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 ボクシング
投稿:長野 央希
私はボクシングが好きで、テレビ中継があると見てしまうような子供時代を経て、今に至っております。私の子供のころくらいから、ボクシングやプロレスのテレビ中継の頻度が減少していき、ボクシングでは注目度の高いような世界戦くらいしか放映されなくなっていきました。そんな中で、私が高校三年の頃、高校の寮を出て、横浜の港北区にある学生ハイツで生活しておりました時に、深夜に放映されていた竹原慎二さんのミドル級世界戦を見て、大興奮したのを思い出します。世界王者となって、インタビューで自分のことを「広島の粗大ごみ」と発言したのを聞き、涙が止まりませんでした。その時の新聞の切り抜きを貼ったノートを今でも持っております。同じ頃、東洋太平洋王者として活躍していた畑山さんも応援していましたが、その後にスーパーフェザー級の世界王者となり、その時も大変興奮しました。
大学に入ってから、なかなかボクシングのテレビ中継を見る時間が無くなっていっていきましたが、長谷川、内山、山中など長期にわたって王者を防衛した名チャンプが沢山出てきました。どんな素晴らしい王者も年齢には勝てず、最終的に王者陥落の際の痛々しさや辛さは、胸を打ちます。

現在は、井上尚弥選手という不世出な素晴らしい世界チャンプが君臨しておりますし、五輪金メダリストで世界チャンプの村田選手も頑張っております。この年末にゴロフキンとの統一戦が決まりました。非常に強い相手ではありますが、良い試合を期待しております。
今でこそ、日本人の素晴らしい世界王者が沢山輩出されております。一方で、ボクシングの歴史を振り返ると、1952年に28歳で白井義男さんが世界王者を獲ったのが、日本人として初めてでした。当時としては、大分遅咲きの年齢であったのだろうと思います。というのも、白井さんは20代前半を海軍に召集され、かなり過酷な環境で働いていたからであります。その時の肉体的酷使から、戦後、ボクシングの引退も余儀なくされかかっているところで、米国人のDr.アルビン・カーンと出会い、米国的な栄養価の高い食事と科学的トレーニングによって再起し、結果的に世界王者へと駆け上がっていきました。太平洋戦争での敗戦で、自信を失い、打ちひしがれていた日本人に与えた希望の光という意味では、これまでの、どの王者も真似できないような偉大な事業だったろうと思います。当時の栄養状態の芳しくない状況から、白井さんも含めて、成長期に十分な栄養を採れなかったことで、日本人のスポーツ選手の選手生命は軒並み短かったと言えます。
私が子供の頃の野球選手も30前半で引退する人が多かったように記憶しております。栄養状態の問題、トレーニング内容の問題などの要素はありましょうが、確実に現在の日本人スポーツ選手は恵まれた環境で生活できているのは間違いないでしょう。それが選手生命にも、パフォーマンスの向上にもつながっているでしょう。
よく考えてみると、日本は世界的にも、最も飽食な環境にあると言えます。しかし、そんな贅沢な環境にある国の人というのは多くはありません。栄養をしっかり採れるような幼少期を過ごしていれば、世界王者にもなれるような逸材が世界中にはたくさんいるのかもしれないにもかかわらず、日の目を見ることもなく、月日を重ねていってしまうような悲劇がどれほどあるのでしょうか?
スポーツ大国というのは、多くの場合、世界的に見れば、経済的に恵まれた国であることが多いです。経済的に余裕がなければ、スポーツに勤しむこともかなわないからでしょう。もっとも、サッカー等の一部のスポーツの様に発展途上国でも、先進国のスカウトの目に留まれば、素晴らしい環境でトレーニングを行い、世界のトップアスリートになる場合もありますが。
ただ、平和で衣食住に悩まない環境の方が、明らかにスポーツのすそ野が広がるのは間違いありません。
日本での飲食店で、多量の注文をして、食べきれずに、多くの食材が残されているような、目を覆いたくなるような現実を見て、あれこれ考えてしまいました。

2021年11月12日(金)

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