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 国家百年の計
投稿:長野 央希
今朝、EURO2024年決勝で、ベルリンにおいてイングランド対スペインが激浪を繰り広げた結果、スペインが4度目の優勝を飾りました。イングランド代表はまたしても悲願の初優勝を逃した結果となってしまいました。
個人的に永きにわたり、イングランド代表を応援してきた身としては、残念な結果ではありました。ただ、今回の大会においては、明らかにスペインとドイツが実力、充実度としても頭一つ抜けている印象がありましたので、まあ仕方ないかと言う思いもします。
イングランド代表を2016年から監督として率いているのがギャレス・サウスゲートです。私としては現役時代から、なかなか好きな選手で、私が一番プレミアリーグを熱心に見ていた1990年代末から2000年台中盤の頃に、アストンビラやミドルスブラという中堅チームで主力として活躍し、代表でも活躍していたことが大変懐かしく思い出されます。派手さがあるわけでもなく、実直で無骨でいぶし銀の様な渋さを感じさせてくれるような選手だった気がします。そんなサウスゲートが監督になって、うれしい気分になったものです。
その彼は、確かに戦術眼に優れているというわけでは無いと思います。現役時代にやはり個人的に好きだったグアルディオラは、革命を起こすような戦術をもって、常にサッカー界を牽引していますが、サウスゲートは明らかに異なるタイプの監督と言えましょう。どちらかと言えば、モチベーターのようなタイプなのかもしれません。
今回の大会では、グループリーグでの低調な試合によって、マスコミやファンから、相当ぼろくそに叩かれ続けていました。それが、準決勝でオランダに勝った直後、手のひらを返したように賞賛されるようになり、決勝でスペインに敗れて、再びぼろくそに叩かれています。確かに結果が出せなかれば、叩かれるのは仕方の無い仕事であるのは事実です。タレントがそろっているのに、この結果と言うことで期待が大きい分の失望が批判を増大させているのでしょう。ただ、この30年を振り返って、イングランド代表は常に素晴らしいタレントがおり、他国からすればうらやましいような選手層であったにもかかわらず、ほとんど常にと言って良いほど、結果が残せてきませんでした。選手層からしたら、どう考えても、それに見合った結果を残せた監督はいなかったと言っても過言ではないでしょう。それに対して、サウスゲートは曲がりなりにも結果を残してきました。W杯でベスト4であったり、EUROでは2大会連続で準優勝という、結果だけ見れば、恐らく歴代のイングランド代表監督としては最高の称号を得ても良いようなレベルです。
魅力的なサッカーを展開していないというのは否めないかもしれませんが、従来のイングランド代表は、往々にしてあまり魅力的な試合運びをしてきた例が思い出しにくいのも事実です。
いずれにしろ、サウスゲートは一度代表監督を退いて、ゆっくり休息してほしいというのが個人的な願いです。別の監督になったときに、豊富にそろった選手達を率いて、どこまでの結果が残せるのか見物です。なんだかんだで、サウスゲートを懐かしむような風潮が醸成されるかもしれません。私が気になるのは、今回のように1回の結果で一喜一憂して、SNSで猛烈に賞賛したり、猛烈に避難したりする風潮です。現代社会は、言論の自由があり、誰もが、SNSなどを使って自由に自分の意見を発信出来るという素晴らしい側面があります。ただ、多くの人が、思慮浅く短絡的な自己主張を繰り返すことに大きな懸念を抱かざるを得ません。スポーツや芸能であれば、そこまで大きな社会問題にはならないかもしれません。しかし、政治ではそうはいかないでしょう。
長期的な視点に立った国策というのは、多くの民衆には結果が見えない分、よほどの先見の明がある人でなければ、その政策に強い批判の目を向けることになるでしょう。その政策を主導する人は、次回の選挙で当選できない可能性があります。短絡的に今さえ好ければ良いという人からすれば、いわゆる「国家百年の計」は耐えがたいものと感じられ、それをSNSで猛烈に批判し、その批判の声が大きくなれば、結果的に政策を動かす原動力になり得ます。
政治家も、選挙のために、短期的に結果が出るような活動に終始してしまうかもしれません。それは将来的な国家の衰退を招くことにはなるのではないかという危惧につながります。
もっとも、今の政治家でそんな長期的なヴィジョンを持った人がどれほどいるのかは分かりませんが、民衆の顔色うかがい、選挙の結果にしがみつくような政治家が増えることは間違いなく国力の低下につながります。
米国で、トランプ候補が銃撃されるような事件がありました。分断のすすむ米国は日本の将来像ともいえます。意見の違うものを亡き者としようとすることは、相手の意見に耳を傾け、議論を重ねていくという民主主義の理念に大きく反するものです。
長期的な視点に立つこともままならない政治、まともに意見の相違を議論によって修正していくことも出来ない政治が主流となるのであれば、それは民主主義というシステムの限界を見ているのかもしれません。




2024年7月15日(月)

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