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 浄福を得んがためには、各々その流儀あるべし
投稿:長野央希
タイトルはプロイセンのフリードリヒ大王が述べた言葉です。
信教の寛容を示した言葉として独語辞書に載っていたりします。

先日、フランスのシャルリー・エブドという雑誌がイスラム教のムハンマドを侮辱するような風刺を載せて、すごい売れ行きであるという記事がニュースになっておりました。この風刺雑誌は、以前から、ムハンマドを冒涜するような記事を載せて、襲撃にあったりしていました。
襲撃自体は許される行為ではありませんが、彼らの載せている記事も、表現の自由で片付けるべき内容なのか、甚だ疑問を禁じ得ません。
私はイスラム教徒ではありませんが、イスラーム文明、文化には興味があり、多少勉強していたこともありました。
表現の自由と言って、他人の家族や親類を公然と馬鹿にして良いものでしょうか?馬鹿にされた側になってみて考えていただきたい。イスラム教徒にとっては、父母を超えるほど尊敬してやまないムハンマドを、他教徒が侮辱するべきではないと思います。表現や信仰の自由を、はき違えている人が多いように思えてなりません。
そもそも、件の雑誌が毎年のように挑発的な行為を繰り返しており、マカロン大統領からも表現の自由を守るものとして称賛されたりしましたが、こういった背景には白人の帝国主義の名残としての差別意識が透けて見えるようで、大変不愉快に思います。自分たちが植民地化し、虐げ、搾取してきた地域の人たちを軽んじても、恥ずかしいと思わない心性があるように見受けられます。(本人たちは差別意識が根底にあることにすら気付いていないかもしれませんが)
それこそ、今年は時に過剰とも思えるくらいに、差別を糾弾するような出来事が多くありました。そんな中で、「表現の自由」の名のもとに、多くの人を不快に思わせる内容、差別的な内容を述べ立てる白人的傲慢さが無くならない限りは、永久に差別はなくならないだろうと思います。


2020年9月7日(月)

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