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「学歴社会」に思うこと(3) |
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投稿:長野 央希 |
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今は、学生が勉強をするうえで、受験に利用する科目に比重を置く風潮が強いようです。受験戦争に勝つための戦略としては正しいのでしょうが、この点にも、違和感を感じます。 学うえで、最も重要な科目を考えると、数学と国語になるのではないかと思っています。 算数・数学は、論理的思考を身に着けるためのトレーニングになると思います。物事を論理的に筋道立てて考える根幹になると思っています。 そして、国語は書いてあること、話されたことを論理的に解釈するとともに、自分の施行を論理だてて話す・書くことのトレーニングになります。 英語などの外国語もより若いうちから始めることは重要とはいえ、外国語を学ぶ前に母国の国語力を軽視している風潮があるように思えてなりません。 今の世の中を見渡すと、相手の発言や記述の一部の言葉尻だけをとらえて、発言者の真意と全く違う解釈をしてしまっているケースを度々見かけます。ただ、こういったケースでは、国語力の欠如の場合もあれば、相手を非難するために恣意的に解釈をゆがめている人もいるかもしれないので、注意が必要ではありますが。 理科という教科は、個人的には小中学性の頃、苦手だったし、あまり好きではありませんでした。自分は手先が器用ではなかったので、時間内に何か実験機材を作るというのが苦手であったことも一つの理由ではありましたし、そもそも、植物や昆虫の観察など学校の時間割の範囲内では、ほとんど何も観察できなかったことも、つまらないと思う原因であったような気がします。大きくなってから、ある程度時間に余裕があるときに、自然を観察するようになると、自然の奥深さを垣間見ることもできて、とても面白いと思えるようになりました。理科の重要な意義は、自然現象を、まずは観察し、そこからいろいろと推論を立て、実証していけるようにトレーニングすることにあるように思います。理科を学ぶうちに、自然の途方もない神秘を感じられれば、自然の前の人間の小ささを実感でき、謙虚さを学べるのではないかとも思っています。 社会科の中で、自分は歴史が好きなので、歴史を学ぶ意義を考えました。歴史というものが人間の失敗の積み重ねであることを前提に考えてみると、失敗してしまう人間全体の共通の行動原理、思考原理があるのかどうか考察すること、民族や人種的な行動、思考原理の差異があるのかどうか学ぶこと、もし差異があるとすれば、その差は先天的なものなのか、環境による変化なのか考察すること こそが、重要な意義なのではないかと思っています。その考察をすることで、歴史的に繰り返す過ちを繰り返さなくなれるのかどうかという点にも非常に興味があります。 何を書きたいか、わからなくなりつつありますが、受験のための勉強という狭い了見から解放されて、学ぶことができる時代になればいいとは思うのです。何よりも、喫緊の課題は国民一人一人が国語力を高める努力をする必要があると強く思っております。また、受験とは関係ないという理由で、重視されていないように見える体育や芸術系の科目の方が、人間形成に大きな意味を持っているようにも思えるのです。 学歴社会の為に、教育が歪み、捻じ曲げられ、結果的に人間の成長に関して重要なことが忘れられないことが極めて重要と思います。 |
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2026年6月12日(金) |
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