愛国心(3) |
投稿:長野 央希 |
では、愛国心というものは何なのだろうと疑問がわいてきます。 あれこれ考えると、愛国心の最も原始的な意識は、犬猫などの縄張り意識なのではないかと思うのです。自分のテリトリーを侵害されたくないという思いとともに、自分のテリトリー内で自分の仲間や自分に従順な者たちを守りたいという思いが、愛国意識の、より初期の存念なのではないかと考えられます。 それが、徐々に隣のテリトリーの方が快適な環境であると考えた場合に、そちらを支配下に置こうと紛争が生じていくのだろうと思われます。ここまでは、人間以外の動物にでも見受けられるような事象かもしれません。 人間の「愛国心」「民族主義」というものは、自分の住む土地を守りたい、自分たちがより快適に過ごしたいため周囲の土地を手に入れたいという原始的な欲望に、自分の住む「場所」を神聖なものとした宗教意識が付加されたところに、人間の特異性があるような気がします。その宗教観のようなものが、時に狂信的な愛国心、民族意識につながり、結果的に差別意識や他の国や民族に対する優越意識を生じさせてしまっているのではないでしょうか?そうして、「自分たちが世界で最も優れており、世界を征服しなければならない」というような誇大妄想を抱いた場合、周囲や世界に甚大な被害をもたらすのではないでしょうか? そして、民族というものは何なのだろうという疑問も抱いてしまいます。 例えば、日本人は大和民族と言っていましたが、大和民族とは何なのでしょうか?縄文人が渡来系の人たちや弥生人との混血を進めていく中で、どの段階が純粋な大和民族と言えるのでしょうか? 英国はアングロ・サクソン系と言いますが、そもそもが英国王室は、プランタジネット朝のころは、ほぼ完全なフランス人であったわけで、その後もドイツなどの諸侯との政略結婚を経ていますので、王室自体が、まるでアングロサクソンではないとも言えます。国民も然りです。元来、ケルト系やアングロサクソン系、フランス系、北欧系などが複雑に入り混じっています。 ドイツでゲルマン魂とよく言いますが、純粋なゲルマン人などどれほど存在しているのでしょうか? 自分が「○○民族」であるという発想自体が、実は幻想なのではないでしょうか? 民族意識というのは、この幻想に酔ってしまっている、ある意味ナルシスティックな意識なのかもしれません。 もっとも、私は、日本が存亡の危機に立たされた場合、自分としては日本を守るために命を捨てられるだけの勇気を持ちたいと思ってはいます。これも十分自己愛的な愛国意識ではあると思いつつも、やはり日本を汚されたくないという思いは強いです。 愛国心を、自衛の為のみに限定させるにはどうしたらいいのでしょうか? 他国を侵略して、自国を富ませたいという利己的な愛国心はどうしたら、抑制できるのでしょうか? 人間が有するようになって日の浅い、民族意識、愛国意識を、もっと深く理解していく必要がある時代なのではないかと思っています。 |
2022年3月25日(金) |
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