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 包丁塚
投稿:長野央希
私は、都内や埼玉県内で働いている時に、しばしば赤坂にある氷川神社に参拝しておりました。赤坂と言えば、日枝神社が広大な敷地面積を有し、巨大な鳥居があり、有名かもしれません。一方の氷川神社は閑静な中にひっそりと建っているという趣で、個人的には氷川神社の方がお参りしていて、いかにも昔ながらの神社という感じで、好きでした。勝海舟が住んでいた家が近いということで、勝海舟と坂本龍馬の銅像が神社からほど近いところに立っております。
その氷川神社ですが、神社の境内の片隅に、包丁塚の石碑が目立たないように存在しております。この石碑が建てられてから、かなり日は浅いようですが、赤坂界隈の料理人などが長年使用した包丁を祀っているという意味で、極めて日本的な香りがします。古来から、日本で万物に魂が宿っているという感覚を持っていました。これは一神教的な発想からすれば、非常に原始宗教的と唾棄されてしまう思想であろうと思われます。確かに、自然や日常使用する物すべてを魂のあるものとして祀ることは、いわゆるアニミズムに基く、行動であると言えます。一神教的な価値観が支配的な現代の世界においては、原始的と言われてしまうかもしれませんが、この日本的な思想、行動様式は、極めて大切なことなのではないかと思われます。
世界は、19世紀の産業革命以降、大量生産、大量消費の時代となっていきました。戦争も、それまでの規模とは違い、一気に多くの人命が奪われるようなレベルになりました。その結果、人々は、今使用しているものがだめになれば、すぐに買い替えればいいと考えるようになり、合理的に「使える」人でなければ、容易に切り捨ててもかまわないと思うようになってしまっているように思えるのです。
科学的な根拠などはありませんが、物を大切にできるということは、愛用の物に対して、しっかりと愛着を抱くという習慣となり、人間に対してもそのような相手を敬うような思考につながっていくのではないかと、私は個人的に考えております。
宴会や食べ放題などの店に行くと、大幅に食べ物を残していく風景が日常茶飯事となってしまっていますが、牛や豚や魚が、残飯になるために殺されたのだとすると、彼らも全く浮かばれないだろうと、とても悲しい気持ちになります。(最近は猫までもが、飽食でキャットフードを残してしまうような時代ですが)
来る将来、地球規模で食糧不足に陥る可能性も指摘されておりますが、そういう時代になる前にこそ、日本的な「包丁塚の精神」を思い出して、今自分が生きられていること自体がとても有難いことなのだと考えたいものです。すべての物に魂が宿ると考えると、「お天道様に顔向けできないようなことはしないという」恥の文化にもつながり、感謝の心を持つということにもつながっていくのだと強く思います。
日本的な発想が、地球の延命にもつながるのではないかと思いますし、世界に向けて、もっと堂々と発信していくべきなのではないかと思っています。

2021年3月1日(月)

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