戦争の本質 |
投稿:長野 央希 |
ロシア-ウクライナ戦争が続いております。一部報道では、キーウ(キエフ)攻略を諦め、ウクライナ東部と南部に戦力を集中することになるような話です。戦力、国力の差からすれば、ロシアは早急にキーウを占領し、ウクライナの政権を転覆させ、自分たちの傀儡政権を置く構えであったと思いますが、その目論見は達成できていないという状況です。 そもそも、戦争においては、重要局面に戦力を集中させるのが鉄則でありますが、今回のロシアはそうしていません。これは完全にウクライナをなめきっていたことの表れなのではないかと思えてしまいます。戦力を分散させたことで、補給もままならなくなり、戦闘が長期化していくという悪循環に陥っているように見えます。こういった過ちは、歴史上しばしば見られます。ナポレオンもそうして最終的に敗北しました。第二次大戦の日本、ドイツともそうでした。日本は、陸海軍とも満州、中国〜東南アジア、オセアニアとあまりにも戦力を分散させ、戦線を拡大させ、信じがたいような敗北を喫しました。日本の国力、兵力を考えれば、そんな広大な戦線を維持できないことは冷静に考えれば、自明であったはずなのに、ここにも驕りのような面があったのかもしれません。 これからロシアが兵力を東部、南部戦線に集中させることとなれば、同地域での戦闘はさらに悲惨さを増していくことが予想されます。 現在、ロシア軍によるウクライナの民間人の大量虐殺が世界的に連日のように報じられ、問題視されています。とんでもないことではありますが、恐らく、これが戦争の本質なのだと思います。 @志願兵の中には戦争行為や残虐行為を好む、あるいはそういったことを躊躇なく行えるようなタイプの人が少数であっても存在しているだろこと Aロシア兵のなかで、自分が殺されるという恐怖の環境に置かれていることで、殺されるなら、殺してしまおうという自衛の気持ちになり、恐怖のあまり誰彼かまわず殺傷してしまう事態になりえる Bロシア兵において、仲間が殺された場合、その戦友への復讐心から、ウクライナ兵であろうが、民兵であろうが、民間人であろうが、ウクライナ憎しの念で殺傷行為に及んでしまう場合もありえる C同様にウクライナ側でもロシア憎しで、攻撃を仕掛け、お互いが恐怖と憎しみの連鎖で殺傷沙汰に歯止めがきかなくなってくる可能性 Dロシアの上級軍人がどういった戦争哲学を有しているのかという問題があり、彼らが戦時下での民間人を保護しようという意思がないのであれば、それはその部下達にも浸透していってしまう。 E逆に上級軍人は騎士道精神のような物を有していても、軍の統率がとれていなければ、部下達は思い思いの行動をとり、収集がつかなくなってしまう F軍の士気がが低下すれば、脱走兵が増え、脱走兵は自分たちが生き抜くために夜盗の群れのように成り下がってしまう危険がある G死地に置かれる兵士達は、明日をも知れぬ不安や、常に緊張を強いられる状況で、刹那的な快楽や悦楽を求めがちと也、暴行などの犯罪行為に手を染めてしまう こういったことが積み重なれば、民間人には手を出さないという、モラルなど吹き飛んでしまうでしょう。結局、モラルを守ろうと思えば、戦争など出来ないはずなのです。戦争を始める側は、戦時下モラルなど守ろうと思えなくなる可能性が高く、これこそ戦争の本質なのではないかと思えてしまいます。だからこそ、戦争は行ってはいけない、憎むべき行為なのです。そして、どんなに大義名分が立派であったとしても、戦争は所詮殺し合いでしかないということです。 とにもかくにも、一刻も早く戦争が終結し、ウクライナの人々が心の底から笑い合えるようになってほしいと切に願います。 |
2022年4月8日(金) |
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