いじめ |
投稿:長野央希 |
吉田裕著『日本軍兵士』を読みました。 先の大戦末期は軍紀の乱れも著しく、古参兵が新兵に対して、軍人精神の注入ということで、拷問の様な私的制裁が行われている例が少なからずあり、時には死亡事故にまで至ることもあったようです。その際に事故のあった班の分隊長から軍医に対して、検死内容の改ざんを依頼されるケースもあった模様です。軍として、私的制裁を厳禁していたものの、下士官や下級士官が見て見ぬふりをしていたりと言いうこともあったようです。 これを読んで、何年か前の相撲部屋の「かわいがり」の結果で亡くなった若手力士の事件を思い出しました。 戦前、戦中の悪しき伝統が、一部の業界では脈々と生き続けてきたのだなと感じましたが、流石に現代では、そういった悪習は徐々に排除されてきてはいると信じています。 いじめにも様々あり、身体的ないじめから精神的ないじめ、はたから見ても、間違いなくいじめとわかるものから、傍目ではいじめなのかじゃれあっているのかもよく分からないものまであります。 私は横浜にある高校にいたため、寮に入っておりました。入寮して一か月ほどしたところで、寮生の一人の両親が「息子がいじめられた」と怒鳴り込んできて、結局その生徒は退寮していったという事件?がありました。 私は、その生徒とそれほど接点がなかったため、挨拶や軽く会話する程度の関係でしたが、とてもいじめられているようには見えませんでした。実際、いじめの内容は妙なあだ名をつけられたということだったようです。 いじめていたとされる生徒たちとも、後日仲良くなりましたが、とてもいじめをするような連中でもありませんでした。恐らく、無邪気に友人とじゃれあっているような感覚で、あだ名をつけていたというのが実情だったのであろうと思われます。この時に学んだことは、被害にあった側が「いじめられた」と感じれば、そこにいじめが成立するのだということです。 これはセクハラやパワハラ、ひいては差別にも言える話であろうと思います。 昨今では、ネットでの書き込みがいじめに発展していく場合もあり、何気ない生活の中で、突然自分がいじめの被害者にも加害者にもなってしまいうると言えます。 残念ながら、いじめも差別もこれまでなくなった試しがありません。 だからこそ、常に自分や身内や友人がいじめの当事者になる可能性を考えて、自分がその被害者になったらという想像力を働かせて、いじめの問題を考えていかねばならないのだと思います。 |
2020年8月29日(土) |
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