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 東日本大震災(4)
投稿:長野央希
3/15に起床すると、昨日同様、視聴覚室での朝のミーティングが行われます。業務連絡の中で、再び医師同士が、やり場のない怒りをぶつけあうようなシーンも見られましたが、こういう極限状態では、時に思いをぶつけあう方が、ストレスをためすぎないためにもいいのかもしれません。誰も経験したことのない極限状態で、最善の方針を打ち出すことは困難で、試行錯誤の中から、よりよい方策を見つけ出すという状況でしたから、震災発生から1週間はみんな手探りで、最良の方法を見つけ出そうとしていたといえるかもしれません。
その日は、病院の玄関前で、トリアージを行う任務を受けました。患者さんの状態を見て、重症度を判断し、重症度に応じて色分けし、それに対応する治療スペースに誘導するという役目です。
大概の方は、歩いて病院を受診されましたから、そういった方々は基本的にはトリアージの緑(軽症)となります。
そんな中で、津波で身動きが取れず、自宅にこもらざるを得なかった高齢女性が救急搬送されてきたケースもありました。足が不自由で、家から出られなくなっていたのですが、幸いに大きな問題はなさそうでしたので、ひとまず黄色のブースに行っていただきました。
最も、印象に残っているのが、3/11に被災してから、丸太のような木に乗って5日間海を漂流していた老人が、自衛隊のヘリコプターで救出され、そのまま石巻日赤に搬送されてきたケースです。自力歩行もままならず、隊員に両わきを抱えられ、何とか病院玄関においでになりました。全身ヘドロのようなものがこびりつき、海特有の匂いが強烈に印象に残っています。3月の海上ということで、非常に寒い中、よく生存できたと思えるほどの状態でした。低体温もあり、トリアージ赤のブースにお連れしました。海水を飲んでいたりということもあって、肺炎が合併していく可能性が高いことが予想されました。
その他では、玄関前で、亡くなったと思われていた石巻日赤の看護師が、無事であることを伝えに来院する場面もあり、また患者さん同士で、無事に再会できたことで、泣きながら抱き合っているような光景も目にしました。
中には、その日が抗がん剤の点滴の日で来院した方や、内視鏡検査の予定なので来院したという方もおられましたが、当然のごとく、この混乱状態で、予定治療や予定検査は出来ません。これを受けて、抗がん剤治療をされている方は、自分のがんが悪化していってしまうのではという恐怖を吐露されていました。確かに、未曽有の被災を被った地域で、安定して抗がん剤が供給されるようになるまで、あるいは病院として日常診療に戻るまでにどれほどの期間を要するのか、全く未知数であるため、上記のような不安を抱く人も少なくなかったと思われます。

この日は、気温も低く、30分程度でも屋外で働いていると、寒さが堪えるような気候でした。このような中で、生き延びた多くの被災者の方々に、敬意を表さずにはいられません。
昼過ぎまで、トリアージの仕事をしてから、夕方前に石巻を去り、埼玉への帰路につきました。その当時働いていた日赤で、私たちは第二班でしたが、既に第三班が被災地に向かっており、そういった兼ね合いで、任務終了となりました。


2021年3月12日(金)

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