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 インパール作戦
投稿:長野央希
今年も8/15の終戦記念日を迎えました。年々、戦前や戦中を知る生き証人の方々が減りつつある状況ではありますが、我々は、あの悲惨な戦争の記憶を留め、それを教訓として生きていく必要があると思います。
戦後は、戦争や軍隊に関して考えたり、語ったりすること自体が、タブー視されている時期が長く続いていたように思われますが、戦争を起こさないようにするためには、軍や戦争の実態を把握したうえで、戦争を起こさないようにするにはどうするかを考えねばならないのだと思います。いやなことにはふたをするのでは、結局、本当の反省にはつながらず、重要な教訓は得られないのではないでしょうか。
最近、笠井亮平著『インパールの戦い』(文春新書)を読みました。
インパール作戦と言えば、太平洋戦争の中でも、最も悲惨な戦いの一つとして認識してはいましたが、実は詳しいことはあまり知らないというのが現実でした。無能な司令官や参謀によって、無茶苦茶な作戦が展開され、結果的に筆舌に尽くしがたいような行軍、撤兵により、多くの死傷者が出たという程度の理解でしかありませんでした。
この本を読んで、インパール作戦そのものは、無能な軍部によって自滅した戦いというような認識でしかなく、あまり交戦国や現地住民のことには思い至っていなかったという事実にも気付かされました。戦争ですので、当然相手国があり、戦場の周囲で生活する人たちがいるのにもかかわらず、何故か日本の帝国陸軍のみにしか意識が向いていなかったこと自体が、日本人がかの大戦において、十分な考察もせず、当然総決算を行えていないということを如実に物語っているような気がしました。
インパールの戦いでは、従来のように、司令官以下の無謀な作戦計画によって、多くの命が犠牲になったという事実は間違いないと思います。一方で、相手国である英国、英インド軍がいかに、この戦争に向けて、並々ならぬ決意と周到な作戦計画を実行したかを知る必要があります。
インパール作戦の前までは、日本軍は英国に対して、ほぼ連戦連勝で、ミャンマーやシンガポールを陥落させ、インドをうかがうような形成でした。もし、インパールが陥落するようなことになれば、日本軍がインドに入り、結果的にインドの独立紛争が激化して、英国はもはや太平洋戦争の継続自体に支障をきたしかねないという状況でした。
歴史にもしはないと言いますが、インパール作戦よりも前の1942年にインドに侵入していた場合、インドは動乱をきたしていた可能性がありました。勿論、日本が英国領インドに侵入しても、統治を継続することはとてもできなかったでしょうが。その時機を逸したことで、陸軍は戦争の主導権を連合国に渡してしまったのかもしれません。インパール作戦の時期は、既に、日本軍は陸海軍とも連合国に圧倒されつつある時期になっていました。
いずれにしろ、英国としては、戦争継続自体に支障をきたしかねないという危機感の中で、インパールの戦いに勝ちました。彼らは、戦争初期の連戦連敗を糧にして、道路や空港整備を行ったり、日本人捕虜を懐柔して、日本軍の情報をつかんだり、諜報活動を活発化させたりという多くの布石を打ちました。
日本としても、インドの独立運動と連携をしたりと、多くの努力を行いましたが、その努力という意味で英国側に分があったと言えましょう。

太平洋戦争全般に言えることではありますが、緒戦は日本軍は連合国軍を圧倒しました。しかし、連合国側は、敗戦から多くの教訓と、日本の弱点などを研究し、戦争後半は日本を圧倒しました。物資や経済力の差もさることながら、苦い敗戦から目を背けない姿勢にこそ、両者の差が生まれていたような気がしてなりません。
インパールも、目をそむけたくなるようないたましい敗戦ですが、その敗戦からこそ、学ぶべきものが多く、そういった教訓は今の時代でも生かせると思います。日本人は失敗しても、それには目をつむるような傾向があります。失敗からこそ学ぶべきものが多いのであり、それは戦争に限りません。
今は、コロナとの戦闘状態にあると言えます。ウイルス感染の終息こそが、戦闘の勝利となります。最終的な勝利のためには、これまでに蓄積した失敗体験からこそ、大きな教訓を引き出していく必要があると思います。

2021年8月18日(水)

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