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 緊急事態宣言などの話題
投稿:長野央希
首都圏及び関西圏では、緊急事態宣言3週で、新規感染者数が減少してきている一方で、新規感染者の内、高齢者の割合が増加していることを受けて、緊急事態宣言の延長で調整に入っている模様です。
緊急事態宣言では、飲食業界の営業時間に関する規制が主眼となっているように見受けられます。一方で、都内在住の友人の話では、昨年春の緊急事態宣言の際に比べると、街を歩く人の数は、大分多いということでした。
昨年の緊急事態宣言時に、私は埼玉で働いておりましたが、必要に迫られ、都内に行ったときに、これが東京なのかというほど、道行く人がいなかったことが強く印象に残っています。その時と比べると、道行く人は多く、緊急事態宣言の効力がどこまでなのか、若干疑問を禁じ得ない状況と言えます。
そもそも、飲食店を8時で営業終了にするということの意味は何なのかという疑問もあります。
だらだらと緊急事態宣言を延長するくらいであれば、短期間集中で営業停止措置にした方がよいのかもしれませんし、飲食業界全般が感染の温床となっているわけでもなく、感染拡大させるリスクの高い業種をピンポイントで、営業を控えてもらうという施策でもいいのではないかと思えます。
また、感染の拡大という意味で、最近は感染経路が不明なケースが増加しておりますが、これは当然と言えば当然と言えます。都内の朝の通勤列車は著しい密な状態を作り出しています。そこでは飛沫感染もさることながら、手すりなどを介した接触感染のリスクも考える必要があると思われます。換気を頻回にしているとはいえ、手すりなどの消毒をそこまでこまめには出来ないでしょう。この通勤列車に関しても、昨年春の時は、閑散としていたものが、現在は、コロナ前ほどではないにしろ、車内は混雑している模様です。電車内での感染は、もはや感染者の追跡を不能ならしめるに十分でありましょう。
緊急事態宣言の効力を上げようとすれば、この混雑する電車対策の方がはるかに重要ではないかと考えます。徹底されない緊急事態宣言をだらだらと延長することによる経済的打撃も尋常ではないでしょうから、むしろ、短期間集中で徹底した規制を設ける方が、理にかなった政策と言えます。
企業の側からすればどうかは分かりませんが、出勤せずにオンラインで可能な業務は、オンラインで行う方が望ましいのではないかと思われます。
メスで切るときには、ためらいながら、時間をかけて切開するよりも、思いっきりよく短時間で切開を加えた方が、傷の治りもよいのと同じように、国民に痛みを強いる政策は、徹底した内容で短期間に抑える方が、ダメージも少なく済ませられるのではないかと思います。

話題は変わりますが、コロナ前からもそうでしたが、どうもネットの怪しい情報で右往左往してしまう人が多くなっているように思われて心配です。
ネットは匿名性が担保されているため、明らかに無責任な情報が氾濫する事態となっています。情報を正しく取捨選択できれば良いですが、現実はなかなかそううまくいきません。なまじ知識がある人ほどネットのデマを固く信じて、一度信じてしまうとそれが矯正困難となっている場合があります。
ネット社会は極めて便利ではありますが、その危険性を正しく理解しないと、重大な問題を引き起こしていくということも事実です。
特にコロナで社会不安が強まっていると、容易にデマを信じてしまう下地が出来ていると言えます。我々は冷静に物事を見つめて、情報をしっかりと取捨選択していくことは国民としての責務ではないかと思います。


2021年2月1日(月)

 認知症の判定
投稿:長野央希
先日、顔写真で認知症の判定が可能となる旨の記事を読みました。
東京大学等のチームがまとめた報告で、AIを活用して顔写真によって認知症を判定する正答率が90%であったとのことです。この研究自体が「認知機能が低下した人は実年齢よりも高く見られる傾向がある」との先行研究を受けて企画されたもののようですが、とても面白い研究成果であろうと思います。認知症の診断というものは、案外に難しいもので、写真判定で検査が可能であれば、非常に簡便で安全性が高いと言えます。
勿論、認知症にも様々なタイプがありますので、アルツハイマー型なのか、脳血管性の者なのか、ピック病なのか等々、より詳しい病型までは判別は出来ないでしょうが、それでも認知症の早期発見が簡易にできるのであれば、とても大きな恩恵があろうと思います。

先述の通り、認知症も色々な病因があります。その中でも治療可能な物もあり、それが甲状腺機能低下症に伴う認知機能の低下です。この場合は甲状腺ホルモンの補充で、症状が改善します。また、その他の認知症も早期発見で、認知症の進行を遅らせる治療に結び付けることが可能となります。(残念ながら、現段階では、大半の認知症は治癒させることは出来ないですが)
認知症も考えようによっては、避けることのできない死への恐怖を認知症になることで軽減させられるという考え方もできるとは言えますが、周囲が介護によって疲弊してしまうことを避けつつ、本人の尊厳を保てるようにしていくことが、認知症治療の重要な所であろうと思います。
また、認知症を早期に把握することで、不幸な高齢者による自動車事故や、徘徊の上で行き倒れてしまうというような事件を未然に防ぐことが出来るようになるとすれば、本人にとっても家族にとっても、そして、社会にとっても極めてメリットが大きいと考えられますので、この写真判定の精度を高めていっていただければと願います。

2021年1月29日(金)

 明日に架ける橋
投稿:長野央希
最近はマスクの着用で度々ニュースになっておりました。
マスクをしない人の言い分としては、新幹線や飛行機に乗って、駅弁や機内食や飲み物を飲む際には、結局マスクを外さねばならないのだし、飲食店では、必ず皆がマスクをしていない時間があるのだから、マスク着用を強制するには矛盾があるのではないかということもあるのだと思います。それは、間違いなく一理あるとは思います。ただ、飲食店で、マスクを外して、飲食し、大声で会話すれば、そこから感染が拡大することは実際に見られている現象です。加えて、マスク着用の効能は、科学的にも証明はされています。勿論、マスク着用が絶対的な感染予防には当然なりませんが、感染リスクを軽減することは可能です。また、マスク着用は自己を守るというよりは、自分が感染している場合に、他人に感染を起こさせないという意味で他人を守る意味合いが強いと考えられます。
一時、ジョギングしている人がマスクをしていないと文句を言う人がいましたが、密でなく、大声で会話するわけでもないランナーがマスクをするのは不要と言えます。(心肺機能を高める目的ならば別ですが)
いつ何時でもマスク着用が必要というわけではないことも事実です。
それでも、人が集まるような空間では、マスク着用が望ましいと言えます。例えが適切かは分かりませんが、ネクタイ着用やジャケット着用が必要と言われるドレスコードのあるレストランに行く際に、あえて、ネクタイ着用を拒否して、店とけんかする人は滅多にいないように、TPOとしてマスクを考えるべき時代なのだと思います。今や飛行機や新幹線をドレスコードのあるレストランの様にとらえて、そこで求められるTPOを順守することがエチケットと言えるのではないかと思います。
前述のように、マスク着用の意義は、自分よりも他人を守ることが大きく、つまり、他人への思いやりの延長としての行為として、マスク着用があると思います。
現在は、自分が誰からウイルスをうつされるかわからないということで疑心暗鬼となり、自分以外の他者に対して、不信感を持つような状況となっています。相互不信のような状態です。こんな時だからこそ、もう一度、社会生活というものを考え直さねばならないと思います。人は一人では生きられません。周囲と軋轢もありながらも、共存していく必要があり、その集団生活を潤滑に送るためにはまなーやエチケットが不可欠なのです。そして、その根底にあるべきなのは、思いやりになろうかと思います。各自が独りよがりな行動をとっていては、感染の終息は望むべくもないと言えます。時には、One for all,All for one.のような精神が必要なのではないかと思います。
このような不安の多い社会情勢で、改めてサイモン&ガーファンクルの明日に架ける橋という曲の一つ一つの歌詞が、胸にしみわたります。
涙が出そうになりました。
Like a bridge over troubled water, ,I will lay me down.
Like a bridge over troubled water, ,I will ease your mind.

名曲はいつになっても名曲なのですね。こんなときだからこそ、皆に聞いてほしい曲です。


2021年1月25日(月)

 学歴社会
投稿:長野央希
先週末に共通テストが行われ、鼻出しマスク着用で失格となった受験生がおりましたし、飛行機内でマスク着用を拒否した結果、新潟空港に緊急着陸せざるを得なくなった事件(昨年9月)もありました。その問題の両者は逮捕されるという結果になりました。マスク着用に関して、自分なりの何らかのポリシーがあるのだとは思いますが、自分たちの行動で、周囲が甚大な迷惑をこうむったという事実があり、そういった配慮が出来ない時点で、社会人としての資質に問題があるとみなされても仕方がないことであろうと思います。
これらの事件はさておき、今年もコロナ禍のなか、受験シーズンが到来しております。
これまでも、しばしば大人が「大学は行った方が良い」という発言をしているのを耳にしてきました。日本は豊かになったこともあり、大学まで進学する人が増えておりますが、大学に行くことの必要性に、私はある時期から何か拭えない疑問を持つようになっておりました。
そもそも大学に行く意義というのは、将来自分がなりたい職業に関しての特殊技能を身に着けたり、専門的な勉強をするということだと思っております。あるいは、純粋な学問的な研究を突き詰めたいということもあろうと思います。しかし、今の日本では、就職に有利になるだろうということで、大学進学を志している人が多いように見受けられます。
大学で何を学んだかよりも、ただ大学を卒業したという事実が大事であるかのような風潮に、大変な違和感を感じるのです。
結局、就職の際に企業などの就職先が、人材の見極めが難しいと考えているために、その人間の優劣を判断する材料として、大学を出ていることやどこの大学を出ているといったことを判断材料とせざるを得ず、こういった問題が起きているように思われます。
しかし、そもそも、現在の受験システム自体が、著しく記憶力偏重の勉強ができる人に有利なものであると言えますが、はたしてそのような受験戦争の勝利者が優秀と言えるのかという問題が出てきます。個人的には、一流とか超一流と言われる学校を卒業してきた人間でも、医師として、全く優秀でない人間を少なからず見てきました。逆に一般的には三流と言われるような学校を出ていても、医師として優秀だなと思えるような人も見てきました。そういったこともあり、学歴とは何なのだろうかという矛盾を常々感じてしまうのです。時には大人の見得でしかないような学歴自慢にも、とても不快感を感じます。
そして、今の記憶力偏重の受験戦争勝利者が優位に立つ社会というものは、かつての中国の宋王朝に大分似通っているように思えてしまいます。宋王朝は、科挙という記憶力を問うような試験で役人の登用を行いましたし、国防というものをあまり重視しなかったために、北方からの異民族に領土を削られ、最終的にモンゴルに滅ぼされてしまいました。
今の日本も記憶力重視の熾烈な受験戦争、国防にあまり力を入れられない社会情勢など、不吉なほど状況の類似点が認められ、宋と同じ轍を踏まないようにしていきたいと切に思わずにはいられません。
学歴社会というものは、明らかに家柄や血筋でしか出世できないような社会から見れば、はるかに優れているとは思いますが、最近の日本の国力低下を考えると、現在のような人材登用システムでは限界があると考えます。
これから人口も減っていき、更に人材育成に難が生じてくれば、さらなる国力低下は免れません。人材育成や人材の抜擢というのは事程左様に難しいものではありますが、抜本的な改革(国民の意識改革も含めて)を考えるべき時期なのではないかと思う今日この頃です。

2021年1月20日(水)

 スポーツ界と新型コロナ
投稿:長野央希
現在、大相撲の初場所が行われております。力士の中でも新型kじょろな陽性者が相当数いた模様で、十両以上の関取も16人休場しています。横綱白鵬も感染をして休場しており、鶴竜はけがのため再度休場しておりますので、両横綱が休場している状況です。これだけ大量に関取衆が休場し、横綱も不在なんて言う事態で、よく初場所を開催したものだというのが率直な感想です。そんな中で、「新型コロナの感染が怖い」という理由で、琴貫鐡という一人の力士が引退しました。
このことには賛否両論があるとは思います。新型コロナが怖いという理由で、医師や看護師などが病院を辞めるのはどうなんだというのと同じような議論にはなるかもしれません。殊にコロナ病棟に勤務する職員がコロナを怖いという理由で退職するのはどうなんだということにはなります。
ただ、この琴貫鐡関は本当は力士を引退したくはなかったとのことです。
貴闘力親方のやっているyou tubeに出演して、思いを語っておられるのを拝聴しましたが、彼の言い分として、心臓の大手術を受けていることから、心臓が悪く、コロナ感染をきたした場合に命取りになりかねないという恐怖があること(実際に力士でも新型コロナ感染でなくなっているのを目のあたりにして)、この心臓の手術の時も、相撲協会や親方から治療費の援助がなかったため、片親である母親が治療費を工面してくれたのだが、再度新型コロナに感染して入院が必要となった場合に、その治療費を母親に負担してもらうことが心苦しいということ、新型コロナ感染のリスクを鑑みて、休場をしたい旨相談したものの、相撲協会からも佐渡が嶽親方からもその許可が下りず、引退を余儀なくされたことを切々と語っておられました。
この貴闘力チャンネルでは、しばしば相撲協会の改革要求が発せられていたり、一部の親方への嫌悪感を隠さない内容ですので、こちらのチャンネルの言い分のみをうのみにするのはフェアではなく、佐渡が嶽親方や相撲協会の言い分も聞いたうえで事の是非を判断すべきではあろうと思いますが、何とか琴貫鐡関の心情を汲んでで挙げられなかったかという残念な気持ちは残ります。
恐らく、どのスポーツでもプロと呼ばれる人たちは自分の競技において命を懸ける心積りを持っているのではないかと思います。特に相撲やボクシングなどの格闘系の物では実際に死と隣り合わせという面もあります。しかし、これはあくまで競技そのものによって死ぬ覚悟はあるかもしれませんが、病気で死ぬということは、全く別次元の問題と思います。
スポーツはあくまで娯楽です。かつての剣豪同士の果し合いとは違います。死を前提にすべきものではありません。日本では新型コロナ感染による致死率は東アジア以外での高い致死率とは異なりますが、それでも力士のような丈夫なはずの若者ですら命を落とす場合があるのも事実で、そういう状況を考えた場合、多くの持病を抱えるような力士は少しでも安全を担保してあげないと、今後力士を志そうとする若者がますます減少していってしまうのではという懸念があります。
翻って、東京五輪です。政府としては断行したいという思いが強いようですが、上述のように、ネアンデルタールの遺伝子を受け継いでいるものが新型コロナで重症化するのではという説があるように、実際に欧米やインドなどのネアンデルタールの遺伝子を有している民族の重症化率や致死率が高いという事実があります。そういった地域の人が、オリンピック観戦に、まず来日するのでしょうか?来日した場合に、そこで感染拡大をきたすようなことがあると、更に、それによってより一層死者が増加するような事態になれば、日本への信頼というものは大きく揺らぎかねないと思います。意図しないバイオテロのような状況は防がねばならないと思います。
スポーツはあくまで娯楽です。競技者も観戦者も、命を捨てる覚悟を持つべきものではないと思います。経済効果を期待して五輪を断行することは、長期的に見た場合、益が少ないように思えてなりません。

2021年1月16日(土)

 米国の民主主義
投稿:長野央希
昨年11月に米国の大統領選が行われ、ようやくバイデン氏の大統領就任が決定事項となりました。依然として、トランプ氏は選挙不正や選挙結果が盗まれたなどとの発言を繰り返し、挙句の果てには議会への反乱を扇動するような発言をしたことで、ついには共和党内でも孤立を深める結果となりました。
正直なところ、少なくともコロナへの対策一つとっても、トランプ政権は完全に失態を犯していると言わざるを得ず、新型コロナによる死者数が第二次正解大戦の戦死者を超えているという記事を見るにつけ、ある意味、今回のコロナ政策の失敗は一回の大戦の敗戦に匹敵するような過ちと言っても過言ではないのではと思われます。勿論、別の指導者だったら、コロナの抑え込みに成功したなどの観測は慎まねばならないでしょうが。
地球温暖化に対しても、全くその事実すら認めようとせず、彼は科学的な事例に関しては、理解を示すこともなく、それに対処する術を知らないかのように見えました。
彼が大統領職にしがみつこうとしているのが、これまで彼が犯してきた様々な犯罪行為を断罪されたくないからではないかとうがった解釈をしてしまうほどの醜態をさらしているように見えてなりません。
そんなトランプ大統領ですが、こういった状況にもかかわらず、高い人気と支持を維持しているのです。日本での人気は、よく分かりませんが、恐らく既存のやり方と異なる行動をとっていることが単純に面白いからなのかもしれません。少なくとも、日本人にとっては、トランプ氏が何をしても日本にとってはそれほど重大な影響がないということから、気楽に応援できているのかもしれません。一方で、本国米国では労働者階級の白人に根強い人気を誇っているという話でした。このことを踏まえて、トランプ氏の米国での人気が落ちない理由に興味を持ち、岩波新書の『白人ナショナリスト』という本を読みました。殊に白人の労働者層は、現代米国において、自分たちの境遇に様々な不満を抱いており、長年共和党も民主党も彼らの不満を拾い上げることなく、彼らの受け皿になってこなかったことで、政治不信に陥っているのだろうと思われます。そういった中で、二大政党の色に染まっていない異色なトランプ氏が米国の白人を優遇してくれそうな政策を公約として掲げたことで、根強い信者たちが形成されたのかもしれません。また、いわゆる白人ナショナリストと呼ばれる人たちも、その主義主張で大きな幅があり、場合によってはネオナチや差別主義者もその中に含まれてくるようです。白人ナショナリストたちの思想は、トランプ氏の政策の基礎となる部分で、非常に似通っています。その中で、非常に興味深いのは、米国の外交政策としては、米国は米国のことに集中するという形で、対外的には極力関与しないという思想です。確かに、トランプ氏の政策は対中や対イランにおいて時に強硬な姿勢を見せますが、終始一貫しておらず、殊に中東情勢には米軍を撤退させようとしたりと、従来の米国の姿勢とは大きく異なるものが見受けられます。米国人も米国があまり関与しないような他国のために命を懸けたくないという考えもあり、そこの面でも米国民とトランプ氏の考えが合致したのかもしれません。
更に昨年は特にBLM運動などの差別への抗議活動が活発になっておりましたが、昨今、こんな単語や話題までもが差別になるのかというような事例も散見され、むしろ、反差別が言論の自由を抑制しているような状況も見られます。こういったことに対して、白人ナショナリストは白人の権利を奪うなということで怒っていることも少なくないようです。特に白人の多くは自分たちが米国を強くしてきたという自負があり、しかしながら、そんな自分たちの権利が奪われてしまっているような印象を抱いていることで、危機感を募らせていることも伺われます。実質的にトランプ氏がそういった白人たちにどれだけの恩恵を与えてきたのかという問題は置いておき、それでもそんな不満を抱く自分たちに寄り添ってくれているような感覚を与えたことで、トランプ氏の人気は盤石になっていたのかもしれません。
そういった米国内の実情を鑑みても、今回の暴徒の議会選挙は決して容認できるようなものではないと思います。世界に民主主義を押し付け続けている米国で、これほど民主的でない暴挙は、米国の凋落を如実に物語る歴史的事象になるのではないかと危惧しております。

2021年1月12日(火)

 「命の選別」という問題
投稿:長野央希
新型コロナの流行第三波が来たことで、再び首都圏の一都三県では緊急事態宣言が発令されております。大阪や兵庫、京都もその発令を検討中のようですが、そのような大都市では医療機関数も多い分、医療崩壊に至るまでには、ある程度の猶予はあるかもしれません。一方で、大都市ではなくなると、コロナ診療を行う医療機関数も限られてくる分、万が一に感染者数が急増していくと、一気に医療崩壊に至ってしまうことも懸念されます。そのためにはいかに感染者(中等症から重症)を増やさないかがカギにはなってくるでしょう。正直なところ、緊急事態宣言を出すタイミングとしては、既に時機を逸しているように思われます。また、感染が拡大する状況を作らないようにすることが重要ではあるのですが、実際には都内に行って帰ってくれば、必ず感染してしまうというものでもないです。やはり、密な環境で、大きな声で話をしたり、密着したりということが繰り返されれば、感染のリスクは高くなるでしょうし、もしかしたら、電車内の手すりなどに付着したウイルスに接触して、その手で目をこすったり、口や鼻を触れば感染をきたす可能性も高くはなるでしょう。そういった、飛沫感染や接触感染に対して、注意を払うことが重要なのだと思います。
そういう意味ではカフェや居酒屋や寿司屋や牛丼屋などに少人数で行き、静かに飲み食いしている分には、そうそう感染が拡大するとは考えにくいですし、プールや温泉で感染が拡大したという事例もあまり聞きません。
やはり、いわゆる宴会などの集団で大騒ぎをしたり、ライブハウスやクラブのようなところで騒いだりすることが最も感染拡大のリスクを高める行為なのだとは思いますので、そこを控えることが大切なのではないかと思います。もっとも、バカ騒ぎの定義は各人で異なるために、ここまではいいやと考えて、規制緩和してしまうことで、なし崩し的に、何でもありの状況になりかねないのは事実と言えましょう。結果的に各人の考えを尊重していると、行動に自制がかからなくなりかねず、その自制を利かすための緊急事態宣言と言えるのかもしれません。
そんな感染が拡大する中、高齢の方での新型コロナ感染で、重症化した場合に人工呼吸器やECMOによる治療を行うかという点で、それをしないという選択肢が増えてきているという記事を見ました。
命の選別という言葉で書かれておりますが、しかし、御高齢の方に対する治療で、人工呼吸器管理をするか否か等の問題は、何も今回のコロナの件で初めて悩まされるようなものではないことを前もって言っておかねばなりません。入院での治療を行っていれば、当然助けられない命があるのは事実です。その場合に最期をどう過ごしていただくかは極めて重要な問題でありますが、人工呼吸器管理など、徹底的に治療を行う場合もあれば、苦しまないように無理な延命治療はしないようにということで、苦痛を取り除くような緩和的治療を行う場合もあります。特に御高齢の方の場合だと、人工呼吸器管理やECMO管理をして、救命できても、それを契機に認知症をきたしたり、ADL低下のために、寝たきりのような状況になってしまったりということも少なからず起きてきます。そういったことを踏まえ、御家族が呼吸器管理などの集中治療は望まれないケースも多いのが実情です。
コロナではない肺炎の高齢者では、しばしば遭遇するケースです。そういう意味では、医療者は昔から命の選別という問題に悩んできたのです。また、治療法の選別という点では、災害医療におけるトリアージもその範疇に入ると言えます。今回、新型コロナの影響で、そういった悩ましいケースに短時間でしばしば遭遇してしまうということはあるのだと言えます。また、新型コロナと一般の肺炎の患者さんとの違いは、新型コロナでは日々の面会ができないために、治療経過の中で、患者さんが元気になっていっているのか、衰弱していっているのかを家族が目の当たりに出来ないことがあります。毎日面会して、医療者の多くの努力にもかかわらず、患者さんが衰弱していう姿を家人が見ていると、「あまり苦しませたくない」という気持ちになりやすいのかもしれませんが、新型コロナの場合は家人が医療者の治療している姿や治療内容をつぶさに感じられないため、集中治療を断念された場合に、何か釈然としない思いが出てしまう可能性はあります。
「命の選別」はコロナ以前から医療者を悩ませた問題であり、コロナ後も確実に悩ませ続ける問題であります。
人間は必ず最後は亡くなります。その最期をいかに苦しまず、少しでも有意義に過ごしていただけるようにするかというのも、我々医療者が向き合わな変えればならない大きな問題なのだと思います。

2021年1月9日(土)

 大雪
投稿:長野央希
今朝は積雪量の急増で、2時間弱、医院の駐車場の雪かきに追われておりました。気温が低いため、新潟にしては珍しく?パウダースノーのような雪質になっております分、若干雪が軽いのがせめてもの救いかもしれません。
私が子供の頃は、1m近く雪が積もって、自宅の庭で、今は亡き父とかまくらを作ったりしていたことが思い出されますが、最近は新潟市はめっきり雪が減り、何だか寂しい思いをしておりました。そんな子供のころの記憶もあって、雪への郷愁から魚沼が好きなのかもしれません。
しかし、魚沼に住んでいる頃から、雪の降っている間や降り終わった直後は、時に雪に対して恨めしく思うこともしばしばでした。そして、この数日の新潟市内も、そんな雪への恨み言を言いたくなる状況となっております。
魚沼で大雪の時は、傘をさして歩いていると、5分もすれば、傘に積もる雪の重量で、とても片手で傘を支えきれなくなるほどのこともありました。流石に新潟市内ではそういったことまではないものの、魚沼に比べて風が強いことで、心身に与えるダメージは何となく大きいように感じられます。
また、魚沼は基本的には雪が積もることを前提にしているので、融雪剤をこまめにまいていたり、除雪車による除雪も充実しており、雪が降り出せば、即座に消雪パイプから水が出るようになっておりますが、新潟市内では、そこまでの雪対策は望むべくもない状況です。幸いに、西大通りや、ある程度車通りの多いような通りは除雪がされているために、車は走れておりますが、住宅街の道路までは当然のごとく除雪が十分なされないため、結果的に車が出せないというような状態に陥っております。
新潟市としては、今回のような積雪は例外的なものとして考えられるでしょうから、なかなか雪対策にそれほどの予算は避けないのだと思いますが、雪国新潟としては、もう少し雪への備えがあってもいいような気がしてしまいます。

2021年1月9日(土)

 寒波到来
投稿:長野央希
昨年から、度々寒波が到来しております。年末年始も寒波で大雪となり、昨日よりさらに強力な寒波によって、暴風雪となっております。
12/31、,1/1と魚沼におりましたので、もろに大雪を体感してきました。昨日も魚沼におり、その際に現地の人が「昨年暖冬で雪も少なかった分、仇でも取るかのように今シーズンは雪が多い」と半ば笑い話の様におっしゃっておりました。ここ数年が小雪であったこともあり、久々に魚沼らしい冬と言えるのかもしれません。しかし、今シーズンは新潟市も例年に比して、寒く雪の多い状況となっております。昨日は魚沼から新潟市に戻る際には、暴風雪の影響で、三条インターから新潟中央インターまで不通となっており、三条インターで下りなければなりませんでした。三条で下りたはいいものの、農道では猛吹雪でホワイトアウトして、ほぼまるで前方が見えなくなるようなこともあり、非常に恐ろしい思いをしながら帰ってきました。バイパスの新通インターから西大通りに出るところでは停電の影響で、信号が消えており、大渋滞しておりましたし、医院に帰り着いたら、停電のため、電気も暖房もつかず、電話もつながらないような状況でした。自分の住まいに帰ってみると、独居であることもあり、人気がないことも相まって、家の中が厳しい寒さとなっておりました。停電のために暖房がつかず、寝室は気温2℃でした。幸いにマイナス2℃まで大丈夫な登山用の寝袋があるために、その中に入っていることで、無事に過ごせましたが、自然の脅威には太刀打ちできないことを身をもって悟りました。昨日は停電で原信もゲオも電気が消えており、東北の震災で3/13に仙台に行った時の情景が思い出されました。

魚沼にいる頃は、寒波で水道が凍ってしまい、丸2日間トイレも流れなくなったことがありましたが、あの時は用を足すために、近所のコンビニに行かねばならないような羽目にあいました。何とか、今シーズンはそんなことのないように気を付けたいと思います。
今月中は再度寒波が到来する可能性が高いようですので、どうか災害にも体調管理にも御気を付け頂きたいと思います。

2021年1月8日(金)

 明けましておめでとうございます
投稿:長野央希
新年明けましておめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い致します。

2020年という年は、多くの意味で異例尽くしの一年でした。新型コロナウイルスに翻弄された一年と言っても過言ではないと言えます。オリンピックが延期というのも前代未聞のことでした。 
戦争やイデオロギーの問題で、オリンピック参加をボイコットしたりということはありましたので、感染症が戦争に匹敵するほどの大事件として改めて認識させられた一年でもありました。
感染症を起こす細菌やウイルスと人類との戦いは、人類が出現したと同時に始まっておりますので、果てしのない戦いと言えます。そして、医学がどれほど進歩しても、この感染症との戦いに勝ち切ることはできないのではないかと思われます。従って、時には感染症病原微生物と、どのように共存するかを考える必要もあると言えます。
年末から、新型コロナウイルスの変異の話題がかまびすしくなっておりますが、そもそもウイルスの立場では、人類が滅亡するような事態になっては、自分たちも生きられないので、何とか人類には生き続けてもらう必要があるのです。ですから、変異することで、場合によっては弱毒化して、人間と平和裏に共存するという戦略をとっていく可能性も高いのです。ですから、変異ということで、いたずらに、恐怖を抱いたり、恐怖をあおることは慎まねばなりません。
また、この感染症との戦いというのは人類と病原微生物との戦いです。今回であれば、新型コロナウイルスとの戦いであって、人類同士の戦いではありません。にもかかわらず、昨年は人間の醜い側面も垣間見なければならない事態となっておりました。コロナ診療にあたる医療者や感染者に対して、時に偏見を、時に差別的な見方をすることで、敵視する人が少なからずおられました。このように人間同士がいがみ合って、闘うような事態は、完全に時間と労力の無駄であります。このような無駄をすることで、本来のウイルスとの戦いの前に、多くのことを消耗させてしまっている愚行と言ってもいいのではないでしょうか?
コロナウイルス自体は、毎年風邪を引き起こす代表的なウイルスでもありますので、誰がどこで感染をしても何ら不思議ではありません。人間であれば、平等に感染する機会があります。新型ということで、分からないことが多すぎて、不安から恐怖につながり、恐怖が差別や偏見を助長させるのは、理解できますが、そこで冷静になる必要があると思います。改めて、現在我々が置かれている状況を見つめなおす必要があります。我々が闘うべき相手はウイルスであって、人間ではないという事実を再確認していただきたいと思います。ワクチンや抗ウイルス薬の開発なども闘うためのツールでありますし、感染の予防のためにするべきしっかりとした手洗いを習熟することも重要ですし、ウイルスに関しての知識を深めて、いたずらな不安を抱かないようにすることも大切です。また、常に自分もウイルスの保菌者かもしれないと考えて行動することも必要かもしれません。ウイルスから自分を守るだけでなく、相手も守るという考え方が極めて大切なことのように思えます。そのためにマスクを着用することも相手を思いやるという意味でとても大切な行為であると思います。
1919年のスペイン風邪の事例を参考にすれば、今回のウイルス感染の流行は波はあると言え、二年程度は持続すると考えなければならないと思います。ですから、最低でも、後一年はウイルスとの戦いは続くと見なければならないでしょう。その中で、ウイルスと徹底抗戦するのか、平和的共存を図ろうとするのかは、今後の状況を見ていく必要がありますが、恐らく季節性インフルエンザとの付き合いと同様に、どのようにしてウイルスと共存するかを考えるべき時期が来ると思います。
2021年という年が、ウイルスとの抗争の終結だけでなく、人間同士に出来た溝を埋める一年になってほしいと切に願います。

2021年1月2日(土)

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