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「待つ」ということ |
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投稿:長野 央希 |
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私は基本的には行列のできるような飲食店に並ぶということはしない人間ですが、先日クラシック音楽のイベントでは、チケット購入のために30分強並んできました。期間限定のイベントとなると、流石に並ばざるを得ないという心理状況にはなります。 チケット購入のための行列で、読書しながらひたすら待っていると、母親に連れられた小さい女の子が文句も言わずにその列に並んでいる姿が目に入りましたが、不平も言わずに耐え忍ぶ姿を見て、感心させられました。御両親のしつけのたまものなのかもしれません。 「待つ」ということは、不自由かつ不便さを感じさせられる行為にほかなりません。昨今は、「待つ」ことを含めた不便さを子供に味合わさないようにという親心から、親が肩代わりしているケースというのもしばしばです。 優しい親心という点では理解できますが、もしかすると、その親心が子供の成長を阻んでいる可能性もあるように思えてなりません。 不便さや不自由さに対して耐えることは、忍耐力や胆力を育てることになると同時に、そういった不便さを克服し、より快適さを求めるために創意工夫を繰り返すことは、柔軟な思考力や工夫する力を身に着けさせる契機になるように思われます。 不便さへのスタンスにおいては、日本人は不便さにひたすら耐えることで、世界中でも類稀なる忍耐力をはぐくむ結果となり、一方で、欧州では「人間は神に似せて造られた」という宗教的自負の下で、自然による様々な不自由さを克服するべく、近代科学の目覚ましい進歩や技術革新につねげていく結果となっているように思われます。 不便さへのスタンスやベクトルに差はあるものの、不自由さというものが人類の進歩には大きくつながっていったのではないでしょうか。 徳川家康は「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」というように、待つべき時はひたすら待つことで、最終的に天下人になりえました。 ただし、「待つ」ことは、待てば必ず良い結果が得られるというわけでもありません。その不条理さも、人間社会の摂理とも言えますので、人生勉強にもなるでしょう。 医師という仕事、取り分けて血液内科という分野においては、治療が長期間にわたることも少なくありません。化学療法などの治療では、すぐに結果が出るものもありますが、結果が出るまでじりじりと待つ必要があるケースのほうが多いです。 待った結果で、患者さんの状況が好転すれば、待った甲斐があったと、患者さんと喜び合える一方で、待っても、良い結果が得られない場合、患者さんのショックは非常に大きいものになりますが、治療する側としても、泣きたくなるほど落ち込んだりもします。 それでも待たねばならないときは耐え忍んで待つ他ないことがあるのです。 「待つ」ことは、時に大変な苦痛を伴います。 ただ、「待つ」ということは恐らく人生の要点を詰め込んだようなものなのだと思えてなりません。 若いころに「待つ、待てる」能力を鍛えることが、人間としての器を大きくもし、人間性を成長もさせることになり、将来必ず役に立つのだと思います。 長い行列に並びながら、そんなことを考えていました。 |
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2026年5月7日(木) |
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