東日本大震災(7) |
投稿:長野央希 |
釜石に行った際は医療的な救護と同時に、復興支援として、地元の経済的な支援も一つの目的となっておりました。 ですから、5月の救護班は海からほど近いところにあるホテルを宿舎としていました。料理もおいしく、大浴場もあって、とても快適に過ごさせていただきました。そのほかにも、経済的な支援という形で、釜石の土産物屋や地域物産展のような市場で買い物が奨励されましたし、昼食は地元の飲食店を利用してきました。おいしい海産物が非常に印象に残っております。 また、時間的な余裕があるときには、日赤として借りているレンタカーを使用しても良いことになっていましたので、研修医を連れて、釜石市街地を回ってみることにしました。3月の段階とは異なり、他の日赤病院の救護班とも親しくなったりしましたから、そういった人も市街地をめぐりたいと希望してきたため、一緒に市街を回ってきました。私は非常に運転が好きなので、知らない場所をドライブするのがとても楽しみなのですが、この時はとてもそういう気分にはなれませんでした。 海のそばでしたから、当然海の香りが強いのですが、併せて何か生臭い匂いや、ところどころによっては腐敗臭のような匂いが漂っていました。市街地と思われる地区は、廃墟やがれきの山となっており、震災前の状態がまるでうかがい知れないような光景でした。そして、それぞれの廃屋には赤丸や緑丸がかかれており、どうも御遺体が発見されているか否かを示していたという話を聞きました。家の外装は完全に破壊されているのに、内部の机が残っていたりというところもあり、車を降りてみると、机にひっかかるような形でランドセルがおいてあるのを見つけ、そのランドセルから教科書らしいものが見えたりしていましたので、つい最近まで普通の生活の場だったことを改めて認識させられました。 釜石市街には新日鉄の工場にかかる陸橋がありましたが、そこには津波で流されて、陸橋に衝突して乗り上げた状態の船が未だに残されていましたし、海沿いの堤防では、巨大なタンカーが堤防に乗り上げて、動きの取れなくなっているような状況も見られました。 雨が降ると、依然として冠水するようで、一部の道路は雨の後は完全に浸水していたりしました。巨大な鉄橋が柱の根元のあたりで、完全に折れて倒れているような光景も見てきました。周りのすべては流されつつも、神社の鳥居のみ残っているという場所も見てきました。 震災から二か月。好転している面もある一方で、復興への険しい道のりは果てしなく長く続いていくというような暗澹たる思いを抱いた三日間でした。 |
2021年3月13日(土) |
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