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 中国のこと(3)
投稿:長野央希
古代中国では、秦の始皇帝が統一王朝を創始したのち、項羽と劉邦による楚漢戦争を経て、漢帝国による断続的とはいえ、長い支配のもと、後漢末期に、日本でも人気の高い三国志の時代となっていきます。
この、楚漢戦争と三国志時代の戦乱や飢饉、疫病で、いわゆる古代から存在してきた漢民族と呼ばれる民族は大幅に減少してしまったと言われています。その後、五胡十六国の時代で、北方騎馬民族が建国、滅亡を繰り返して後、隋と唐が東一王朝を築きました。実はこの隋も唐もいずれも北方の騎馬民族により建国された王朝です。世界に冠たる大唐帝国も元も清も、いずれも漢民族が打ち立てた帝国ではないのです。しかし、古代に醸成された「中華思想」は、モンゴル民族や女真族などによって、連綿と継承されていきます。中国文明の驚くべきところは、民族云々が誰にせよ、その文化、思想が何故か、中国を支配する側に引き継がれていくことにあります。むしろ、支配層となる民族が中国文明に取り込まれて行っているようにすら見えます。通常であれば、支配するものが、支配されるものの文化を下に見て、自分たちの文化や思想を押し付けるようなケースが多いのにも関わらずです。
これこそが中国4000年の歴史と言えるものなのかもしれません。
勿論、中華思想自体が、鼻持ちならない考え方であるのは間違いありません。簡単に言えば、中華こそ世界の中心で、その周囲の者は皆蛮族であり、中華に従うべきであるというのが、基本的な考え方になります。ただ、その蛮族が従う際に、中華の王の徳によって、自ら従うようになるのが、王道であり、中華の王が武力で蛮族を制圧して、従わせることが覇道となります。中国では古来より、覇道よりは王道を目標とはしてきましたが、ほぼ王道が達成できた時代があったとは思われません。これらの王道や覇道といった考え方自体が、儒教的であり、漢の時代以降、清朝が滅びるまで、中国の王朝は儒教をもって民衆を統治してきました。儒教の教え自体が、年長者や身分の上位の物を敬うことを良しとしておりますので、統治する側からすれば、極めて便利な教えであったと言えます。日本でも江戸時代は、儒学による統治を目指していました。個人的に、儒教的教えは、良い面も多々あるとはいえ、儀礼を過度に重んじたりと、非常に合理的でない面が目に付くように思われます。いわゆる近代以降の社会の発展においては、儒教はしばしば弊害となりえるように見受けられます。
儒教によって縛られた清朝では社会の発展が滞るようになり、柔軟な思考ができにくい環境となっていったことから、最終的に欧州列強、最終的には大日本帝国にも植民地として食い荒らされていったという側面もあろうと思います。こうした歴史の流れから、新たにマルクス・レーニン主義が台頭していき、遂には中国共産党による中華人民共和国の建国へとつながっていきます。

2021年10月4日(月)

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