明日に架ける橋 |
投稿:長野央希 |
最近はマスクの着用で度々ニュースになっておりました。 マスクをしない人の言い分としては、新幹線や飛行機に乗って、駅弁や機内食や飲み物を飲む際には、結局マスクを外さねばならないのだし、飲食店では、必ず皆がマスクをしていない時間があるのだから、マスク着用を強制するには矛盾があるのではないかということもあるのだと思います。それは、間違いなく一理あるとは思います。ただ、飲食店で、マスクを外して、飲食し、大声で会話すれば、そこから感染が拡大することは実際に見られている現象です。加えて、マスク着用の効能は、科学的にも証明はされています。勿論、マスク着用が絶対的な感染予防には当然なりませんが、感染リスクを軽減することは可能です。また、マスク着用は自己を守るというよりは、自分が感染している場合に、他人に感染を起こさせないという意味で他人を守る意味合いが強いと考えられます。 一時、ジョギングしている人がマスクをしていないと文句を言う人がいましたが、密でなく、大声で会話するわけでもないランナーがマスクをするのは不要と言えます。(心肺機能を高める目的ならば別ですが) いつ何時でもマスク着用が必要というわけではないことも事実です。 それでも、人が集まるような空間では、マスク着用が望ましいと言えます。例えが適切かは分かりませんが、ネクタイ着用やジャケット着用が必要と言われるドレスコードのあるレストランに行く際に、あえて、ネクタイ着用を拒否して、店とけんかする人は滅多にいないように、TPOとしてマスクを考えるべき時代なのだと思います。今や飛行機や新幹線をドレスコードのあるレストランの様にとらえて、そこで求められるTPOを順守することがエチケットと言えるのではないかと思います。 前述のように、マスク着用の意義は、自分よりも他人を守ることが大きく、つまり、他人への思いやりの延長としての行為として、マスク着用があると思います。 現在は、自分が誰からウイルスをうつされるかわからないということで疑心暗鬼となり、自分以外の他者に対して、不信感を持つような状況となっています。相互不信のような状態です。こんな時だからこそ、もう一度、社会生活というものを考え直さねばならないと思います。人は一人では生きられません。周囲と軋轢もありながらも、共存していく必要があり、その集団生活を潤滑に送るためにはまなーやエチケットが不可欠なのです。そして、その根底にあるべきなのは、思いやりになろうかと思います。各自が独りよがりな行動をとっていては、感染の終息は望むべくもないと言えます。時には、One for all,All for one.のような精神が必要なのではないかと思います。 このような不安の多い社会情勢で、改めてサイモン&ガーファンクルの明日に架ける橋という曲の一つ一つの歌詞が、胸にしみわたります。 涙が出そうになりました。 Like a bridge over troubled water, ,I will lay me down. Like a bridge over troubled water, ,I will ease your mind. 名曲はいつになっても名曲なのですね。こんなときだからこそ、皆に聞いてほしい曲です。 |
2021年1月25日(月) |
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