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 東日本大震災(5)
投稿:長野央希
石巻を去り、埼玉へ向けて帰路につきました。東北道を上っていく中で、白河インターであったか、どこか失念しましたが、食堂が営業している数少ないサービスエリアでラーメンを食べました。そのサービスエリアで、病院から、「雨にあたらないように」「車の外に出る際は、首にもタオルを巻いたりして、極力肌を露出しないように」という指示がありました。その時点では、我々はなぜこんな支持を受けるのか理解できませんでしたし、病院に帰院したら、すぐに着替えて、シャワーを浴び、極力人と接触しないように帰宅するようにというような指示まで出ていました。
私は、この災害救護に行く際には、遺書まで書いていました。再度、同じ規模の地震や津波が起きれば、自分も生きて帰れないだろうと本気で考えていました。今から考えると、馬鹿馬鹿しいほどの悲壮感を感じていたのですが、この時は大まじめで、親しい人にも、出発前にお礼の御挨拶のメールを送っていたものでした。実際には、この任務で死んでもかまわないくらいの気持ちでいただけに、救護から帰って、まるで汚いものでも扱うような病院の指示に、とても腹が立ったことが思い出されます。
現場では、福島の原発で事故が起きたことはほとんどわかっていませんでしたから、振り返ると、この時の病院の指示が放射能被害にあわないようにという意味での指示であったことが理解できますが、この段階では、訳も分からず、とにかく不快な思いをしていました。
車の外に極力出ないように言われたため、その後はサービスエリアでの休憩もなく、まっすぐに帰院しました。
埼玉に戻って、その日に自分の車のガソリンを入れに行くと、軒並みガソリンスタンドは大行列が出来ているか、もう本日分のガソリンがないということで営業終了しているような有様でした。幸いに花園インターそばに穴場のようなガソリンスタンドがあり、そこでガソリンを入れることが出来ましたが、その後は給油するガソリンの量も制限されるようになり、加えて、スーパーやコンビニで置いてあるパンなども売り切れるような状況が増えていきました。埼玉というさして被害の爪痕のないような地域ですら、このような物資の欠乏する状況にいたっていたことからも、震災の影響の大きさが窺い知れます。

2021年3月12日(金)

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