ、まずは新型コロナからの速い回復をお祈りいたします。

2020年10月5日(月)

 音楽の力
投稿:長野央希
私は音楽が好きで、色々と聴いております。もともとはクラシックでモーツァルトやバロック音楽を好んで聴いておりました。その後、クラシックにメロディーラインが近いこともあってか、北欧系や独系のHR/HMを聞くようになりました。邦楽では鬼束ちひろさんをよく聴いています。
鬼束さんんは自分の弱さとか、負の面も含めてさらけ出して曲作りをされているように思えます。自分の弱さを表に出すということはとても勇気のいることだろうと思います。その勇気が曲に力を与えているのではないかと考えたりもします。時には、歌詞の意味がとらえようのないこともありますし、儚い内容なのに、不思議な圧倒されるような力を感じてしまいます。
仕事がつらい時など、酒を飲みながら、鬼束さんの曲を聴いていると、ぼろぼろ涙が出てくるのですが、その後大変すっきりして、翌日には辛いことなどないかのように働けているような気がします。
音楽の力という意味では思い出深いことがありました。2011年の晩秋頃だったかと思いますが、ワルシャワかチェコかの交響楽団の演奏会を聴きに行きました。予定の演奏も素晴らしかったのですが、アンコールでは『故郷』を演奏してくれました。その際に指揮者が観客に向かい、歌うように合図をしてこられました。
その年は、東日本大震災の起きた年でもあり、故郷を歌いながら、日赤の救護班で3月には石巻に、5月には釜石に行ってきた際に見た光景が色々とよみがえってきました。石巻では、原形がどうであったのかわからないような水没した街が広がり、釜石では水こそはけているものの、もともとの住居ががれきの山の様に連なっておりました。震災で多くの命が亡くなり、生き残った方にとっても、故郷の風景は思い出の中だけになってしまっている。そんなことを思うと、涙があふれて歌えなくなってしまいました。
それでも、楽団の粋な選曲に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
音楽には、感情を揺り動かして、時に生きる希望や勇気を与えてくれる力があると思います。それは絵画や文章にも言えるでしょう。
私は医師という仕事をしております。口もうまくないですので、言葉で人に力を与えることはできませんが、患者さんが生きていて良かったと思えるような医療が出来ればと考えています。この域に達することはとても難しく、生きている間には到達できないようには思えますが、日々精進していきたいと思っています。

2020年10月2日(金)

 早まらないでください
投稿:長野央希
昨日、女優の竹内結子さんが亡くなられたというニュースを見て、大変驚かされました。自殺の疑いが強いということでした。あまり、テレビを見ない自分でも知っている女優さんで、しかもとても自殺しそうに見えない方でしたので、驚きもなお一層のものとなった感があります。
今年は芸能人の方々がコロナで亡くなられるケースもさることながら、自殺される方も多いように思われます。コロナによる先行き不安も一つの原因なのかもしれません。竹内さんの場合、1月に出産されたばかりで、産後うつのような状況であったのかは分かりませんが、芸能界の方々の重圧や精神的なストレスは我々一般人には計り知れないものがあるのかもしれません。
しかし、私のような医師という職業も、芸能界ほどではないとはいえ、常に大きなプレッシャーにさらされていると言えます。
時には、患者さんの命のために、自分の命と引き換えにしなければならないような悲壮感にとらわれることもあります。連日連夜病院から呼び出され、不眠が続き、極度の疲労状態になることも時にはあります。そういったときに、「楽になりたい」「深酒して、雪の中で寝ていたら…」などと考えてしまうことも一度や二度ではありませんでした。そんな時に生きなければと考えたのは、自分が助けられなかった患者さんに対して、申し訳が立たないと思えたからでもあります。例えば、自分より若くて、子供も小さいような白血病の男性の死を見てきました。生きたいのに生きれない人がいます。そういった人に礼を尽くすためにも、自分は生きれる間は生きなければと考えなおして、踏みとどまってきました。
 今年は、新型コロナという通常では経験しないような閉塞感の中で、思いがけず失職してしまったり、苦境に立たされている方々もおられると思います。そういった状況下で、うつ病を患う方もいらっしゃるでしょう。
自殺を考える方も様々な状況が考えられます。
うつ病からくる希死念慮であれば、鬱に対する適切な治療が行われることで、改善していく可能性が高いです。
実際の色々な悩みで生きていけないという思いに駆られている方であれば、どうか一呼吸おいてください。私も経験がありますが、辛い時や著しく疲労している時には視野が極度に狭まり、死ぬことにしか思いが至らなくなるかもしれません。そんな時に、すぐに行為に移すのではなく、一旦呼吸を置いてみてください。自分の辛い思いを外に発散するだけでも、心のおもりが少し軽くなります。家族や友人に連絡してみてください。また、今では自殺の相談に乗ってくれる窓口もあります。他人と話すことで、一人でしょい込んでいる重荷を軽くしてください。苦境にある時に「人間一人一人の命はかけがえのないもの」などという言葉はきれいごとにしか聞こえないかもしれませんが、せめて深呼吸して、「生きているのもまんざら悪いことばかりでもない」と思っていただければと思います。そして、もう少し余裕が出てきたら、自分の死で必ず悲しむ人たち(もしかしたら動植物も)がいることを考えてみてください。
どうか、自分を好きでいてあげてください。お願いします。

2020年9月28日(月)

 真実は一つ?
投稿:長野央希
私は以前からシェークスピアの作品が好きで読んでいましたが、とりわけて『マクベス』と史劇『リチャード三世』は何度読んでも迫力があって好きな作品です。『リチャード三世』で描かれるリチャード三世は己の利益のためには平気で人を踏み台にもし、殺人も犯してしまい、人の気持ちに配慮するようなことのない、いわゆる典型的なサイコパスの様に稀代の暴君として描かれております。近年、リチャード三世の遺骨が発見されたりと話題になりましたが、その後の研究で、リチャードは言われるほどの暴君でも悪人でもなかったのではないかと考えられるようになってきました。確かに、シェークスピアが生きていたのはチューダー王朝のエリザベス女王の治世下で、チューダー家はリチャード三世のランカスター家を打倒して、王座についておりますから、チューダー朝としては、自分たちの行為を正当化させるために、ランカスター家のリチャードをことさらに暴君として描く必要があったのであろうと思われます。
こういった事例は日本でも見られます。
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に白旗神社があります。ここでは源頼朝、実朝父子が祀られております。しかし、同じ頼朝の息子である二代将軍頼家は合祀されていません。鎌倉時代の史書である吾妻鏡では頼家は非常な暴君で、暗殺されても仕方がないような印象を抱かせられます。しかし、吾妻鏡は時の権力者である北条氏にとって都合よく記されている可能性を考える必要がありると思われます。頼家政権では比企氏などの有力御家人が権力を握り、北条氏は力を削がれてしまう恐れもあって、頼家を殺害し、その行為を正当化するため、頼家の暴虐を喧伝したのかもしれません。暗殺事件に北条義時や雅子がどこまで絡んでいるのかなど、考え出すと、推理小説の様な面白さもあります。
いずれにしろ、正史と言えるような政府刊行の歴史書も、その時の権力中枢にいる者たちにとって都合の良いように記載されてしまう可能性が高いと言えます。(勝者が歴史を記す)
流石に現代社会では、そこまでのことはないでしょうが、政治が常に清廉潔白ではいられない以上、国民に見せたくない事実を歪曲して報告したりという可能性はあるのだと思います。
また、真実は一つと言いますが、真実は、その人の立場によっては見え方が変わる場合もあります。勝者と敗者では、一つの真実が大きく異なってみえるかもしれません。
政府や権威者が語る事実が本当に真実かどうか、時には疑う必要もあるのだと思います。


2020年9月25日(金)

 精神科用語
投稿:長野央希
最近、日常の会話でもネットなどでも、精神科用語が使われているのをしばしば耳にしたり、目にしたりします。
少しでも異常性のある殺人事件の犯人をサイコパスと言ってみたり、変り者や、行動が他と違うような人をアスペルガー障害を略した「アスペ」と呼んでみたりすることが非常に目につき、違和感を感じています。
また、かつての心に負った傷(少々のものまで含めて)を「トラウマ」と称していたりするのも、よく見る風景になっている感がありますし、その結果、不思議な自称PTSDもやたらと見かけてしまいます。
精神科の用語にもしっかりとした定義があります。ただ、その診断基準などが、身体疾患のように検査の数値や画像検査などによって明確に目に見える形で異常をとらえられない分、時に定義があいまいに感じられてしまうのかもしれません。結果的に医療者以外の人たちにとっては、日常で取り入れやすいと感じて、誤用されてしまっているように思われます。
しかし、この問題は医療者の中にもよく遭遇するものです。
残念ながら、精神科領域に関して苦手意識を持っていたり、関心を示さない医療者が少なくないのが現状です。そのために医療者の中でも精神科的用語に対する理解が乏しいと言えます。
その逆に、精神科医療に携わる医療者が、身体的問題に苦手意識を持っていたり、身体的問題に関心を示さないケースも、しばしば見てきました。
精神科と一般科で大別している病院もありましたので、精神科とそれ以外の身体科との間には溝ができてしまう場面も経験しました。
私は、もともとが精神科志望であったこともあり、内科医となった現在も精神科の治療やトピックスには関心をもっています。精神科で働いていたこともあり、こういった溝を埋める方法がないものかと考えていましたが、非常に難しいと感じたのも事実です。
医療関係者が苦手意識を持っていれば、当然医療関係者でない人たちも、精神科というものへの理解が深まりにくいと言えます。
用語の誤用の問題も、結果的に精神疾患を抱える人たちへの偏見を強めてしまうのではないかという懸念を抱かざるを得ません。
人間の多様性を謳う現代社会において、これまで無理解という壁の中で苦しんできた精神科の患者さんをどのように受け止めて、偏見のない社会生活を送ってもらうか考えるべきなのだと思います。

2020年9月23日(水)

 心の余裕
投稿:長野央希
先日、よく行く居酒屋の大将が、体調を崩して緊急入院されました。幸いに10日ほどで退院されて、営業も再開できるようにはなっておられますが、緊急入院した日に、お店に予約を入れていたお客さんに、キャンセルのお願いの電話をされたそうです。大半のお客さんは、大将の体調を気遣い、キャンセルを快く受け入れてくれたようですが、ごく一部では「体調管理もプロとしての当然の義務だろう」といった主旨から、キャンセルに対して激怒されていたという話を聞きました。
こういった人は、想像力が欠如しているのだろうかとも感じてしまいます。自分は病気やケガとは無縁でいられると考えているのでしょうか?そもそも、どんなに体調管理をしていても、不可抗力の様な形で、病気になったり、けがをしてしまうような事態はありえます。血液疾患などは、大概が青天の霹靂の様な状況ばかりです。
私は落語が好きで、特に5代目古今亭志ん生をよくCDで聞きますが、彼は酒を飲んで高座に上がることがよくあったようです。(今の時代では、それ自体叩かれそうですが・・)寄席の高座でいねむりをしてしまったときに、弟子が起こしに行こうとすると、お客さんが「寝かしておいてやれ」と言い、客席の爆笑の中、眠り続けたという話があります。お客さんの実に粋な計らいと言えます。心のゆとりのある時代だったのでしょうか?
少し前までの日本は大変貧しく、ほんの一握りの人たちしか、欲しいものを手に入れることがかなわない時代が長かったと言えます。更に、貧富の差に関係なく、大半の病気は治す術もなかったと言えます。要するに、日本人の多くは耐え忍ぶことに慣れていたのだと思います。戦後の高度経済成長を経て、多くの人が色々なものを好きなように手に入れられるようになって、忍耐力という面では大きく退化してしまったように思われます。その結果、自分の思うようにいかない事態があると、怒りを爆発させてしまう人が増えてしまっているのかもしれません。
また、欧米的な合理主義、効率主義や大量生産大量消費といった概念が人間の心性にゆがみを生じさせているのではないかと考えてしまいます。合理的でなかったり、効率的に物事が遂行できない場合、無能な者とレッテルを貼られ、他にいくらでも交換要員がいるのだという脅しの中で、日々不安を抱きつつ生きていれば、精神的に摩耗してしまうのではないかと懸念しています。
科学の進歩で、未だかつてない便利さを享受している一方で、科学の進歩に足並みをそろえられない人間の精神は、悲鳴を上げつつあるような恐ろしさを感じてしまう今日この頃です。


2020年9月18日(金)

 口腔ケア
投稿:長野央希
私は、以前血液内科の医師として勤務しておりました。血液内科疾患の患者さんは、血液疾患そのもののためと同時に、抗がん剤やステロイド等による治療によって、免疫の低下している方が多いと言えます。
そのため、自分の上司も口腔内のケアの重要性について、盛んに患者さんへ説明しておりました。
口腔内のいわゆる雑菌と呼ばれるものは500〜700種類も存在しているといわれます。代表的な物でも、黄色ブドウ球菌、緑膿菌、肺炎桿菌、インフルエンザ菌やカビであるカンジダなどそうそうたる顔ぶれと言えます。
通常では、無害な菌も、免疫不全状態になれば、宿主に牙を向いてくることがあります。強力な抗がん剤治療を行ったりすれば、口腔内や腸管の粘膜障害から、常在菌が感染を引き起こす場合もあれば、口腔内菌による不顕性誤嚥から肺炎を生じたりすることもあります。
そのため、血液疾患で強力化学療法を行うような場合には、齲歯(虫歯)も含めた口腔内菌や、痔が時に重症感染を引き起こし、命取りになりかねないため、それらの管理が極めて重要と言えます。
口腔ケアには、いわゆる歯磨きもさることながら、舌ブラシでの舌のケアも大切と言えます。このことも、先述の上司がしきりに患者さんに話をされておられたのが印象に残っております。
先月か先々月にイソジンが新型コロナに良いというような報道がされておりましたが、イソジンがコロナに有効というよりは、口腔内を清潔に保つことで、口腔内菌による二次性肺炎を予防できるだろうということなのではないかと思われます。
腸内細菌フローラと肥満や糖尿病との関連なども指摘されるようになってきた昨今、これまで軽視されてきた体内の常在菌が少しづつ注目されてきております。我々人間を含めた生物は体内の常在菌と共生しています。これらの多種の常在菌とよりよい関係を築くことが、ある意味健康でいられることの秘訣と言えるのかもしれません。



2020年9月14日(月)

 当たり前のこと
投稿:長野央希
私は、この15年、欠かさず、夏季休暇を利用して、広島にカープの応援に行ってきました。今年も、9/8に対ヤクルト戦のチケットを購入しておりました。しかし、思いのほか、勤務医時代よりも休暇を取ることがためらわれる事実に気づき、同時に今年はコロナ禍も鑑みて、広島行は断念いたしました。カープが全くエンジンがかかってこず、調子が上向かない現状で、カツを入れてやりに行こうと思っていましたが、大変残念です。例年であれば、広島に野球観戦をして、翌日に厳島にわたり、厳島神社参詣の後、島内の弥山という山に登山をしてから、瀬戸内海の幸を食べ、そののち足を延ばして由布院の定宿で湯治をするのが定番なのです。大分は魚介も肉も、焼酎もおいしいので、そこで一泊をして、時間に余裕があれば、レンタカーで九州巡りをしたり、奈良に行って、古墳・神社巡りをしたりしてから、鎌倉で鶴岡八幡宮参拝して、頼朝公のお墓にお参りをしてというのも、好きなりょこおうコースであります。それらを含めて、今年は取りやめました。
コロナに関して、どこまでの移動制限をするかは、今尚、議論の余地の残るところですが、医療従事者として、患者さんが嫌がるようなことは極力避けなければならないと考えております。
このように当たり前の旅行すらままならない状況が続いております。
当たり前のことで思い出すことがあります。東北の震災で3/13に石巻に行った際には、避難所では上下水道とも機能がマヒしておりました。我々にとって、日常では上下水道は、当たり前すぎて、何とも思わないレベルの物ですが、実は当たり前のことではなく、色々な人の管理の賜物なのだということに気づかされました。上下水道は衛生や健康維持の根幹にもなってきます。こういった、当たり前ではないのに当たり前のように享受できる幸せを、かみしめていく必要があるのだと思います。
コロナ禍で、色々と日常生活に変化が生じておりますが、改めて、謙虚に自自然も含めたすべてのものに感謝の念を持つという日本古来の伝統的な思想に立ち返りたいものです。

2020年9月11日(金)

 台風一過
投稿:長野央希
先週末から今週頭にかけて、台風10号が、記録的な強さを保って、九州に上陸し、甚大な被害をもたらす可能性があると報じられてきましたが、被害の出た地域があったものの、不幸中の幸いで、報道ほどの被害は免れました。
とはいえ、台風シーズンの本番はこれからとも言えます。
昨年はラグビーW杯の期間中に、台風による大雨の被害が著しかったことは記憶に新しいところではあります。
最近は地球温暖化の影響もあってか、梅雨の雨量や台風の規模が常に記録的な状況となっています。地球の温度の高い状態が持続すれば、こういった「記録的」な大雨や台風は常態化していってしまうのではないかと懸念せざるを得ません。
今月、来月は、引き続き台風への備えをしっかりしていくことが必要かと思われます。
また、日本全体としても気温が高くなってきている点で、基本的に台風の影響をうけない北海道も、今後は台風と無縁というわけにはいかなくなるかもしれません。
台風被害、大雨被害は、日本全国で起きえる事象と考え、防災に取り組む必要があります。被災した場合に、我々医療機関もどのような協力ができるかを考えつつも、行政などとも密な連携をとって、転ばぬ先の杖としての対策を講じておく必要があるものと思います。


2020年9月9日(水)

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