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 「命の選別」という問題
投稿:長野央希
新型コロナの流行第三波が来たことで、再び首都圏の一都三県では緊急事態宣言が発令されております。大阪や兵庫、京都もその発令を検討中のようですが、そのような大都市では医療機関数も多い分、医療崩壊に至るまでには、ある程度の猶予はあるかもしれません。一方で、大都市ではなくなると、コロナ診療を行う医療機関数も限られてくる分、万が一に感染者数が急増していくと、一気に医療崩壊に至ってしまうことも懸念されます。そのためにはいかに感染者(中等症から重症)を増やさないかがカギにはなってくるでしょう。正直なところ、緊急事態宣言を出すタイミングとしては、既に時機を逸しているように思われます。また、感染が拡大する状況を作らないようにすることが重要ではあるのですが、実際には都内に行って帰ってくれば、必ず感染してしまうというものでもないです。やはり、密な環境で、大きな声で話をしたり、密着したりということが繰り返されれば、感染のリスクは高くなるでしょうし、もしかしたら、電車内の手すりなどに付着したウイルスに接触して、その手で目をこすったり、口や鼻を触れば感染をきたす可能性も高くはなるでしょう。そういった、飛沫感染や接触感染に対して、注意を払うことが重要なのだと思います。
そういう意味ではカフェや居酒屋や寿司屋や牛丼屋などに少人数で行き、静かに飲み食いしている分には、そうそう感染が拡大するとは考えにくいですし、プールや温泉で感染が拡大したという事例もあまり聞きません。
やはり、いわゆる宴会などの集団で大騒ぎをしたり、ライブハウスやクラブのようなところで騒いだりすることが最も感染拡大のリスクを高める行為なのだとは思いますので、そこを控えることが大切なのではないかと思います。もっとも、バカ騒ぎの定義は各人で異なるために、ここまではいいやと考えて、規制緩和してしまうことで、なし崩し的に、何でもありの状況になりかねないのは事実と言えましょう。結果的に各人の考えを尊重していると、行動に自制がかからなくなりかねず、その自制を利かすための緊急事態宣言と言えるのかもしれません。
そんな感染が拡大する中、高齢の方での新型コロナ感染で、重症化した場合に人工呼吸器やECMOによる治療を行うかという点で、それをしないという選択肢が増えてきているという記事を見ました。
命の選別という言葉で書かれておりますが、しかし、御高齢の方に対する治療で、人工呼吸器管理をするか否か等の問題は、何も今回のコロナの件で初めて悩まされるようなものではないことを前もって言っておかねばなりません。入院での治療を行っていれば、当然助けられない命があるのは事実です。その場合に最期をどう過ごしていただくかは極めて重要な問題でありますが、人工呼吸器管理など、徹底的に治療を行う場合もあれば、苦しまないように無理な延命治療はしないようにということで、苦痛を取り除くような緩和的治療を行う場合もあります。特に御高齢の方の場合だと、人工呼吸器管理やECMO管理をして、救命できても、それを契機に認知症をきたしたり、ADL低下のために、寝たきりのような状況になってしまったりということも少なからず起きてきます。そういったことを踏まえ、御家族が呼吸器管理などの集中治療は望まれないケースも多いのが実情です。
コロナではない肺炎の高齢者では、しばしば遭遇するケースです。そういう意味では、医療者は昔から命の選別という問題に悩んできたのです。また、治療法の選別という点では、災害医療におけるトリアージもその範疇に入ると言えます。今回、新型コロナの影響で、そういった悩ましいケースに短時間でしばしば遭遇してしまうということはあるのだと言えます。また、新型コロナと一般の肺炎の患者さんとの違いは、新型コロナでは日々の面会ができないために、治療経過の中で、患者さんが元気になっていっているのか、衰弱していっているのかを家族が目の当たりに出来ないことがあります。毎日面会して、医療者の多くの努力にもかかわらず、患者さんが衰弱していう姿を家人が見ていると、「あまり苦しませたくない」という気持ちになりやすいのかもしれませんが、新型コロナの場合は家人が医療者の治療している姿や治療内容をつぶさに感じられないため、集中治療を断念された場合に、何か釈然としない思いが出てしまう可能性はあります。
「命の選別」はコロナ以前から医療者を悩ませた問題であり、コロナ後も確実に悩ませ続ける問題であります。
人間は必ず最後は亡くなります。その最期をいかに苦しまず、少しでも有意義に過ごしていただけるようにするかというのも、我々医療者が向き合わな変えればならない大きな問題なのだと思います。

2021年1月9日(土)

 大雪
投稿:長野央希
今朝は積雪量の急増で、2時間弱、医院の駐車場の雪かきに追われておりました。気温が低いため、新潟にしては珍しく?パウダースノーのような雪質になっております分、若干雪が軽いのがせめてもの救いかもしれません。
私が子供の頃は、1m近く雪が積もって、自宅の庭で、今は亡き父とかまくらを作ったりしていたことが思い出されますが、最近は新潟市はめっきり雪が減り、何だか寂しい思いをしておりました。そんな子供のころの記憶もあって、雪への郷愁から魚沼が好きなのかもしれません。
しかし、魚沼に住んでいる頃から、雪の降っている間や降り終わった直後は、時に雪に対して恨めしく思うこともしばしばでした。そして、この数日の新潟市内も、そんな雪への恨み言を言いたくなる状況となっております。
魚沼で大雪の時は、傘をさして歩いていると、5分もすれば、傘に積もる雪の重量で、とても片手で傘を支えきれなくなるほどのこともありました。流石に新潟市内ではそういったことまではないものの、魚沼に比べて風が強いことで、心身に与えるダメージは何となく大きいように感じられます。
また、魚沼は基本的には雪が積もることを前提にしているので、融雪剤をこまめにまいていたり、除雪車による除雪も充実しており、雪が降り出せば、即座に消雪パイプから水が出るようになっておりますが、新潟市内では、そこまでの雪対策は望むべくもない状況です。幸いに、西大通りや、ある程度車通りの多いような通りは除雪がされているために、車は走れておりますが、住宅街の道路までは当然のごとく除雪が十分なされないため、結果的に車が出せないというような状態に陥っております。
新潟市としては、今回のような積雪は例外的なものとして考えられるでしょうから、なかなか雪対策にそれほどの予算は避けないのだと思いますが、雪国新潟としては、もう少し雪への備えがあってもいいような気がしてしまいます。

2021年1月9日(土)

 寒波到来
投稿:長野央希
昨年から、度々寒波が到来しております。年末年始も寒波で大雪となり、昨日よりさらに強力な寒波によって、暴風雪となっております。
12/31、,1/1と魚沼におりましたので、もろに大雪を体感してきました。昨日も魚沼におり、その際に現地の人が「昨年暖冬で雪も少なかった分、仇でも取るかのように今シーズンは雪が多い」と半ば笑い話の様におっしゃっておりました。ここ数年が小雪であったこともあり、久々に魚沼らしい冬と言えるのかもしれません。しかし、今シーズンは新潟市も例年に比して、寒く雪の多い状況となっております。昨日は魚沼から新潟市に戻る際には、暴風雪の影響で、三条インターから新潟中央インターまで不通となっており、三条インターで下りなければなりませんでした。三条で下りたはいいものの、農道では猛吹雪でホワイトアウトして、ほぼまるで前方が見えなくなるようなこともあり、非常に恐ろしい思いをしながら帰ってきました。バイパスの新通インターから西大通りに出るところでは停電の影響で、信号が消えており、大渋滞しておりましたし、医院に帰り着いたら、停電のため、電気も暖房もつかず、電話もつながらないような状況でした。自分の住まいに帰ってみると、独居であることもあり、人気がないことも相まって、家の中が厳しい寒さとなっておりました。停電のために暖房がつかず、寝室は気温2℃でした。幸いにマイナス2℃まで大丈夫な登山用の寝袋があるために、その中に入っていることで、無事に過ごせましたが、自然の脅威には太刀打ちできないことを身をもって悟りました。昨日は停電で原信もゲオも電気が消えており、東北の震災で3/13に仙台に行った時の情景が思い出されました。

魚沼にいる頃は、寒波で水道が凍ってしまい、丸2日間トイレも流れなくなったことがありましたが、あの時は用を足すために、近所のコンビニに行かねばならないような羽目にあいました。何とか、今シーズンはそんなことのないように気を付けたいと思います。
今月中は再度寒波が到来する可能性が高いようですので、どうか災害にも体調管理にも御気を付け頂きたいと思います。

2021年1月8日(金)

 明けましておめでとうございます
投稿:長野央希
新年明けましておめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い致します。

2020年という年は、多くの意味で異例尽くしの一年でした。新型コロナウイルスに翻弄された一年と言っても過言ではないと言えます。オリンピックが延期というのも前代未聞のことでした。 
戦争やイデオロギーの問題で、オリンピック参加をボイコットしたりということはありましたので、感染症が戦争に匹敵するほどの大事件として改めて認識させられた一年でもありました。
感染症を起こす細菌やウイルスと人類との戦いは、人類が出現したと同時に始まっておりますので、果てしのない戦いと言えます。そして、医学がどれほど進歩しても、この感染症との戦いに勝ち切ることはできないのではないかと思われます。従って、時には感染症病原微生物と、どのように共存するかを考える必要もあると言えます。
年末から、新型コロナウイルスの変異の話題がかまびすしくなっておりますが、そもそもウイルスの立場では、人類が滅亡するような事態になっては、自分たちも生きられないので、何とか人類には生き続けてもらう必要があるのです。ですから、変異することで、場合によっては弱毒化して、人間と平和裏に共存するという戦略をとっていく可能性も高いのです。ですから、変異ということで、いたずらに、恐怖を抱いたり、恐怖をあおることは慎まねばなりません。
また、この感染症との戦いというのは人類と病原微生物との戦いです。今回であれば、新型コロナウイルスとの戦いであって、人類同士の戦いではありません。にもかかわらず、昨年は人間の醜い側面も垣間見なければならない事態となっておりました。コロナ診療にあたる医療者や感染者に対して、時に偏見を、時に差別的な見方をすることで、敵視する人が少なからずおられました。このように人間同士がいがみ合って、闘うような事態は、完全に時間と労力の無駄であります。このような無駄をすることで、本来のウイルスとの戦いの前に、多くのことを消耗させてしまっている愚行と言ってもいいのではないでしょうか?
コロナウイルス自体は、毎年風邪を引き起こす代表的なウイルスでもありますので、誰がどこで感染をしても何ら不思議ではありません。人間であれば、平等に感染する機会があります。新型ということで、分からないことが多すぎて、不安から恐怖につながり、恐怖が差別や偏見を助長させるのは、理解できますが、そこで冷静になる必要があると思います。改めて、現在我々が置かれている状況を見つめなおす必要があります。我々が闘うべき相手はウイルスであって、人間ではないという事実を再確認していただきたいと思います。ワクチンや抗ウイルス薬の開発なども闘うためのツールでありますし、感染の予防のためにするべきしっかりとした手洗いを習熟することも重要ですし、ウイルスに関しての知識を深めて、いたずらな不安を抱かないようにすることも大切です。また、常に自分もウイルスの保菌者かもしれないと考えて行動することも必要かもしれません。ウイルスから自分を守るだけでなく、相手も守るという考え方が極めて大切なことのように思えます。そのためにマスクを着用することも相手を思いやるという意味でとても大切な行為であると思います。
1919年のスペイン風邪の事例を参考にすれば、今回のウイルス感染の流行は波はあると言え、二年程度は持続すると考えなければならないと思います。ですから、最低でも、後一年はウイルスとの戦いは続くと見なければならないでしょう。その中で、ウイルスと徹底抗戦するのか、平和的共存を図ろうとするのかは、今後の状況を見ていく必要がありますが、恐らく季節性インフルエンザとの付き合いと同様に、どのようにしてウイルスと共存するかを考えるべき時期が来ると思います。
2021年という年が、ウイルスとの抗争の終結だけでなく、人間同士に出来た溝を埋める一年になってほしいと切に願います。

2021年1月2日(土)

 保健所
投稿:長野央希
最近、港区の保健所の職員が現在のコロナ状況下で、丸一年、ほぼ無休で、対応にあたっているという内容の新聞記事を読みました。家族の時間も持てず、このままコロナの流行が継続していくようであれば「絶望しかない」というようなコメントも載っておりました。本当に大変な中で仕事をされていると、改めて痛感させられました。自治体によって、その多忙さには差はあるでしょうが、おしなべてどこの保健所の職員の方々も、大変なご苦労をされていることは間違いないと思われます。
私もこれまで色々と保健所にはお世話になっております。
研修医の頃、地域医療研修の一環で、世田谷の保健所で手伝いをさせていただきました。この際には、STD(いわゆる性病)の検査及び結果説明をさせてもらいましたし、いわゆるゴミ屋敷に訪問診療に行ったり、場合によっては、他の職員の方と、ゴミ屋敷の清掃をしたりしました。玄関を開けると、入り口の扉にゴキブリが何匹も歩いていたり、飛んできたりと、想像以上の重労働でしたし、部屋の中は何年分のゴミが積もっているのだろうかというくらいで、床がまるで見えないところから、掃除をして、床が見えるようになっただけで、感動したことを思い出します。
その他にも、食中毒事例が発生したら、それに対応した緊急会議などにも出席させてもらいましたし、様々な業務があり、時には不測の事態への緊急の対策を練る必要があったりと、臨床とは違った多忙さがありました。
その後も、埼玉県で働いている時には、結核審査会に隔週で出席しておりましたので、熊谷保健所の職員の方々にも大変お世話になりました。
そして、今年、自分の医院の継承の際にも新潟保健所の方々や医師会の方々には大変お世話になりました。現在も新型コロナ対応について、とても保健所の感染対策室の方々に大変お世話になっております。

現在はコロナ感染が終息の気配を感じさせない情勢であり、先の見通せない中で、医療関係者のみならず、保健所の職員の方々も疲弊されつつあると言えます。私も、開業医として何か役に立ちたいと思い、やれることをやっておりますが、さして役に立てているようには思えず、とても心苦しい日々を過ごしております。
コロナの第一波の際には、保健所の対応に対して苦情の電話が鳴り続いたりということもあったようです。社会には、自分の正しいと思うことや、正義と思うことに反していると、それを正さなければならないという使命感をお持ちの方がいらっしゃいます。その発露として苦情の電話をかけたりしているのかもしれませんが、結果的にそれが、保健所や医療機関の業務を妨げ、より一層、対応を後手に回らせてしまう悪循環に陥らせる危険があることを理解していただく必要があろうと思います。
年始年末も、無休で働かざるを得ない方々も少なからず、いらっしゃると思いますが、どうか御自愛いただき、くれぐれもご自分の心身ともの健康に御気を付け頂きたいと思います。

2020年12月25日(金)

 新型コロナの話題
投稿:長野央希
ここにきて、全国的に新型コロナの感染者数が増加の一途をたどっております。そのような情勢下で、神奈川県と広島県では新型コロナ陽性と診断され、自宅療養中に二名の方が亡くなったということで、大きく報道されております。亡くなった死因などは不詳なことが多いため、あまり無責任なことは言えませんが、広島県の方は心筋梗塞の既往があった模様です。
広島県の方の御遺族はせめて、受診の際に画像診断をしてくれていたらという無念な思いを吐露されておりますが、しごく尤もなご意見であろうと思われます。ただ、医療機関で働いていると、新型コロナ陽性の方が容易にはCTなどが行えない現状も認めざるを得ないのです。
私は4〜5月に埼玉県内の病院のコロナ病棟で働いておりました。そこで発熱外来を行っておりましたので、新型コロナ陽性と診断した場合には、当時は基本的に全例入院していただいておりました。その時点では病床もひっ迫している状況ではなかったからでもあります。それでも、入院時や入院中に画像診断をするというのは簡単ではないのでした。レントゲンに関しては、ポータブル(持ち運びができる)レントゲンがあるので、検査を施行するのには問題がないのです。しかし、新型コロナ感染の場合は、レントゲンよりはCT検査の方が格段に有用ではある一方、新型コロナ陽性の方をCT室にお連れすること自体が、極めて大掛かりな事業となります。というのも、コロナ感染の方と、そうでない方の接触を避ける必要があるため、陽性者をCT室にお連れする際には、その時間を他の患者さんと遭遇しないように、前もって一般の患者さんを、その通り道に近づけないようにしておく必要があり、また一般の患者さんがCTを取る時間帯を避ける必要があるので、結局CTを撮るのには、大幅な待ち時間が出来てしまうからです。入院していれば、入院の病棟で検査を待てますが、入院でないとなると、CT検査を待つのに5時間以上はお待ちいただく場合もあり、その間をどこで待機していただくのかという問題も浮上します。更には、新型コロナ感染の方のCTを施行した場合、検査後のCT室では消毒や清掃などもあって、場合によっては、半日近く使用できなくなる可能性もあり、そうなった場合には通常の診療(とりわけ救急診療)に支障が出てしまうのです。こういった状況で、残念ながら、コロナ感染の方でCT検査は容易には出来ない医療機関が少なくないと思われます。医療現場の窮状というのは病床数が足りないこともありますが、このように簡単にCTなどの精査に踏み切れないことも要因の一つであろうと思います。

また、最近は英国での報告もありましたが、新型コロナウイルスの「新種」が増加してきているとのことです。変異株は、より感染力が強いのではないかということですが、問題は感染した際に発病する「病原性」の高低や発病した際の重症化のしやすさの指標であるビルレンス(毒性)の高低であろうと思われます。感染しても、重症化する割合が低いのであれば、通常の風邪を引き起こすコロナウイルスとさして差がないことになりますので、新型コロナウイルスの変異が起きたということで、パニックに陥らないことが極めて重要です。ただし、変異株が増加するということは、現在出回りつつあるコロナワクチンの有効性にも疑問符がついてくることは否めませんので、その点でもワクチンに過度の期待を抱かず、冷静に状況を見極めていく必要があります。

2020年12月21日(月)

 大雪
投稿:長野央希
私は週一回、魚沼の方で仕事があるため、大概は自動車で、時々新幹線で魚沼に行きます。(週末に魚沼に行く場合もあるので、多い時は週3〜4回魚沼に行っている計算になります。)
今週も水曜の夜に車で魚沼に行き、木曜の夕方に新潟市に帰ってきました。
先週までは、まるで雪もない状況でしたが、今週の水曜は雪が降り続き、一面雪の世界となっておりました。私も魚沼に住んでいる際は、雪の降った日の朝は、車の雪払いと、車周囲の雪堀りをするのが当たり前でしたが、ここ数年は雪の少ない状況が続き、スキー場関連の仕事の方は大分つらい時期を過ごされていたと聞きました。
今年はどうなるかと思いきや、雪の降り始めから二日間で、魚沼では恐らく150cm程度(多いと2m近くでは?)の積雪があった模様です。流石に雪に慣れている地元の方々も、水曜の雪の降りに「身の危険を感じた」とまでおっしゃっておりましたので、相当激しかったのだと想像できました。
私が到着したころはそこまで身の危険を感じるような降りではありませんでした。実際に新潟市で見ていたニュースでは長岡も大雪と報道されていたので、関越道も長岡辺りから路面が雪で覆われていて、除雪も間に合っていないのではないかと心配しておりました。しかしながら、小千谷に差し掛かるまではさして雪も積もっておらず、若干拍子抜けをしていたところ、小千谷からは本降りになって、堀之内を抜ける頃には、降りが激しくなってきました。長岡から道路状態が悪いと通常よりも2倍近い時間がかかるのではと考えておりましたが、1.5倍程度の時間で小出インターに到着しました。
魚沼地域は、街中では除雪や融雪パイプが充実しており、大雪でも運転に支障が出ないことが多いのですが、短時間で大雪が降ると、除雪も間に合わないため、道路が雪ででこぼこになり、極めて走りにくい状況になります。水曜の夜はまさにそのような状況でした。
そんな中、関越道の上下線とも、雪による立ち往生が起きてしまいました。
塩沢のあたりということでしたが、除雪も間に合わないペースで雪が降り続いたのでしょう。下り線は開通したようですが、上り線はまだ通行が止まっておりますようで、立ち往生に巻き込まれた方々及び、除雪に関与した人たち、自衛隊の方々のご苦労は大変なものであると思います。
魚沼で働いている頃は、週一回埼玉に仕事で行っておりましたので、毎週小出インターから花園インターまで関越道を通っていました。確かに、塩沢から湯沢にかけては、吹雪くと、あっという間に路面が雪で覆われていくのが印象に残っておりますが、今回の場合も、そうこうしているうちに、車の周囲に雪が積もっていき、車が前進できなくなったていったのではないかと推察します。
雪に閉ざされた環境で、車もエンジンをつけっぱなしにしてもいられず、エンジンを切れば、大変な寒さと、そして空腹とで苦しめられ、定期的に車の雪払いをしたり、周囲の雪かきをしたり、排泄も思うようにままならない環境で、心身ともに疲弊しきっていることが想像に難くありません。本日の夜から、再度降雪量が増えるという予報ですので、今回の雪害に関わった皆さまの無事を切にお祈りいたします。
また、今後、雪の多い地域では、屋根の雪下ろしなどでの事故も増えますので、雪に関わる不幸が起きないように注意をしていっていただきたいと思います。
大雪後に、晴れて、陽光に照らされた雪の美しさは、言葉に出来ないですが、その美しい雪はしばしば恐ろしいものとなり、改めて自然の力には人間は勝てないことを痛感させられてしまいます。

2020年12月18日(金)

 薬剤製造過失事故
投稿:長野央希
今回、小林化工による抗真菌剤イトラコナゾール錠50『MEEK』に睡眠導入剤であるリルマザホン塩酸塩水和物が混入していたことで、死亡者まで出るような事故(事件?)となっております。これまで364人に処方され、128人に健康被害が出、内14人が自動車の運転中に意識消失をするなどして物損事故を起こしています。尚、死亡された方は、運転での事故によって亡くなったわけではないとのことです。
イトラコナゾールという抗真菌薬は、水虫(白癬)に使用されますが、血液内科疾患でも、しばしば使われる薬剤であるだけに、驚きを禁じ得ませんでした。血液疾患の患者さんは原病でも、治療のよってでも免疫不全状態となるため、日和見感染として、カンジダなどの真菌(カビ)や各種ウイルス感染を起こしやすくなり、予防的な意味でも抗真菌薬や抗ウイルス薬を投与されることが少なくありません。従って、このイトラコナゾールは血液内科的には大変なじみ深く、御世話になっている薬剤であります。
そんな中に、睡眠導入剤が混入すること自体が、???という状況です。
今回混入していたリルマザホン自体はさほど強い睡眠薬とも言えませんが、高齢の方であれば、2mgまでの使用にとどめておくべき薬剤にもかかわらず、5mgもの量が混入していたとのことでした。
今回処方されていた患者さんの年齢の内訳なども不詳ではありますが、もし高齢の方が多かったとすれば、当然、交通事故やふらついての転倒といった有害事象が多発しても不思議はないと言えます。また、睡眠薬によっては深い鎮静によって呼吸抑制も惹起される場合もあり、亡くなられた方の死因もしっかりと検死がされなくてはならないと思います。
全く違う薬物が混入するだけでなく、通常使用量を超えるような事態は、非常に重大な問題であるため、しっかり社内での製造過程でのミスの検証を進めていただく必要があろうと思いますし、繰り返されてはならない事故と言えましょう。
薬剤というものは、多くが人類の健康にとって、大きな恩恵を与えてくれていますが、色々な形での人的ミスが、場合によっては人の健康を害してしまう諸刃の剣になりえることを肝に銘じる必要があると改めて思い知らされました。医療者として、常に薬の良さと同時に恐ろしさも知りつつ、日々向き合う必要があると痛感します。

2020年12月14日(月)

 「悟る」ということ
投稿:長野央希
私は仏教徒ではないので、いわゆる悟りというものを真に理解はできないと思われます。一方で剣豪小説や剣豪物の映画などが好きでよく見ておりますが、剣術の達人の無の境地というのは悟りの境地と同じようなものなのではないかと思えてきます。
悟るということは、究極的には自然との同化と結びつくのではないかと、自分なりに解釈しています。自分も含めた人間も自然の一部でしかなく、その現実を受け入れ、自然と一体となれるか、そのためにはどうすべきなのかを考えると、「見ざる、言わざる、聞かざる」の実践となるのではないかと思われてきます。人は、何かを見聞きすれば、色々な知識が集積してきます。そうなると、もっと知りたい、何が欲しいなどの様々な欲望が生まれてくる気がします。何も見なければ、何も聞かなければ、何も知らなければ、自分と他人を比較して、他人を嫉妬したり、ねたんだりすることもなくなります。何かを知ることは煩悩の根源なのではないかとすら思えてきます。
知ることを放棄すれば、争いもなくなるのかもしれませんし、そもそも自然の一部として、その生を全うするのみとなるのでしょう。
これは、しかし、言うことはたやすいかもしれませんが、少なくとも現時点での自分が実践できるような生半可なものではないと言えます。こういったことができるからこそ、悟りを開いた僧侶は尊敬に値するのでしょうし、剣豪は死を超然と受け入れられるのかもしれないななどと考えてしまいます。
また、知りたいという欲求を放棄することは、少なくとも若い時分には、向上心がないことのようにも思えてしまい、人間とはどうあるべきなのか、まるで結論が出ない今日この頃です。

2020年12月11日(金)

 違和感
投稿:長野央希
米国大統領選挙が終わりましたが、トランプ氏が選挙に不正があったと主張しており、裁判を起こそうとしたりと、未だに悶着が続いております。
選挙に不正があったのかどうかは、現在のところ検証しているところでしょうから、その結果を待つ必要はあろうと思います。しかし、これまでの経緯を見ていると、選挙で不正があったという結果であれば、鬼の首を取ったように自分たちの勝利を高らかに謳い上げるのでしょうし、不正がなかったという結果でも、自分たちの敵対勢力によって、真実が捻じ曲げられているという論調で、自分たちの敗北を認めようとはしないような気がしてなりません。トランプ支持者の中には、コロナ問題のみを見ても、あれだけの死者が出ている現実を見ているのか、見ていないのか分かりませんが、「コロナ騒動自体がマスコミの作り上げたフェイクニュース」ととらえている人がいるようです。要は、トランプ氏もその支持者(の一部)も現実云々よりも、自分の信じたいことが真実であるという姿勢のように見受けられます。
この態度から、何となくカルト教団の思想統制に近いような印象を受けてしまいます。カルト教団でしばしばみられるのが、自分たちは正義を貫き、自分たち以外は悪の組織で、正義たる自分たちを迫害するという、二元論的構図に持ち込む姿勢です。敵対勢力による攻撃を喧伝することで、内部の信者に恐怖心と、自分たちが悲劇のヒーローのような自己陶酔感を植え付けて、洗脳しやすくなるのかもしれませんし、結果的に教団の信者の結束を強めているように見えます。彼らには自分たちの信仰が絶対であり、それ以外の現実は受け入れられないものなのでしょう。
かつて、ユリウス・カエサルが言っていたように「人は見たい現実しか見ない」という内容の通り、多くの人は数多ある現実の事象の内で、見たいもののみを取捨選択していると言えますし、そうでないと現実の海でおぼれてしまうのでしょう。ここに、ある種の信仰や信念がからむと、都合の悪い現実は、現実として認識することを拒否してしまうことになるのかもしれません。
かつて存在していた人民寺院という教団は、教祖がパラノイアのような気質であった模様で、最終的には被害妄想的に教団でとして集団自決を図るという結末に至りました。状況は大きく違うとはいえ、何か今のトランプ氏とその一派には類似するような面を感じ、強い違和感を覚えてしまうのです。

2020年12月8日(火)

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