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 真理の大海
投稿:長野央希
最近、訪問診療をするお宅が増えてきております。
私は、元々、散策・散歩をするのが好きで、時間があると、訪問診療のお家まで自転車か、近くまで車で行き、そこからぶらぶら歩いていることがあります。
現在、その一軒のお宅のそばに、黒松の群生する散歩道があり、そこを歩くのが楽しみになっております。黒松が群生する中を、道が十ているのですが、その木と木の間には、沢山のクモが巣を張っています。
私が、羽虫であったら、間違いなく、これらのクモの餌食になっているのであろうと考えたりしながら、ぶらぶらしています。そして、クモを間近でのぞき見ると、例えば遠目では黒と黄色に見えているクモが、ちかくで、しかも光の反射を受けると、黒く見えている長い脚は実は青かったのだということが分かりました。これは、以前、私が好きだったアンティークの懐中時計の針が黒田と思っていたら、実は光沢のある濃紺であったと知って感動した時を思い起こさせられました。
しかし、よく考えると、私の生きている世界は、こんなことだらけなのかもしれません。自分が表面だけ見て、知ったような気になっていても、実は何も知らないのではないかと思えてきます。そもそも、医療の世界でも、今の知識が、後世には間違っているという判断をされる可能性もありえます。
今の世の中では、色々な情報ソースで、おびただしい量の情報を入手できますが、それは本当に真実なのでしょうか?そういった情報で得た知識で、まるで何もかも悟ったかのようになっている人も少なくないように見受けられます。そして、すべてを知っていると錯覚した人が、自分の意見を主張し、自分と異なる意見の人を貶めたり、攻撃したりする。
我々は、もっと謙虚になる必要があります。自然を観察するだけでも、自分の見ていることが実は本当の表面的なことでしかないのだと認識すれば、「自分は本当は何も知らないのかもしれない」という気持ちになり、そこから謙虚さが生まれてきます。
アイザック・ニュートンは晩年に「私は海辺で遊んでいる少年のようである。時折、普通の物よりも滑らかな小石や可愛い貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海はすべてが未知のまま目の前に広がっているのに」と述べています。あれほどの業績を成し遂げたニュートンでさえ、自分の人生を振り返って、こんなように思うのです。ましてや凡人は、どうなのでしょう?今、偉そうに持論を語る人たちが多数いますが、彼らは海辺で小石や貝も拾わないで、「この浜辺には、これこれの貝が生息しているんだよ」とうんちくだけ垂れて、知ったようになっているに過ぎないのかもしれません。実際は、新種の貝が埋まっているかもしれないのにです。
私たちは、真理を見抜くだけの力量がないかもしれません。それだけに、この世の中の深淵な真理に近づくために、もっと体を使って、汗を流す必要があるのだと思います。今の日本人は、何となく、頭でっかちで、行動をしない人が増えてしまっているように思われてなりません。
バカっぽく見られても、もっとがむしゃらに行動を起こすことが望まれている時代なのではないかと思っています。


2021年9月19日(日)

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