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AIは人間の本質を変えることになるのか? |
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投稿:長野 央希 |
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18世紀末に産業革命が起きて以降、その技術革新は目を見張るものがあります。殊に第二次世界大戦以後の、コンピューターの進歩は人々の生活を大きく変えてきております。 今やAIは人間の価値観や人生観すら変えていくのではと思っております。AIがさらに進化すれば(というより近い将来、そうなるだろうと思いますが)多くの人が労働から解放されることになるでしょう。言い方を変えれば、失職する労働者が急増する可能性があるということです。仕事から解放されることを嬉しいと喜ぶか、失職に対する危機感を持つかは個人個人で異なるとは思います。 我々医師も例外ではありません。特に手術などの手技的要素の少ない科の医師はAIにとって代わられることになるでしょう。また、ロボットが更に進歩して、極めて精緻になってくれば、手術を行う科の医師もロボットに職を奪われていくのではと推察します。 看護師や介護士のような職種のほうが、AIにとって代わられるのには時間がかかるのではと思いますが、それでも精巧なロボットが安価でかつ大量生産できるようになれば、早晩ロボットにとってかわられかねないように思われます。 政治家にしても、彼らが国家の利益よりも自分の利潤や党利党略を優先し続ければ、AIが多数決の理論でのより多くの人々の幸福になるであろうと判断し、その政策を冷徹に推し進められる(誰に対しても斟酌する必要のない)社会を国民が望むことになりかねません。その場合、政治家や官僚も不要と判断されるでしょう。 もっとも、政治家や官僚、医師会という巨大な利権集団は、自分たちの身を守るためにも、AIが現体制を覆さないように全力を尽くすでしょうから、すぐに革命的変化が起きるというわけにもいかないでしょうが、AIの進歩は近未来的には社会を根底から覆すようなうねりになりかねないと思っています。 AIやロボットの導入は、初期投資としては相当高額にはなりましょうが、長い目で見ると、長期間支払う人件費よりも安く済むと判断した場合、合理的判断の帰結として、人間よりもAIを労働力として使用する動きは一気に加速していくのではないかと思われます。その時、多くの人間は何も労働的なことをせずとも、生きていける社会が来る可能性があります。 そうなった場合、「何もしない」ことで、人間は様々な能力を退化、退行させることになるのかもしれません。古代ギリシャでは労働は奴隷がする物で、一般市民は労働をしないという社会でした。有閑階級が時間がたっぷりあるために哲学は発展していきましたが、国家としての国力は低下していき、最終的にはマケドニアやローマの支配下に置かれていきました。こういった歴史的事例は、これからのAI社会を考えるうえで参考になるのかも知れません。 また、「労働しない」ことは、もしかすると、他人から必要とされているという安心感を奪うことになるのかもしれません。そうなると、慢性的な抑うつや不全感を抱き続ける状況になるのかもしれません。 AIによって労働から解放された場合に、人間の身体能力や精神性にどのような影響がもたらされるのか、非常に興味があります。 更には、AIが社会の多岐にわたる場で活動するようになれば、学歴なども意味をなさなくなるのかもしれません。今の日本の学歴偏重主義的な社会構造にも大きな変動が起きえます。 AIは静かな革命を起こす起爆剤になるのかもしれません。そして、それは社会構造にとどまらず、人間そのもの、人間の存在意義をすら問うくらいの大きな「革命」に発展するのではないかと戦々恐々としております。 その前に、自分が医師という仕事をAIに奪われる将来が差し迫っているのではという危機感も抱きつつ、自分が今やれる最善を尽くしていくほかはないのだろうという思いで生きています。 |
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2026年5月21日(木) |
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