愛国心(1) |
投稿:長野 央希 |
昨日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、国会でオンラインでの演説を行いました。欧米各国の議会で演説を継続していくものと思われます。ゼレンスキー大統領からすれば、日露戦争の日本海海戦ではありませんが、まさに「皇国の興廃、この一戦にあり」という状況が連日続いている状況で、わらにもすがる思いで、救援を呼び掛けていると思います。自国を愛するという意味では当然の行為であるといえます。一方で、各国の国会、議会が何故ウクライナのゼレンスキー大統領に演説する場を設けているのでしょうか?ロシアの戦争犯罪を憎む心の表れなのだろうと思います。しかし、地球上で戦闘、紛争地域は数多くあり、非常に悲惨な状況に置かれている人たちはいくらでもいるのです。そういった当事者は、決して先進国の議会で発言するような場は設定してもらえません。フセイン大統領時代のイラクに対して、米国は大量破壊兵器の存在を理由に、イラクへの攻撃を実行し、最終的に政権の転覆に成功しました。結局、イラクには大量破壊兵器は存在していなかったのに、ほぼ米国の言いがかりと言えるいちゃもんは正当化され、イラクの言い分に、誰が耳を傾けたでしょうか?今回の、ウクライナが核兵器を製造しているというロシアの言いがかりとどっこいどっこいのことを米国は行ったにもかかわらず、ウクライナには世界の同情が集まり、イラクは無視される形になりました。イラクやシリアなどの言い分を聞く場は設けられないのでしょうか?これは、そういった国の体制の問題なのでしょうか?あるいは、非白人国家だからでしょうか? ウクライナの今の国難は当然悲劇であり、早急に事態の解決を図る必要があるのは間違いないのですが、同様にその他の事態の打開を図るべき悲劇的な紛争、係争地域にも、目を向けられるように、彼らの言い分を拾い上げてあげられるようにしていく必要があると思います。 一方で、今回のロシア・ウクライナ戦争について、あれこれ考えています。今回の戦争の発端はそもそも何なのか。ロシアの言い分では、ウクライナはロシアとともにあることが当然だという基本認識が根底にあるのでしょうか?この発想は、プーチンやその取り巻きに特有の考えなのでしょうか?それとも、ロシアの民衆の多くが悲願とするような共通認識なのでしょうか?だとすれば、スラブ民族としての民族的な希望になるのでしょうか?そうであるのなら、そういった愛国的、民族主義的な発想はいつからあるのでしょうか? そもそも、ロシアという国は、かなり長いこと、モンゴル帝国の支配下に置かれておりました。16世紀になり、ようやく、その支配から解き放たれはするものの、その後も統一的な国家が誕生するには、ピョートル一世を待つ必要がありますし、トルコとの黒海沿岸を得るための戦いに勝利するエカテリーナ二世時代にようやく広大な統一的ロシア帝国が出来上がったといえるように思います。18世紀から19世紀初頭のことと言えます。その後、ナポレオンとの戦争に、うやむやながら勝利しますが、その後から、愛国的な貴族が主体となる、皇帝独裁への反発が起きる様になり、度々、ロシア皇帝が暗殺されるようになっていきます。しかし、ほぼ一貫して、ロシアの多くの民衆は、置き去りにされていたように見受けられます。かなり遅くまで農奴制が存在していたため、民衆の民族意識などはあまり育ちにくかったのではないかと思います。 ロシア人が愛国意識や民族意識を高めていくのは、ロマノフ王朝末期からソビエト連邦になってからといってもいいのかもしれません。つまるところ、20世紀初頭のことです。たかが100年ちょっとの愛国意識と言えます。 |
2022年3月24日(木) |
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