心の余裕 |
投稿:長野央希 |
先日、よく行く居酒屋の大将が、体調を崩して緊急入院されました。幸いに10日ほどで退院されて、営業も再開できるようにはなっておられますが、緊急入院した日に、お店に予約を入れていたお客さんに、キャンセルのお願いの電話をされたそうです。大半のお客さんは、大将の体調を気遣い、キャンセルを快く受け入れてくれたようですが、ごく一部では「体調管理もプロとしての当然の義務だろう」といった主旨から、キャンセルに対して激怒されていたという話を聞きました。 こういった人は、想像力が欠如しているのだろうかとも感じてしまいます。自分は病気やケガとは無縁でいられると考えているのでしょうか?そもそも、どんなに体調管理をしていても、不可抗力の様な形で、病気になったり、けがをしてしまうような事態はありえます。血液疾患などは、大概が青天の霹靂の様な状況ばかりです。 私は落語が好きで、特に5代目古今亭志ん生をよくCDで聞きますが、彼は酒を飲んで高座に上がることがよくあったようです。(今の時代では、それ自体叩かれそうですが・・)寄席の高座でいねむりをしてしまったときに、弟子が起こしに行こうとすると、お客さんが「寝かしておいてやれ」と言い、客席の爆笑の中、眠り続けたという話があります。お客さんの実に粋な計らいと言えます。心のゆとりのある時代だったのでしょうか? 少し前までの日本は大変貧しく、ほんの一握りの人たちしか、欲しいものを手に入れることがかなわない時代が長かったと言えます。更に、貧富の差に関係なく、大半の病気は治す術もなかったと言えます。要するに、日本人の多くは耐え忍ぶことに慣れていたのだと思います。戦後の高度経済成長を経て、多くの人が色々なものを好きなように手に入れられるようになって、忍耐力という面では大きく退化してしまったように思われます。その結果、自分の思うようにいかない事態があると、怒りを爆発させてしまう人が増えてしまっているのかもしれません。 また、欧米的な合理主義、効率主義や大量生産大量消費といった概念が人間の心性にゆがみを生じさせているのではないかと考えてしまいます。合理的でなかったり、効率的に物事が遂行できない場合、無能な者とレッテルを貼られ、他にいくらでも交換要員がいるのだという脅しの中で、日々不安を抱きつつ生きていれば、精神的に摩耗してしまうのではないかと懸念しています。 科学の進歩で、未だかつてない便利さを享受している一方で、科学の進歩に足並みをそろえられない人間の精神は、悲鳴を上げつつあるような恐ろしさを感じてしまう今日この頃です。 |
2020年9月18日(金) |
<< 口腔ケア 2020.9.14 |
精神科用語 >> 2020.9.23 |
はじめのページに戻る |