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蛍 |
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投稿:長野 央希 |
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魚沼の一部地域では、今シーズンにおいて、今が盛りとばかりに蛍が飛ぶようになっております。 私が蛍を見に行く場所というのは、主に二か所ありますが、そのうちの一つは、人里離れた山のふもとになります。 そこは、登山道の登り口の神社脇に川が流れており、その川を挟むように木々が生い茂っている場所です。 いつもはそこに到着するのは20時ころで、月でも出ていないと、辺りは真っ暗で歩き出すこと自体勇気がいるようなほどです。先日19時半ころに、そこに着くと、思った以上に空も明るく(とはいっても、ブルーグレイという感じで、真っ暗ではないというレベル)、いつもなら暗くて行動範囲が狭くならざるをえない状況であったものの、その日は少し山道を歩いてみる気になりました。 19時半というと、通常、まだ空が比較的明るいので、蛍の活動時間としては早い印象を抱いておりましたが、その日、辺りは明るくても、鬱蒼とした森の中は暗闇で、木々に鈴なりに蛍が光っているのが見えました。葉に留まって、光を点滅させているものや、ゆっくりと飛び回っているものまで、様々でしたが、これまで見てきた蛍の数をはるかに凌駕するほど多数の蛍を見ることができました。 その光景に圧倒され、しばし頭の中が真っ白になって、ぼーっと突っ立ておりました。はっと気が付くと、鼻先をかすめるように二匹の蛍が自分の周りを飛び交っておりました。更には頭をかすめるように浮遊しているものも二匹ほどいました。その瞬間は、蛍にとってみると、自分はそこら辺の石ころと同じような存在になっていたのかもしれません。自分の中で、「悟り」というのは自然と同化できた境地に達していることなのだと勝手に思っていましたが、まさに一瞬ではあっても、悟りの境地に達していたのかもしれないと嬉しくなっておりました。そんなことを考えていると、途端に蛍は自分の周りを去って、川面の方や森の中に思い思いに散って行ってしまいました。人間があれこれ考えだした瞬間に、すでに自然界の生き物からすれば、邪心を抱いている存在なのかも知れません。 蛍が飛んでいるのと、光を点滅させるのとで、どれほどのカロリーを消費するのだろう?蛍雪の功というのは、灯をつけることもできない貧しい環境下で、蛍の光や窓の雪明りで勉学に励んだという故事ですが、一体、何匹の蛍を捕まえてくると、読書できるほどの明るさになるのだろう? これらの疑問にこたえるべく研究しだすと、既にそれは科学になります。 一方で、蛍の光の神々しさに、手を合わせて拝むようなことがあれば、既にそれは宗教になりえるのだと思います。 科学と宗教は、ある意味で表裏一体なのだと改めて考えさせられました。 そんなことを考えている中で、蛍たちは幽遊と空を周回していました。 山道で立ち止まって、しばし過ごしていると、獣の歩く音が聞こえてきました。ハクビシンをよく見かける場所なので、おそらくはハクビシンであったと思いますが、はっと我に返り、熊に遭遇する前に帰らねばと帰路を急ぎました。 自然と同化できたら、熊にも一目置いてもらえるのでしょうか? |
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2026年7月2日(木) |
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