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 落語から思うこと
投稿:長野 央希
私は小学生時分から、落語が好きで、落語の本を読んだり、その後は落語のCDを聞いたりしてきました。今でも車を運転している際に落語を流していることがしばしばあります。実家に、昭和の大看板達の落語のCDがあったことから、それらを聞いている内に落語に魅了されたと言えます。
とりわけ好きなのが、5代目古今亭志ん生と、3代目桂三木助です。当然、二人とも私が生まれる前には鬼籍に入っておりますが、CDを聞いていると、何だか今でも生きているような錯覚を覚えるものです。その二人は、若い内は放蕩を尽くし、いわゆる「のむ、うつ、かう」の悪癖で、一時は身を持ち崩しているような共通点がありました。志ん生は、関東大震災の時に、東京中の酒がなくなると思って、酒屋の樽の酒をへべれけになるまで飲んでいるというような逸話がありますし、酒が飲めるという理由もあって、三遊亭円生と満州の前線に慰問として赴いています。どちらも、生きるか死ぬかというような危機的な状況であるにもかかわらず、何か面白みのある逸話となってしまっているところが、彼の生き様自体、落語的なのだと思われます。この二人は、そういった人生の修羅場をくぐってきたことで、ある意味芸にも凄みが出ているのかもしれません。そういったことが、私がこの二人の噺家に惚れ込む理由なのかもしれません。
志ん生の場合、天才たる所以か、寄席での出来不出来がかなりはっきりしていたそうです。私の場合はCDでしか聞いていないため、出来の良い内容のみを耳にしているとは言えます。あるときには、高座に上がってから、座って眠ってしまっていたという伝説のような話もあり、更には、弟子が起こしに行ったら、客席から「寝かせておいてやれ」と声が上がって、笑いが巻き起こったという話で、この逸話もまた落語の様な話です。ここで考えさせられるのが、今であったら、舞台で役者が寝ているような状況なら、客席から恐ろしいブーイングが起きるだろうということです。そういう意味でも、ある意味、客の側もおおらかな余裕のある時代であったのかもしれません。
また、若き日の志ん生や三木助の如く、放蕩三昧な生活をしているような芸人がいたら、今のマスコミやSNSでは、大変なバッシングで、その芸人は潰されてしまうことになるでしょう。昭和の名優といわれる人も、今の一般的な尺度でいったら、ほとんどテレビで放映できないような話になりかねないように思います。昭和のある時期までは、芸能人というものが、雲の上の人と言うイメージであったため、桁違いな金遣いや遊び事も、大目に見られていたのかもしれません。それが、いつしか、一般人からすれば、等身大の、近い存在であることを、芸能人に求めるようになった為、自分たちと同じような生活様式や価値観でなければ、バッシングしてしまうような風潮となっていっているように見受けられます。その結果、芸能界も以前に比べれば画一的な感じになってしまっているのかもしれません。これは、スポーツでも言えます。確かに昔よりは野球選手などは高級取りになっていますが、かつてのように酒を飲んでマウンドに上がる人などはいなくて、そういった意味で、キャラクターが小市民的な優等生タイプで統一されがちになっているように思われてしまいます。
個性を尊重する世の中といわれますが、結局、それぞれの個性よりも多数派の価値観に人をはめ込もうとする風潮が強いように思えてしまうのです。

2022年5月20日(金)

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