|
「学歴社会」に思うこと(1) |
|
投稿:長野 央希 |
|
この数年、友人のお子さんが高校であったり、大学であったりと、受験戦争に突入しているという話を聞くことが増えたため、自分も最近の受験事情がどんなものなのかyou tubeで受験指導、相談系の番組をみたりします。面白いもの、ためになるものもあれば、疑問を感じるものもあります。 気になるのが、学校の勉強ができる、いわゆる高偏差値の生徒に、先生含めた大人が医学部受験を薦めるケースがあることです。 医師という仕事を舐めているのではないだろうかとすら思えてしまうことがあります。確かに学校の勉強ができると、受験戦争に勝って、合格切符を手に入れることはできるかもしれません。その結果、親は鼻が高いと感じられるかもしれないし、学校や塾は合格実績を上げることができるかもしれません。しかし、当の子供本人は、本当に医師に適性があるのかという問題が残ります。臨床医では、患者さんやその家族とのコミュニケーション能力も問われますし、何よりも、医療というものが多大な自己犠牲の精神を求められるべきものであるはずだからです。勉強ができるというだけで、そういった覚悟や適性もないのに医師になっていく人が増えるということは、いかがなものでしょう?臨床医の適正もないまま医師にはなれてしまうのが実情ですが、そういった医師が増えれば増えるほど、医師という物への信頼、ひいては医療という物への信頼が揺らぐことになりかねないのです。 医学部に行けば、そのような覚悟や適性は身につくだろうと考えがちですが、必ずしもそんなことはないのです。学校秀才が医師に向いていると考えるほうが、違和感を感じます。 医師に適性がないにもかかわらず、学校の勉強が出来るというだけで医師になる人が増えることは、人間の医師への不信を助長し、結果的に医療のAIへの置換を促進させるかもしれないし、何より当の本人が不幸な可能性があり得ます。 個人的に、医師という仕事は、自分や家族のプライベートよりも業務を優先させるべき時があると思っています。働き方改革とかいろいろといわれる時代ですが、しばしば医者は自己犠牲を払わねばならない仕事なのだと思っています。それが人の命を扱うということなのです。 私は、学生としても医師としても、決して褒められるような存在ではなかったですし、優秀な実績を何一つ残してきてはいませんので、偉そうなことを言えた立場ではないのですが、それでも10年以上は、自分の心身を削って、仕事してきた自負はあります。父親の死に目にも猫の死に目にもあえませんでした。 医師も軍人も、まったく方向性は違いますが、自己犠牲を払うべき、職務に体を張るべき仕事なのだと思っていますし、これからもそうであるべき業務と思っています。だからこそ、自分はいつまでも医師という仕事を継続できるのか不安はあります。 せめて、奉仕の精神と、時には自分のプライベートは犠牲にする必要があるという覚悟と情熱を持てる人が、医師を志してほしいと思うし、大人たちも、子供一人一人の適正も考えて、進むべき道をアドバイスしてあげてほしいと強く願います。 |
|
2026年6月11日(木) |
|
<< 佐潟 2026.6.8 |
「学歴社会」に思うこと(2) >> 2026.6.11 |
| はじめのページに戻る |