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 東日本大震災(3)
投稿:長野央希
巡回している避難所には、何人か妊婦さんもおられました。一人は、「おなかのはり」を強く自覚しておりました、幸い、私の医療班では看護師の一人が助産師であり、その方と相談し、切迫流産の危険もあると判断されましたので、巡回地から石巻日赤の本部に戻った際に、この妊婦さんの件を相談し、救急車を用意して、福島の病院に入院させてもらうことが出来ました。
あのような不幸な出来事の直後に生を授かるということは、とても感慨深いもので、何とか無事に生まれて、そして力強く成長してほしいと願わずにはいられませんでした。
その他、避難所では、診療の他に、避難している人たちの話をよく聞くのも一つの仕事でした。最も、印象に残っているのは、中年から初老にさしかかった男性の話です。その方は、津波の中奥さんとともに逃げていたそうですが、途中で大きな波にのまれ、目の前で奥さんが流されてしまったということでした。ここでは記載を控えるほど、目を覆いたくなるような光景であったということを涙ながらに話しておられました。目の前で肉親や愛する人が津波にのまれるのを目のあたりにしつつ、全く何もしてあげられないという無力感にうちのめされるという信じがたい事故に見舞われた辛さというものは想像を絶するとしか言いようがありません。こういった被災者の方々が、少しでも思いを口に出すことで、苦悩を和らげてあげることも救護の役目なのだと強く思いました。
その日は、石巻日赤からの要請で、埼玉から血液透析の回路の備品や蒸留水と、その他、不足しがちなおむつを持参し、病院にお渡しする仕事もありました。確か地下に薬局や備品庫があった印象があるのですが、そこで各備品をお渡ししました。この際に地下の広間のようなスペースが目に付きましたが、この広間では、シートにくるまれた御遺体が多数安置されていました。当時8年近く医者として働いてきましたから、望まなくても人の死と少なからず関わってきましたが、これほどの光景は後にも先にも目のあたりにすることはありませんでした。
被災者の方々や、石巻日赤の職員の方々に比べれば、自分等の疲労は、取るに足りないものであるとは思われますが、それでも、巡回から17時過ぎに戻ると、とても疲れていました。食事もままならないであろうと覚悟しておりましたが、幸いに避難所では炊き出しのおにぎりや桜餅を御馳走になりましたし、夜は病院内で、備蓄しているカップラーメンと干し芋をいただくことが出来ました。この時、カレー味のカップヌードルを食べましたが、寒いところから戻っているところでの、温かいカップヌードルというだけで十分心が満たされましたし、麺は完全に伸びていましたが、恐らく自分の人生で一番おいしいカップラーメンでありました。涙が出てきました。私の苦労など取るに足りないとはいえ、これが命の味なのかもしれないと思いました。
その日は、ミーティングを行った視聴覚室の部屋の角のところで、台車をたためば眠れるスペースがあったため、台車を片して、そこで眠りました。頭の上には大きなスピーカーがあり、余震の揺れのたびにスピーカーも揺れているのが見えました。これが落ちて来たら、生きてはいられないだろうと思いつつも、仮に落ちてきたら、即死であって、苦しむこともないだろうと、妙に腹が座っていました。それくらい疲れていたのもあるかもしれません。

2021年3月12日(金)

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