新潟市西区五十嵐の内科 長野医院 健康に関するお悩みはお気軽にご相談ください。
ホーム > 愛国心(2)


 愛国心(2)
投稿:長野 央希
ドイツの愛国意識というのも、ロシアと時間的には大差はないかもしれません。ドイツやイタリアでは、根本的に統一国家ができたこと自体が19世紀末のことになります。それまでは、神聖ローマ帝国は存在しておりましたが、まともな統一国家の態をなしていた試はありません。カール5世のときに、ハプスブルク家による神聖ローマ帝国は最大の版図となりました。ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどの東欧、イタリア、スペイン、ポルトガルから中南米に至るような広大な領土ではありましたが、そこに住む住民が、神聖ローマ帝国の臣民であるという認識を抱いていたとは思われません。そもそも、ローマ帝国内の王侯貴族自体が、帝国の一員という意識すらなかった可能性があります。
大体が、ドイツ国内の数多く存在している諸侯の王侯はドイツ語を野蛮な言葉として、あまり使用していなかったりしています。カール五世の時代には、宗教革命が起こり、ドイツ農民戦争や、諸侯同士の内紛が勃発しました。これらの歴史を見ても、現在のドイツという土地で、ドイツ人がドイツ人であるという意識を持ち出したのは、ナポレオン戦争に敗北してからであったといえましょう。フランスに敗れたことで、ドイツという民族意識を強く認識し、民族としての危機感を強めたといえるかもしれません。すなわち、ドイツ民族の民族意識は19世紀初頭に芽生えていったといえます。そういった民族意識の醸成に、グリムなどが大きく影響を与えたといえます。しかも、ドイツが初めてドイツ帝国としての統一国家を形成したのは19世紀末ですから、ほとんど明治日本と歴史的には変わりません。そんな短期間の愛国意識が、第一次、第二次世界大戦において、最終的にはヒトラーによる影響もあり、狂信的な民族意識となって、世界中に多大な被害を及ぼしたのです。
翻って、日本はどうかというと、日本も明治になるまでは、基本的には、それぞれの藩こそが国であり、日本人としての意識というのはかなり希薄であったと思われます。それが、明治になり、天皇陛下のもとでの統一国家を形成していきました。日本人としての民族意識やアイデンティティというものは、それこそ明治の中盤以降になって、初めて国民に浸透していったのではないかと思います。
では、より古くから愛国意識を芽生えさせた国々では、それがいつ頃からかを考えますと、英国では清教徒革命、名誉革命を経て、王の権力をそぐ形で、市民が力を持つようになってからと言えます。すなわち、17世紀末です。フランスでは、フランス革命以降、国王が処刑、貴族が追放され、市民が力を持ってからと言えましょうから、18世紀末になります。
米国は、まさに愛国意識の発露が独立戦争につながっていると考えられますので、やはり18世紀末です。こう見ていくと、より古くから愛国意識、民族意識を抱き始めたといっても、たかだか数百年なんだとわかります。
我々人類は、この愛国意識や民族意識というものを有するようになり、歴史が浅いのだと理解する必要があり、そのため、実は、未だにこの意識を飼いならせていないのかもしれないと思いいたるのです。

2022年3月25日(金)

<< 愛国心(1)
2022.3.24
愛国心(3) >>
2022.3.25



はじめのページに戻る



長野医院
〒950-2101 新潟県新潟市西区五十嵐1-6448
025-260-5921

Copyright (c) Nagano Clinic All Rights Reserved.